第39話

「そんなに不安なら俺から伝えておいてやるから、好きにやるといい」

「ほ、本当ですか!」


 ロゼはローブの中で、パァと顔を輝かせた。

 喜ぶロゼに満足げな顔を浮かべたハリージュだったが、視線を落としてすぐまた顔をしかめる。どうやらミミズが目に入ったらしい。


「……流石にその量を一気に食べさせるのは、あまりよくないだろう」

 ロゼはハリージュの提言に従うことにした。

 指で摘まんだ何匹かのミミズを鶏に与えると、ロゼは瓶の中に花壇の土を軽く被せる。ハリージュが渡してくれたハンカチを瓶の蓋で覆い、麻紐で結ぶ。多少の空気は通るので、これで暫くは持つだろう。


「……どこへ運ぶんだ?」

「お借りしている部屋へ」

 こんな場所に置いていては、庭師に使われてしまう。


「……部屋に入ったものが卒倒するぞ」

「では、ベッドの下にでも隠しておきます」


 ロゼは大事に瓶を抱えると、ローブの中に隠した。

 ハリージュはまだ言いたいことがありそうな目でロゼの腹部――正確には、ローブの中に隠してある瓶――を見ていたが、それ以上何も言わずに屋敷へと体を向けた。


 玄関扉をハリージュが開ける。ロゼが全力で押さなければ開かない頑丈な扉も、ハリージュは腕一本で開けてのける。たくましい腕に、一々キュンとする。


 ハリージュの姿にぽわんとしながらエントランスポーチを歩いていると、足がつんのめった。

 一気に正気に戻ったロゼだったが、転倒は免れなかった。


「いたた……」

「大丈夫か!?」

 こけたロゼの元に、ハリージュが慌てて駆けつける。


「ええ、はい――」

「気をつけろ。何かあったらどうするんだ」


 迫真の顔に、随分と仰々しいと思ってハリージュの顔を見上げる。

 だが、ハリージュと視線が合うことはなかった。ハリージュは、ロゼの腹部――ミミズが大量に詰められた小瓶を見つめていたからだ。


「今はあんた一人じゃないんだぞ」

「ソウデスネ」


 ロゼが転んで、万が一瓶が割れれば、この豪華なエントランスはたちまち土とミミズまみれになってしまうだろう。

 半眼でねめつけるロゼに気付いた、ハリージュは珍しくばつの悪そうな顔をする。


「いや、悪かった。手を貸そう。立てるか?」

 ハリージュの手を借り立ち上がると、再びミミズをローブの中に隠し、玄関へと向かう。


 片手でひょいと玄関扉を開けたハリージュは、そのまま動きを止めた。

 何があったのかと扉を覗くと、鬼のような形相で、腰に手を当てて怒っているターラがいた。


 ロゼはヒィと戦いた。咄嗟に全力で頭を下げたくなる。


「……ターラ、どうし――」


「なんと嘆かわしいこと……! どうしてこんなことに! ターラはもう、奥様に顔向けができません!」


「……は?」


 ハリージュがぽかんと口を開き、間の抜けた声を出した。

 ターラの怒りの矛先は、どうやらロゼではなく、ハリージュに向いているようだ。


「ぼっちゃん、ターラは見損ないました。まさか、まさか……結婚前のお嬢さんに手を出すなんて!」


 ローブの中で、ロゼの体がぴょんと飛び跳ねた。


「あんなに夫婦仲睦まじいご両親のもとでお育ちになったのに、お嬢様を愛人にしようと思ってはいらっしゃらないでしょう!?」

「思っていないからターラ、少し落ち着き……」

「これが落ち着いていられますか! 幼少のみぎりよりお仕えしてまいりましたが、こんなにがっかりしたのは、ぼっちゃんが台風の日に大旦那様の馬を無断で使った時以来です!」


