第27話


「アズム、落ち着け」


 声がして、我に返る。

 同僚のゲオネスが、真顔でこちらを見つめている。


 ハリージュ同様ゲオネスも、先ほど任務から帰還したばかりだ。

 宿舎暮らしの彼は、部屋に戻る前に職場に寄っていたようで、窃盗犯を担ぎ込んできたハリージュを見て大層驚いていた。


 夜間だったため留置所が開いておらず、ひとまずここに転ばせておこうと、騎士団の詰め所に連れてきたのだ。


「落ち着いていなかったか?」

「確かに、落ち着いてはいたかもしれんな。今にも殺しそうな顔をしていたけど」


 ハリージュは舌打ちした。殺していいなら、殺していただろう。そう思うほどに、この男が憎かった。



 ひと月もの間休み無く働いたハリージュが、自分に許したささやかな褒美が、森の茂みからそっと、魔女の家を覗くことだった。


 たった一ヶ月会えなかっただけで、これほど会いたくなるとは思ってもいなかった。


 寒くないだろうか。きちんと食べているだろうか。手は足りているだろうか。困ったことは起きていないだろうか。村人から手酷い目に遭わされていないだろうか。あの警備兵達がまた来てはいないだろうか。


 ハリージュを長年支えてくれた従者ヴァレットのサフィーナに、ロゼの身辺を気にかけるように申し付けていたが、やはり出来ることなら自分が力になりたかった。

 ことさらに、ロゼを大事にしてやりたかった。


 ――寂しく、なかったろうか。


 ハリージュは寂しかった。

 不遜ながら、妹のように大事に守ってきたビッラウラが嫁ぐ旅に同行しているというのに、考えるのはロゼのことばかりだった。


 最後に馬上から見た、町娘のような姿のロゼが、忘れられなかった。

 出立前に会えるとは思っていなかったから、あれからハリージュはしばらく浮かれ気分が消えなかった。


 ビッラウラに「これは、魔女の秘薬でも治らぬ病にかかっておるのだ」と笑い話にされるほど、ハリージュはロゼの事ばかりを考えていた。


 そして、ハリージュはすべからく理解した。


 遠く離れていても、案じ、焦がれるこの感情を、これまで生きてきた、幾千、幾万の人がなんと呼んだのかを。



「……もう寝ているか」

 ロゼの家は、夜の湖の真ん中で、ひっそりと佇んでいた。


 眠れているのなら、良かった。


 夜の客には慣れていると言っていたが、夜は寝かせてやりたい。

 桟橋に行けば鐘が鳴って起こしてしまうと遠慮したハリージュは、小舟が湖を泳いでいる事に気付いた。


「こんな夜中に、客か?」

 かつての自分のことを棚に上げ、不機嫌に思う。


 ロゼの家を見ても、灯りは一つもついていない。

 あまり意識していなかったが、ハリージュが夜に訪れると、ロゼはいつも灯りをつけて待っていた。

 桟橋に立つと鳴るという、鐘の音を聞いてから、客のために火を灯すのだろう。


 だというのに、今、魔女の家は真っ暗なままだ。

 舟も、何故か魔女の家の裏側に止めようとしている。


 不審に思っていると、遠くから、微かに硝子が割れる音がした。


 その音を合図に、ハリージュは迷うことなく靴と服を脱ぐ。

 ズボンと薄いインナー一枚だけになると、冬の寒さに全身に鳥肌がたった。腰に差した剣も全て置いていく。


 気付かれないよう、静かに湖に入る。

 水は氷水のように冷たく、一瞬でハリージュの体温を奪った。

 全身を刺すような痛みが襲うが、かまわずに泳ぎはじめた。音を立てずに近づいていく。


 小舟は既に小島に辿り着いていた。舟の中は無人だ。

 陸に上がると、更に寒さが増した。濡れた体を、湖の上を抜けた冷たい風が、容赦なく吹き付ける。

 手を何度か開いたり閉じたりして、かじかむ体に熱を灯す。

 肝心な時に、体が動かなければ意味が無い。


 何事も、無いなら無いに越したことはない。

 寝ぼけたロゼが硝子を割っただけで、舟を漕いでたのは櫂の操作が下手なただの客であれば、それが一番だ。

 先走って冬の湖に飛び込んだハリージュだけが、笑いものになればいい。


 だが、もし、なにか異常が起きていたら。


『怪しそうな人が来たら、すぐに床下に隠れてます』


 そう言ったロゼを思い出して、ハリージュはぐっと歯を食いしばった。


 その言葉を聞いた時、ハリージュは単純に「かわいそう」だと思った。女性は守られるべきだと育てられたハリージュにとって、何者にも守られていないロゼが、ただかわいそうだった。


 だが今は、これまで自分の身を一人で守り抜いてきたロゼに、敬意を持つ。


 そして、叶うことなら、どうかこれからは、自分にもその助けをさせて欲しい。


 畑にあったクワを手に、玄関に向かう。

 扉は開いていた。中から、男の声がする。


「あーあ。魔女もいねえし。若い女だって聞いたから、楽しめると思ったのによ」


 冷え切っていたはずなのに、全身の血が沸騰しそうなほどの怒りを覚えた。

 衝動を抑え、玄関扉の陰に隠れる。肩越しに、中を覗く。状況を判断しないことには、突入する事は出来ない。


 男は、家を物色するためにか、ロゼの家にある古びたランプを点けている。男は長身で、灰色の髪だった。ハリージュが任務に出る前に一騒ぎを起こした、窃盗犯の特徴と一致している。


