第24話
一晩経てば、沸騰して蓋を笑わせているヤカンだって、冷める。
特に翌日、主人の命を受けた使用人が”本日の主人の気まぐれ食材”と共に、惚れ薬の代金を持ってくればなおのことである。
「受け取って頂かねば、私は職を失います」
魔女に対する怯えも混ざった表情で懇願されれば、突き返すことも出来ない。
まさか、それから二日に一度、アズム家の使用人が訪れることになるとは、思ってもいなかった。
信じられないことに、ロゼのための食事を毎度持って来る。
しかも、ロゼが食べ終えるまで帰ってくるなと厳命されているという。
「……おたくのご主人を呪う薬とか、必要ですか?」
「お心遣いだけ」
四度目ともなると、使用人もロゼをそれほど怯えなくなっていた。パリッと糊のきいたシャツを羽織る男性は、サフィーナというらしい。初老も近いのではなかろうかと思われるサフィーナに、こんな辺鄙な森まで毎度――それも、ただ食事を運ぶためだけに――歩かせるのは、本当に忍びない。
「ではせめて、これだけでも。貰ってくれないと食べません」
「有り難く頂戴いたします」
”摩擦すると温かくなる薬”を、サフィーナに手渡す。完全に冷えた後は、衣類の匂いとりにも使えることを教えると、喜んでくれた。
「もう、薬の代金もいただいたのに……」
今度こそ、客と依頼主という関係も断ち切れたはずなのに、どうして未だにこうして世話になり続けているのだろうか。
まさか二度もこんな現象に悩むことになるとは思わずに、ロゼはただただ途方に暮れている。
ロゼが、ぱくりとパンに齧り付いた。美味しいは美味しいが、やはり意味も無く施しを受けるいわれはないし、やはり意味がわからない。
早まった輿入れの関係で、ハリージュは寝る間も無いほど慌ただしい日々を送っているという。
しばらく寄られないとわかっていたから、先日は夜にやって来たのだろう。
「私も仕えて長いですが、旦那様がこのような我が儘を、使用人におっしゃったのは初めてです」
主人の代わりに食事を運ばされているサフィーナは、苦に思っている風でも無く、にこにことして言った。
「……まさか、サフィーナさん。喜んでるんですか?」
「はい。ご迷惑をおかけしますが、それも旦那様がご帰還なさるまでのことでしょう。どうぞ、旦那様の我が儘と、この爺の楽しみをお許しいただければ幸いです。”湖の善き魔女”よ」
「善き魔女」と言われてしまったら、ロゼは断ることが出来ない。
『俺なら、自分が死んだことを喜んだ奴など、呪ってやるけどな。彼女が善き魔女であることを祈るんだな』
四年前、ハリージュの放った何気ない一言を聞いてから、ロゼは善良な魔女であろうと心がけている。
こんな、たった一言。
ハリージュはもう忘れているだろう言葉を、ロゼはずっと覚えている。自分の人生の指針にまで、してしまっているのだ。
ロゼは困り果てた顔をして、パンにまた齧り付く。「ご帰還なさる」までということは、帰還したらまたハリージュが食べ物を運びはじめるというのだろうか?
