第51話
「待っ――! 手! 手! 手がっ!! 手がは……!」
「手は生えている」
「手が入ってる!! 服に、服に!」
逃れようともがけばもがくほど、姿勢がどんどん不利に働いていったのだ。
腰を触っていた不埒な手が、温もりをダイレクトに肌に伝えてきている。
何が起きているのかと首を動かし、はだけたスカートから覗く自分の足に愕然とする。
いつもは足を覆い隠してくれている頼りになるスカートが、今や無残にも完全敗北を期していた。スカートに勝利したハリージュの無骨な手が、直にロゼの足を撫でているのだ。
隣に座った時に、たまに太股が触れ合うことはあっても、こんなに直接的に温度を感じたことはない。
たこだらけの無骨なハリージュの指が、ロゼの柔らかな肌に引っかかり、快感を生み出していく。ひどくむず痒く、声をあげてしまいそうな心地よさに、ロゼはぐるぐると目を回した。
「触れてもいいかと聞いてきたのは、あんただろう」
ハリージュの手がロゼの足を這う。際どいところを撫でられ、ロゼは哀れな子羊よりももっと悲惨な声を出した。
「ああああああれは違ってっ――、待っ!」
触れられた箇所がじぐじぐと疼き、体中からじっとりとした汗が噴き出る。
ハリージュはその汗さえ喜んでいるかのように、ロゼの首筋に顔を寄せ、においを吸い込んだ。ヒッ、と悲鳴を上げ完全に固まったロゼの首を、ざらりと舌が這う。
これは、完全にやばいやつだ。
常に無い空気になっている。
これまでの我慢が一斉に噴き出したかのようなハリージュの猛攻に、ロゼは全力で白旗を振った。
「ご……ごめんなさい、ごめんなさい! ごめんなさい!!」
未知の出来事に、ロゼは泣き叫ぶことしか出来ない。
「ロゼ」
混乱したロゼの耳をくすぐるように、低いトーンの声がする。耳の産毛までもが逆立つほど、ぞくりとした快感が流れ込む。
「恐いことはしない」
「だだだ、ででで、うぇあわわわわ」
もはや言葉すら満足に操れない。完全に固まってしまったロゼの頬を両手で包み、ハリージュが視線を合わせてきた。
「本当に駄目か」
ハリージュが吐息まじりの言葉をこぼす。彼の形のいい唇がしっとりと濡れていることに気付いたロゼは、体中を赤くする。
「可愛い……愛しい。――頼む」
ハリージュの塗れた唇が頬にあたる。その状態で話すものだから、ハリージュの唇がぬるりとロゼの頬をなぶった。ロゼの体を何度目かわからない快感が走り抜ける。
全身をぶるりと震わせた。
「ロゼ」
肌が喜びを吸い取り、ぞくぞくと痺れる。
懇願するように名を呼ばれ、もう何も考えられなかった。何故自分が、駄目だと思っていたのかもわからない。
涙の滲んだ目で、ハリージュを見た。
ハリージュの目も、あの時――惚れ薬を飲んだ時ほどしっとりと濡れていた。
ロゼはわなわなと唇を開く。
「……う、あ、は――」
ついに肯定の言葉を口にしようとしたロゼから、ハリージュがやにわに体を離した。
そのまま機敏な仕草で窓に近寄り、窓の下を見る。
「……千里眼でも持っているのか」
漂っていた空気が、がらりと変わった。
ハリージュの声色は、脱力したような、現実を受け止めることを渋っているようだった。
思いがけないハリージュの行動に、ロゼはまるっきりついていけていなかった。肘をつき、うっすらと口を開けたままハリージュを見つめる。
ハリージュが振り返り、中途半端に体を起こした格好のロゼに気付いた。苦笑を浮かべたハリージュが、ゆっくりと近づいてくる。
ハリージュに手を貸され、ロゼは立ち上がる。ハリージュはロゼの前に膝をつき、乱れていたスカートを手で整えた。
先ほどのことを思い出したロゼの頬が桃色に染まる。
随分と間抜けな姿を晒し続けていた。
ロゼが拍子抜けさせられたことも、こういったことにめっぽう不慣れなことも、ハリージュは察しただろう。
服の乱れを整える余裕もなかった自分が恥ずかしくなり、ロゼが俯く。ハリージュはロゼの頭をひと撫ですると、名残惜しげに耳の裏に口付けを落とした。
「――下りよう。客のようだ」
***
「いやぁすまないね。まさか約束の時間を半日も勘違いしていただなんて。驚かせてしまったかな?」
「問題ない。ああ、失礼。その品はこちらに、その品はあのサイドボードの上に――」
突然の来訪者に驚きもせず、ハリージュは涼しい顔で応じる。その後ろでは、ティエンが連れてきていた従者達たちが出入りし、次から次に大荷物を運んでいた。
いつも静粛な空気が漂っているアズム邸の玄関に、思いも寄らない客が訪れていた。ロゼの兄代わり――もしくは親代わり――のつもりでいる、馴染みの行商人ティエン・コンであった。
先ほどハリージュが言っていた今夜の客というのは、ティエンで間違い無いだろう。急な来訪に度肝を抜かれたのはロゼだけで、ハリージュには迎える準備があったようだ。
ただ、あまりにも朝早くから押しかけてきたため、庵には急遽使用人に行って貰うことになっている。
まだ朝陽が完全に顔を出し切る前のような早朝にやってくるなんて、絶対にわざとだとロゼはティエンをねめつけた。
ロゼを驚かそうとやって来たに違いない。まず間違い無く驚いた。
ティエンが来た時の自分の格好を思い出したロゼは、居心地が悪いような、えも言えぬ感覚に陥る。ロゼに経験は無いが、恋人といちゃついていたところを親に見られた子供は、こんな気持ちを味わうのかもしれない。
もぞもぞした気持ちを切り替えるために、ロゼは先ほどから運び込まれている荷に矛先を向けた。拗ねた子供のような尖った声で言う。
「これは持参金の残りだなんて言わないよね?」
「僕は君に多大な関心と、溢れんばかりの親愛の情を抱いているが、これ全部くれてやるにはちと足りないね。そもそもあの花嫁道具の大半も、大魔女から生前預かっていたお金で用意したと言ったじゃないか」
以前にもティエンはそう言っていたが、誇張していると思っていた。”魔女の秘薬”は高額で売れるが、”魔女の秘薬”の素材も、それはそれは高額なものばかりなのだ。魔女家業は得る金も多いが、失う金も多い。
ロゼにとって不足は無かったが、祖母との暮らしはお世辞にも華やかなものとは言い難かった。
あれほどの持参金を用意できるとは、到底思えない。
それとも、質素倹約を好んでいるものだとばかり思っていた暮らしは、遠くない未来、一人きりになるロゼを案じていたがためだったのだろうか。
自分がいなくなった後、たった一人で生きねばならないロゼが、何かあった時のために――
祖母のことを考え、ロゼはずんと沈んだ。
祖母からの愛を思い知らされる度に、嬉しさと同時に、祖母不幸ばかりしていたことを自覚させられ、不甲斐なさに悔やんでしまう。
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