【KAC6】今日に捨てていく

 ――今日ですべてがおわる。

 人にいえば「なにをおおげさな」と笑うだろう。しのぶだって、もし友人がそんなことをいえば「そんなおおげさに考えるなよ」と、きっと笑う。

 客観的に見ればそりゃあそのとおりなのだけど、当事者にとっては笑いごとではないのである。


 かれこれ二十五年だ。今ではすっかりシャッター商店街になってしまったここで、忍と紗菜子さなこは兄妹のように育った。

 忍が五歳の時、惣菜屋の千井ちい夫婦のもとに紗菜子が生まれて、それから二十五年……二十五年である。我ながらあきれる。いや、もちろんほんとうにちいさいころはそんなこと考えていなかったけど、それでも忍にとって紗菜子はずっと『女の子』で、『妹』だったことは一度もないのだ。


 片想いをこじらせすぎた自覚はある。紗菜子を『さな坊』と呼ぶのも自己防衛だった。自分を兄のように慕ってくれる紗菜子を万が一にも怖がらせないように、『男』にならないように必死だった。

 それを激しく後悔することになったのは、紗菜子が妻子持ちの男とつきあっていると聞かされた時だ。


『好きなんだよ。どうしようもないんだよ。一番になれなくても、結婚できなくても、どうしようもなく好きなの』


 それからというもの、クリスマス、バレンタイン、ホワイトデー……恋人たちのイベントがある日、紗菜子はきまって忍があとを継いだ喫茶店にやってきて、閉店までどころか日付が変わるまでいすわるようになった。

 荒れて荒れて、自棄やけになって、ホテルに行こうといわれたこともある。その時はさすがにいろんな意味でキレそうになった。忍の理性と忍耐力は紗菜子によって鍛えられたといってもいいだろう。


 そんなことが四年……いや、もう五年になるか――続いて、先日ようやく紗菜子の口から『別れたい』『おわりにしたい』という言葉を聞くことができたのである。そして、おわりにしたいのに顔を見ると流されて別れられないとわんわん泣くものだから、ついいってしまったのだ。「おれとつきあってることにすればいい」と。


 さいわい、恋人のフリ作戦はうまくいって、紗菜子は不倫相手とすっぱり手を切った。が、それでほっとしたのもつかのま、作戦以来、紗菜子が妙によそよそしくなってしまって――困惑するというか途方に暮れるというか、まあひらたくいえば落ちこんでいたのだが……。



 *‐*‐*‐*‐*



 日付が変わるまで、あと三分。


 紗菜子から今日この日の夜にデートがしたいと誘われたのは半月ほど前のことだ。デートというより決闘を申しこむような迫力におされ、ほとんど問答無用で約束させられたのだけど、紗菜子が『今日この日』を指定した意味を考えた時――忍は覚悟をきめた。


 こじらせた片想いは、今日でおわらせる。


 もし、万が一かんちがいで、未来どころかこれまでの関係もすべてぶち壊すことになってしまったとしても、もう二度と、おなじ後悔はしたくない。


『好きな人の誕生日はねー、前の日の夜からデートして、日付が変わった瞬間におめでとうっていうのが夢なんだぁ』


 紗菜子がそんなことをいっていたのは高校生のころだ。


 ――あと、二分。


 自意識過剰――ではないと思う。今日は、忍の二十代最後の日だった。あと二分で、三十になる。


 ちいさなころ、まだにぎわっていた商店街を毎日ふたりで手をつないで歩いた。紗菜子はおとなになってもちっちゃくて、意地っ張りなくせに泣き虫で、忍はいつもいつも心配ばかりしていた。

 人通りのない深夜の商店街を、今またあのころのように手をつないで歩いている。


 こじらせた片想いも。人畜無害な『お兄ちゃん』のフリも。ぜんぶ、今日に捨てていこう。


 そして、大好きな子に大好きだと伝えるのだ。



 ――午前0時まで、あと一分。



     (おわり)



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