第56話

 ティエンが大量の商品と共にやって来てからひと月が経った。

 あのまま結局、ドレス、ヴェール、靴、ジュエリーまで、全てその日のうちに決めてしまった。

 兄代わりとしては鬱陶しいことこの上ないが、仕事となると頼りになる男である。


 彼の何がすごいかと言えば、自分の意見は言うのに、最後には必ずロゼが決定しているということだった。ロゼにとって不満が残ったものは一つも無く、それでいて、ロゼが一人で一から選ぶよりも格段にセンスがいいものが最終的に選ばれていた。


 既に採寸も終え、ドレスは着々と進行しているらしい。

 結婚式という文化を知ったロゼは、冬に差し掛かる頃、自分は競りに出される羊よりも哀れな姿になるのだと悟った。

 こんなガリガリの魔女が、めいっぱい着飾った姿で、人々の前で神の祝福を受けねばならないというのだから、お笑いぐさだ。


 だが、代わりに手に入れたものもある。

 騎士姿のハリージュをいつ見られるのか、ロゼは楽しみで楽しみで仕方が無かった。




***




 パタンと音が鳴り、ポストの戸が閉まる。

 首からぶら下げていた鍵でポストの戸を施錠すると、小舟を漕いで庵へとやって来た。

 行儀悪くも玄関扉を開けながら、ロゼは取り出したばかりの手紙を見た。


「……R?」


 差出人の名前は頭文字しか書かれていない。しかし、依頼人からであれば、別段不思議なことでは無かった。魔女への手紙に堂々とフルネームを書く馬鹿はいない。


 行儀悪くも、ロゼは足で玄関扉を閉めながら、手紙の封を切る。

 魔女に依頼するための封筒にしては、あまりにも可愛らしすぎるものだと思った。レース地のように細かな切り込みが入れられた封筒からは、甘く爽やかな香りがしている。

 便せんの裏には、絵の具で描かれた繊細な花が咲いていた。どれも夏の花だ。だが、こんな森の奥深くで見るような野生の花では無く、貴族の庭で庭師の丹精込めた愛によって咲かせる花々であった。


 一体全体何処の誰が、魔女への依頼のために、超高級品の便せんを使い、香水まで振りかけるだろうか。


 不気味な違和感を覚えつつも便せんを取り出したロゼは、内容を読み始めると、ぽけっと口を開けてしまった。




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――湖の崇高たる魔女様



 庭を彩る花が僅かな風に揺れています。麗しき湖の魔女様におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。


 先日はひとかたならぬお世話になり、心から感謝申し上げます。お手紙でのお礼となりましたこと、どうぞお許しくださいませ。

 私ごとではございますが、のっぴきならない事情により外出を控えることとなりました。また改めて――必ずや――ご挨拶にお伺いさせていただきたく存じます。


 お恥ずかしい姿をお見せしてしましたが、奇しき縁をいただけたこと、時の女神に感謝してもしきれません。


 冴えた月を見る度に、あの日お会いした凜と美しい魔女様に思いを馳せ、夜もすがら胸を焦がしております。


 私の人生において、あまりにも幸福で、素晴らしく、至高の時間でございました。


 魔女様の凜々しいお姿、奥ゆかしい立ち振る舞い――瞼を閉じる度に、まざまざと思い出せます。


 魔女様が光り輝く月ならば、私は星となって寄りいたい。


 もしそんなことが叶うなら、これ以上の幸せはございません。


 魔女様は常闇を照らす光、雨風を遮る天の傘、揺れる慈愛の海原、まろやかな春の氷――


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 ロゼは視線を彷徨わせながら、そっと便せんを閉じる。


 魔女の庵に無数にあるどんな書にも書かれていないようなポエムがこの後、延々と五枚書き綴られていたのだ。


 遠い異国の書に”チュウニビョウ”なる、恐ろしい病があると記されていたことを、何故かロゼは思い出していた。


 突然多重人格になったり、左手がうずき出したり、第三の足が生えたりする――特定の年齢の選ばれた子供だけが罹る、なんとも恐ろしい病だという。


「……あの子か」


 ひとまず、誰が送ってきたのかはわかった。先日落とし穴に落ちていた、泥だらけの少女に違いなかった。


 手紙をもう一度開き、薄目で依頼の手紙では無いことだけを確認すると、ロゼは本棚の隙間に適当に手紙を差し込んだ。





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