闇夜の森の哲学者はかく語る

憂杞

【フクロウ・分類】

 界:動物界

 門:脊索動物門

 綱:鳥綱

 目:フクロウ目

 科:フクロウ科

 属:フクロウ属

 種:フクロウ


 夜行性であるため人目に触れる機会は少ないが、その知名度は高い。『森の物知り博士』、『森の哲学者』などとして人間に親しまれると共に、音もなく獲物に飛び掛かることから『森の忍者』と称されることもある。



   *   *   *



「ふくろ、う……? とは、なんでしょうか」

 首を傾げる少女を見て、私もまた首を傾げた。

 不思議なこともあるものだ。本来ならば会話など出来得ぬはずの私に向けて、この少女は疑問を投げかけた。そして、私はそれに答えようとしている。

「君は、フクロウを知らぬのかね」「はい」

 そして、成立する。なるほど、私が彼女のような者を相手取るのは初めてとなるが、会話が出来ぬという噂は偽言であったか。漠然とおかしな心地はするものだが、無知なる私にそれを拭う術はない。


 私はただ私の足で、枝分かれの先に鋭く爪の生えた二本足で、しかと止まり木を掴むまま立ち尽くす。


 私 フクロウ ある。私の名は梟である。『梟』 フクロウ は私の名であり種であり属であり、私を示すことである。

 が、少女にはそれが分からぬらしい。『梟』という言が分からぬ彼女には、私がフクロウ目・フクロウ科・フクロウ属のフクロウであると名乗っても分からぬようだ。


「私の姿を見るのは初めてかね」「はい」

「絵画で見たこともないのかね」「はい」

「鳴く声を聞いたこともないのかね」「はい」

「私の足は獲物を絞め殺すことも出来るが、それも知らぬのかね」「えっ……は、はい」

 知らぬという言に、どうやら偽りは無いようである。少女は畏怖とも取れる訝しげな表情を浮かべつつ、されど場から去ることなく私を見ている。

「では君は、トリを知っているかね」「えっと、はい」

「私はトリとも言える。私は鳥綱──鳥という枠組みの中にある、フクロウという生物である。そう言っても、君には分からぬのかね?」


「……はい」

 この時、答えと共に嘆息が聞こえた。知らぬことに自ら落胆しているのか、後ろめたいとでも思っているのか。何にせよ、少女の怪訝な面持ちが改まることはない。

 言ってしまえば、私もまた似たような心持ちであった。なぜ少女はこうも『フクロウ』に疑問を抱くのかと、私もまた疑問を抱いたからである。そこで、私は少し趣向を変えることとした。


「君に、名はあるかね」

「えっ」

「君に名乗れるような名はあるかね? 私はフクロウという種であると同時に、君に『フクロウ』という名を名乗っている。それだけのことである。そして、この『フクロウ』という名は君に偽る理由も無く、変えることも出来ぬものである。ゆえに君が『フクロウ』という名に疑問を持ったところで、私はフクロウ以外にはなり得ず君もまた君以外にはなり得ぬということだ」


 ──と、どうやらこの言を聞いて得心したのは、少女ではなく私の方であるようだ。

 フクロウたる私を執心深くさぐる理由。それは、切り株に腰掛け私を見上げる彼女もまた、ヒト科ヒト属のヒトという生物だからではないか、と。


「どうして貴方は、フクロウと云うのでしょうか」

 ここで少女は初めて、第二の疑問を投げかける。

 少女は縋るように私を見る。闇夜を見通す私の視界を引き寄せ、恭しく怪訝な双眸で埋め尽くすほどに。

「それは私にも分からぬことだ。私は生まれながらにフクロウだったのだから」

「どうして貴方はフクロウとして生まれるのでしょうか」

「それも分からぬことだ。私は生まれながらに生まれる種を選べぬのだから」

「どうして選べないのでしょうか」

「生まれる前に『選ぶ』という思考が無かったからだ。私はフクロウとして生まれ落ちる運命に、ただ導かれたに過ぎぬ」

「でしたら、わたしは」


 吐露してしまった声を速やかにき止めるように、少女は沈黙する。だが、その言が諦念と共に私へ流れ落ちるまでに、そう長い時は掛からぬのであった。


「わたしたちは一体、何なのでしょうか」

 私がその問いに答えることはなかった。


 私は、所詮は一羽のフクロウに過ぎない。他者でしかない私の存在など、他者にとって言うなれば虚像のようなものである。

 私という存在などいなくとも、我々という存在に疑問など持たなくとも、誰しもが個として在る意義があるはずである。

 この少女が私という存在を何の為に疑うかは、また別の疑問となるのであろうが。


「君は、我々が何であるかと私に訊いたね」

「はい」

「なぜ私に訊くに至ったかね」

「……そこに、貴方がいたからです」

「それは誠の心から導かれた答えと言えるかね」

「……いいえ」

「我々が何であるかという君の問いは、君自身の考えに基づいたものではないのかね」

「わたしの、かんがえ」

 もはや認めざるを得ないだろう。問いを問いで返す私の言動は、少女の内側を探ろうとする好奇に基づいたものであると。少女の問いもまた好奇によるものであるか、そうではないのか。訊き出せるものなら訊き出したいものだと、これまた私の好奇の心が囁いた。

 今は、それを内に秘める。まず疑問を投げかけられた以上は、何にせよ答える責務が私にはあるのだから。


「選ぶという手段を持つ君は、選ぶことが出来る。見当たらぬままの自らの意義を、どのように探り当てるのかを」





 かくして、少女は森の住人となった。

 遠い人街から離れた彼女には、元より棲みつく宛が無かったようだ。あるいは、彼女はとうに選んでいたのやもしれぬ。種も生まれも異なる我々から、自らの在るべき場所を見いだすことを。

 ──少女の、セリシアと名乗ったかのヒトの瞳には、いつからか闇夜を見通す光を灯されていた。

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