第6話

 開幕は、応援団とチアリーダー部の合同演舞で始まった。最初からテンションを上げていくにあたり、学校側も考えたのだろう。新入生のみならず、皆がその迫力と華麗さに引き込まれたようだ。

 

 次は運動部。大体が俺の予想通り、大会時の映像を流しながら、最後に『よろしくお願いします!』というパターンだった。

 しかし、どの部にもエンターテイナーとはいるもので、最初か最後に必ずギャグを挟んでくる。受けるか滑るかはそれぞれだったが、皆独自の手法を凝らしているのが見て取れた。


 さて、新歓も折り返し時間となり、休憩を挟んで、今度は文化部の紹介が始まった。俺たちの出番は三番目、化学部の次だ。


「んじゃ、行くか」

「うん」

「拙者、推して参る!」

「ワハハ! 我輩の力を――」


 もう聞き飽きた。俺は先頭に立って、ステージ裏に回った。

 するとちょうど、『おお~!』というどよめきが新入生から沸き起こった。なにやら化学部が、派手なことでもやったらしい。


 とまあ、なんとか気を逸らしていたのだけれど、実際のところ、俺の緊張はマックスだった。合唱部の概要は、部長である幸之助が読んでくれるとして、問題はやはり演奏だ。完全にアカペラ。ピアノ伴奏なし。その方がカッコいいのは分かるが、もし音を外したら……。


 って、何を考えているんだ、俺は。心配するのは蓮の領分ではなかったか。

 ふと横を見ると、蓮は『人』という字を掌に書いて飲み込む、というおまじないを行っていた。

 俺は軽く蓮の肩を小突き、アイコンタクトで『気楽にやれよ』とメッセージを送った。頷き返した蓮の顔は、少しばかり晴れたようだ。


《さあ、次は合唱部の部活動紹介です! それでは、合唱部の皆さん、よろしくお願いします!》


 俺は、ふうーーーっ、と息をついて、蓮、哲司に続いて壇上に出た。

 眩しいな。それに暑い。この感覚は、照明に晒された者にしか分からないだろう。やはり、ステージに上がって歌うというのは、希少な体験なのだと思い知らされる。

 そんな感慨を押し流すように、幸之助による部活動紹介が始まった。


「新入生諸君! 入学おめでとう! ご覧の通り、我ら合唱部は、今はたったの四人で活動しておる! 四人で四パート、つまり一人一パートを担当する、部活動としては極めて小規模な団体だ。だが、それはこの部の無力さを意味するのか? 否ッ!」


 あちゃあ。やはり幸之助に任せるとこうなってしまうか。僕は眉間に手を遣りたいのをなんとか堪えて、正面を見続けた。


「我々は自らの責任と創作意欲の基、日々研鑽に励んでおる! 歌唱という自己表現は素晴らしい! それを今、諸君らにご覧入れよう!」


 俺は視界の端で、壇上のピアノの一音を叩く蓮の姿を確認した。ハミングで、四人が四人、同じ音を取る。視界の反対側では、幸之助が手で指揮を執っていた。

 始まった。一、二、三、四!


 俺たち四人の声が、体育館を隅から隅まで震わせた。始めは皆、同じ音程で歌い、第二フレーズから一気にハモリが広がる。主旋律、すなわち一般の生徒が覚える部分は蓮が担当。それを追うように哲司のセカンドが波打ち、幸之助のバスが見事にメロディー全体を支える。

 俺、すなわちバリトンは、上のテノール二パートとバスを上手く溶け合わせる役目を果たす。いや、『上手く』かどうかは分からない。とにかく、できる範囲で、やれるだけのことをやる。それだけだ。


 校歌は順調にその調べを歩み、ついに最終フレーズへ。問題は、そこで起こった。

 蓮の息が切れたのだ。

 確かにこのフレーズは、高音が長く続くから、歌うのが大変だというのは分かる。元々、大人数で歌うことを想定して書かれた曲なのだから仕方がない。

 だが、その『仕方がない』が通用しないのが、この『一人一パート制』の恐ろしいところだ。ブレスだ、蓮。息を吸ってくれ。


 その思念が通じ合ったのか、蓮はやや早めに高音の連続フレーズを切り上げ、大きくブレスした。その間、主旋律が消えてしまったわけだが、これはセカンドの哲司がカバーした。幸之助のバスも盛り上がりを見せ、なんとかその場を乗り切る。

 俺は不可解な音階(一年間歌ってきて言うのもなんだが)を必死に脳内再生し、ブレスの位置を思い出しながら、なんとか皆に合わせていく。いや、喰らいついていく、と言った方が正しいか。


 最後のフェルマータ、すなわち『適度に伸ばす』という楽譜上の指示に従い、俺たちは目だけで幸之助を見た。彼の右手が、そっと頭上に掲げられ、見えないロープを掴むかのようにぐっと握りしめられる。演奏終了だ。


