第23話

「待たせたな」

 しんと静まり返っていた室内に、強くハリのある声が響いた。


 この場は完全に、ハリージュに支配されていた。

 突然現れた不審な男に、制止どころか声をかけることも出来ずに、警備兵達は棒立ちになっていた。


 間抜け面を晒す警備兵達に、ハリージュはごく自然な口調で尋ねた。

「所属は何処になる? 名前は?」

「……はい?」

「私はまだ、貴方達が本物の警備隊であると、確信を持てていない。高圧的で礼儀を欠いた姿に、警備兵を騙った不届き者でないかと不審を抱くほどだ」

 警備兵達は慌てて背筋を伸ばす。


「無論、誠実に対応しようとした、篤実たる彼女も同様だったろう――かわいそうに。体調が悪い上に、倒れるほど恐ろしい思いまでして」


 自分にもたれかからせているロゼの背を撫でながら、ハリージュが言った。後半など、聞いたこともないような猫なで声だった。

 はちみつよりも、ハリージュの持ってきたどんなお菓子よりも甘い声が、ロゼの耳に注がれる。


 しかし色気の無いことに、最愛の女性に対するかのような対応を受けているロゼの頭は、大量のはてなマークが占拠していた。


 嘘をつくことをやめたせいか、呼吸は徐々に整ってきている。

 深く被ったフードで隠れた顔も、随分と血の気が戻ってきた。

 もう一人で座れるからと、ロゼが離れようと体を動かすと、ハリージュが咎めるように力を込め、抱き直す。それがまだ、ロゼにはてなマークを生産させた。


 はてなが一匹、はてなが二匹、はてなが三匹……

 はてなマークを頭の中で整列させようとする意味不明な遊びまでしだすくらいに、現況が意味不明だった。


「大変申し訳ないことを致しました。私はアルナブ・スルフファー警備団、第六警備部隊所属ナジャ・ハサラと申します」

「私はカフ・ビゼルと申します」

「アルナブ・スルフファー――フィルサーフ殿の団か」

「ハッ」


 警備兵達の姿勢は明らかに変化していた。

 ハリージュの隠しきれない――いや、隠すつもりも無い、貴族然とした雰囲気に押されているのが、二人の顔を見ずともわかった。

 不審者に向ける声色では無く、上官に向けるそれへと変わっている。


「フィルサーフ殿は若い頃、父の従士をしていた経歴をお持ちだ。幼い頃からよくして頂いている」

 ハリージュは何でも無いことのようにそう言いながら、ロゼの背を撫でることを止めない。

 ロゼは為す術も無く、ハリージュの膝の上で置物と化しているしかない。


「……失礼ながら、貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」


 警備兵達は自死を命じられたかのような、苦渋の表情を浮かべながら尋ねた。


「ハリージュ・アズム」


 あまりにもさらりと告げた本名に、ロゼの体が硬直する。

 恐れと戸惑いに硬くなったロゼの体をほぐすように、ハリージュの手が、背を滑る。


「王宮騎士だ。偶然にも、若い男で、灰色の髪を持っている」


 警備兵は直立し、敬礼する。

「大変な失礼を致しました!」

「アズム様とは知らず、とんだ疑いをかけてしまい――」


「私についてはどうでもいい。私が気にしているのは……わかるな?」


 ロゼの背を撫でていた手が止まる。

 ロゼでさえ、ぴえっと固まってしまいそうなほど、冷たい空気が流れた。


「魔女殿にも、大変ご迷惑をおかけいたしました」

「この件は必ず、我々が責任を持って処理いたします」

 警備兵達はガチガチに固まった体をどうにかこうにか動かして、ロゼに頭を下げる。


 ロゼが返事をしようとしたことが、体の動きでわかったのだろう。また押しとどめるように、ハリージュがロゼを抱く腕に力を込めた。ロゼもハリージュに逆らっていいのかわからず、沈黙を守る。