今後のために、魔女にツテを作っておきたいとでも言うのか。
例えそうだとしても、どう考えても過剰なサービスだ。
まるで、パトロンに囲い込まれているようで、あまり気分はよろしくない。
所詮、これまで人と付き合いをしてこなかったロゼに、人の心を――それも好きな人の心を慮ろうなんていうのが無理なのである。
パンと共に運ばれてきたスープを啜ることに専念していると、かすかに音楽が聞こえてきた。こんな場所にまで、冬の冷たい風が運んできたらしい。
「今日は街の方が随分と賑やかですね」
「ビッラウラ王女様のお輿入れにあわせて、祭りをやってるんですよ。もしご予定が無ければ、夕方にでも行かれてはいかがです?」
「夕方がいいんですか?」
「そうですね、夕方をお勧めします」
きっぱりと断言したサフィーナの言葉を信じ、ロゼは夕方に街に出かけてみた。
実は、祭りに出かけるのは初めてだ。
祖母は人混みを嫌っていたので、つれて行ってもらった事は無い。
一人になってからは、タイミングが合わなかったり、祭りに行く気力が湧かなかったりして、機会を逃していた。
なのでロゼは、祭りがこれほど華やかだとは知らなかった。
街はいつも賑やかだが、今日はそれ以上だった。
人が街道に収まりきれないほどにごった返している。
街道沿いには、日頃よりずっと多くの市が並んでいた。
普段見ないような、異国の商人達もいるようだ。もしかしたら何処かにティエンも店を出しているかもしれないが、これほど店が多くては見つからないだろう。
建物は化粧したように、色とりどりの布や花に飾られている。
窓からは、ビッラウラを讃えるための旗がかけられ、風に揺らめいていた。
明るい色に塗りたくられた幌付の馬車に、溢れんばかりの花が詰め込まれている。
可愛い格好をした少女達が花を詰めた籠を持ち、道行く人に花を売っていた。人々は少女達から買った小さな花束を、胸や帽子に挿し、街の彩りに一役買っている。
肩や腕を組んだ人々が連なり、喜びのタップを踏む。
どこかで肉を焼いているのか、いい匂いも漂ってきた。ところどころにテーブルと椅子が並べられ、人々は時間を忘れ、おしゃべりに花を咲かせる。
「お祭りって、すごい……」
大きな熱気が渦を巻いているかのようだった。
人々を見ているだけで、圧倒されている。祭りを楽しむところでは無い。
それでもなんとか、近くにあった店を覗き、大きめの籠を一つ買った。
アケビの蔓で編まれた籠は、よく煮込んだ飴のような艶がある。
使っていた籠がリスに囓られてダメになってしまったため、買い直そうと思っていたのだ。
丁度よい買い物が出来た――と思っていたのも最初だけで、ロゼはすぐに後悔した。こんな人混みで、腕に抱えなければならないような大きな物を買うのではなかった。
しかも、大きな籠を抱えている物だから、露店の店主達がここぞとばかりに物を売りつけていく。
「奥さん! こっちの林檎も買っていきな!」
「奥っ……?!」
呼び止められ方にロゼは絶句した。
しかし、時代遅れのドレスを着て、籠一杯に荷物を詰め込み、人にもみくちゃにされてくたびれている自分の姿を思い出すと、仕方が無いのかもしれない。
年齢的にも、世間一般的には子供の二、三人はいてもおかしくないと聞く。
「とびっきり安くしなければ、買いませんよ」
「お、おう……なんか怒らせるようなこと言ったかい……?」
ロゼの静かなる怒りのオーラを感じたのか、店主はちょっぴり引き気味だ。
「うちの林檎は美味いぜ。外に出しときゃ長く保つし。どうだい、五つでこのくらいだ」
店主の立てた指を、無言でひとつ曲げる。
「おいおい、そりゃあいくらなんでも、ちょっと」
「ビッラウラ様の行き道に、幸あれ」
「ああっ! そうだよな、今日はめでてえ祭りだよな! くそ! 持ってけ!」
店主がぽいぽいっと林檎を投げて寄越したので、既に布や葉っぱが大量に積まれた籠でキャッチする。
ロゼも硬貨を渡していると、ふと壁に貼られた貼り紙が目に入った。
ロゼの視線を追った店主が、硬貨を数えながら「ああ」と言う。
「手配書だよ。よく見えるところに貼っとけって渡されてんだ」
手配書には、窃盗犯の特徴が書かれていた。
男であり、若く、背が高く、灰色の髪をしている。
先日、警備兵が言ったとおり、ハリージュにも当てはまる特徴だ。
「奥さん、こういう男を見たことあるかい?」
見たことあるが、それはここに書かれた男では無い。
嘘をつけないロゼは、とりあえず言っておきたいことを口にした。
