第13話

 思いがけない光景に、俺は思わず『おおっ』と声を漏らしてしまった。

 VIPルームの名は伊達ではなかったらしい。少なくとも、『静かな土曜日を過ごしたかったのに』などという俺の卑屈な心を浄化する程度には。


 具体的には、まず装飾が目を引いた。金ピカである。それは床と天井のことで、壁面は鏡張りになっており、ただでさえ広い部屋を、より広大に見せる効果を発揮していた。


「皆の者! これを目にするがよい!」


 幸之助がビシッ! と部屋の奥を指差すと、そこには一枚のチラシが貼られていた。


「マイク本数四本? 四人同時歌唱可能!?」


 読み上げる途中で、俺は語尾を上げてしまった。


「そうだ、四人だ!」


 と、幸之助は得意気に腕を組んでみせた。


「誰が何を歌っても、四パートあればハモリも我らだけでできよう! さあ、宴の始まりぞ!」

「ちょっ、幸之助先輩、突然ハモるのは流石に厳しいんじゃ……」


 異議を唱えたのは蓮だ。が、蓮一人の意見では、他者の意見に軽く押し潰されてしまうだろう。

 いい加減イライラしてくるな、幸之助の好き勝手ぶりといい、蓮の気の弱さといい。


 俺は不本意ながら、蓮に加勢してやることにした。


「先輩、蓮の言う通りです。まだ誰が何を歌うのかも分からないのに、ハモれることを前提で歌ったんじゃヤバいっすよ。曲が空中分解します」

「そ、そうかあ?」


 ざらざらした顎を撫でる幸之助。


「であれば、まずは拙者共の校歌を歌ってみる、というのはいかがでござるか?」


 その哲司の提案に、俺と幸之助は『それだ!』と勢いよく答えた。


「男声は自分のパートでいいよな。女声は――」

「あたし、今日はバリトンでいいでしょうか。オクターブ上になりますが」


 即決してきたのは奈央だった。バリトン? 声量はいらないパートだぞ? まあ、今はこだわらなくてもいいけれど。


「あっ、奈央ちゃんずるーい! 今日は私がバリトンって思ってたのに!」


 不満を述べたのは凛子である。しかし。


「お前、主旋律以外歌えるか? っていうか、お前はマイク不要だってさっき言っただろ?」

「えーっ、啓介先輩のケチ! べーっだ!」


 あっかんべーをする凛子。幼稚園児か、お前は。

 取り敢えず、各パート男声一人に、バリトンに奈央が加わり、凛子はようやく音程が合いかけてきたトップテノールをマイク抜きで歌うことになった。


「ではいくぞ。一、二、三、四っ!」


 幸之助の指揮の元、俺たちは歌い始めた。

 やはりカラオケで、しかもこんな広い部屋で歌ってみると、響きが半端ではない。皆の声量がマイクで拡張されるので、凛子だけが目立つこともない(細部の音程は怪しかったが)。俺たちは恍惚として、一気に歌い切った。


 素晴らしい。こんなにリフレッシュできたカラオケは久々である。

 幸之助が再び指揮し、俺たちはそれを見て声を止めた。


 真っ先に声を上げたのは、哲司だった。


「うおおーーー! これはこれは、とんでもないことになったでござるな! 本番でもこうありたいものでござる!」


 いや、流石にそれは無理だ。俺たちは合唱部であり、ボーカリスト集団ではない。定演ならまだしも、大会でマイクなど使えるわけがないではないか。

 しかし、哲司が嬉々としてはしゃいだり、蓮が安堵の笑みを浮かべたりしているのを見ていると、俺も気が緩みそうになる。


「確かに、たまにはこういうのもアリかもな。なあ、奈央?」

「アリません」

「うん、やっぱり……って、え?」

「ありませんよ、先輩。音、取りこぼしてます」

「どこ!?」


 すると、急速に鎮静化していく雰囲気のことなどお構いなしに、奈央はポーチから縮小印刷した楽譜を取り出した。


「啓介先輩の跳躍、あと二ヘルツ高く取ってください」

「ああ、分かっ……って、はあ!?」


 ヘルツ? ヘルツ単位のズレを聞き分けたのか、奈央は!?


