第7話
「桜野さんは、中学では何か部活やってたの?」
「あ、私のことは『凛子』でいいですよ! えーっとですね、中学時代はいろいろ掛け持ちしていたんです」
ほう。部活をそこまでやっておいて、この光方高校に受かるとは。頭、いいんだな。
「結構スカウトされたんですよ! 中学時代から、『もしうちの高校に入ったら、是非この部へ!』みたいな。それで――」
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
「んむ? 何事か?」
「まったく騒々しい。我輩と後輩との交流を邪魔するとは」
「何かあったんですかね?」
そう言いながら、蓮が会議室から顔を出した瞬間だった。
「うぎゃあっ!?」
「なっ!」
「何事だ!?」
蓮が悲鳴を残し、消えた。何らかの大きな流れに巻き込まれ、そのまま強引に連れ去られたのだ。
「蓮!? 蓮ーーーーーーーッ!!」
俺の叫びも虚しく、彼は帰ってこなかった。
代わりに入り口に立ちはだかったのは、タキシード姿の男子、マイクを握った女子、エレキギターを手にしたパンク野郎の三人。
「なんだなんだなんだ!?」
俺たちが戸惑っている間に、彼らもまた後ろから押されるようにして、会議室に飛び込んできた。俺たちの目の前で、前のめりに転倒する。
「お、おい、何があったんだ?」
俺は後ずさりながら、三人に目を遣った。すると、倒れ込んでいた三人は、まるで計ったかのように同時に跳ね起きた。
「待ってくれ、合唱部諸君!」
と、タキシード男子。
「私たちにも交渉をさせて!」
と、マイク女子。
「交渉って、一体何を……?」
「凛子ちゃんがどの部に入るかって相談だ! 決まってんじゃねえかぁ!?」
「はあ!?」
と結論を述べたのはパンク野郎。
一瞬の間を置いて、コホン、と咳払いをしてからタキシードが語りだした。
「君たち合唱部は知らなかったかもしれんがね、我々演劇部は、ずっと桜野凛子さんの勧誘の機会を伺っていたんだよ!」
「そう! 私たち放送部もね!」
マイクが便乗する。
「凛子ちゃんの心はぁ、俺たちが頂いていくぜぇ!」
パンク野郎に至っては、いつぞやのカリオストロの城っぽいことを言っている。
なるほど。それで、抜け駆けした俺たちを追ってきたというわけか。
「さあ、凛子さん! 僕ら演劇部の見学に!」
「ちょっと! 放送部が先よ!」
「俺たちのソウルを目にする前に他の部の見学をするたぁ、ちっと許せねえなあ!」
ううむ。こんな争奪戦が繰り広げられるようになろうとは。正直、全く考えが及ばなかった。桜野凛子、只者ではないのだな。
それより、今は目の前の三人(と廊下で成り行きを見守る部員たち)をどうにかしなければなるまい。
「分かった!」
俺は声と両手を挙げ、皆をトーンダウンさせるようにゆっくりと下ろした。
「じゃあ、俺たちが皆を魅了させるような演奏をして、それで凛子が心を決めてくれたら、それで構わないな?」
タキシード男子、マイク女子、パンク野郎はそれぞれ互いの顔を見合わせ、コクコクと頷いた。
「じゃあ、歌うぞ」
「歌うといっても、何をでござるか?」
俺の無茶振りに、哲司が鋭い視線を寄越す。
「今の俺たちには校歌しかない。さっきの新歓の時よりも、上手く決めてみせるんだ」
「おうとも! 我輩に異論はないぞ!」
「よし」
俺は幸之助に頷いてみせた。すっと彼の腕が上がり、拍を取り始める。同時にブレスした俺たち四人は、颯爽と歌いだした。
すると、不思議とさっきよりも上手くなったように聞こえた。歌いやすい。安定しているのだ。聴衆も目を丸くして、俺たちの演奏に聞き入っている。何が変わったのだろう? いや、そんな疑念は、今は不要だ。曲に集中しなければ。
そうこうするうちに俺たちは歌い切り、一瞬の沈黙が訪れる。すると、聴衆からはわっと歓声が湧いた。
「なんだ! 合唱部、本気出せば上手いじゃん!」
「さっきもよかったけど、今のもいいね!」
「四人しかいないのに、ホントよくやるよ!」
俺は曖昧な笑みを浮かべ、後頭部に手を遣りながら、『ど、どうも……』と口にするのが精いっぱいだった。
「きゃああああああ! 先輩たち本っ当にクールですぅ! 私、合唱部に入部します!」
と、凛子までもがはしゃいでいる。
先陣を切って会議室に入ってきた他部代表の三人も、これには白旗を上げざるを得なかったらしい。
「僕たちの定期公演には来てくれよ!」
「私たちのドラマCD、出たら買ってよね!」
「俺たちのソウルに触れたくなったら、いつでも来てくれよなぁ!」
と、思い思いのことを言って、背を向ける三人。これで凛子は、自他ともに認める新米合唱部員というわけだ。
しかし。
俺は妙な違和感を覚えていた。トップテノールの蓮が、急に上手くなった、というか、緊張せずにリラックスして歌っていたように思えたのだ。まるで人が変わったかのように。
「……って、え?」
本当だ。人が変わっている。
「どうしたでござるか、啓介殿?」
「いや、君は誰だ?」
俺は哲司に向かってではなく、いつもは蓮が立っているはずの場所に陣取っている人物に声をかけた。
身長は凛子と同じくらい。黒髪で眺めのツインテールに、度の強そうな眼鏡をかけている。
「やっと気づきましたか」
その声は、明らかに女声だった。低めだから、アルト向きだろう。ブレザーの襟元にある校章を見ると、一年生を表す水色だった。ついでに言っておくと、凛子と違い、胸はまな板状態だった。いや、余計な付け足しだったな。
