第4話

 一週間後、四月上旬。光方高校の入学式が、厳かに執り行われた。

 創立百二十年とあって、去年の俺たちの入学式とは一味違う。体育館にはレッドカーペットが敷かれ、地元の有力者や地方議員が十名近く列席。去年の倍はいたのではなかろうか。


 さて、どうして俺、というか俺たち合唱部員四人が入学式に出席しているのか。その理由は単純で、明日の午後の新入生歓迎会のイメージを掴むためだ。それと、他の部よりも一足早く、正門前で勧誘を仕掛ける狙いもある。

 これらの機会が俺たちにもたらされたのは、大石先生の尽力によるところが大きい。いざという時には、きちんと仕事をしてくれる頼れる顧問なのだ。職員室でどんな遣り取りがあったかは知らないが。


 お偉いさん方の祝辞が終わったのを見計らい、体育館を出た俺たちは、昇降口の先、正門前でスタンバイした。

 風はなく、雲の流れも穏やかだ。実に春らしい日和である。


「予報通り、晴れ晴れしい天気でござるな!」

「我輩の祈念が天の神を突き動かしたのだ! 魔王たる者、この程度できなければな!」

「流石、倉敷幸之助殿!」

「我らの尽力が認められたのだ、盟友、二宮哲司よ!」


 中二病二人の馬鹿馬鹿しい馴れ合いから目を逸らす。しかし、その先の視界に入ってきたのはより『悲惨な』光景だった。


「あー、蓮?」

「……」

「だ、大丈夫か?」

「やあ、啓介くん」


 蓮は薄い笑みを浮かべ、全身脱力状態で答えた。無理もない、よりにもよって、彼がコスプレ役に当たってしまったのだから。


 昨日、俺たちは再びコスプレ用の着ぐるみ屋を訪ねた。とにかく分かりやすく、強いインパクトを求めて。

 どの着ぐるみにするか、決めるところまではよかった。俺も賛成できる着ぐるみだった。問題は、それが長身者向けだったということだ。俺や哲司、幸之助による着用は困難。着られるのは、高峰蓮ただ一人だった。


「しっかし、これは……」


 いざ誰かが着用しているのを見てしまうと、昨日の自分たちの判断が正しかったのか、いささか疑わしくなってくる。

 その着ぐるみは、緑一色で人間大の、クッション素材の八分音符(♪)だった。音符というより、枝豆みたいだ。


 いや、それよりも。

 着ているのが蓮だということの方が問題だった。俺や哲司、幸之助は、皆ビラの束を持って、正門の両脇に二人一組で待機している。蓮は僕の横に立ち、適当に声を張り上げていてもらえばいい。

 まあ、それができれば誰も苦労はしないのだけれど。


 それから数分のうちに、体育館の方がざわめき始めた。入学式が終わったのだ。間もなくホームルームが開かれ、終了し、ここに新入生たちが殺到することになる。


「来るぞ! 皆の者、鬨の声を上げい!」

「おう! 拙者も加勢致すぞ! 啓介殿、蓮殿、準備はよかろうな!」

「あー、俺はいいんだけど」

「……」


 俺は『こいつはマズい』というメッセージを込めて視線を動かしたが、正門反対側の二人は、


「おお! 蓮殿もやる気満々でござるな!」

「流石我が臣下だ、高峰蓮! その姿、とくと新入生に見せつけるがよい!」

「どうすりゃそんな楽観視ができるんだよ!?」


 俺がツッコミを入れていると、校舎側で動きがあった。新入生の帰宅大移動が始まったのだ。紺色ブレザーの波が、どっと押し寄せてくる。


「大丈夫か、蓮!」

「……」

「蓮?」


 俺が首を傾げると、蓮は


「やっぱり僕には無理だ!」


 と叫んで振り返り、駆け出そうとした。が、すんでのところで、俺は彼の腕を引き留めた。

 俺は目力だけで『諦めろ』と告げ、ゆっくりと首を左右に振ってみせる。徐々に涙目になっていく蓮。


 しかし、それ以上に予想外の出来事が、ちょうど俺たちの反対側、哲司と幸之助のいる方で起こっていた。


「吹奏楽部でーす! 初心者も大歓迎! 明日の部活動見学、是非来てくださーい!」

「んなっ!?」

「敵襲でござるか!?」


 大仰なリアクションを取る中二病二人。確かに俺も驚きはしたのだけれど。

 そうだ。大石先生は合唱部だけでなく、吹奏楽部の顧問でもあるのだ。俺たちのことばかりを優遇するわけにはいかなかったのだろう。


 吹奏楽部、略称・吹部の面々は、哲司と幸之助のいる方にだけ展開していた。しかし、その人数規模は俺たちの比ではない。少なくとも十名が、プリントの束を手に、合唱部よりも正門近くに陣取っている。

 完全に呑まれたな、俺たち。


 しかし、こういう事態に備えて、こちらには切り札がある。コスプレだ! 着ぐるみの音符くんで勝負だ!

