第12話

「遅いぞ、啓介! 昨日連絡したであろうが!」

「あー、すんません先輩、身体が完全に休日モードでしたので」


 翌日、最寄の駅前にて。のろのろと坂を下りてやって来る俺を、幸之助が咎める。


「って、まだ全員揃ってないじゃないっすか。凛子は?」

「凛子さんに連絡はしてるんだけど、既読スルー状態なんだよね」


 スマホに目を遣りながら、蓮が答える。

 他の部員たち、すなわち蓮、哲司、幸之助、奈央はもう到着していた。


「なあんだ、俺が最後じゃないなら、そんなに責められる筋合いはありませんよ」


 グダグダと不平を述べながら、俺は久々に見た皆の私服姿に――いや、見なかったことにした方がいいかもしれない。

 蓮と奈央、それに俺は普通、だと思う。蓮はさっぱりとしたシャツにスラックス、俺はジーパンに薄手のトレーナー、奈央は地味なジャケットにダメージジーンズという格好。

 

 この三人(俺を含む)はいいだろう。問題はやはり、哲司と幸之助だった。

 まず哲司。彼はちょんまげに合わせてか、時代劇風の侍装束だった。腰には刀まで差している。完全にコスプレだ。

 そして幸之助。重量感溢れる厚めのズボンに、これまた分厚いブーツ。さらに、暗い色のライフジャケットの上から、いつもより長いマントを羽織っている。ここまで魔王感を出されてしまっては、フォローする気にもならない。


「あー……」

「如何致したでござるか、啓介殿?」

「いや、なんでもない」


 訊くな。放っておいてくれ。これからこんな偏屈たちに付き合わなければならないという事実を前に、俺は意気消沈しているのだから。


「何はともあれ、あとは凛子のみ! 早う来んかのう」


 俺は幸之助の前で肩を落としてみせたが、哲司と違って気にかけてはくれなかった。ため息をつくしかないな、これは。


 その時、俺の背後で動きがあった。


「あの~」

「はい?」


 そこにいたのは、黒い大き目のサングラスにアロハシャツを着込み、背中に黒いケースを背負った人物。怪しいが、哲司や幸之助ほどではあるまい。というか、この身長でこの声っていうことは。


「お前、凛子か?」

「はい!」


 すると、皆が一斉にこちらに振り向いた。先頭に立っていた俺が、皆に代わって尋ねる。


「どうして声をかけてくれなかったんだ? 俺たちがここにいるのは分かってただろ?」


 凛子はサングラスを取り、額に載せてながら、


「だって先輩たち、あんまり怪しい格好をしていたので近づきにくくて」

「ぐへっ!」


 俺は前のめりに転倒しかけた。あんなサングラスをしていたお前が言うのか、お前が。


「お前だってそんな格好して、十分怪しいぞ!」


 しかし、凛子の言葉に反応したのは件の変人二人だった。


「凛子殿! 拙者の顔をお忘れか!? 二宮哲司でござる!」

「我輩のこの威光、見えぬと申すか貴様は! 臣下であろうに!」


 この状況を打開しようと俺が声を上げかけた、その時。


「で、結局、今日は何をするんですか?」


 奈央の声が、冷風のように俺たちの間を吹き抜けた。静かに、しかし確かに、奈央は怒っている。時間を無駄にするな、とでも言いたげだ。


「うむ。それな」


 もったいぶった挙動で、幸之助は俺たちの前に回り込んだ。


「我々は光方高校合唱部として、部活動を楽しもうという野望の旗を掲げた。だが、当然ながら部活動引退までの期間は限られている」


 確かに。幸之助は、俺たちがどれだけ頑張っても、十月には引退だ。


「我輩が思うに、今の我らに必要なのは、互いの歌の癖を掴むことだ。よって今日は、カラオケに殴り込みをかけんと思う次第である!」


 一人、拳を天に振り上げる幸之助。


「わあーーーっ! カラオケですか! いいですね、行きましょ行きましょ!」


 早速乗り気になっているのは、もちろん凛子である。

 なあんだ、カラオケか。昨日の時点で教えてくれていれば、もう少しコンディションを整えて来たのに。


「それはいい考えですね」

「え?」


 俺は思わず振り返った。今の声は奈央のものだ。まだ僅かな付き合いとはいえ、奈央が自分から他者を褒めるとは、全く意外である。いや、付き合いが短いからこそ意外に思えたのか。


「僕もカラオケに行くのは問題ありませんが、しかし……」


 蓮はそう言って、俺に視線を飛ばしてきた。ああ、そういうことか。


「なあ、凛子」

「はい!」

「お前は来るな」

「はい! ってええぇえ!?」


 凛子は傷ついた、というより驚いた。俺はすぐに、『冗談だよ』と前言撤回する。


「だけどな、マイクは使うな」

「ど、どうして!? 私、カラオケ初体験なのに!」


 カラオケ、行ったことがなかったのか。まあ、中学生が、自分たちだけで行く機会というのはあまりないだろうけど。いや、それは置いといて。


「カラオケボックスってのはな、凛子。かなり響くんだよ。お前の声量でマイクまで使ったら、カラオケ屋の窓という窓が割れて、壁という壁は崩壊するだろう。俺たちの鼓膜は言わずもがなだ」

