第9話


「邪魔をするぞ」

 信じられないことに、それからハリージュはさして用も無いのに来るようになった。

それも、必ず毎回、何かしらの甘い物を持っている。


 約束したひと月後という期日まで、まだ随分余裕がある。この庵に自分の用がないことは、ハリージュもわかっているはずだ。


 顔を引きつらせるロゼに食べ物を手渡すと、自分は優雅に椅子に座って待っている。


「……あの、ここはたまり場じゃあ無いんですけど……」


 おざなりにロゼが言う。しかし、そわそわと籠を覗き込むことは止められない。今日はなんだろう。


 先日の件があり、ハリージュとも多少、自然に話せるようにもなっていた。

 ショック療法とはよく言ったものだ。


 まあ、先日自分が何を見せてしまったかは忘れたが。

 断固として、忘れたが。


「気にするな」

 そう言ったハリージュは、持参した本を取り出し読み始めた。


 意味はわからないが、許す。今日のほどこしが、これまたいい匂いがするからだ。

 今日はどんな味なんだろう。はやく切り分けたくてたまらない。


 これまであまり普通の食生活を送ってきていなかったロゼは、ハリージュの持ってくるもの全てに心を奪われていた。完全に、餌付けされていたと言っていい。


 いそいそと作業台――もとい、元キッチンだった場所に立つと、ハリージュがテーブルからこちらを見て言った。


「茶葉は多めにしてくれ」

「あ、なるほど」

 紅茶を出すという頭はなかった。


 たまり場でもなければカフェでも無いが、差し入れをもってきてもらっている手前、断れるはずも無い。


 ガコンガコンとやはり整理のできていない戸棚を、どうにかこうにか開け閉めして、ようやく紅茶缶を発掘する。

 どれほど前か、秘薬の注文の礼にと、とあるやんごとなきお方にいただいたものだ。

 中を覗いて、つい口に出す。


「あ、カビてら」


「待て。まさか、そんなものを淹れるつもりじゃなかろうな?!」


 大慌てでやってきたハリージュが、ロゼから紅茶缶を奪う。呆気にとられたロゼの隣で、ハリージュは紅茶缶を覗き込んだ。しばらくの沈黙の後、そっと蓋を閉めている。


「茶葉は明日持ってこよう」

「はぁ……。って、ええ?! 明日も来るんですか!?」

「ああ。味の好みはあるか?」

「……いえ、勿論、無いですけど……」

 ロゼはまごまごと答えた。


 突然増えたハリージュの訪問に、ロゼは戸惑っていた。

 別に、他のお客がこの時とばかりに来るわけでもなく、製薬の邪魔をするわけでもないのだが――好きな相手に四六時中そばにいられると、心臓が持たない。

 そんなロゼの気持ちなど露ほども知らないハリージュが、片眉をあげた。


「ないんですけど?」

「いえ……頻繁にいらっしゃるので、ご都合は大丈夫なのかと」

「大丈夫だから来ている」

 ですよね。とロゼは心で同意した。


「……部下に休暇を取れと叱られている。今度大掛かりな異動があるせいで、それまでに有給を消化させておきたいらしい」

 人の世に詳しくないロゼが首を傾げる。

「まあ、つまり。休みを丸一日取らない代わりに、昼休憩を長引かせているんだ」

 ハリージュは噛み砕いて説明してくれたが、それでもいまいち、ロゼにはピンときていなかった。


 だがハリージュが、やはりわざわざやってきていることだけはわかった。それも、土産まで持って。


 ロゼの視線を感じたのか、ハリージュは窓の向こうに目をやった。


「ここは落ち着く」


 つられて外を見ると、確かに緑にあふれている。

 夏を迎えた森は、確かに一年で一番ロゼの好きな時期だ。

 若々しい緑が盛り、年中うっすらと暗い森にも明るい日が差す。木漏れ日では葉に埋もれた雫が煌めく。


「森、お好きなんですか?」

「ん? ああ」

「私もです。私も、好きなんです」


 生まれた時からずっと見ているが、飽きることがない。自然と生きる魔女にとって、森の変化は生命線でもある。そのため、毎日小さな変化にも目を凝らしていると、新しい発見ばかりが増える。


 好きな人と、好きなものが同じだった。

 ロゼは嬉しくなって、ローブの袖で隠した口元をほんの少し緩めた。


「あいにく紅茶は無かったので、白湯でいいですか?」

「……かまわない」


 白湯の提案に驚いたようだったが、文句は言わなかった。

 少し前までの態度と比べたら、随分と柔らかくなっている。魔女にも慣れてきたのかもしれない。


 鍋に火をかけて湯を沸かしている間に、今日のお土産を開く。

 中には、貴婦人の宝石箱にだって、これほど光り輝く美しい宝物は入っていないだろうと思われるような、綺麗なパイが入っていた。


「お客様、これは?」

「タルト・タタンというらしい」

「たるとたたん……」


 なんて素敵な響きだろうか。ロゼは繰り返した。タルト・タタン。食べる前からもう美味しい。


 タルト・タタンは、林檎のパイを間違えてひっくり返してしまったような形だった。

 分厚く切った林檎をバターと砂糖で煮詰めたものを、隙間なく敷き詰めている。林檎の表面で光るカラメルが、キラキラと宝石のように輝いていた。


 食べてしまうのがもったいない。

 ロゼは大きく息を吸った。甘い香りに混じって、林檎の芳醇な香りと、スパイシーなにおいがした。シナモンやラム酒も入っているかもしれない。


 包丁を入れるのは少し難しかった。よく煮た林檎はぐにゃりとしているのに、下の層は硬く、ぐっと力をいれなければ切れない。


 端っこを切る時に、たまたま砂糖が固まっている部分があったようで、カカカッと音がした。あまりにも罪作りな音に、ロゼは内心で悲鳴をあげる。


 なんとか切り分けると、ため息が漏れた。

 上から見た時も綺麗だったが、断面図がまた素晴らしい。

 柔らかく甘く煮詰められた林檎が、まるで琥珀に沈んでいるように見える。

 白いパイとのコントラストが美しく、いつまでも眺めていたい気持ちにさせた。


 しかし、パイは食べてなんぼ。

 白湯と、切り分けたタルト・タタンを持ってテーブルへ行く。本を脇にしまったハリージュが、タルト・タタンを食べる用意をしていた。


「ご馳走になります」

 礼を言って、タルト・タタンにフォークを刺す。

 柔らかい林檎がポロリと落ちる。チラリとハリージュを見る。

 彼は涼しい顔で、完璧なかたちを保ったままのパイを食べていた。ロゼはおずおずと、パイを口に入れる。


「……!!」


 林檎のさわやかな香りと、カラメルのほろ苦さが、ロゼを幸せにした。

 くたくたに煮られ、林檎の色などどこにも残っていないのに、しゃくしゃくとした食感は健在だ。


 たまらない美味さに、ロゼはフォークを置いて祈った。神はここにいたのだ。


 そのロゼの様子をちらりと見たハリージュは、何も言わずにフォークを動かしていた。





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