 俺ははっとして、視線を落として新入生たちの方を見た。皆、拍手喝采をくれている。よかった。作戦成功だ。といっても、歌い慣れた曲を歌うべき筋に従って歌っただけだが。


 すると、幸之助が、ステージ袖で待機していた係の生徒からマイクを受け取り、補足説明を始めた。


「我が軍勢は、今やたったの四人。しかし新入生諸君、何も恐れることはない! 諸君らの入部とその汗、涙、血肉を以て、我らは見事、県大会を突破し、地方大会に臨むであろう! さあ、この新歓が終わり次第、皆揃って我が居城に――」


 げっ。幸之助の中二病が遺憾なく発揮されている。これでは、新入生はドン引きだ。やむを得ない。

 俺は幸之助の頭頂部を引っ叩き、横からマイクをぶん取った。


「え、えーっと皆さん! 変な人もいますが、我々は由緒正しき合唱部です! 今は女声がいないので、歌える曲は限られていますが、いつでも皆さんの入部を心待ちにしています!」


『それでは、合唱部の発表を終わります』と、言おうとした、まさにその時だった。


「はい! はい! はーい!」


 新入生の中から、声が上がった。見れば、ちょうど中央に座っていた女子が一人、立ち上がって挙手していた。


「私、感動しました! 一緒に歌わせてください!」

「え?」


 俺の間抜けな声は、マイクに拾われて体育館中に響いてしまった。しかし、それは些末なことだった。


 問題その一。突如として現れた入部希望者に、壇上からどう接すればいいのか分からない。

 問題その二。その女子の声は透き通り、しかし芯が強くて、マイクなしでも十分響いている。これほどの逸材が、新入生に混じっていたとは。

 問題その三。その子、めっちゃ可愛い。


 一瞬呆気に取られた俺たちだったが、真っ先に再起動を果たしたのは幸之助だった。


「うら若き乙女よ、汝は我らが合唱部に入部すると誓うか?」

「誓います! 永遠の愛と一緒に!」


 なんだなんだ、なんなんだこの遣り取りは? 意味不明にもほどがある。いつからここは結婚式場になった? そして、いつから幸之助は立派な神父になった?


「よっしゃあああああああ!」


 と声を張り上げたのは哲司だ。いつもの侍風情はどこに行った? っていうか馬鹿野郎、ここはステージ上だぞ。

 だが、そんなツッコミを入れられるはずもなく、俺は『と、とにかく発表は終わりです!』だかなんだか言って、頭を下げながらステージを去るしかなかった。


         ※


「すごい! すごかったですよ、先輩たちの演奏!」

「当然であろう、我輩が仕切っておるのだからな!」


 得意気な幸之助に呆れながら、俺は件の女子生徒との会話に入るタイミングを計っていた。今は新歓が終わったばかりで、その熱の冷めやらぬ空気が漂っている。というか、その女子が凄まじい勢いで喋りまくっている。場所はいつもの会議室だ。


「男声合唱、ですよね! あんなにカッコいいなんて思ってなくって、でも、先輩たちは一人一パートで歌っちゃうんだから、やっぱり凄いっていうかなんていうか、私もあんな風に歌ってみたいです! 是非いろいろと教えてください!」

「あー、失敬。それは全然問題ないし、入部してくれたら俺たちも嬉しんだが……。まだ俺たち、君の名前も知らないんだよね」

「え? あ、ごめんなさい! 自己紹介が遅れました!」


 女子生徒は、ぴょこんとパイプ椅子から下りてスカートの両裾を掴み、いかにもお嬢様というポーズを決めてこう言った。


「一年三組、桜野凛子です! 合唱は未経験ですけど、今日やっと合唱愛に目覚めました! どうぞよろしくお願いします!」


 ふむ。やっぱりいい声してるなあ。アニメの声優や舞台女優なんかでも通用するかもしれない。そんな彼女がこの合唱部を選んでくれた。どうやら合唱の神様は、俺たちを見放してはいなかったらしい。


 凛子は随分と小柄だった。身長は百四十センチあるかないか、といったところだろうか。スリーサイズは……って何を考えているんだ、俺は。ただ、一番特徴的なのは、他でもない瞳だった。

 小動物のような、などという慣用句じみた比喩表現があるが、まさにその通りとしか言いようがない。小さめの鼻と口が、余計に瞳の美しさを引き立てるのに一役買っているのかもしれない。


 そんな凛子は、『さあさあ、召し上がるがよろしい!』と哲司に促され、市販のクッキーをもぐもぐ頬張っていた。ううむ、甘いものを見ると吐き気が……。昨日のジャンボパフェの呪いは、未だに俺にまとわりついて離れない。


 凛子がクッキーを飲み込むのを待って、俺は少しばかり質問してみることにした。

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