「皆で上手くなるのが目的なら、気にして当然です。こういうミクロレベルの鍵をしっかりはめ込んでいかないと、ハモるものもハモリません」

「あー、ああ、すまない、気をつける」


 半ば呆気に取られる俺。

 しかし、この場で奈央に不服を申し立てる者がいた。


「ちょっと奈央ちゃん! そういう言い方はやめようってこの前言ったじゃない!」


 凛子だった。すると奈央は即座に振り返り、凛子に向かって冷徹に告げた。


「音程を取り切れていないあなたが口を挟めることじゃないわ、凛子さん」

「そ、そりゃあ私はまだまだ下手っぴかもしれないけど……。でも、先輩に向かってあんな言い方、よくないよ!」


 ん? 凛子のやつ、俺のために怒ってくれているのか? 気にしてもらう必要はないのだが。


「凛子、いいんだ、そんなことは。俺が音を取るのが苦手だってことは、皆が知ってることだし」


 すると凛子は、怒りの矛先を俺に向けた。


「先輩も先輩です! 『絶対上手くなってやる』くらいのことは言い返してやってください!」


 俺は言葉を続けられなくなった。凛子の目つきが、あまりに熱のこもったものだったからだ。その瞳は、今まで『なんとなく』歌ってきた俺の合唱に向かう気持ちを、鋭くえぐるような勢いがあった。

 いつだか見入ってしまった、凛子の瞳。それが今、俺に向かって、いっぱいに見開かれている。


 この金ピカの部屋で、光を浮かべる凛子の瞳。部屋中の照明がその瞳に反射され、俺はまるで、満天の星空を眺めているような錯覚に陥った。


「ちょっと凛子さん、啓介先輩と話してるのはあたしよ! あたしはこの部がもっと上手く歌えるようにするために――」

「そのために楽しさを犠牲にしちゃいけないと思う! 楽しく歌ってない人が、どうやって聞いてる人を楽しませることができるの?」

「ッ!」


 この理屈には、奈央でさえも言葉に詰まった。

 そうだ。合唱も演劇も吹奏楽も、何かを発表する、ということは、受け手に共感を及ぼすことで、初めて感動を生み出すことができる。それを考えた場合、発表者の心に楽しさがなければ、どうやって受け手を楽しませることができるというのだろう?


 周囲の人々、聴衆の心を変えるには、自分たちから変わるしかないのだ。


 フーッ、と猫のように奈央を威嚇する凛子。こいつ、本当はとんでもないやつなのかもしれない。

 その時だった。勢いよくこの部屋の扉が開かれたのは。


「やっほーーー!!」


 突然の闖入者に、俺たち六人の目が扉へ向かう。


「お、大石先生!?」


 蓮が声を上げる。続く『どうしてここに?』という声に、先生は頬を膨らませた。


「何よ蓮くん! 先生が来ちゃいけないっていうわけ?」

「いっ、いえ! そういうわけではないです、ただ、びっくりして……」


 あたふたする蓮に代わり、幸之助がずいっと前に出た。


「先生、我輩らは親睦を深めるべく、歌唱に命を懸けようとしていたところであるが、何用か?」

「ちょっとー、幸之助くんまで、どうして先生に向かって喧嘩腰なのー? ウサギは寂しいと死んじゃうんだよー?」

「お、大石殿、それはご自分をウサギに例えたのでござるか?」


 やや引き気味に尋ねた哲司に向かい、先生は『ご名答ー!』と一言。哲司を指差しながら、うんうんと頷いてみせる。


「見て見て! 先生って福耳でしょ? 耳が大きいってことは、きっとウサギの生まれ変わりなんだわ!」


 でかいのは耳じゃなくて胸だろーが。今も揺れてるし。などという、ラッキースケベスレスレの考えを、俺はなんとか脳裏から引き離した。


 すると先生は、ずかずかと部屋の前の方にやって来て、『じゃあ早速、曲入れちゃうわね~』と言ってリモコンを手に取った。まったく、マイペースな人だ。

 が、入力された曲のタイトルを見て、俺は叫んだ。


「皆、耳を塞げ!!」


 直後に響き渡ったのは、バリバリのデスメタルだった。

 そう。この大石綾子という教諭の恐ろしいところは、素のままの自分を常に隠そうとしないところである。今もバニーガールみたいな格好だし。もしかしたら、この前音符の着ぐるみを借りたコスプレショップで買ってきたのかもしれない。


 などということを考察しつつも、俺は自分の両手を耳に当てるのに必死だった。


「ったく、なんて顧問だ!」


 と切迫した不満を述べてみるものの、他の皆にそれを聞く余裕はない。

 その曲が終わった時、この部屋で無事に立っていたのは、先生ただ一人であった。


「あー、スッキリしたー! やっぱり歌い始めはこれに限るわね! ってあれ? 皆はどうしたの?」


 しゃがみ込んだまま周囲を見回す。すると、そこはまるで、アクション映画で主人公が銃をぶっ放しまくった後のバーのような雰囲気が漂っていた。

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