「なぬ!? 蓮殿ではない!?」
「変わり身の術か? 我輩の前で面妖な!」
「梅田奈央、と申します」
必要最低限の言葉で、女子生徒――梅田奈央は自己紹介した。
凛子の時と同じように、訊いておきたいことはあった。が、俺は尻込みしてしまった。彼女の実力、すなわち、一年生にして蓮に匹敵する歌唱力を有していることが、彼女が歴戦の歌い手であることを示している。
そうか。俺たちが新歓の時よりも歌いやすいと感じたのは、梅田奈央という人物が、主旋律を落ち着いて歌ってくれたからだ。
確認の意味合いで、俺は一つだけ尋ねておいた。
「き、君、何て呼べばいい?」
「ご自由にどうぞ」
チラリとこちらに視線を飛ばす梅田奈央。いや、これからは奈央と呼ぶことにしよう。
それはいいとして、このどこかピリピリするような奇妙な空気は何だろう? それを破ったのは、凛子だった。
「わあ! 奈央ちゃんって歌が上手いんだね! 私、感動しちゃった!」
気さくに奈央の肩を叩き、きゃっきゃと声を上げる。
「ありがとうございます。桜野さん」
「凛子でいいよ~! 奈央ちゃんも合唱部に入るの?」
「そのつもりですが」
「やったあ! 先輩たち、聞きましたか? これで女声が二人! 混声合唱できますよ!」
ぴょこぴょこ跳ねながら、元気いっぱいで歓喜を表現する凛子。対する奈央は、遥かに落ち着いた態度で眼鏡の蔓を押し上げている。哲司や幸之助はといえば、いつも通りの中二病らしき所作で、満足している様子だ。
って、待てよ。
「あれ? 蓮は?」
皆が動きを停止し、声を揃えて『あ』と一言。ただし、ここでもまた奈央だけは落ち着いていた。
「蓮というのは、トップテノールの先輩ですか?」
「ああ、そうだけど」
おずおずと答える俺。すると、奈央は廊下に顔を出し、こちらに振り返って『いましたよ』と一言。
「なるほど、今しがたの演奏中、主旋律を歌っていたのは奈央殿でござったか。して、蓮殿は?」
俺たち三人+凛子が会議室から顔を出すと、蓮が廊下の突き当たりでのびていた。
「何をしておるのだ、蓮? 我らに新入部員が二人も入ったのだ、もっと喜んでもよかろう?」
だが、蓮はぐったりしたまま動かない。いや、動けない。
「大丈夫か、蓮?」
俺は声をかけてみたが、蓮の呼吸は荒く、苦し気だった。確かに、蓮を巻き込んだ人の流れには凄まじいものがあったからな。
哲司は蓮に向かって歩を進め、彼の首筋に手を遣った。
「大丈夫だ。生きておる」
戦争映画かよ。俺がそう胸中で呟いていると、全く唐突に奈央が語りだした。
「トップテノール、主旋律なんだからもっとはっきり歌ってもらわないと困りますね」
「んなっ!?」
俺はがばりと振り返り、奈央の方を見た。
「待ってくれ奈央、今コイツに余計なツッコミは――」
「余計なツッコミではありません。この部が発展するために、避けては通れない改善策を講じようとしているのです」
やはり、梅田奈央もまた只者ではなかった。
「響きは安定してますから、もっと腹筋を意識すべきでしょうね。それから、セカンドテノール!」
「は、はいぃい!?」
「もっとトップテノールを意識してください。今のままでは、完全に孤立して音階を追っています。周囲の音をよく聞いて」
「ぎょ、御意……」
奈央は哲司の方を、振り返りもせずに言い切った。
「それからバリトン」
うわっ、来た!
「跳躍や半音移動箇所の音程が不安定です。地味な部分ですが、外せば目立ちます。気をつけてください」
「は、はい……」
「バスは大丈夫でしたね。大会までの日数を考えれば、今は基礎錬に打ち込んでいれば問題ないでしょう」
「おう!」
一人だけ注意を免れた幸之助は、両腕を腰に当てて胸を反らし、ワハハと気持ちよさそうに笑っていた。それはさておき。
たとえば、これらの指摘をされたからといって、俺たちが奈央に悪感情を抱くことはないだろう。しかし、まさかこんなボロボロ……とまでは言わずとも、手厳しい指摘を受けるとは。奈央って後輩だよな? 恐ろしい分析能力である。
すると、奈央はくるりと振り返って俺を見た。
「今日は練習しますか? それとも解散ですか?」
「え? 俺?」
「はい。一番まともそうな先輩だと判断致しましたので」
俺が幸之助の方に振り返ると、『解散だな』と一言。
「まあ、我らはこの後、街に繰り出して夕食にありつく所存であるが……。凛子、奈央、貴殿らはどうするつもりか?」
「はい! 一緒に行きまーす! はい! はーい!」
これはもちろん、凛子のリアクション。
一方奈央には、既に立ち直ったらしい哲司が問いかけた。
「奈央殿は如何致すおつもりか?」
「あたしは帰ります」
「えー、奈央ちゃんも一緒に行こうよ! 奢ってくれるんでしょ、先輩!」
そう言われてしまっては、奢らざるを得まい。渋々、俺は頷いてみせた。
しかし奈央は、『あたしは結構です』と再度告げて、
「あたしも合唱部に入部を希望します。入部届は明日までに準備しますので、受理をお願いします」
と素っ気なく言い放ち、そのまま自分の鞄を携えて、すたすたと昇降口へ向かってしまった。
俺たちは、そんな奈央の背中をただ見つめるしかなかった。人混みでもみくちゃにされた蓮のことは、今や誰の脳裏にも残っていなかった。
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