第38話

「先に食堂へ行っている」


 と言って、ハリージュはリネン室を出て行った。

 ロゼは朝食を食べないので、食堂ですることなどなかったが、気持ちが落ち着くとロゼは食堂へ足を向けていた。


 食堂へ着くと、先に向かったはずのハリージュがまだいなかった。

 不思議に思い、台所を覗く。鼻歌交じりにフライパンを振るっていたターラが、ロゼに気付く。


「おや、どうされました? お嬢様。ご朝食をおとりになりますか?」

「いえ」

 真実しか話せないロゼは、ハリージュ以外との会話では、発言を控えめにしなければならない。使用人達はそんなロゼを人見知りだと思っているようだ。


「折角来ていただけたのですから、お茶だけでもどうです」

「いただきます。ありがとうございます」

 ぺこりとロゼが頭を下げると、ターラはにっこり笑ってお茶の準備に取りかかった。しっかり者で職務に厳しいターラは、祖母と違って愛想は悪くない。


 所在なさげに立っていたロゼのために、台所の椅子をターラが引いてくれる。

「ミルクも入れますか? 今日は新鮮な乳が手に入ったんですよ」

「はい」

「たっぷり? ちょびっと?」

「ちょびっとで」

「承知しました」

 椅子に座ると、コトンとテーブルにポットが置かれた。その上にコゼーをかける。華やかな生地が沢山連なったキルトのティーコゼーは、彼女の手作りかもしれない。砂時計が横に置かれ、ターラは再びかまどの方へ戻った。


 ロゼはテーブルにぺしゃんと頬をくっつけて、砂時計が落ち終わるのを待つ。

 卵が焼ける匂い、慌ただしく動く足音、食器の重なる音。

 その全てが、珍しく、懐かしく、くすぐったい。素知らぬ顔でロゼの柔らかい場所を、そっと撫でていく。


「なんだ、こっちにいたのか」

 濃いめの紅茶にミルクをちょびっと入れたミルクティーを飲んでいたロゼに、ようやっと来たハリージュが声をかける。


「おや、旦那様と待ち合わせてたんです? 仲がよろしくて、喜ばしい限りです」

 ハリージュの朝食を、ターラが食堂のテーブルに並べる。有無を言わせずロゼのティーポットも食堂へと運ばれてしまった。


 あっ、と名残惜しげにティーポットを見つめていると、ハリージュが手を差し出した。掴めと言うことだろう。


 それはわかる。わかるのだが。


「いつまで待たせる」


「へい……」


 ロゼはおずおずとハリージュの手の平に指先を置いた。

 不安定な指先をしっかりと手の平で包んだハリージュは、慣れた手つきでロゼを椅子から下ろすと、臆面も無く歩き始めた。いたたまれないのはロゼである。たかだか数歩の距離をエスコートされ、恥ずかしく無いはずが無い。