「つまり、私の歌声に皆さんが感動し、心を揺さぶられる、と?」

「逆だよ逆!」


 俺は手刀で、軽く凛子の頭を打った。


「きゃん!」

「変な声を出すな!」


 って、それはどうでもいい。


「だからなあ、凛子。お前がこの部に入ってくれたことには感謝してるよ。やる気もあるし、声も張れる。だけど、それだけじゃ合唱にならない。お前には、もっと周りを聞くとか、脱力するとか、課題はいっぱいあるんだ」


 音程は滅茶苦茶だし。まあ、これは言わないでおくが。

 しかし、そんな俺の意地の悪さをひっくり返すようなことを、凛子は躊躇なく言い放った。


「そんなに課題があるんだったら、私に歌わせてください! 頑張って上手くなります!」

「え?」


 正直、驚いた。俺は、凛子は楽しさばかりを求めていると思っていた。楽しく歌えればそれで充分、と。

 だが、それは誤りだったらしい。凛子は、上手くなろうと努力を惜しまない姿勢を見せたのだ。俺は心強さと共に、申し訳なさが胸の奥から湧いてくるのを感じた。俺は彼女を、ただの目立ちたがりだと思っていた節があったのだ。


「その調子でござるよ、凛子殿!」


 俺が言葉を失っている間に、哲司が割り込んできた。


「それで、どこの店に行くんですか、幸之助先輩?」

「案ずるな蓮、既に予約は済ませておる」


 そう言うと、幸之助はばさり、とマントを翻し、


「あのカラオケボックスだ!」


 と言って、後方のビルを指差した。その先にあったのは、俺たち行きつけのチェーン店だった。『あの』と強調した割には、ぱっとしない選択である。


「そんなにカッコつけなくてもいいっすよ、先輩。俺たちにとっては通い慣れた店じゃ――」

「甘いぞ、啓介! 新入生を迎えたこの日に、我輩がただの部屋を予約するとでも思うたか!」


 ただの部屋ではない? どういうことだ?


「ついて来るがいい、我が同胞よ!」


 わっはっは、ともはやフォローする気にもなれないほどの大声で笑いながら、幸之助は件のカラオケボックスに向かって行った。


「あ、待ってくださいよう、幸之助先輩!」


 無邪気について行く凛子。その姿に、俺はどこか微笑ましいものを感じずにはいられなかった。それに、僅かに胸が軋むような痛みも。

 って、どうして俺が、凛子の一挙手一投足に心を動かされなければならないんだ? 心の病? いやいやいや。

 俺はその場でぶんぶんとかぶりを振ってから、皆に追いついた。


         ※


「VIPルームぅ!?」

「左様! しかも二十人収容可能な大部屋だ!」


 カラオケボックスの受付で、俺は我ながら素っ頓狂な声を上げた。

 それから声をひそめ、幸之助に耳打ちする。


「俺、金ないっすよ?」

「そうケチケチするでない。やっと新入部員が現れたのだ。今宵は存分に、互いに競い合い、切磋琢磨し、歌唱力を上げようではないか!」


『今宵』って、まだ午前中なんですけど。いつまで歌う気なんだ、この人は。

 いずれにせよ、予約されてしまったからには仕方がない。お高いVIPルームの設備を存分に楽しませてもらおうではないか。


「わあーーーっ! これがカラオケ屋さんなんですね!」


 凛子はあっちこっちを駆け回り、ピカピカの装飾品を興味深げに見つめている。

 奈央はと言えば、このカラオケ屋には来たことがあるらしく、凛子の姿を見ながら肩を竦めていた。


「では、えーっと……大魔王・倉敷幸之助様、六名でVIPパーティルームご予約ですね。こちらのエレベーターからどうぞ」


 やや戸惑いがちに、俺たちに案内を告げる店員さん。どうもすみません。


 俺たちは狭いエレベーターに乗り込み、一気に七階に到達した。廊下に出ると、ドアは二つしかない。パーティルームの広さがよく分かるというものだ。


「あ、啓介先輩! これって何ですか?」


 凛子が廊下の片隅を指差す。そこあったのは、フリードリンクの供給機だった。


「幸之助先輩、フリードリンクはついてますよね?」

「無論!」

「じゃあ遠慮なく」


 俺はグラスを二つ手に取り、凛子に何を飲みたいか尋ねた。


「私、メロンソーダ!」

「ほいほい」


 俺と哲司はジンジャエール、幸之助はオレンジジュース、蓮と奈央はウーロン茶を、ぞれぞれ自分のグラスに注いだ。


「さあ、歌おうぞ我が臣下たちよ!」


 俺たちは『うおーーー!』だの『はーい』だのと声を上げたり、無言でやれやれと首を振ったりしながら、VIPルームへ足を踏み入れた。

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