第2話【第一章】
「ふわあ……」
俺、吉山啓介は、思いっきり大きな欠伸をした。
春休み終盤の、光方高校の廊下。その一角を、俺はポケットに両手を突っ込んで歩いていた。柔らかな朝日が、廊下に沿った窓から差し込んでくる。
長期休暇中で課外授業も終わり、行き交う生徒の数は少ない。進学校とはいえこの時期に、しかも管理棟を歩いている生徒など皆無と言ってもいいくらいだ。あたりを憚ることなく、俺は後頭部をガシガシと掻いた。あ、寝癖が立ってる。ま、いいや。
俺は階段を上り切り、次々に湧いてくる欠伸もそのままに、スマホをチェックした。
「明日の午前八時、件のアジトに参上されたし、か」
ううむ。自分が書いた文章ではないとはいえ、口にするだけで恥ずかしくなってくる。もうじき高校二年生になろうというのに、中二病もいいところである。
送ってきたのは、俺と同じく新二年生となる人物だ。彼の姿を想像し、俺は大きなため息をつく。アイツ、今年も『あの髪型』で生きていくつもりだろうか。
などと考えているうちに、俺は目的の『アジト』前に到着した。なんのことはない、ただの会議室だ。
「お疲れーっす」
と言いながらドアをスライドさせる。そして俺は、一瞬で異世界へと引きずり込まれた。
そこでは、魔王と剣士が壮絶な戦いを繰り広げていたのだ――テレビ画面の向こう側で。
コの字型に配された長テーブルの黒板側に、薄型テレビが置かれている。その手前にゲーム機があり、ワイヤレスのコントローラーを二人の男子生徒が握っていた。彼らの得物は剣でも魔法でもなく、そのコントローラーなのだ。入室してきた俺の方には目もくれない。
会議室を見渡すと、もう一人の人物がいた。コントローラーを手離し、ぼんやりとテレビ画面に見入っている。ああ、やっぱり彼、高峰蓮が最初の脱落者か。
すらっとした長身痩躯で、フレームのない眼鏡が良く似合う理知的な人物。だが、残念ながら気が弱い。ゲーム内とはいえ、相手を殴る気にはなれなかったのだろう。
まったく、蓮のことも気にかけてやれよ。その言葉を飲み込んで、俺は一対一の勝負にもつれ込んだ二人を見遣る。
俺から見て、奥にいるのが二宮哲司。パイプ椅子の上で正座をし、侍のような剣使いのキャラクターで戦っている。
「うむ! 拙者の剣戟をこうも防ぎきるとは! 流石でござるな!」
だが、彼の最も分かりやすい特徴は、この時代劇じみた台詞回しではない。髪の毛までも、それこそ時代劇の侍のようにちょんまげにしているのだ。傍から見ているだけでも、目が眩むほどのなりきりっぷりである。これで、僕や蓮と同じ新二年生だというのだから、救いようがない。
僕が手を眉間に遣っていると、今度は手前に座した男子がドスの効いた声を上げた。
「では今度は、我輩の方から参るとしよう。我が鉄拳、とくと味わうがいい!」
その言葉と共に、魔王じみたキャラが侍キャラに接敵、腹部に正拳突きを喰らわせた。
「ふはははっ! 見たか、我が必殺拳を!」
と、騒ぎ立てているのが、倉敷幸之助。新三年生である。彼もまた、立派な中二病だ。どこから拾ってきたのか、肩からマントを羽織っている。
勉強が大変になってくる時期であろうに、こんな調子で大丈夫なのだろうか? 精神年齢的な意味も含めて。
僕はため息をつきながら、テーブルを回り込んで蓮の肩を叩いた。
「よう、蓮」
「あ、おはよう、啓介くん」
さっと眼鏡の位置を直しながら、こちらに向き直る蓮。
「いい加減、お互い呼び捨てでいこうぜ。これでも丸一年の付き合いだぞ?」
「うーん、僕が呼び捨てにされるのは構わないんだけど、その逆はちょっとね……」
真面目というか神経質というか。礼儀正しいのは結構だが、やはり気が弱いことは認めざるを得ない。
「で、二人は相変わらずだな」
「そうだね……」
速攻で脱落させられたのであろう蓮は、ぼんやりと呟いた。その直後、管理棟全体を震わせるような勝鬨が上がった。
「よおし! 我輩の勝利だ! これで臣下の者共は、我輩の威光に改めてひれ伏すであろう!」
「うむ、幸之助殿、実に見事な拳でこざった。拙者も感服致したぞ!」
バシン! といい音を立てて、互いの手を握り合う哲司と幸之助。学年の違いを意識せず、実力を認め合っている。
仲がいいのは結構だが、しかし、自分たちが集合した目的を忘れてもらっては困る。
