第3話

「何かヒント、転がってねえかなあ」


 俺はぼそりと呟いた。光方高校を囲むように広がった、若者向けの商店街。電車やバス、新幹線とのアクセスもよく、休日であるこの日も華やかに賑わっていた。

 振り返れば、緩やかな坂があって、その上に光方高校の校舎が鎮座している。歴史ある高校だけあって、この商店街は、どこか城下町のような風情もある。


「新入生を勧誘するためのヒントかい、啓介くん?」


 俺の呟きを拾ってくれた蓮に、俺は『まあな』と短く答えた。

 視線をあちこちに遣ってみるものの、ぱっとしたものは目につかない。先行する哲司と幸之助は、早くもゲーセンに気を取られつつある。俺は今日数度目かのため息をつきながら、二人の肩にぐいっと腕を回した。


「別に約束してたわけじゃないっすけど、今日は元々、女子部員を勧誘するための作戦会議だったんすよ? 哲司も先輩も、ちょっとはアイディア出してくださいよ!」

「拙者、未だ拙き者故、名案が浮かばず候」

「啓介よ、我輩は魔王であるからして、そのような些事は臣下に任せておる」


 人様を部下扱いか。いや、それよりも。


「先輩がきっかけでしたよねえ、今日の会議って?」

「我が名は魔王・倉敷幸之助である。先輩などという名の者は知らぬ」


 まったく、これでは話にならん。こいつにデコピンの一つでも喰らわせたいと思いながらも、相手は先輩だからと自分を宥める。

 しかし、そんな僕の気を逸らしてくれたのは、幸之助に同調していた哲司だった。


「啓介殿! 面白い店がございますぞ!」


 いや、面白いのはお前のちょんまげだ。そう胸中でツッコミつつ、俺もその店の看板を見た。


「コスプレ?」

「うむ」


 外観を見ただけだが、確かに注目に値するとは思った。いいところに目をつけてくれたじゃないか、哲司。自分が半ばコスプレで生活しているだけのことはある。

 僕は哲司に追いついて、一緒に看板を見た。


「ほう、レンタルもやってるのか。一日二千円……」


 入学式当日のビラ配りの日に借りることを考えれば、俺たち四人で二千円を負担するから、一人あたりの負担は五百円。これならいける。


「蓮、来てくれ! ちょっとこの店、見てみようぜ」


 小走りで向かってくる蓮。だが、幸之助は一人でゲーセンに突入しようとしている。ああ、彼も半ばコスプレイヤーだな。って、そうじゃなくて。


「ちょっと先輩! 来てくださいよ! ゲームは部室で散々やったでしょ?」

「おう! それもそうだな! で、今度は何だ? RPGか?」


 ううむ、結局ゲーム脳なのか、この人は。まあ、丸一年の付き合いがあるのだから、察していてもよかったのだろうが。蓮に続いて駆け寄ってきた幸之助に、俺は腕を組んでみせた。デコピンできなければ、言葉で諭さねばなるまい。


「あのですね、幸之助先輩。俺たちは女子部員の勧誘を目的に今日集まったんですよ? 名案が思い浮かばなかったとはいえ、まだ日は長いんです。せめてヒントに首を突っ込むくらいのガッツは見せてくださいよ!」


