第4話
四年間もひっそりと片思いしている人が、家に訪れる――
愛した人に使う惚れ薬を求めるために。
十分に、やさぐれてもいい理由だと思う。
ロゼはやり場の無い思いをぶつけるかのように、石臼をゴリゴリと回す。
ロゼは魔女だ。
魔女の仕事は様々だが、ロゼの仕事は調薬が主だった。
依頼された薬を調合し、日々の糧を得る。
魔女とはそういうもので、ロゼは魔女だったので、そんな風にこの小島で暮らしていた。
しかし、魔女の仕事だけでは食ってはいけない。
月に一度訪れる馴染みの商人に、ロゼは普通の薬も売っていた。
特別な効力を持つ魔女の秘薬は高価すぎるため、在庫を抱えることを嫌がられるのだ。
”髪に塗ってしばらく放置していると若返る薬”
”脇に塗って洗うと女の子にもてる薬”
”こするとあたたかくなる薬”
”足の裏にふるとかゆみが治まる粉薬”
こういった日用品が人気だが、勿論単価は安い。せっせこせっせこと、数を作る。
もちろん簡単な風邪薬なども作れるが、最近ではどんな村にも薬師がいるために、需要は薄れてきている。薬師がいるなら、治療薬はそちらから買いたくなるものだ。
今作っているのは、”燻すだけで虫を遠ざける薬”だ。
生活だけで無く、畑仕事などにも使うため、需要が大きい。これからの季節に向けて、たっぷりと作っておく必要がある。
あらかたの作業を終えると、ロゼは立ち上がった。
んーと腰を伸ばす。壁に立てかけていた、よくわからない呪具にぶつかった。この庵は、狭い敷地に不釣り合いなほど物が溢れている。
――チリン
鈴の音がする。
対岸に停めてある小舟に誰かが近づくと、庵で鈴の音が鳴る仕組みになっている。
窓から対岸を見る。
どうやら、鹿が通ったせいで鳴ったらしい。客ではないようだ。
落胆のような、安堵のような気持ちで息を吐き出す。
対岸に浮かんだ小舟は、ロゼの気も知らずにぷかぷかと浮いている。
小舟は一見すると一方通行のように思えるが、実はロープで繋がれている。庭の桟橋にあるリールでロープを手繰り寄せたら、小舟が近づいてくる仕掛けだ。
そのため、小舟が森側にあっても、ロゼは舟で外出ができた。
とはいえ、基本的には引きこもりだ。小舟に乗って森の向こうへ行くことはほとんど無い。
ずるずると、ローブを引きずって歩く。
黒のローブが、埃のせいで灰色になっている。
洗いたいのだが、いつハリージュがここに訪れるかわからないために、洗うことが出来ない。ローブは隠しきれないロゼの恋心を隠すために、非常に役立っていると言えたからだ。
「替えを買っておかないと……」
次に商人が庵を訪れるのは二週間後だ。
袖を鼻にやり、くんくんと匂う。ちょっと匂うかもしれない。
ローブが無いのも困るが、これ以上臭くなるのも問題だろう。
苦渋の二択を悩み抜いた末、ロゼは面倒だがローブを洗うことにした。
棚の中から小瓶をいくつかと、木製のたらいを引っ掴み、外に出る。
数歩も歩かないうちに湖だ。このあばら屋をぐるりと囲む湖は、うららかな陽を浴び、眩しく輝いている。
水に手を差し込めば、痛いほどに冷たい。神聖ささえ感じる冷たさだ。この美しい水があったからこそ、こんなにも辺鄙な場所に、ご先祖様は住み着いたのかもしれない。素材の選別は、魔女が魔女の秘薬を作る上で欠かせない。
ついでとばかりに畑に水を撒くと、ローブと中に着ていたドレスを脱いで、シュミーズ一枚になる。
たらいに入れておいた”がんこな鍋汚れを落とす薬”で、ローブとドレスを洗う。
少し迷った末に、”デートの前に首にふりかける薬”も入れた。別に他意は無い。
もこもこの泡で、ついでに髪も洗う。別に他意は無い。
チリン、とまた鈴が鳴る。
鈴の音は防犯目的でもあるので、この音だけは、何をしていても絶対に聞き分けられるようにしている。
「……嘘ぉ」
シュミーズ一枚だけしか着ていない上に、泡だらけの頭の、こんな時に鳴るなんて。
近隣の人々との関係は希薄だ。
こんな森の深くまで、村人が立ち入ることはほとんどない。
まさか。もし今、
いいや、来るはずが無い。彼は今までも夜にしか訪れなかった。
そうは思っていても、ロゼは心臓が縮み上がる思いで、恐る恐る顔を上げた。
そこには、先ほどと同じ鹿が、心なしかドヤ顔をして悠々と立っていた。
「もぉおおお!! もおー!!」
やり場のない怒りを指先に込める。
別に、別に彼だってかまわなかったんだけど!
本当に他意は無いのだけれど!!
力強いタッチで髪を洗い終えると、シュミーズのまま湖に潜る。冷水が全身を刺す。
水の中で泡と汚れをすすぎ落とすと、水面に顔を出した。肌に張り付いていたシュミーズが広がる。
そのままぷかりと、湖に浮く。
「……変に疲れた……」
心をこんな風に揺さぶられることは、慣れていない。ロゼはもうずっと一人で生きていたし、生活もほとんど同じことの繰り返し。
四年前に抱えた恋心も、たまに一人でひっそりと取り出して眺めては、いい思い出だったなと振り返る程度。
こんな風に、剥き出しの感情と付き合うつもりなど、ロゼには全くなかったのだ。
馴染みの商人を除けば、魔女の元を訪れる客は、数ヶ月に一人いるかいないか。
だからこそ、鈴の音が鳴る度に胸が高まり、そして怯える。
ハリージュは、
だから、ロゼの頭が泡だらけだろうと、ロゼが臭かろうと、ハリージュは全く気にはしないのだ。
「もっときちんと、私はそれを理解しなければならない」
青ざめた唇でそっと呟き、目を閉じた。
湖の水が、すっと頬を流れた。
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