第14話
――ベシャッ
背中にあたった衝撃に、ロゼは足を止めた。
製薬で足りなくなった材料を買いに、ロゼは街まで出かけていた。無事に買い物も終え、森の小舟に乗り込んだところだった。
驚いて森を振り返る。
鳥でも当たったのだろうかくらいに思っていたロゼは、ぎょっとした。
「へんっ、魔女め! オレ達は全然、お前なんか怖くないんだから!」
そこにいたのは、数人の少年少女だった。
まだ幼い声の持ち主達は、手を掲げている。その手に握られていたものは、藁やおがくずを詰めた泥団子だった。
「喰らえ!」
「へっ……ちょ、やっ」
言うが早いか、子供達は次々に泥玉を投げつけてくる。
冷たい泥玉が、ロゼの顔や髪にもぶつかった。先程ロゼの背に当たったのも、これだったのだ。
水を多く含んだ泥玉は、まるで平手で叩かれているような痛みを与える。
泥玉に混じっていた小さな砂利が肌に当たって痛い。
ボチャンボチャンと、強い勢いで投げられた泥玉が、湖に還っていく音がする。
買ってきた品を優先して守ったため、ロゼ自身は格好の的となってしまった。ドレスはもうドロドロだ。
載っている舟があわや転覆しかけた頃、襲撃がやんだ。
「恐れ入ったか! ざまあみろ!」
持ってきていた泥玉を全て投げ終えたようだ。
顔を上げると、魔女の報復を恐れてか、子供達は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
あまりにも突然の出来事に、ロゼは何も対応できなかった。
のろのろと、足下を見渡す。
幸いにして、舟の中に泥はさほど溜まっていないようだった。そのほとんどが、湖に落ちていったのだろう。
品物を持っていない方の手で、顔にへばりついていた髪を薬指で流す。頰と髪にびったりと、泥が張り付いていた。
ザラザラとした手触りの泥を、指のひらを使って頬から拭う。
「魔女殿? 何故このようなところに。今、子供達が駆けて来たんだが……」
声が聞こえて顔を上げれば、そこにはいつものように手荷物を持ったハリージュがいた。
なんというタイミングだ。唖然としたままだったロゼは、何も頭が動かず、ぽかんとハリージュを見つめた。
しかしハリージュは、ロゼの姿を見て、子供達の仕業と一瞬で見抜いたらしい。瞬時に、不愉快そうに顔を顰めた。
「あいつらだな」
「へ? ええっと、あの」
しどろもどろとしたロゼのもとまで大股で歩いてきたハリージュは、むんずとロゼを掴んだ。
かと思うと、舟の上にいたロゼを持ち上げて、地面に着地させる。
ついて行けない事が立て続けに起きすぎている。ロゼが更に、はてなマークを量産した。
そんなロゼに懐から出したハンカチを押しつけると、ハリージュは無言で森の奥に走り去った。
あれ以上口を開けば、汚い言葉を吐き散らしてしまうと言わんばかりの形相だった。
***
「ひええ……」
そう悲鳴をあげたのは、ロゼである。
泥を拭い終える前に、ハリージュは先ほどの子供達を捕まえて戻ってきた。
「やーだー! おろしてえ!」
「ごめんなさぁいぃ!」
「は、離せ! 離せよう!!」
「こらオッサン! 離せっつってんだろ!」
二人の子供は小脇に抱えられ、その子供達を取り戻そうと二人の子供がしがみついている。ハリージュは、計四人の子供を纏って帰ってきたのだ。
「これで全員か?」
「びっくりしてたので人数までは……」
それより、おろしてあげてほしい。
子供達の怒号と泣き声が大きすぎて、森の獣が近寄れないくらいだ。
「おい不審者! 卑怯もん! おろせよ!」
「あんた達が罪を反省していれば、おろしてやる」
「するわけねえだろ! いいからおろせ!」
ボス格の子なのだろう。ハリージュに抱えられた子供を取り戻そうとしがみつきながら、先程からハリージュをドスドスと蹴っている。
ロゼはまた「ひええ」と悲鳴をあげた。ハリージュが痛そうだし、子供はあまりにも無鉄砲だ。
「こっち! こっちだよ! 早く、早く来て!」
ハリージュが捕まえている子供達とは別の声が、森の奥からまた聞こえた。ハリージュが捕まえ損ねた子が、村の大人達を呼んできたようだ。
「ほら、あそこ! みんな捕まっちゃったんだ! 助けてよ!」
大人は三人ほどいた。最初は気色ばんでいた大人達も、状況を見て戸惑ったようだった。
泥まみれの女と、手を泥だらけにした子供達。
