第19話


 ラウーことビッラウラは、「惚れ薬が欲しい」とは言ったが、新たに注文する様子は見せなかった。

 それに、潔癖で堅物のハリージュが、胡散臭い魔女の秘薬をわざわざ買いに来たということは、それが断れない相手からの頼みだったからということ。

 客の詮索はしない主義だが、勝手に入ってくる情報までは防ぎようもない。


「何故このような場所に。どうやってここまでお一人でいらしたのですか」


 ロゼは目の前で怒髪天を衝かせているハリージュを見て、この男だけは怒らすまいと心に誓った。


 いつも以上に荒れ果てた室内にも気付けないほどに、ハリージュは怒り心頭らしい。ベッドに優雅に腰掛けるラウーの前で、こめかみをピクピクとさせながら、声を絞り出していた。


「どれほど城が混乱なさっているか、わかっておいでか。一体どれだけのものが探したとお思いで……」

 怒りで震えていたハリージュの声が、ふと止まった。


 あまりじっと見ているのもどうかと、薪の様子を見ていたロゼは、何かあったのかと振り返る。


 対峙した二人はパチパチとはぜる火の揺らめきを頬に映しながら、まんじりともせずに見つめ合っていた。

 伸びた影が、壁でも向き合っている。


 直視するのも恐ろしいような渋面のハリージュを見て、ラウーがふっと肩の力を抜くように笑った。


「あぁ、すまない。許せ」


 あまりにも、年の頃に似合わない笑顔だと思った。

 全てを諦めたような――いや、許しを請うているというのに、全てを許しているような、そんな笑みだった。


 謝罪だとは到底思えない、言い訳のひとつも無い尊大な物言いだ。ラウーの態度に毒気を抜かれたのか、はたまた冷静になったのか、ハリージュは苦々しそうに眉を寄せると、膝をついた。


「差し出口を挟みました。御身を離れ、お守りできなかったことも含め、深くお詫びいたします……ご無事で、よかった」

 深い後悔を滲ませる声に、ラウーは大きく頷いた。


「迷惑をかけた」

「皆心配しておりました。どうぞ、お部屋に戻られるまで、その殊勝なお言葉を覚えていていただけるよう、お頼み申します」

「そう怯えずとも、もう帰る」


 項垂れたハリージュの頭を、ラウーは明るく笑い飛ばしながら、わしわしと撫でた。よく走った馬を撫でるような手つきには、深い愛と信頼が感じられる。


「魔女よ、とんだ騒がしい滞在となったことを残念に思う」

「……次こそは、お茶でも飲んで行かれてください」


 これから他国に嫁ぐラウーに、きっとは無い。

 だがロゼは、魔女の秘薬を希望のように思ってくれたラウーに、またいつでも依頼してきてほしかった。依頼なんかなくとも、ただ羽を伸ばしに来てくれるだけでもいいと思えた。

 そんなことが出来ない立場の人だとは、知っていても。


 ラウーはロゼの気持ちを受け止め、微笑む。


「ああ、ゆっくりとな。では……帰るか」

 そう言って立ち上がった瞬間に、パッとラウーが華やいだように感じた。


 今までの「貴族のお嬢さん」という雰囲気から「王女」然としたものに変わっている。


 突如溢れたオーラに、ロゼは目をチカチカとさせる。

 瞬きをしながら目線を下げると、ラウーの足下に目が行った。そこには土や草の汁で汚れたぺらっぺらの室内履きを脱いだ、王女の御御足おみあしがある。


「どうかそのまま、少々お待ちください」

 ロゼはそう言うと「確かここら辺に……」と呟きながら、瓦礫の山をかきわけた。ドンガラゴシャンと、山が崩れる。筆舌に尽くしがたいほどに散乱している室内にようやく気付いたのか、ハリージュがひっそりと眉を寄せた。


「あったあった」

 ロゼが取り出したのは、麻の袋に包まれた物体だった。若干の埃をパッパッと手で払い、紐を解く。


 中に入っていたのはブーツだった。

 確か遠い北に住む、まるくてぎゅっと抱きしめたくなるほどに愛らしい、アザラシという生き物の革で作った特性のブーツだと、ティエンが言っていた。今のブーツが履けなくなったら使おうとしていたため、まだ一度も履いていない。

