第8話【第二章】
「まったく、あの奈央って子はなんなんでしょうね!」
凛子はぷんすかしながら、サイコロステーキを口に運んでいた。
「先輩に向かって偉そうに!」
「なあ凛子、お前、本当は奈央にもこの食事に付き合ってほしかったんだろ? だから怒ってるんじゃないのか?」
すると凛子は口をすぼめて、『まあ、その方が早く仲良くなれると思ったので』と呟いた。
高校最寄の駅内にあるファミレスで、俺たちは晩飯にありついていた。
先ほど、奈央の残したインパクトは強烈だった。後輩であるにも関わらず、俺たちの演奏、というか個人の弱点を指摘して去っていったのだ。なかなか胸に刺さるものがある。
だが、俺の頭で引っ掛かることはもう一点。
奈央は『県大会までに』というようなことを言っていた。今までも、確かに大会に出るのは慣例だった。しかし、そんなに優秀な成績を残すことは目的ではなかった。記念受験のようなものだ。
もしかして奈央は、この高校で、本気で優秀成績を修めるつもりなのだろうか。地域大会への出場も視野に入れているのかも。
「ううむ……」
「如何なさった、啓介殿?」
「いや、奈央のことで少し考え込んでいてな」
興味が湧いたのか、哲司は目を見開いた。そりゃあ、これから一緒に歌っていく仲間のことだ。気にならない方がおかしい。しかし今は、それよりも重要な問題が持ち上がっていた。
「あー、啓介? それよりも我輩の手伝いをしてはくれぬか?」
「え?」
俺が幸之助の座っているテーブルの奥側を覗き込むと、蓮が真っ白な顔で俯いていた。注文したオムレツには、一切手をつけていない。
「やっぱり、僕の実力不足だったのか」
あー、蓮の悪い癖だ。なんでもかんでも自分のせいにして、内にこもってしまう。幸之助が軽く小突いてみているが、効果はない。
「大丈夫ですよ、蓮先輩! 私は先輩のトップテノールを聞いて、合唱部に入ろうと思ったんですから!」
「ふ、ふふ、ありがとう、凛子さん……」
微かに声を上げたものの、蓮の視線は、じっとテーブル上のグラスに注がれていた。重傷だな、こりゃ。
「なあ、いいか、蓮? 奈央は俺たちに伸びしろがあると思ったから、弱点を指摘してくれたんだ。完全にお前の実力を見限っていたら、合唱部に入部します、なんて言うわけがないさ」
「でも、僕が主旋律だったのに、体育館では上手くいかなくて……」
「そういうこともあるって! 練習して上手くなりゃいいだけじゃねえか!」
我ながら乱暴な理屈だと思ったが、他にいい言葉が思い浮かばない。
「俺たちも頑張るから、な?」
「すまないな、啓介くん」
「気にすんなよ。奈央だって、性根の悪いやつじゃないんだ。あいつの眼鏡に叶うように、皆で頑張ろう」
「うっ、ううっ……」
嗚咽があたりを包み込んだ。だが、その中心にいるのは蓮ではない。
「うわあああああああん!」
「どわっ!」
泣き声を張り上げたのは、凛子だった。
「どうしたんだよ!」
「だ、だってだって、先輩たちの友情が感動的でぇ……」
ぐすんぐすん、と鼻を鳴らす凛子。泣くほどのことだろうか?
「我輩たちは、同胞を見捨てるようなことはせんのだ、凛子よ。老若男女問わず、興奮と感動の渦に巻き込むのが我らが使命なのだからな!」
「こ、幸之助先輩! 私、一生あなたについていきます!」
っておいおいおい、それは言いすぎじゃねえのか、凛子? そこまで言ったらプロポーズだろうが!
凛子の身を案じ、俺と哲司は二人を切り離しにかかった。
「な、なあ凛子、今自分が何て言ったか分かってるのか?」
「こんな感動的な部活動があったなんて! 何も言わずにはいられませんよ!」
「凛子殿、拙者の思うに、そなたは時期尚早ではござらぬか? 幸之助殿に限らずとも、拙者のような渋い魅力のある人間も――」
「って馬鹿! 哲司、お前が凛子を誘ってどうすんだよ!」
「まあ、光栄ですわ、哲司先輩!」
「凛子も乗っかるな!」
ああ、疲れる。これだからツッコミ役は。
だが待てよ。これはただのツッコミなのだろうか。もしかして、俺は哲司や幸之助に嫉妬しているのではあるまいか?
