第43話
「頭が……痛む……」
ふらふらと、千鳥足が踊る。
「飲み過ぎですね――あと少しです。頑張ってください」
まだ薄闇に包まれている閑散とした王城を、三人の男が歩いていた。
足下の覚束ない男を先頭に、帯剣した二人の騎士が後ろに続く。
「おぶってやろうという優しさは無いのか」
千鳥足の主――マルジャン国第二王子ヤシュムが後ろを振り返り、睨み付ける。
ヤシュムのぬばたまの髪の隙間から、不満げな翡翠色の瞳が覗く。
永遠に続くようにも思えるほど、城の敷地はだだっぴろい。権力の象徴である王城は、広大な敷地の中にいくつかの棟が立ち、それぞれが政務や居住のための役割を果たしている。
酒に飲まれた体を引きずり、なんとかヤシュムも王族の居住区に辿り着いていたとはいえ、自室がある棟はまだまだ遠い。
ふらふらと中庭にある噴水に近づいたヤシュムは、噴水の縁にもたれ掛かるようにしゃがみ込んだ。
噴水の飛沫を受けるヤシュムの後ろには、護衛のためにハリージュとゲオネスが控えている。
彼らは数ヶ月前まで、共に第一王女ビッラウラの近衛隊だったが、彼女の輿入れを境にヤシュムの近衛隊へと移動している。
「もう少しお休みになっては、というワハーシュ卿のご厚意を無碍にされたのは殿下でしょう」
ヤシュムは昨晩、公務の一環でワハーシュ家の晩餐会に招待されていた。遅くまでの会食のため、ワハーシュ家は護衛にまで部屋を用意してくれていたのだが――夜明け前にヤシュムが帰宅すると騒ぎ始めたのだ。慌てて御者を起こし、引き留めるワハーシュ家に無礼を謝罪しながら馬車を飛ばして帰ってきた。
「だっ――ハリージュ! お前も見たろう?! あそこの奥方が、シュミーズ姿で私のベッドにいたんだぞ! 香水とおしろいを練り込んで……ハムのような体で!」
ヤシュムが顔を青くしながら叫んだ。しかしすぐに、うぷっと口から水音を響かせる。叫んだことにより吐き気を誘発したのだ。
噴水で嘔吐いている姿からは連想できないが、中性的な美貌を持つヤシュム王子は、色気漂う美男子だと貴族からも平民からも絶大な人気である。
「殿下、吐きますか?」
ゲオネスが優しく声をかけるが、ヤシュムは微かに首を横に振るだけだ。
王子を泊めるのならばと、一夜の気まぐれに縋り、お手つきを望む気持ちが沸いても不思議では無い。
これまでにも、年頃の娘を偲ばせる当主は何人かいた。しかし、妻をベッドで接待させる男は珍しい。
しかもそれが、ドアを開けた瞬間に何も見なかった振りをして、「帰る」と言い放ったヤシュムに、誰もが多少の同情を寄せるような女であれば、尚更。
「そうやって据え膳を逃げ回っているから、男色等という噂が流れるのですよ」
「ハンッ、あのハムにフォークの動いたワハーシュ卿を称賛したいぐらいだ」
悪態をついた後ついに我慢できなくなたヤシュムが、噴水の縁に手をかけたまま動かなくなってしまった。
かといって背を擦られるのも嫌らしく、一切体を触らせない。
ハリージュとゲオネスは大人しく警備に務めることにした。
「何か……話していろ……」
「そうおっしゃいましても、勤務中ですから」
すげなくハリージュが断ると、ヤシュムが半泣きで答えた。
「頼むから、気を紛らわせたい主人の気持ちを汲み取ろうという優しさを持て!」
ハリージュに無碍にされ続ける主人を哀れみ、ゲオネスが横に控えるハリージュに声をかける。
「アズム。お前最近きっかり休みを取るようになったな」
「休みだからな」
ゲオネスに尋ねられ、ハリージュは端的に答えた。
「これまでどんなに休めと言っても、することが無いからなんて言って仕事に出てきてたお前が……さては女だな?」
「ああ」
「は!?」
一拍遅れて「は!?」とゲオネスが繰り返した。
青白い顔をしたヤシュムさえ、噴水から顔を上げ、驚愕に目を見開きハリージュを凝視している。
「おい――ハリージュ。聞いておらんぞ」
「式には呼んで欲しいですか?」
「待て、そこからなのか!? 行くに決まっておろう!」
「でしたら、式には招待しますので開けておいてください」
「式には?! 式まで紹介もしないつもりか?! あぁ情けない! お前のことは、血を分けた兄弟のように思うておるというに!」
これ以上叫べば、ヤシュムの口から真面目に
それほど必死なヤシュムを、ハリージュは噴水の水しぶきほど涼しい顔で流している。
「もしかして――あの……魔女の噂は本当なのか?」
「多分、あんたの予測は当たってる」
不審げな顔をして尋ねるゲオネスに、ハリージュは頷いた。
ハリージュはかつて盗賊犯と間違われた時に、魔女の庵で警備兵に名を告げたことがある。
その上現在は、ハリージュは魔女の庵に行くことも、魔女と共に暮らしていることも誰にも隠していない。
ゲオネスにどこからか伝わっていても、不思議では無かった。
「おい、なんだその噂とは? 魔女? 何の話をしている。ゲオネスが知っていて、何故私が知らない」
「何を言ってるんだ……男同士で一々こんな話しをするなんて、気色悪いだろ」
こんなくだらない話題に敬語を使い続けることが馬鹿らしくなり、ハリージュはヤシュムにぞんざいに言い放った。
「私とお前の仲であろう!?」
「やめろ」
「ラーラに貸し出してたお前が、ようやく戻ってきたと思ったら――なんだよ! 外に女ばかり作りおって!」
「やめろ」
噴水の水も凍りそうな冷気をハリージュが発する。
ヤシュムの男色趣味の噂は身から出た錆だが、それに巻き込まれたいとは、ハリージュは微塵も思っていない。
なのに毎度毎度ヤシュムの相手役の名に上がるのは、八割がたハリージュだった。
「大体お前は――」
「……おや」
「わざとらしく、人の話を区切るでない!」
「いえ、あそこにとんでもないお方がいらっしゃると思いまして」
ハリージュの視線を追い、ヤシュムも城へと顔を向けた。
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