 さすがに、あのびしょびしょに濡れた、汚れた室内履きをまた履かせるわけにはいかない。

 すでに大金を頂いている上客でもあるし、なんといってもロゼは”湖の善き・・魔女”だ。

 ブーツにカビが生えていないことを確認すると、そっとラウーに差し出す。


「夜の森は暗く、危険ですから」

「ありがたく厚意に甘えよう」

 手ぬぐいで簡単に足を巻き、ブーツを履かせる。脱げないように、ぎゅっと紐もきつく結んだ。


 装飾も何も無い簡素なアザラシのブーツは、城までの間に合わせにしても、王女の足を飾るには少々みすぼらしい。だが、冬の夜から一晩守ることくらいは出来るだろう。


「またな」

 上品にかたどられた唇が、僅かにはにかんでいるように見えたのは、きっとロゼの願望だ。


 桟橋へと歩いて行くラウーの後ろを、ハリージュがついていく。

 ロゼとすれ違う間際に立ち止まり、そっと耳に顔を寄せた。


「迷惑をかけてしまったようで、すまない。この埋め合わせは必ず――」


 だから、アップは止めろ。


 夜でも容赦の無いオーラにそう思いながら、吐息のかかった耳を片手で塞いだ。

 怪訝そうに眉をひそめるハリージュに、むくむくと反抗心が沸いてくる。


 日頃は腹が立つほど上から目線のくせに、王女のこととなると手の平を返したように低姿勢では無いか。「すまない」なんて、今日だけで何度聞いたかわからない。


 それもこれも、いつもいつも、毎日のようにハリージュがやってくるから悪いのだ。


 まるでロゼが、彼の全てを知っているかのような大間抜けな勘違いをしてしまった。

 ロゼの知らないハリージュの顔を、生きてきた環境を、育んだ絆を見せつけられる度に、心臓が切り刻まれたかのように痛む。悔しくて堪らなくなる。

 絶対に手の届かない存在なのだと、幾度となく自覚させられる。


「二度目のご注文は、急いだ方がよろしいですか?」

 ラウーに届かないくらいの小声で呟く。


「何?」


「ラウー様が嫁がれる前に必要なのでは?」


「は?」


 ああ、やめてほしい。ロゼは心で自分を罵った。客の事情を詮索するのは、魔女としての信条を裏切る行為だ。嫉妬から湧き上がる醜い言葉が、たまらなく恥ずかしい。

 馬鹿なことを言っているとわかっているのに、口が止まらなかった。


「ですから、あの薬は、嫁いでゆくラウー様に自分を忘れないでほしくてご注文……」


「違う」


「ではまさか、無理矢理駆け落ちさせようと――」


「違うと言っている」


 ハリージュが、ロゼの頬を片手で掴んだ。

 ぎゅむっと両の頬が寄せられ、唇が突き出る。


 強制的にしゃべれなくされて、ロゼは泣き出しそうなほどほっとした。これで、もう馬鹿なことを言わないですむ。


 先ほどが爪を立てた猫だとすれば、今は首根っこを掴まれた猫だ。黙りこくってしまったロゼの顔から手を離すと、ハリージュはロゼのローブを掴んで、深く被り直させた。


「珍しいな。そういうことを聞くのは」


 ドキンとする。

 落胆されたかと、心が冷える。


 ロゼは魔女だ。


 魔女としてのロゼに失望されることは、ロゼの何を否定されることよりも、恐かった。


 しかしハリージュは、ロゼの心配を余所に微かに笑っていた。


 ハリージュがロゼの頬から手を離す。今まで自分が掴んでいた場所が、赤くなってでもいたのか、手の側面でそっとロゼの頬を撫でた。


 ぞくりと、先ほどとは違う悪寒が背を撫でる。


「なんにしろ、またすぐに来る」

 言うが早いか、ハリージュは早足でラウーのもとに向かう。


 離れた場所にいたラウーは、二人の様子を見て、訳知り顔で笑っていた。





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