第20話

 一ヶ月後、六月末日。

 ほとんどの運動部が三年生の引退を迎えて、約一週間。そして、一学期の期末テストが終わってから三日後。


「さあ! これほど集客が見込める日取りはないわ! この日程調整を成し遂げた先生を褒め称えなさい!」


 沈黙する俺たち部員。大石先生に感謝すべきなのは分かる。分かるのだが、こうも大っぴらに公言されてしまうと、逆にげんなりしてしまうのが世の常である。

 まあ、先生も自分から言いだしたくなってしまったのだろう。部員は誰一人として、日程調整のことなど眼中になかったのだから。俺たち自身、部活とテスト勉強で大変だったのだ。


 そう言う意味では、蓮が今こうして俺たちと一緒にいられたのは本当によかった。

 体育館の舞台袖で待機している俺たち。その中で、人一倍大変だったであろう部活と勉強の両立を成し遂げた蓮。

 俺はそっと蓮のそばに近づき、軽く背中を叩いてやった。蓮はふっと笑みを返してくる。緊張の色は隠せていないが、それはお互い様だ。


 蓮が大丈夫そうであることを確認した俺は、そっと舞台袖からステージに顔を出して、観客席の方を見遣った。


「わぁお……」


 観客席は、既に六割ほどが埋まっていた。まだ演奏開始三十分前だというのに。

 皆、新入生歓迎会での俺たちの演奏を覚えていてくれたのか。そうでなければ、こんな弱小部の発表会に集うわけがあるまい。

 弱小部、と言ったが、それは飽くまで『人数が少ない』という意味だ。部員は精鋭揃いといっていいだろう。

 自画自賛的な話だが、それだけ俺たちは、頑張って練習してきたという自負がある。


 そう考えている間にも、続々と観客は集まって来た。中には、生徒の保護者らしき人もいる。俺たちは生徒に限らず、幅広い年齢層の観客に歌声を届けられるのというわけだ。俺は胸中が、歓喜と緊張で熱くなるのを感じた。

 例えば、ちょうど体育館中央に陣取っている二人組の女性がいる。ハンディカメラの操作をする中年の女性と、彼女に付き添われてきたらしいお婆さん。部員のうちの、誰かの家族だろうか――って、おい、俺のお袋と婆ちゃんじゃねえか。


 俺は顔が強張るのを感じた。今日が定演であることは、俺は家族には黙っていた。それなのに、何故二人はここにいる? なんというか――恥ずかしい。

 今日帰宅したら、きっとお袋は『どうして定演のことを教えてくれなかったの!?』と迫ってくることだろう。だが、バレてしまったものは仕方がない。ここは腹を括って、お袋にも婆ちゃんにも納得してもらえるようなパフォーマンスをするだけだ。


「あら、吉山タキ先生じゃない?」

「うわ!」


 俺の背後から、大石先生が顔を出した。


「うちの婆ちゃんと知り合いなんですか?」


 と、尋ねてから思い出した。十年前の写真に、一緒に写っていたではないか。大石先生は『まあね~』とだけ告げて、頭を引っ込めた。俺も舞台袖に戻る。


 今日の俺たちの服装は、部員たちは春用の制服(お陰で少し暑い)。顧問兼指揮者の大石先生は、落ち着いたグレーのスーツに身を包んでいる。

 俺は緊張感を和らげるために、ネクタイが曲がっていないか確かめた。


 どろどろと時間が過ぎていく。『演奏開始五分前ね』と、大石先生が呟く。俺たちは一斉に、ごくりと唾を飲んだ。


         ※


《さあ、お待たせしました! 我らが光方高校が世界に誇る、混声合唱部の登場です!》


 俺は危うく、司会進行役の放送部員を引っ叩くところだった。いくらなんでも、ハードルを上げ過ぎだろう。ろくに大会で成績を残せたこともないのに。

 って、何を弱気になっているんだ、俺は。さっきは自分たちの練習量が尋常でなかったことを自負していたではないか。


 今年の俺たちは、去年までとは違う。などと言ったら、去年までの先輩たちに申し訳ない気もする。だが、やはり違うのだ。

 自分たちだけで楽しむ? 大いに結構。だが、凛子と奈央という二人の新入部員に出会ったことで、俺たちは変わった。周囲の人々と、楽しさを共有したいと思うようになったのだ。


 凛子はやたらと行動的すぎるきらいがあるし、奈央ともまだまだ相互理解が必要な状況ではある。だが、お互いを信じてここまでやってきたのは、紛れもない事実だ。誰にも否定させはしない。