 端から見れば、完全に、いちゃいちゃしている。


 ロゼとハリージュからは、完全に二人だけの空気が醸し出されていた。

 警備兵達は視線を逸らし、決死の思いで声をかける。


「あの――大変恐れ入りますが、アズム殿は何故ここに……」

「おい馬鹿、やめろ!」

「一応調書がありますので」

「なんだっていいだろ! 適当に書いておけば!」

「そういう訳には、いかないだろう!」


 二人とも、今すぐ湖に飛び込めと言われれば、喜んで飛び込んだだろう。それほどに、この場にいることが苦痛で仕方が無いといった顔色だった。


 ハリージュは警備兵に対し、鷹揚に頷いた。


「私は男で、彼女は女だ。それ以外の理由が必要であれば、私が直接警備団に赴こう」


 警備兵達は揃って足踏みをして、敬礼した。




***




 脱兎のように警備兵が逃げ帰ると、ロゼはようやく正気に戻った。


 ハリージュの膝から飛び降りようとした途端、囲んでいたハリージュの腕に、またもや力が入る。

 抜け出せずに、顔を青や赤にしながら、ハリージュを振り返った。


「なんっ、お客様!」

「なんだダーリン」


 ロゼは絶句した。これほどまでにしょうも無い冗談を、あのハリージュが言うと思っていなかったからだ。


「またハリージュと呼んでもいいんだぞ」

 ハリージュは怒っているロゼなど全く恐くないようで、指で摘まんでフードを脱がせる。


 先ほどから、あまりにもロゼの思い通りにいかなくて、予想外の事ばかりが起きていて、冷静でいられない。


「なぜ、我々が恋仲のような、あんな嘘を……それに、どうしてお名前まで!」

「ロゼこそ、なぜ俺をかばった」


 先ほど冗談を言った彼と、同一人物だとは思えないほど、真剣な表情だった。

 研ぎ澄まされたハリージュの群青色の瞳が、ロゼを射貫く。その視線は、強く責めているようだった。


 批難されるとは思っていなかったので、ロゼはたじろぐ。

「それは……お客様が、ここにいることを、知られたくは無いだろうと思いまして……」


 とにかく、ハリージュを隠さなければと、そればかりだった。

 ロゼはいつも、厄介事から逃げてきた。トラブルは解決するものではなく、いなすものだった。

 だから、ハリージュのように真正面から決着をつける道なんて、考えもしなかったのだ。


「つけない嘘をついてまで? 結果、あれほど苦しい思いをしたというのに」


 なぜ、つけない嘘までついて、かばおうとしたか。

 そんな理由は、この世に一つしかない。


 ハリージュのことが、自分よりも大事だったからだ。


 けれどそんなこと、言えるはずも無い。


「具合が悪くなるとは、知らなかったんです。嘘をついたのは初めてだったから……」


「そう言う問題ではない……」


「それより、お客様こそお答えください。私があれほど痛い思いをしてまで隠そうとしたのに、何悠々と登場してくださってるんですか。しかも名前まで正直に告げて……」


 本来の流れに戻そうと必死なロゼに負けたのか、ハリージュは素直に白状した。


「姫様も十日後に、風も届かない遠い地へと嫁がれる。俺自身も姫の近衛騎士の任を解かれるから、妙な噂が尾ひれを持つ暇もあるまい」


「ラウー様にご迷惑がかからないなら、私も安心ですが……。お客様も、そのまま?」

「俺か? 俺は持参金には入ってない。国境まで送り届けたらお役御免だ。出立が早まったせいで、辞令も間に合ってないし、しばらくは城で持て余されるだろう」


「じゃあ、ダメじゃないですか!」

 何を言ってるんだこのスカポンたんは! くらいの勢いでロゼが悲鳴を上げる。


「何がだ」


「お客様が、わ、わた、私と、こ、恋」


「珍しいな。そこまで動揺しているのは。ちょっと顔を見せろ」


「ふざけんじゃねえであそばせ!?」


 顎を掴まれて顔を動かされそうになったため、ロゼは思いっきりハリージュを突き飛ばした。

 しかし、ロゼの細腕が突き飛ばした程度では、ハリージュはぴくりともしない。代わりにバランスを崩したのはロゼで、ハリージュの膝の上から落ちそうになる。


「何を遊んでるんだ」

 ハリージュに支えられ、落ちずにすんだが――ロゼの平常心もプライドも恋心も何もかもズタズタだ。


 守ろうと必死に頑張ったことが無下にされ、悲しいと思う気持ち。

 誤魔化すためだとしても、恋人のように大事にされて嬉しかった気持ち。


 反する二つの気持ちがロゼの中で渦を巻き、収拾がつかなくなっている。


 どうにかハリージュの膝から脱出すると、先ほど製薬し終えた惚れ薬を、彼に押しつけ、すごむ。


「これを受け取ったら、用はないですよね?! 本当にお代はけっこうですので、さっさと、出て行ってください!! このっ、大クソ虫ウンコ大魔王!!」


 ハリージュの背中を押して家から押し出すと、バーッンと乱暴に扉を閉めた。


「帰れー!」


 ――湖の善き魔女ロゼが、人生で初めてキレた日であった。






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