 と、言いたいのは山々だったが、今や蓮は完全に精神的に没していた。着ぐるみ、意味ねえじゃん。


 などなど思っている間に、新入生たちが正門前からどやどやと歩み出てきた。

 まだ固定された友達はおらず、それでも互いに交流を図ろうとしている。そんな初々しい雰囲気が漂っている。

 そういう心の隙間を埋める形で彼らに訪れるのが、部活動勧誘というものだろう。生憎、合唱部の存在感は希薄だが。


 しかし、新入生の全員が全員、俺たちの存在に気づかなかったわけではない。


「あ! 魔王みたいな人がいる! コスプレかなあ?」

「ちょんまげの人もいるよ! 何部だろう?」


 お、意外と向こうは頑張っているな。まあこれは、努力の賜物というより、恥じらいのなさの産物だが。


「フハハハ! 我らは光方高校合唱部! さあ我が人民よ、この告知を受け取るがいい!」

「紙はいくらでも献上致す! さあさあ若き御仁よ、拙者らと共に青春を謳歌せぬか?」


 それはいいのだけれど、問題はこっちである。


「あー、蓮? そろそろ立ち上がってもらいたいんだが」

「……」

「立っていようがしゃがんでいようが、お前が目立つのはもう避けられないぞ? その格好では」

「……」


 その時だった。


「あのー、吹奏楽部ですか?」

「え? ああいえ、俺たちは合唱部です。よかったら、このチラシを」

「ありがとうございまーす」


 一応、この場に存在は認められているようだ。が、吹部に勘違いされたのでは、コスプレの意味がない。生憎、吹部にとっても、音符はトレードマークのようなものなのだ。俺たちが吹部と混同されても仕方がない。

 これでは、勢いで負ける。仕方ない、俺が一肌脱ぐか。


「蓮、聞いてくれ」


 俺が肩に手を載せると、蓮はゆっくりと顔を上げた。


「これが終わったら、駅前のデパ地下でジャンボパフェをおごってやる。お前は立ってるだけでいい。なんとか頑張ってくれ」

「ほ、本当かい、啓介くん?」

「ああ」


 俺は自分の懐具合を思い返してみた。ううむ、これは後ほど、哲司と幸之助にも助力を請わねばなるまい。

 しかし、その甲斐あってか、蓮はのっそりと立ち上がった。甘いものに目がない、っていうのも、こいつの意外なところだよな。


 が、周囲の目は厳しかった。


「ねえ、あの緑の着ぐるみは何部かなあ?」

「音符? 吹奏楽部かな」

「そうか、合唱部がコスプレしてるから、対抗してるんだね!」


 ちっがーーーーーーーう!! と、叫びたくなる気持ちを押さえ込み、代わりに『合唱部でーす!』と声を張り上げる俺。


「ほら、蓮! シャキッとしてくれ! チラシは俺が配るから!」

「シャキッと、ってどんな風に?」

「うーん……踊れるか、その格好で?」


 蓮が幼い頃にダンスを習っていたことを、僕は思い出していた。

 次の瞬間、俺は確かに見た。蓮の眼鏡がギラン、と光ったのを。


「任せてくれ」


 そう呟くや否や、蓮は『いやっほう!』と奇声を上げながら、新入生たちの前に文字通り踊り出た。


 突然視界で発生した珍事に、新入生のみならず、皆の視線が蓮に集まる。すると蓮は、器用に人の隙間を縫いながら、ムーンウォークを開始した。


「えっ、なになに!?」

「演劇部、いや、ダンス部かな?」


 おっと、これだけではまだ不十分だ。俺たちが合唱部であることをアピールせねば。


「私たちは光方高校合唱部でーす! 歌はもちろん、ダンスもゲームもプロ並みでーす! 新入生の皆さん、どうかご贔屓に!」


 歌って踊れる。まあ、実際ダンスができるのは蓮だけなのだが、それでも構わない。

『流行りの女声歌手ユニットっぽいことができる』――そう思わせることこそが、俺の狙いだった。ダンスに男も女も関係ないような気もするが。


 すると、蓮に触発されたのか、正門の反対側に陣取った二人もダンス、というより奇妙な所作を繰り出した。

 哲司は思いっきりドジョウ掬いをしているし、幸之助は空手の型の演舞らしきことをやっている。


「さあ! 歌って踊れる合唱部! 皆さん、一緒に楽しんでいきましょー!」


 俺は声を張り上げることで、人前で突然踊りだすという、奇怪極まる挙動に巻き込まれるのを回避した。

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