 俺たちがステージ中央に整列を完了した瞬間に、照明が灯った。思わず目を細めそうになる。と同時に、自分が本当に世界のトップスターに躍り出たような高揚感を覚える。

 これだ。これこそ、ステージに立つ醍醐味というものだ。羽目を外して大声を張り上げたくなる。って、おいおい、これでは幸之助じゃないか。魔王は二人と要らない。


 大石先生が登壇すると、わっと観衆が湧いた。皆、調子に乗っている。テストからの解放感がいかほどか、それだけで分かるというものだ。先生が礼をする。再び観衆が湧き上がる。そして先生は振り返り、勢いよく指揮棒を振り上げた。よし、行くぞ。


 今回の定演にあたり、俺たちは数個の『爆弾』を用意していた。盛り上がりやすいポップスやアニソンだ。その合間を縫って、宗教曲や古典的声楽曲を挟んである。

 そんな中で、俺たちは取って置きの爆弾を一曲目に用意していた。九十年代ロボットアニメの主題歌だ。凛子のソロで始まる。これは半ば賭けだったが、凛子はそのよく通る発声で、一気に体育館を合唱部のフィールドに引き込んだ。ソロパート成功だ。

 それがきっかけで、しん、と空気が落ち着く。その中で、俺たちは一斉にハモリを展開した。


 二曲目、三曲目と、流行りのポップスを続ける。観客は手拍子をしたり、ペンライトを振ったりして大盛り上がりだ。その後、本格合唱曲を披露。観衆はまるで心得ていたように、静かに聞き入ってくれる。ハモリをじっくりと聞いてもらうには、やはり合唱曲が似合いだ。

 古典曲、近代曲を歌った後、再びポップスへ。観衆を無理やり振り回している感もあったが、何の曲かが分かる度に、新たな拍手が湧き起こる。

 俺と幸之助は、立派に他パートの皆を支えきった。と、思う。


 予定していた十二曲、丸一時間に及ぶ演奏は、大歓声に包まれて幕を下ろした。大石先生が観衆の方へと振り返り、綺麗なお辞儀をする。顔を上げると同時に、照明がゆっくりと暗くなる。俺たちは先生の合図に伴って、舞台袖へと退却した。


 暗い中ではあったが、幸之助が大きくガッツポーズをしているのが目に入った。階段を下りきって振り返ると、皆、満足そうな表情を浮かべている。

 ふと気になって奈央の顔を窺ったが、どうやら自分たちを及第点と判断したらしい。少なくとも悔いはないようだ。


「皆、ご苦労様! とっても素敵だったわよ、あなたたち!」

「ありがとうございます、先生!」


 誰よりもはしゃいでいるのは、案の定凛子だった。先生の両手を握りしめ、ぴょこぴょこと跳ね回る。それを見て、俺も、自然と頬が緩むのを禁じ得なかった。

 すると、後ろから肩を叩かれた。蓮だ。そばにはすでに、哲司が控えている。


「哲司くん、啓介くん、この前は本当にありがとう。お陰で僕も、なんとか、歌えて……」

「っておい!」


 なんと、蓮は泣き崩れてしまった。嬉し泣きなのは分かるが、いくらなんでもリアクションが大きすぎるだろう。


「いやいや、拙者は何もしておらん。貴殿の努力の賜物でござるよ、蓮殿」


 しゃがみ込み、蓮の背中を擦る哲司。彼自身も、鼻をすすっている。

 俺が再び皆を見回すと、奈央と先生が何事か話し合っていた。


「本当によくやってくれたわね、皆! 今日と今週末は、ゆっくり休んで頂戴。今後の活動については、来週になったら考えましょう。身体を大事にね」


 来週? なるほど、そういうことか。

 俺は先生に尋ねてみることにした。半ば答えは分かっていたのだけれど。


「先生、これからはどんな活動をするんです?」

「だーかーらー、それを来週話し合うんでしょう? 啓介くんも休みなさいな」

「合唱コンクールの県大会、ですか」


 俺の言葉に、皆の視線が集中する。即座に反応を示したのは、やはり凛子だった。


「コンクール? ってことは、またこんな大きなステージで歌えるんですね! やったあ!」


 急な話の転換だったが、皆、互いに顔を見合わせ頷いた。


「はいはい、はしゃぐのは結構! 今日は解散します! かーいーさーん!」


 大石先生に追い散らされるようにして、俺たちは解散した。

 と見せかけて、昇降口で合流し、カラオケに直行したのは言うまでもない。

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