「――言っておきますが、私は未婚です」
店主が無言で林檎をもう一つ投げてくる。
ロゼはまた、籠でキャッチして店を後にした。
***
籠を抱え続けるのにも疲れたロゼは、人混みから逸れてひと休憩していた。
そろそろ帰りたいのだが、帰るための気力と体力を取り戻さねばならない。万年引きこもりは少し歩くだけでもくたくただ。
茜色の空をぼうっと見つめていると、街道の方から大きなファンファーレが聞こえた。
更に、けたたましい歓声と拍手が続く。地響きがしそうな程の熱気だ。
何が始まるのかと、顔だけを向けたロゼは、驚きすぎてこけそうになった。
よたよたと、できる限り急ぎながら街道へ戻る。
人が押し合いへし合い、喜びの声を上げながら、手を振っている。
まずは楽器を背負い、寸分の乱れなく行進する楽団。
その後ろに、花で彩られた豪奢な箱馬車が続いた。あの馬車に、嫁いでゆくビッラウラ王女が乗っているのだろう。
そして、その馬車に並走しているのは、騎乗した――近衛騎士達だ。
ロゼは人の波を掻き分けようとしたが、持っていた籠のせいで出来なかった。それどころか、大きな籠がむしろ邪魔だと、どんどん後ろに押しやられていった。
ついに人々の後ろ頭しか見られなくなる位置まで、下がってしまった。
なんとか背伸びをしながら、楽団を覗く。
ちょっとやそっと足を伸ばしたところで、楽団の被っている帽子の羽さえ見ることは出来無かった。
もたもたしていると、馬車を先導する旗手がやって来た。
高く掲げられた旗が風になびく。
旗に導かれ、馬車が続く。さすがに馬車の目線は高いため、ロゼもその姿を見ることが出来た。
いつもは全ての窓を閉じている馬車も、今日ばかりはカーテンが開けられていた。それでも、花嫁行列にしては控えめな露出度は、ビッラウラが逃げ出せないようにしているためだろうと、ロゼに思わせた。
小さな窓からビッラウラが国民に手を振っている。
室内履きで庵にやって来た、突拍子も無い少女。
あの時も美しい子だと思っていたが、着飾り、王族としての務めを果たしている姿が、これほど綺麗だとは思ってもいなかった。
気品と思いやりに溢れた、異国に嫁ぐ王女が人々と最後の挨拶を交わす。
ロゼは籠を持ったまま、手を振り返す事も出来ずに、その様子を見ていた。
間抜け面を浮かべていると、馬車に並行しながら、辺りを警戒していた騎士がこちらを見渡した。
青いマントが翻る。
瞬きをすれば消えてしまうほどの、つかの間の出来事だ。
馬は歩を進めていたし、彼も動きを止めたわけでは無い。その証拠に、すでに彼はもう随分と先に進んでしまっている。
それでも、目が合った、気がした。
灰色の髪はひっつめられ、マントと揃いの青い帽子に仕舞われていた。
瞳の色など、これほど遠く離れていては絶対に見えるはずもないのに、群青色をしていると知っていた。
いつもの、市井に身をやつすためのボロを身に纏った姿では無い。
パレード用に飾り立てられ、騎士然としたハリージュの姿は、想像していた何億倍も格好よかった。
「夕方に、行けって……」
サフィーナは自身の主の晴れ姿を、ロゼに見せつけたかったに違いない。
ロゼはへろへろとその場にしゃがみ込んだ。
***
王女の一言で、車輪が止まる。
予定していない場所で馬車を止めさせられた御者が、心配気な視線を周囲に送る。
場所は、人々の姿もほとんど見られなくなった、王都の外れだ。
馬車の扉が開く。王女のために、足場が用意される。
すぐさま馬から下りたハリージュが、王女に手を差し出した。
王女が絹の手袋に包まれた手を、ハリージュの手の平に載せて、地に足を下ろす。
同乗していた侍女も続く。王女が決して逃げ出さないように、ぴったりと寄り添っていた。
警戒態勢に苦笑しながら、ビッラウラはスカートの裾を持つ。
そして、森に向かって、優雅に腰を落とした。
周りのもの達は、そこに誰かがいるのかと緊張するが、誰かがやって来る気配は無い。
ビッラウラが見つめる森の、ずっとずっと奥には、煙突からかすかな煙を出している、魔女の庵しか無いからだ。
この礼の意味をわかったものは、ハリージュしかいなかった。
「すまなかった。行こう」
未練を消し去った王女の顔で振り返る。
馬車は再び動きはじめた。
カラカラカラ――回り出した車輪はもう、止まることは無い。
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