第52話

「随分と不機嫌だねぇ……もしかして、いい雰囲気を邪魔しちゃったかな? でも結婚までは、貞節を守るんだよ?」


 物思いにふけっているのに耳元で露骨なことを言われたロゼは、心の赴くままにティエンの足を踏んづける。


「――そろそろサロンへいいだろうか?」

 踏まれた足を抱え、わざとらしく痛がっていたティエンは、ハリージュに誘われサロンへ向かう。

 ロゼはティエンの後ろに続いた。どうやら、荷運びの大行列は終わっていたようだ。アズム邸のサロンには、衝立やハンガーに吊されたドレスや布や靴が、ずらりと運び込まれている。


「おっとすまないね。その布はできれば日光が当たらないところにかけてくれないかい? そちらの装飾品も」

「言うとおりに」

 ハリージュはすぐにティエンの意思を優先させた。

 先ほどから思っていたが、随分とティエンに対するハリージュの態度が柔らかくなっている。ロゼの知らないところでハリージュとティエンにも交流があったようだ。

 一度はティエンから何ももらうなとまで言っていたハリージュだったが、彼をロゼの親代わり――家族のようなものだと認めたのだろう。


「これでも厳選してきたんだけど、君達に心から満足してもらいたくて。あれもこれもと持ってきてしまったよ」

 足の踏み場も無いほど商品を広げているサロンを、目の前の二人は慣れた様子ですいすいと歩く。


「いや、助かる――ロゼもこちらへ」


 ハリージュに促され、ロゼもふらふらと危うい足取りながら、自分が選ばれるのを今か今かと待ち望んでいる商品の隙間を縫ってソファに座った。


 ロゼの前に、ティエンがカタログを開く。ティエンの袖についているよくわからない装飾がキラリと光る。

 各国を旅する行商人のティエンは、目がチカチカするほど派手ないでだちだ。あまりここらでは見慣れない風貌のせいで、ロゼよりも年下に見えることも、またずっと年上に見えることもある。


「丁度ロゼに似合いそうな形が、西の方で流行っててね」

 山のように積まれたデザイン帳が、テーブルの上に所狭しと広げられた。


「デザインは本人の好きにすればいい」

「花嫁は花婿の好みを気にするものだよ。ハリージュ君に好みはあるかな?」


 まさかと思ったが、これはやはりロゼの服を仕立てる流れのようだ。しかしすでに、もうクローゼットには入りきれないほどのドレスを、ティエンとハリージュからもらっている。

 ロゼはゴクリと生唾を飲んだ。


 そわそわと逃亡を企てようとしたロゼの隣に、ハリージュがドスンと座る。


「好きな形はあるか?」

「え……」

 逃亡計画がばれていたことを悟りながら、ロゼは部屋を見渡した。いったいこのドレスの海、布の波の中から、何を選べというのか。

 近すぎる距離も相まって、ロゼはだらだらと冷や汗を流した。


「好きな形……と言われましても……」

 そもそもロゼは今日、ティエンが何をしに来たのかも知らないのだ。

 難しい顔でデザイン帳を見下ろすしか無いロゼを立たせると、ハリージュとティエンがマネキンに見立て、布を当てる。


 ロゼに出来るのは、ただ垂直に立っていることだけだ。今日はなんだか、朝から疲れることばかりだ。

 ぼうと窓の外を眺めていると、紫がかっていた空は既に、青く染まり上がっていることに気付いた。ティエンが訪れてから、もうそこそこの時間が過ぎているようだ。


「……あれ。ハリージュさん! お仕事の時間では?」

「今日は昼からにしたから、気にしなくていい」

 まさかこのために出勤時間をずらしたのではなかろうかと焦るロゼの両肩に、瑠璃色と紫紺の布がかけられた。


「色は明るい方がいいんじゃないかい?」

「上品な色も、ロゼにはよく似合う」

「ロゼの世間体を案じるのもわかるけど――暗い色は老けて見えるからねえ。初々しい花嫁と言うには、少しばかり年が行き過ぎてるし」

「ちょっと」


 聞き捨てならないティエンの言葉に思わず突っ込むが、ティエンは全く取り合おうとはしなかった。


「ほらこの辺り。薔薇色、若草色、鬱金色……」

鸚鵡おうむのほうが、もうちょっと落ち着いた色してるんじゃない……?」

 ティエンが掲げた布の煌びやかさに、ロゼはげんなりとした。


「今日全てを決めてしまわなくてもいいけど、生地は早い内に決めた方がいい」

 下手に出られ、ロゼはうっと言葉を詰まらせた。

 いつもこれだ。ティエンにどう操縦されているのかはわからないが、ならもう決めてしまおうという気持ちになってしまう。


「一つでいいの?」

「勿論。まぁいくつだっていいけど」


 唇を引き結んで部屋を見渡す。

 ティエンの個人的なお勧めはどうであれ、様々な色や模様の生地を、きちんと持ってきているようだ。何をどう選んでいいのかもわからないロゼだったが、一際目に留まる生地を見つけた。それは、ロゼが一番着慣れた色だった。


「……あれがいい」


 ロゼが指さした先にあったのは、冬の夜の湖のように真っ黒な生地だった。


「そうくるかー」

 ティエンはさして不満さも見せずにハリージュに視線を送った。


「決めてもいいのかな?」

「当然だ」

 ハリージュはさらりと言った。ロゼの決めることなら、異論はないようだった。


「そうだね。この生地は光沢が強いから、華やかにもなるだろう。黒のドレスは、貴方以外に染まらないなんて意味もあるっていうし」

「験を担ぐのが好きね」


「商人だからね。それに、黒いウェディングドレスなんて、魔女らしいじゃないか」


「……ウェディングドレス?」


 首を傾げるロゼを見て、ハリージュとティエンは呆気にとられた。大げさにティエンが驚いてみせる。


「……なんてこった。これは誤算だった。もう少し常識を学ばせておくべきだった」


 いつまでも子供扱いしたがるティエンを胡乱な目で見つめていると、ハリージュが心配気な顔をして言った。


「ロゼ。結婚式は知っているか?」

「結婚に、何か特別な儀式が必要なんですね?」


 魔女は結婚をしないし、森の動物は結婚式をしない。


 何かしら、家族になる云々の誓約をする程度だと思っていたロゼは、結婚に対する知識が究極的に足りていない。


「そう。人を招いて特別な儀式をする。その時に、こういった華やかなドレスが必要なんだ。もちろんローブは着られない」


「へぇ」

 そうなんだ。とロゼは他愛も無い話に頷いた。


 ティエンが手に取ったのは、肩どころか、胸の部分までだいぶ布が無い、正装用のドレスだ。いつもロゼが着ていた、村娘が着るようなシンプルなドレスとは全くデザインも用途も異なる。


「……え?」


 続いている沈黙に、ロゼは我に返った。


「ローブも無しにこれを? 誰が? え、まさか。私が?」


 これを着るというの? という気持ちを込めて尋ねれば、ハリージュとティエンが大きく頷いた。


「……ははっ」


 乾いた笑いだけが、場に漏れた。






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