 だが男が本当に客では無いとわかるまでは、騎士として危害を加えるわけにもいかない。


 部屋中が荒れているが、どこまでが魔女の通常運転か、ハリージュにはまだ掴めていない。

 しかし、幸いにして「魔女はいねえ」ようだ。きっとあの地下室に隠れられたのだろう。


 あの狭く暗い空間で、不安に怯えているロゼを想像した。ハリージュのクワを持つ手に、ぐっと力が入る。


「しけてんな。こんだけしか無えのかよ。大々的に薬を売りさばいてるって言うから、もっとあるかと思ったのに」


 何処かで情報の伝達ミスでもあったのだろう。ロゼが売っている「薬」は、この男の想像したものとまるで違う。


 ともあれ、男はロゼの家から金銭を盗み出そうとしているのは確かだった。

 抵抗すれば実力行使に出ることもあるが、まずは声をかけようとしたハリージュのこめかみがピクリと揺れる。


「なぁんだ。そこにいたのか」

 何かを聞きつけた男が、ぐるりと方向をかえたのだ。

 男の視線は、ロゼが隠れているだろう地下室の扉がある場所に向けられていた。

 男が足を進める。

 視線は床板を隠すラグに固定されていた。


 声をかけるという、選択肢は消えた。

 気付けば踏み出していた。大きな歩幅で近づいたハリージュに、盗人が気付いた時には既に、体も意識も吹き飛んでいたことだろう。最後の良心でクワは使わなかったが、渾身の力で殴った。


 大きな音が鳴り、男が壁にぶつかる。

 幸い、そこに積まれていたものの中に割れものはなかったようだ。ロゼの家を破壊しなかったことに安堵する。


 胸倉を掴み、ハリージュが男の顔を、壁にぶつける。

 完全に伸びたことを確認すると、腰のベルトで縛り上げた。抜けだし、抵抗できないように、かなり入念に縛る。


 部屋がシンと静まった。

 他に隠れている共犯者がいないか確認するが、単独犯のようだった。

 ラグをつまみ、地下室の扉を開ける。


 ランプの光が照らした深い緑色の瞳は、ハリージュを見つけると、一瞬で潤んだ。


 ――あのロゼの姿を思い出す度に、この窃盗犯を殺したくなる。




「見張りは変わろう。明日の朝、骸を渡すわけにもいかんさ」

 ゲオネスに声をかけられ、ハリージュは我に返った。


「すまない。頼んだ」

 同僚の厚意を有り難く受け取り、ハリージュは帰路につく。


 屋敷に戻る前に伝達を送っていたので、既にサフィーナはロゼの家へ向かっていることだろう。

 ロゼの布団に包まっていた事を思い出し、少年のように心が跳ねる。


 空には紫色の雲がかかっている。朝日が昇りはじめていた。




***




 家に戻って風呂に入ると人心地がついた。手早く簡単な食事を腹に詰め込んでいく。


 途中、気を利かせたゲオネスが、窃盗犯から聞き出した証言を伝達してくれた。


 窃盗犯は、酒場で村人達の世間話を聞き、魔女が年若い女性と知ったらしい。村人には、子供が泥玉を投げ付けていた時に、魔女が妙齢の女性だとばれている。


 興味をそそられた窃盗犯は、村人に詳しく話を聞く。

 村人は陽気に話したらしい。魔女は日夜、を売りさばいていると。


 魔女の顧客がやんごとない身分のものばかりというのは、公然の秘密だ。邪推した窃盗犯は、ただの若い女なら、簡単に御せるのではないかと思ったらしい。

 莫大な魔女の財宝に胸を膨らませ、窃盗犯はロゼの周辺を探った。


 ロゼは基本的に外出もせず、二日に一度決まった時間に、男が食事を運びに来るだけの、隠居のような生活をしている。

 盗みの計画は、瞬く間に立ったという。


 報告と共に、ハリージュが休暇に入るための手続きも、ゲオネスが済ませてくれたと伝えられる。同僚に感謝しながら伝達係を帰すと、ハリージュはベルを鳴らした。


「サフィーナ……はいなかったな。誰かいるか」

 すぐに一人の下僕フットマンが、足音も立てずに駆けつけた。


「出立前に頼んでいた、アレは届いているか?」

「いえ、まだ時間がかかると連絡がありました」

 ハリージュはソファに座り、ブーツの紐を結びながら告げる。


「急がせたくはないが、遅すぎても意味が無い。きちんと伝えておいてくれ」

「承知致しました」


「それと、自室の棚にある、眠気覚ましの小瓶・・を持ってきてくれ。馬の用意も。飲んだらすぐに出る」

 さすがに、ひと月休み無く働き続けた後に、冬の湖を泳ぐのは堪えるものがあった。

 細い息を吐き出しながら、ハリージュが眉間を押さえる。


 命令を受けた下僕は頭を下げ、しずしずと部屋を出た。






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