「ぼっちゃんは止めてくれと言ってるだろう。それに、あれは俺じゃ無い。兄がやったんだ。俺はただ、厩の前で馬丁が来ないように見張ってただけで――」

「ああ言えばこう言うんですから! これまで一人の女性を大切になさっているようなこと、一言もおっしゃって無かったのに、急に女性を連れてきたのはそう言った理由だったんです? 突然人が変わったかのように愛情深くなられて、これでぼっちゃんも落ち着くだろうと一同胸を撫で下ろしていたのに……あんまりです!」


 ギャンギャンギャン、とターラが責め立てる。ハリージュが彼女に強くでられないのは、この様子を見る限り、幼い頃からなのだろう。

 この屋敷には、ターラを止められるものは誰もいないらしく、廊下の角から蒼白とした顔で、何人かがこちらを見守っている。


「ひとまず、待て。ターラが思っているようなことは、何もしていない」


「こそこそと私に隠しておいてくれだのなんだの、鶏小屋で話していたではありませんか!」

「それは……」


「今だって、お嬢様がこけた時に、ぼっちゃんは一人の体じゃないとおっしゃったんですよ!」

「……だからな」


 ターラの猛攻にハリージュはタジタジだった。ロゼとて、口をつく暇が無い。


「もうひと月以上、お嬢様の面倒を見させていただいているんですよ! 月の障りが無いのを不安に思っておりましたが……まさか、まさかもうそんな不義理を働いていたなんて……!」

 いろんなことが複雑に絡み合い、ターラは非常に突飛な思い違いをしているようだった。ロゼの生理が不順なのは元からだ。

 だがターラの主張を聞く限り、変な方向に話がよじれてしまったのも、わからないでもない。


「ぼっちゃま! 聞いておられますか!」

「聞いている。まずは俺の話を……」

「まぁ! 男の人っていうのは、自分の立場が悪くなるとすぐに女を黙らせようとするんですから。不誠実なことは、このターラが許しませんよ!」


 ついにターラが涙目になってしまった。すんと鼻を啜る音までする。ハリージュがロゼに無体を働いたと思い込み、気を落としているのだろう。ハリージュが更に怯む。


「観念します」


 無表情ながらも内心で酷く狼狽していたロゼは、ローブから手を突き出した。


「……お嬢様? 一体何を……」

 ロゼが付きだしたものを見たターラが、ヒッと息を呑んだ。土の隙間から、うごうごとうごめくミミズが見えたのだろう。


「ターラさんに内緒にしてくれと、頼んでいたものです。そして、ターラさんが私の腹にいると思っていたのも、これです……」


 うにょうにょと、瓶の中でミミズが自己主張をする。

 場に沈黙が下りた。離れた場所でハラハラと見守っていた他の使用人達も、なんとも言えない顔をしている。


「ミミ……ズ……?」

「鶏に……あげたくて……」


 自分の勘違いに気付いたのだろう。ターラが目を見開いて「おやまぁ!」と叫ぶ。

「だ、旦那様。本当に申し訳の無いことを……」

「だから違うと言っただろう」


 ハリージュは全く気にしていないようだった。それよりも、この話をさっさと終わらせたい、という空気が滲み出ている。


「お嬢様に対しても、なんと不名誉な勘違いを……」

「いいえ。人を食べていると勘違いされた時よりはマシですから」

「なんとまあ」

 ターラはにこにこと笑った。冗談だと思ったようだ。

 実際に街の人々にそう思われていたことを知るハリージュは、眉間に皺を刻む。


「それで、あの――」

 ずい、とミミズを突き出すと、ターラの悲鳴が響く。


「これを部屋に置いておきたいんですが……」


「旦那様が……許可をお出しになれば……」


 かすれがすれにターラが言った。その声色は、ハリージュが断ってくれることを深く望んでいるように思えた。


 ロゼはハリージュを見た。ハリージュは渋い顔で頷く。


 ターラが失意のため息をこぼし、廊下の角で見守っていた使用人達は崩れ落ちた。




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