 右足のつま先で、パタパタとアスファルトを打つ。イラついている時の俺の癖だ。


「分かった分かった! 我輩も最善を尽くそうぞ。して、何を見ればいいのだ?」


 俺は少し身を引いて、コスプレ衣裳店の入り口を顎でしゃくってみせた。


「おお! これは上等な着物が揃っておるではないか! 我輩も、このマントの色違いを求めておったのだ。イメチェンというものをしてみたくてな!」

「せ、拙者は新しい脚絆を所望致すところでござる! さあ先輩閣下、早速店の主人と交渉を!」

「すとおーーーーーーーっぷ!」


 俺は哲司と幸之助の間に入り、両腕を突っ張った。


「まったくあんたらは! 今日は自分のための買い物をするんじゃないの! 女子を誘うのにいい服を探しに来たんでしょうが!」

「ちょ、啓介くん!」

「何だよ、蓮!」


 突然腕を引かれた俺は、蓮を怒鳴りつけてから、やっと周囲を見渡した。

 道行く人々が俺たちを、否、俺をじっと見つめている。それも、白い目で。


「今の台詞はマズかったよ!」

「ど、どういう意味だ?」


 と言いながら、俺は今の自分の台詞を小声で反芻した。


「女子を誘うのにいい服を探しに来た」


 っておい、待て待て待て。これって、


「俺がナンパの首謀者みたいじゃねえかあ!?」

「いや、そうとしか見えぬでござるよ、啓介殿」

「我輩も同意見だ」


 両側から、冷たいため息をつかれる俺。きっと、今の俺を傍から見たら、顔から血の気が引いていくのがありありと見えたことだろう。

 おまけに、その服探しを宣言したのがコスプレ店の真ん前とは。俺の人間性が疑われかねない事態である。


「なっ、何が混声合唱だあああああああ!!」


 俺はそう叫びながら、三人を残して緩やかな坂をダッシュで下り、そのまま自宅へと飛び込んだ。


         ※


「ぶわはあ!」


 俺は靴を脱ぐのも忘れて、玄関のフローリングに倒れ込んだ。致命的な心的損傷を負った俺。部員たちにフォローしてもらえなかった以上、頼りになるのは家族だ。

 しかし、うつ伏せに倒れ込んだ僕の頭上からかけられたのは、


「あんた、何やってんの?」


 という、すっとぼけた一言だった。

 俺はがばりと顔を上げ、声の主である母を睨みつけた。涙目で。


「何やってんの? って、それはねえよ、お袋!」

「口が悪いわよ、あんた! 母親を『お袋』なんて言うもんじゃありません!」

「あーもう!」


 俺は頭をガシガシと掻きながら、『とにかく母さん!』と仕切り直した。両腕に洗濯ものを担いだお袋は、じっと俺を見下ろしている。


「俺たちの合唱部、こんなんじゃ今年中に廃部だよ! 皆、やる気があるのかないのかサッパリ分かんねえ! 俺は一人で勝手に変人扱いされるし!」

「え? あんた、自覚なかったの?」


 俺は再び、鼻先からフローリングに倒れ込んだ。


「あ、あんた、息子に容赦ないんだな……」


 するとお袋は悪戯っぽく笑って、


「長期出張中の父さんのぶんも、あんたを応援してあげないとね」

「応援になってねえ!」


 と、俺の神経を逆撫でした。

 しかし『ああ、でも』と呟きながら、お袋はさっとしゃがみ込んで俺と視線を合わせた。


「合唱部が廃部、って話、お婆ちゃんの前ではしないでね。あんたたちの活躍、とっても楽しみにしてるんだから」

「へ?」


 何の話だ、突然?


「どういうことだ、おふ……いや、母さん?」

「あれ? あんた知らなかったっけ?」

「何を?」


 するとお袋は、ふふん、と鼻を鳴らして、


「今度お婆ちゃんに訊いてみなさいな」


 それだけ言うと、俺が立ち上がるのも待たずに、お袋は颯爽と風呂場の方へと歩み去った。

 

「どういう意味だ……?」


 俺は首を捻りながらも、ひとまず階段を上って自室に戻り、制服からホームウェアに着替えた。ふと外を見ると、庭先の梅の花が見頃を迎えていた。時間の流れの速さを感じ、ほう、っと小さく息をつく。

 我ながら俺らしくないなあ、と思いつつ、俺は振り返り部屋を出た。


「あ、そうだ、婆ちゃんの話だっけ」


 リビングで昨日録画したアニメを観ようと考えていた俺は、階段を下りてから逆方向へ。この一軒家のやや奥、キッチンを通り抜けた先に、婆ちゃんの部屋はある。

 誰が訪れても、この部屋ばかりは間違わないだろう。唯一の和室だからだ。襖で廊下と仕切られている。


「ただいま、婆ちゃん」


 すると、襖の向こうで誰かが身じろぎする気配がした。


「おかえり」


 その言葉を待って、俺は襖を開けた。

 婆ちゃんは部屋の奥、仏壇の前に座っていた。五年前に亡くなった、爺ちゃんの位牌が置かれている。婆ちゃんは座ったまま振り返り、改めて『おかえり、啓ちゃん』と一言。


「婆ちゃん、流石に『啓ちゃん』はやめてくれよ。なんか、恥ずかしいし」

「いやいや、いくつになっても孫は可愛いもんじゃよ、啓ちゃん。お前もわしの歳になったら分かるんじゃないかのう」


 それは無理な相談だ。少なくとも『今すぐ理解しろ』というのは厳しい話である。

 そんな俺の戸惑いなどどこ吹く風で、婆ちゃんは丸眼鏡の向こうでにっこりと微笑んで見せた。

 首の後ろにひっ詰めた髪に、緩やかに曲がった背筋。それに、部屋の中央にはミカンの入ったカゴ、そしてコタツ。いかにも、一昔前のお婆ちゃん像の具現化である。


 それからしばし、この穏やかな空気に乗せられ、俺はぼんやりと立ち尽くした。


「まあまあ、話し相手になっておくれ、啓ちゃん」

「あ、ああ」


 俺は後ろ手で襖を閉じ、歩み入った。テレビはお昼のバラエティー番組を放送している。

 コタツに足を突っ込み、婆ちゃんと一緒にテレビを観る。ああ、もうすぐ時代劇の時間だな。チャンネルを合わせてあげなければ。


 俺がリモコンをいじりだすと、唐突に婆ちゃんが口を開いた。


「啓ちゃん、合唱は辞めてしまうのかえ?」

「え?」


 驚いた。何故そんな察しがついたのだろう。まさか、玄関でのお袋との会話が聞こえていたのか?


「い、いや、そんなことはないよ、婆ちゃん」


 あわてて否定する俺。この気持ちは嘘ではない。すると、それに関しても察したのか、婆ちゃんは『そうか、そうか』と言って、じっと俺を見つめた。安心してもらえたのならいいのだが。


 やっぱり、部員は増やさなければなあ。そんな当たり前のことを、俺はぼんやり考えた。

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