第三章 魔女であること

第12話


 鉄の格子でできた、門が開く。

 煉瓦が敷き詰められた道を、馬車が走り抜けてゆく。カッポカッポと、馬の蹄が音を立てる。


 広い敷地内には、手入れの行き届いた庭や、騎士のための庁舎や練習場、使用人のための宿舎まで存在した。


 通りがかったものたちは皆脇に逸れると、馬車の窓よりも姿勢を低くして、馬車が過ぎ去るのを待った。 

 羽根や宝石で飾り立てられた馬が、常歩になる。

 徐々に速度を落とした馬が足を止めたのは、門扉の前だった。その後ろには、見上げても天辺まで見えないほど、大きな城がある。


 馬車の後ろに乗っていた男達が、足早に地に降りると、馬車の扉を開いた。

 随従していた馬から降りたハリージュが、扉の前に立ちエスコートする。


 全く重さを感じさせぬ足取りで、馬車から降りてきたのは、一人の少女だった。

 ゆったりと弧を描いた珊瑚色の唇。太陽に照らされた稲穂の色をした髪。ピンと伸びた背筋は、少女の気品をうかがわせた。


 ドレスの乱れを手の払い一つで整えると、ハリージュにちらりと視線をやって頷いた。

 ハリージュは心得たように手を離し、彼女が歩くための道を、先に歩み始める。


 猫のような目で、まっすぐに前を見据えたまま、少女――このマルジャン国の王女、ビッラウラは足を踏み出した。

 その足取りには迷いも、またか弱さもなかった。


「傘はいらぬ」

 続いて止まった馬車から降りてきた侍女が、パラソルを差しだした。だがビッラウラは、視線も向けずに一蹴する。


「散歩は取りやめだ。それよりもマシャー先生に都合がつくか聞いて参れ。今日の舞踏会にニフリート国のコースマス外交官夫人がいらっしゃるようだ。コースマス外交官夫人の故郷はクリエルンだったろう。もう一度、クリエルンの歴史をさらっておきたい」

「かしこまりました」

 侍女は傘を引き下げ、そばにいた男に耳打ちする。男は一礼するとすぐさま立ち去った。


「今日の楽団はどこだ。曲目を変更する」

「準備いたします」


「料理長にも、クリエルンにちなんだ料理を一つは出すよう、話を通しておいてくれ。それと、夫人との話題を考えたい。クリエルンの事情に詳しいものはいなかったか」

「マルマラ夫人の妹御がクリエルンに嫁がれております」

「なら、お母様のところに行って、マルマラ夫人に時間を割いていただけるよう頼んできてくれ」

「かしこまりました」


 侍女達はドレスの裾を掴むと、優雅に一礼し、それぞれ歩き始めた。

 一連の流れを、王女は視界に入れることもない。ただ、王女は前を見据えたまま、足を進める。

 騎士の歩いた道を、決められた道だけを。

 

 いくつもの門扉を抜け、廊下を歩き、角を曲がり、王女の自室に辿り着く。

 その頃には、歴史を担当しているマシャーも、駆けつけていた。

「お休み中のところ、失礼した」

「勉強熱心な生徒を持てることを、感謝していたところです」

 走ってきたのだろう。話す調子の隅々に、その事実が紛れていた。

 歳若い男性教師が王女に向ける熱っぽい視線に、気付いていないものはいない。


 だが、誰も口には出さない。

 そんなもの、最初からないのと同じだからだ。

 ビッラウラはニフリート国の王に見初められ、再来月には嫁に行くのだから。


「ビッラウラ様、お召し物を」

「ああ。では、後ほど」

 複数の侍女に囲まれ、まっすぐ前を向いたままの王女は、扉の中に消えていった。




 ***



 