では、何を嫉妬しているのかといえば、凛子に好意を向けてもらうこと、だろうか。
「ないないないない! そんな馬鹿なことが!」
俺は誰に対して、ということもなく、腕を突っ張って首を左右に細かく振った。
「ど、どうしたんですか、啓介先輩?」
「いや、だから何でもないんだってば!」
そう言って顔を向けると、ちょうど視界の中央に凛子の顔が入ってきた。何事かという興味と、一抹の不安の混じった瞳に、俺は一瞬吸い込まれそうになる。
「先輩?」
「え、あ、いや……」
俺は視線を落とし、ぶつぶつ呟いた。が、凛子の関心はとっくに蓮に戻っている。
「元気出してくださいよ、蓮先輩!」
「あ、ありがとう、凛子さん……」
「先輩のオムレツ、冷めちゃいますよ? さあ、どうぞ食べてください。元気になりますから!」
「うん」
その仲睦まじい様子を見ながら、俺は頬を軽く掻いた。
さて、俺も食べかけだったカレーライスにありつくか。そう思って、再びスプーンを手に取った、その時だった。
「あっれー? 合唱部の皆じゃなーい?」
うっぷ! この声は。
「あ、大石先生、お疲れ様でござる!」
「はいはい、お疲れさん」
俺がカクカクと首を回すと、そこにはジャージ姿の大石綾子先生が立っていた。この前出会った時とは違い、きちんと髪を首の後ろにまとめ、ポニーテールにしている。
先生は立ったまま、腰に手を遣って堂々と俺たちを見下ろしている。大き目の胸がジャージの上からでも存在感を発揮して――って俺の馬鹿馬鹿馬鹿!
「で、皆は何話してたの?」
「まあ、取り留めもないことを」
「うん、そのようね」
何だよ。分かってるなら訊くなよ。まあ、具体的に答えられない俺たちにも非があるが。
「あれ? 今は梅田奈央さんはいないの?」
「奈央は既に、一人で帰ってしまったぞよ。決して我輩らが追い返したわけではない」
「ふぅん、ならいいけど」
先生は腕を組み、顎に手を遣って思案顔をする。
「ま、ちゃんと面倒見てあげてよ。いい子だから、奈央ちゃんは」
「あれ? 先生、知り合いなんすか?」
「おっと!」
先生は慌てて口元に手を遣った。
「え、ええ、まあね。ただ、こういうことは守秘義務に引っ掛かっちゃうから、あんまり詳しくは教えてあげられないの。本人があなたたちに自分から話すまではね」
ふーむ。何かあったのか。
「じゃ、先生はワイン買って帰るから。じゃあね~」
「あ、お疲れ様です」
先生はしつこく絡むことなく、さっさとこの場をあとにした。
ほぼ同時に、そして唐突に鳴り響いたのは、スマホが発するロックンロール。今回もまた、蓮のスマホからだ。
「蓮、今日も塾か?」
「ああ、まあね。でもまだ時間に余裕はあるから、オムレツは食べていくよ」
「蓮殿は勉強熱心でござるな! 拙者などまだまだ足元にも及ばぬわ」
そんなことは誰の目にも明らかだ。同学年ながら、蓮と哲司の間には、圧倒的学力差がある。まあ、お互いやりたいことをやっているわけで、俺などに物言いができる筋合いではないのだが。
ちなみに、俺の成績は中の上といったところで、一応赤点には一度も引っ掛かったことはない。
俺たちは他愛もないことをグダグダ話しながら、蓮が席を立つのと同時に解散した。
※
いざ家に帰ってみると、今日だけで二人も新入部員を迎えられたことが、ようやく実感として掴めてきた。
お袋に出迎えられ、二階の自室でホームウェアに着替えた俺は、婆ちゃんに報告すべく、襖に向き合った。
「ただいま、婆ちゃん」
「おかえり」
俺が襖を開けると、格調高い響きに耳が満たされた。部屋の隅に置かれた大型スピーカーが、合唱曲を奏でている。混声合唱の宗教曲だ。俺は経験から、それが聖母マリアを讃えるものだと判断した。
「婆ちゃんが合唱曲を聞いてるなんて、珍しいね。いつもはテレビの時代劇とか、ラジオのニュースなのに」
「わしとてたまには音楽も聞くわい。それで啓介や、集まったかい、新入部員とやらは?」
「ああ、まあね。今日だけで女声が二人」
「ふむ」
自分でも思いの外、声が生き生きしているように感じられる。
「ところで、梅田さんちの姪っ子さんは入ったのかのう」
「誰だって?」
梅田、っていうと、もしかして。
「梅田奈央さん?」
「そうそう、奈央ちゃんじゃ。啓介は会ったことがないかもしれんがの、奈央ちゃんは大変な努力家じゃ。もし合唱部に入ることがあったら、しっかり面倒を見ておあげ」
「あ、うん、分かった」
ううむ。今日出会った、とは言えない。何せ、自分たちの欠点を指摘されまくったのだから。そんなことを婆ちゃんに話すのは、なんだか、恥しい。
しかし、婆ちゃんが奈央のことを知っているとは、世の中狭いものである。
俺は自室に戻り、宿題を片付けてから、風呂に入ってすぐに就寝した。
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