「お家の中で、迷子にでも?」

 食堂の椅子をハリージュに引かれ、腰を落としたロゼは、気恥ずかしさを紛らわすように悪態をついた。

 とは言えあながち、無いとは言い切れない広さだ。だがハリージュは自分の席に座りながら「いや」と首を横に振った。


「頭を冷やしていた」


「はぁ」

 何故頭を、首を捻りながらミルクティーを含んだ瞬間、ロゼは「頭を冷やす」の意味を理解した。


 口に入れたミルクティーを噴き出しそうになる。唇を固く閉ざし、なんとか必死に飲み込むと、大きく咳き込む。


「大丈夫か?」


 咳の合間に首を上下させる。

 しかし本当に大丈夫かは、自分でも怪しいものだと思った。




***




 ロゼはウキウキとしていた。

 定時になると森の端まで迎えに来てくれる馬車に乗り込む際に、フットマンに怪しまれたほど、浮き足立っていた。


 瓶を大事に懐に抱え、まるで赤子のように撫でている内に、馬車はアズム邸に帰り着いた。

 夕日に照らされる中、ロゼが一目散に向かったのは玄関ではなく鶏小屋だった。

 羽毛のように軽い足取りで鶏小屋の前に立つ。コケッコケケッと感動の再会の挨拶をしに、金網に集まってきた鶏たちに声をかける。


「いい子にしてた?」


「まあ、程々に」


 来るはずのない返事に、ロゼはぎょっとした。

 小瓶の蓋に手をかけ、中身を取り出そうとしていたロゼは慌てて小瓶を背中に隠すと、振り返る。


 そこにいたのは、この屋敷の主人ハリージュだった。


 普段着の裾には土がかかり、今仕事から帰ってきたばかりなのだとわかる。周りを見渡せば、馬が馬丁に連れて行かれるところだった。


「おかえりなさいませ」

 何故か「おかえり」と告げると、毎度不自然な沈黙が生まれる。


 食べ慣れぬものを口に入れた鹿のようにもごもごと口を動かすと、ハリージュは控えめに「今帰った」と言った。 


「ところで、そんなに慌てて何をしに来たんだ?」

 どうやら馬車を降りるところから見られていたらしい。背で瓶を持つ手に、ぐっと力が入る。


「ハリージュさんがお気になさるようなことは、何も」

「では、何を隠している?」


 言葉だけ聞けば、魔女が鶏に怪しげな魔法をかけに来たのだと疑われているようだったが、ハリージュの口ぶりからして、この状況を面白がっていることは伝わってきた。


「内緒に、してはいただけませんか……」

「残念だったな。この屋敷で起きることは、全て俺の耳に入る。……というか、俺以外の誰に内緒にしろと言うんだ」


 おばあちゃん――もとい、ターラさんにだ。


 観念して、ロゼは隠していた瓶を差し出した。透明な瓶の中で、ロゼがせっせこ集めてきたものがうごめいている。


 ハリージュが指示するとおりに、ロゼは瓶の蓋を開けた。

 瓶の中で動いているものを見た瞬間、ハリージュはその端正な顔を歪ませ、頬を引きつらせた。そんな顔さえ格好いい。


「……それは」

「ミミズです」


 ロゼはしょんぼりして言った。活きのいいミミズの数匹が、瓶の中から這い出ろうとするので、指で弾く。再び瓶に引き戻されたミミズが、うにょうにょと底で動いている群に加わる。

 ロゼによって大量に突っ込まれたミミズ同士の体が絡まり合い、どこが先頭で、どこがしっぽかもわからないほど渦になっている。


「これは全部、森にいたものなんですよ。畑のミミズをとってきたわけじゃありませんし、全部傷がついているので薬にするには不向きで――」


「……わかった。わかった、もういい。何から突っ込んでいいのかわからん」

 ハリージュは口元を手で押さえ、若干体を後退させる。


「……ミミズがお嫌いですか?」


「好んで見つめ続けようとは思わない」


 至極きっぱりと、ハリージュが言い切った。

 彼の苦手なものを手に持っているロゼは、なんとなく一歩前に足を踏み出した。


 一歩、ハリージュが退く。

 また一歩、ロゼが追い詰める。

 一歩、ハリージュがまた逃げた。


「た、楽しい……」


 つい口に出してしまうほど、ロゼは楽しかった。

 いつも追い詰められている自分が、ハリージュを追い詰めていることが単純に愉快だった。


 しかし、ロゼの喜びがそのままハリージュの喜びだとは限らない。ハリージュは更ににじり寄ろうとするロゼを制するように「つまり」と強めの口調で言った。


「それを鶏にやろうとしていたんだな?」

「はい」

「何故ターラに内緒にしておいてほしかったんだ?」

 一気に形勢逆転したロゼは、再び瓶の縁から身を乗り出していたミミズを捕まえつつ、唇を突き出す。


「ターラさんが朝にちゃんと餌を与えているのを知っていたので……おやつは怒られるかなと思いまして……」


 家畜の飼育方針は様々だろうが、ロゼが鶏を飼っていた時、祖母は鶏へのおやつに対してあまりいい顔をしなかった。

 風の噂では、祖父母は孫に甘く、親に隠れてこっそりとおやつを渡したりするらしい。

 自分の祖母からそんなことをされた覚えは皆無だったので、ロゼにはわからない感覚だが、今のロゼはそれに近いだろう。


 そもそも、ミミズを採取していたのが庭の畑だったので、畑からミミズがいなくなることも、祖母は嫌だったに違いない。


「なんだ。そんなことか」

 つい、祖母に重ねてしまうターラに隠してくれと頼んだが、ハリージュの様子を見るに、別にそれほどのことでは無かったのかもしれない。


「……怒られませんか?」

「怒りはしないだろう」

「あとで食べるために、丸々と太らせてやろうイッヒッヒ、と魔女が笑っていたなんて思われないでしょうか……?」

「何処のおとぎ話の話をしてるんだ」

 呆れ顔でハリージュが言った。



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