 王女を無事、自室まで送り届けたハリージュは、同僚と持ち場を交代すると、隣接されている騎士団へと足を向けた。


 兵の中にも序列があり、身分や後ろ盾、そして純粋な強さで割り振られる。

 ハリージュは騎士としても花形と言える王族の護衛、近衛騎士として王宮に勤めている。


 貴族の三男坊として生まれたハリージュは、家督を継ぐ必要もなかったため、割合早くに騎士となるべく故郷を離れた。

 餞別がわりにと、家と使用人をもらってからは、王都での暮らしはハリージュにとって快適なものと言えた。


「アズム!」

 呼び止められ、ハリージュは足を止める。

 靴底が硬い大理石を叩く音が回廊に響いた。


 呼び止めたのは同僚のゲオネスだった。

 近衛騎士の証しである青いマントをはためかせながら、足早に駆け寄ってくる。

 人の良さそうな顔を裏切らない人の良さで、彼は誰からも親しみを持たれていた。


「昼休憩か?」

「いや、その前に確認する書類がある」

「午前中は、クヴァラービタ夫人のところだったか。ご苦労だったな」


 ゲオネスが苦笑を浮かべる。というのも、クヴァラービタ夫人は大の長話好きだからだ。今回も、予定していた刻限から、随分と足が出てしまった。

 貴族達と交流を取るのは、王女としての大事な務めだ。ビッラウラはそれをすべからく承知しているため、不躾に会話を切り上げるようなことはしない。


「だが今日は、夫人お手製のレモンパイ以外にもいいものが出た」

「なんだ?」

「コースマス外交官夫人が、今夜の晩餐会においでになるそうだ。大の出不精の彼女を、王女のためにとクヴァラービタ夫人が説き伏せてくれたらしい」

「でかしたっ!」

 ニフリート国に嫁ぐビッラウラにとって、外交官夫妻との仲は良ければ良いだけいい。どれだけ良好でも、越したことはない。


 年端もいかぬ若さで嫁ぐビッラウラの味方になってくれるよう、クヴァラービタ夫人が取り持とうとしてくれているのだ。

 これもひとえに、クヴァラービタ夫人の長話を嫌な顔一つせず聞き続け、酸っぱすぎるレモンパイを毎度二切れも食べていた、ビッラウラのたゆまぬ努力が生み出した縁である。


「それで王女は? 今は湖畔でボートの予定じゃなかったか?」

「時間がかなり押した上、コースマス外交官夫人がいらっしゃるならと、座学に入られた。……頑張りすぎではないかと、気が滅入る」


 ここのところのビッラウラは息つく暇なく忙しい。嫁ぎ先のニフリートは大国であり、外交の上でも重要な国だ。

 蔑ろにすることはできない。だが……


「――嫁ぐ相手は、自分よりも年上の孫もいる相手だというのに」

「言うな、アズム」

「好色じじいめ」

「言うなというに」


 ゲオネスは苦く笑いながら、ハリージュの肩を組んできた。その思いは一緒なのだと、彼の体温が伝える。


 ニフリート国の要求は、齢十六歳のビッラウラには、あまりに酷と思えた。

 もうじき六十になる男の、第二の人生を歩むパートナーとして迎えられるのだ。


 王侯貴族の長い歴史において、そんなことは珍しいことではないのかもしれない。だが、そんなことは他所でやってもらいたい。


 当然だが、蝶よ花よと大事に育て守ってきた姫には、誰よりも幸せな結婚をしてもらいたかった。


『女性騎士と、数人の侍女を持参金に含むことを許してもらえただけ、ありがたいことなのだ』


 憤る騎士達に、ビッラウラは気丈にもそう言って笑って見せた。

 あの笑顔を思い出すだけで、騎士達は、胸に重い鉛を詰められたように感じる。


「あと二月。俺らが守れるのは、それだけだよ」

「……ああ」

 ゲオネスに頷く。


 だからこそ、あと二ヶ月の間に、何が何でも手に入れなければならないのだ。


 ビッラウラの最初で最後の願いを叶える――惚れ薬を。








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