それに、子供達を抱えている男は、旅人の衣装を纏って身分を隠してはいるが、不審者という体ではない。
何かを感じ取ったらしく、ハリージュに声をかけてきた。
「子供達を連れ去った不審者がいるって聞いて来たんだが……」
「子供達はこの女性に泥を投げつけた。それもおそらく一方的に。きちんと罪を償いに行けと説得はしたがこの通り、全く反省の色がなかったのでな。実力行使に出たまでだ」
なんだか大事になってしまった。ロゼは頭がくらくらとした。
ハリージュの説明を聞いて、大人は眦を釣り上げた。
「お前達、何てことをしたんだ。女の人に泥を投げつけるなんて!」
「だっておっちゃん! こいつは魔女なんだぞ!」
子供の一人がロゼを指差す。
大人達の表情が、目に見えて凍った。
「俺ら、見たんだ! 魔女が家から出てくるのを! 街に出て、きっと悪さをしてきたんだ! まだ子供は攫ってきてないみたいだけど、攫われる前に魔女は倒さなきゃいけないだろ!?」
「お前達……! こら! 黙りなさい!」
一緒に来ていた大人の女性が、子供の口を覆った
その叱責は、怒りからというよりも、魔女の報復を恐れてのものだとロゼにもわかった。
四年前に街に降りた時から変わらず、魔女はやはり、魔女なのだ。
「どうぞ、どうぞお許しください。”偉大なる湖の魔女”よ。この子達はまだ幼く、貴方様が偉大な魔女様とは知らなかったのです」
大の大人が震えながら頭を下げる。
一体全体、魔女が何をすると思っているのだろう。
永遠の眠りにつく魔法や、はたまた、一瞬で蛙に化けさせる魔法でも使うと思っているのか。
「……偉大なんかじゃ、ありません」
声が掠れた。ロゼは、客以外と話すことは慣れていない。誇れるほどの引きこもりだからだ。
なんと言っていいのかわからず、口ごもってしまう。
「彼女を持ち上げて、物事をうやむやにしようとするな」
そんなロゼを見かねたのか、ハリージュが低く言う。
「偉大でも魔女でも関係ない。人に泥をぶつけるのは、いけないことだ」
「だって魔女だろ! みんな迷惑してる! 早く森からいなくなればいいって!」
「これ!! なんてことを!」
大人がゴツンと子供の頭を叩いた。その顔面は湖面のように真っ青だ。
そして自分も同じほど、顔を蒼白にさせていた。
指先をうまく握ることさえできない。ショックを受けているロゼを見て、大人達も当惑している。
「なぜだ。魔女殿があんたに、どんな酷いことをした」
その中において、唯一冷静な声を出したのはハリージュだった。
「……別に、まだされてないけど」
「なら、なんの迷惑を受けてると言うんだ」
ハリージュの問いかけに、子供は少し考えた後、口をつぐんだ。先ほどの勢いは失っていた。
「人は弱い。知らないものを恐れるようにできている」
ハリージュが体をこちらに向けた。
ロゼはどきりとした。なぜか逸らしたくなる目を、必死に彼に合わせた。
「だから、言ってもかまわないだろうか」
「へ?」
突然、何の話題になったのかわからずに、ロゼは素っ頓狂な声をあげた。
「魔女殿が作っている、薬のことを。迷惑になるだろうか?」
「……いいえ」
ロゼは小さな、けれどしっかりとした声で返した。
魔女は嘘をつけない。だから薬のことを教えても、本当にロゼが迷惑に思うことはない。
それを知っているハリージュは、遠慮なく村人達に聞いた。
「村で作物は作っているか」
「え、ええ。麦や野菜を」
ハリージュの問いかけに、大人達はまごつきながらも答える。
「なら、虫を殺す薬を使うこともあるな?」
「はい、それは勿論。火を焚いて煙で追っぱらいます」
「腰を痛めているものは、湿布を貼るか?」
「ええ。最近はおかげ様で薬が手に入りやすくなって、私達のようなものでも、買えるようになりました」
「魔女殿は、そういう薬も作られている」
村人達は驚嘆の眼差しをロゼに向けた。
「その全てを魔女殿が作ったとは言わないが、そなた達の中には、魔女殿に世話になったこともあるだろう」
大人達は居心地の悪そうな顔で互いを見ると、何も言えずに黙り込んだ。
「知らないものは恐いかもしれん。だがその恐れを、何の罪もない人にぶつけることは、最低な行いだ。さぁ、謝りなさい」
ハリージュが、子供達を厳しく睨みつけながら言う。
大抵の子供は泣きじゃくりながら許しを乞うたが、一人反抗的な男の子だけは、ぷんと横を向いたままだった。
「ならば仕方ない。湖の中で反省するんだな」
