第5話


「この生地はとあるオアシスの底にしか咲かない花を、王宮御用達のガラス職人の作ったビーズで刺繍してる。こっちなんかは海を渡ってきた品で、白夜の日にしか現れないという怪物の毛皮。この布も、そうそう。雪国の聖水で染めてるから発色がよく、何度洗っても色落ちしない」


「はぁ……」

 無表情を装ってはいたが、内心ロゼはたじたじだった。


 目の前には、この狭い部屋には収まりきれないほどの、布が広げられている。

 足の踏み場すらないのに、これほど沢山の商品を広げる手腕は、流石と言うほか無い。


「さぁ、如何致しましょう。”湖の魔女”、ロゼ」


 ただの魔女を一国の姫のような気分にさせる、狐のような目をした男――祖母が生きていた頃から付き合いのある、馴染みの商人ティエンが微笑む。

 何もかも見透かしたような笑みを直視出来ずに、広げられた布にすすすと隠れる。


 ――こんなことになってしまったのも、昨日の失言がきっかけだった。


『そういえば、ローブって持ってきてる? どんなものでもいいんだけど』

 ティエンに定期的に薬を売っているロゼは、何の気なしを装って、数日前から考えていたことを切り出した。


 だが、ティエンとは物心ついた頃からの付き合いだ。

 なにかの勘が働いたらしい。次の日には、小舟に乗らないほど大量の商品を持ってきた。


「ちなみに、僕のイチオシはこのラベンダー色かな。本当はローズピンクなんて推したいところだけど」

「絶対に嫌」

 見ているだけで目がチカチカしそうなほど明るい色の生地を指さされ、ロゼはブルブルと首を振った。


「そうだろうと思ったよ」

 訳知り顔で肩をすくめるティエンにむかつく。

 ”家の隅に置くと、黒光りする魔物がひっくり返っている薬”を口にねじ込みたい。


「どうしてこんな派手な色しか持ってきてないの……」

「母のおさがりがまだ着られるからと、身を飾る物に一切の興味を持たなかった君が――あの君が、言い出したんだよ? そりゃあ、張り切ってしまうのも仕方が無いだろう? ”湖の魔女”を襲名した時にさえ、仕立てなかったんだ。なに、金額は気にしなくていい。お祝いとして僕から贈ろう。ここらで一着ババーンと仕立てようじゃないか。可愛らしいものを」

「可愛らしいって……私、もうそんな年じゃないんだけど」

「ははは」

 ティエンが笑う。彼の十歳くらいの記憶のまま止まってるんじゃ無いだろうか。ロゼはティエンの浮かれように若干引いている。


 ティエンとの初対面は、祖母のスカート越し。

 幼いロゼは、初めて会う青年が怖くて、祖母の後ろに隠れていた。


 その頃から、あまり見た目は変わっていない気がする。ティエンはロゼより十以上年上だが、東洋の血が入っているため、実年齢よりかなり若く見える。


 ティエンは幼い頃から、父親の行商についてまわり商売を学んでいた。そしてめでたく十年ほど前から、ティエンがうちの担当となった。

 ティエンの父の時と変わらず、不便なく、よくしてもらっている。


 祖母が先立った時も、ティエン親子が色々と便宜を図ってくれた。

 彼らがいなければ、祖母を埋葬することすら出来なかったかもしれない。


 そんなティエンに、ロゼもあまり強く言うことが出来ない。

 困り果て、色の洪水を起こしている室内を見渡した。

 きっとどれも、彼の審美眼で選び抜かれた一級品だ。間違っても、これを着て泥を練ったり、薬草を煎じたりすることなんか、できそうにない。


 どれも自分には似合いそうにないが、きっと似合わない色は持ってきていないのだろう。


 ふと目に留まった濃い藍色を見て、目を細める。


「何? ソレが気になる? ちょっと待って、あててみよう」

「やめて。ティエン、やめて」

 ティエンの袖を掴むと、強い口調で止めた。

 少しばかり、きつくなりすぎたかもしれない。これでは、「気になっている」と伝えているようなものだ。


 藍色の布は、ハリージュのマントの色にそっくりだった。


 きっとあの布でローブを仕立てたら、彼のマントに包まれているような気持ちになるだろう。けれどそれでは、まったくもって気が散って仕方が無いに違いない。


 いつにない様子のロゼに手加減を覚えたのか、ティエンが荷物から大きなカタログブックを取り出した。


「ほら見てご覧。これが君に似合う色」

 ページには、サンプルのための小さな布が、沢山貼り付けられている。ロゼはフードから少し顔を出して、ティエンの開くカタログを覗いた。


「こっちとこっちの生地は、地味に見えるかもだけど、織りの入れ方で花に見えるようになってる。陽の下にいくとよくわかる」

「陽の下にはそれほど行かないから、無難なのでいいの。いつも着ているような」

「ならこの色がいい。ビリジアンブルーといって、君の好きな森の色だ」

 ティエンの声は低く穏やかだった。先ほどまでの異様なテンションじゃ無いので、素直に聞くことが出来る。


 彼の太い指が一枚の布を摘まんでいる。湖面に映る森の色だ。


 表情に変化は無いが、じっと魅入るロゼを見て、ティエンが「これにしよう」とにっこり笑った。

「織る時にシルクと金糸を混ぜてるから、ランプの灯りが当たると格段に綺麗になる」

「別に、綺麗なのを誰かに見せたりするわけじゃ――」

「ないにしろ、僕は自分の商品の説明をする義務があるんだなぁ。これが」

 そう言われてしまうと、何も言い返せない。口をぎゅっと引き結んだロゼを見て、ティエンが満足げに笑う。


「さて、せっかくだから紅と頬紅もどうだい。血色がよく見える」

「血色なんか、頬を叩けばどうにでもなる」

「かわいい僕の魔女が、自分の頬をぺしぺし叩き続けるなんて、見過ごせないな。君は肌が白いから、絶対に青みがあるピンクが似合う」

「日に当たらないから、青白いって言いたいの?」

「なんでもそう悪い方向にとるのは、君の幼い頃からの悪いくせだ。さぁ、紅入れはどちらがいい? こっちのカメオは王都では知らぬもののいない、流行の最先端をいくタグイール伯爵夫人の横顔。こっちの螺鈿細工は職人が三年かけて作った一品だ」


 結局ティエンは、途方に暮れるロゼにあれもこれもと買い与えた。

 止めても無駄だと思い、後半は口を挟むことさえやめていた。


 途中からロゼは製薬に戻っていたが――

 後日、ティエンは、一度の小舟では運びきれないほどの品を庵に運び込み、ロゼを大いに呆れさせた。




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