ハリージュが男の子を持ち上げて湖に投げ込もうとする。
「わ――!! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
本当に投げ込んでしまうのではないかと、ロゼは慌てながらハリージュに詰め寄った。
「お客様、も、もうわかりましたから。私は大丈夫ですから……」
「いいや、まだダメだ」
「ごめんなさい――!!」
三十六回目の「ごめんなさい」で、ようやく男の子は解放された。
今では涙で顔を濡らしながら、大人の一人にしがみついている。
ハリージュはそんな子供を、そして大人達を見ながら、厳しい声で言った。
「魔女じゃなくとも、人を罰することはできる。それは、分別を弁えた大人だからだ。わかったら、少しは自分の目で、物事を見る力を養いなさい」
大人達は決まりが悪そうな顔をして頭を下げ、子供達を連れて去って行った。
その後ろ姿を、ぼうっと見送っていたロゼは、ぶるりと身を震わせた。
色々とあって忘れていたが、まだ泥だらけのままだった。水を含ませて丸められていた泥団子は、ロゼの体からじっくりと体温を奪っていた。
「すまない、そのままの格好で。寒かったな」
ハリージュは外套を脱ぐと、何の躊躇もなくロゼにかけた。慌てたのはロゼだ。ハリージュの服まで、泥で汚れてしまう。
「お客さっ……」
「いいから、羽織っていろ」
前から思っていたが、ハリージュはあまりにも上からものを言うことに慣れ過ぎている。
その様がなんだか面白くて、あまりにも色んな事がありすぎて追いついていなかった心が、ふっと解れたようだった。
「それでは、ありがたくお借りします。それと、先程はありがとうございました」
ロゼ一人では、きっと何も変えられなかっただろう。
怒ることも、悲しむこともできず、泥を庵に持ち帰ることしかできなかったに違いない。
祖母の……これまで生きてきた、全ての”湖の魔女”の汚名を雪ぐことも、できなかったに違いない。
「ああ。しかし、随分とぶつけられたな」
ハリージュは、まだついていたロゼの泥を手で落とし始めた。
なんだか家畜の汚れを落とす程度にしか思われていない気がして、ロゼは好きにさせていた。
水分を含んでいた泥は乾き、いつしかパリパリになっている。
ハリージュが頬を撫でるたびに、皮膚にこびりついていた泥が剥がれ落ちた。
「あの家に風呂はあるか?」
「そんなもの、あるはずがないじゃないですか」
「問題が無ければ我が家で貸すが」
「問題大有りです」
「では、湯を沸かす手伝いをしよう」
「冗談もそのくらいにしておいてください」
呆れ返ってロゼが言うと、沈黙が返ってきた。ハリージュをよく見れば、決まりが悪そうな顔をしている。
「どうしました?」
「……もし生活に支障が出た場合や、魔女殿の平穏が乱されるようなことがあれば教えて欲しい。きっと力になろう」
日常的に自分達が使っていた薬を作っていたのが魔女だと、好意的に受け止められなかった場合のことを心配しているのだろう。
「いいえ」
ロゼはきっぱりと断った。
「助けていただけて感謝しています。ですが、今後は自分で……」
「一人でどうにかすると?」
「はい。これまでも、一人でやってきましたから」
最善は尽くせなくても、どうにかはなるはずだ。
いつまでも頼れるわけではない人に、そんなに寄りかかれない。
ハリージュは顔をしかめた。せっかくの厚意を受け取らなかったロゼに、憤慨しているのかもしれない。
それでも、ロゼはもうこれ以上ハリージュに何かをもらうつもりはなかった。
『偉大でも魔女でも関係ない。人に泥をぶつけるのは、いけないことだ』
誰もが、ロゼをもが、自分を人として扱わないのに――ハリージュは何のてらいもなく、魔女を人として扱ってくれる。
四年前から、ずっと。
心がじんわりとあたたかくなった。
ロゼはこの言葉さえあれば、この先ずっと一人で生きていけるだろうと、心から思った。
「今日は本当に、ありがとうございました」
薬を完成させよう。出来るだけ、急いで。
ロゼはそう決心して、ぺこりと頭を下げた。
***
それからおよそ、一週間。ロゼは夜も眠らずに、最後の調整を終わらせた。
そうして、薬が完成した。
ハリージュに望まれていた、惚れ薬が。
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