「あー、いいっすか、お二人さん? まさか格ゲーの観戦に俺や蓮を誘ったわけじゃないんでしょうね?」
すると、哲司と幸之助は同時に振り返った。
「おお、啓介殿! いつの間に!?」
「むむっ! 一体どうやって我輩の居城に入室したのだ!? 抜け目ない奴め!」
「拙者というものがありながら、貴殿の進入を察することができなかったとは!」
「あーったくもう!」
俺は髪を掻きむしりながら、ズカズカとゲーム機本体に近づき、スイッチを切った。
「ああ!? せっかく我輩の勝ち越しがかかっておったのに!」
「啓介殿! 他人の決闘を妨げるとは何事か! おぬしも武人の端くれであろうが!」
「武人じゃねえよ! こちとら眠い目を擦りながら、やっとこさ着いたんだぞ! それなのに何なんだ、この緩み切った雰囲気は!」
いや、厳密には緩んではいない。凄まじい激闘が繰り広げられていたのだから。
しかし、俺たちは格ゲー部ではない。合唱部だ。部の活動方針やら何やらを話し合うために、招集されたのではなかったか。
「ほら哲司! コントローラー片づけろ! 幸之助先輩も!」
渋々といった様子で、ゲーム機を片付ける二人。
「ったく、蓮からも何か言ってやれよ!」
「えっ? いや、僕は……」
「たまにはお前からも頼むぜ、蓮! でないとこの二人のゲーム癖は治らねえぞ!」
「でも僕、一番最初に負けちゃったし」
俺はその場で転倒しかけた。そんな理由で、注意を遠慮することもなかろうに。っていうか、お前もホイホイ参加するなよ。
などなど胸中で呟いている間に、ゲーム機材の撤収は完了。廊下側に哲司と幸之助、窓側に僕と蓮が腰を下ろした。
「して、我輩に何用か?」
「あんたがLINE回してきたんだろうが! 八時に集合、っていう以外は何も書いてありませんでしたよ!」
「おお! 失念しとった」
あちゃあ、と目に手を当て、天井を仰ぐ幸之助。長身ではないが、がっしりとした体格と太い眉毛は、いかにもバスらしい雰囲気だ。
「ふむ! 拙者にもお教え願いたいですな、幸之助殿!」
そう言ったのは、案の定哲司である。彼は俺と同じく中肉中背で、まあ黙っていれば普通の人間に見えるだろう。あ、ちょんまげがあるから駄目か。
「あ、その話し合いの前に。パートは去年と同じでいいんすか?」
「問題なかろう、我輩の差配だ」
正直、カチンと来る言い草だったが、幸之助が唯一の三年生として、俺たちに適材適所なパート分けをしてくれたのは事実だ。具体的には、
〇トップテノール:高峰蓮
〇セカンドテノール:二宮哲司
〇バリトン:吉山啓介
〇バス:倉敷幸之助
といった具合だ。
俺たち四人は、辛うじてこの人数で活動してきた。まあ、合唱というよりは、ハモリを重視した歌唱サークルとでもいうべきなのだろうが。
当然、発表の場は限られている。たった四人では、特別枠を除いてコンクールに出場はできないし、定期演奏会の時だって、公民館どころか校舎内の教室の一角を借りるのがやっとだ。これは当然ながら、予算規模の縮小によるところが大きい。
「ううむ……」
「いかが致したでござるか、幸之助殿?」
腕組みをする幸之助に、哲司が尋ねる。すると、幸之助は突如、くわっ! と目を見開いてこう言った。
「女が足りん!」
俺は椅子からずり落ちそうになった。確かにその通りなのだが、その言い方はないだろう。『女が足りん!』って、せめて女声とか女子とかいうべきだ。これでは本当に、幸之助は女子供にすら容赦しない大魔王にでもなりそうな勢いである。
「た、確かに、女声がいないと、男声合唱しかできないから、定演の時に華がないように見えてしまうかもしれませんが」
お、久々に蓮が声を上げたな。もしかしたら、さっき俺が絡んだせいで、自分も喋らなければと思ったのかもしれない。結構だ。
「何か作戦はあるのでござるか、幸之助殿?」
幸之助に振り向きながら、哲司が尋ねる。
「ううむ、男衆だけで誘いをかけるのも、あまり効果的とは言えんだろうが……」
確かに、その通りだ。女子は男子よりも単独行動をしないからな。逆に、元々この部に一人でも女子がいてくれれば助かったのだが。
ふと顔を上げた時、俺は廊下に突っ立っている何者かと目が合った。
「うわ!」
「ど、どうしたの、啓介くん!?」
僕がなんとか後転せずに姿勢を保ったと同時、がらり、と黒板側のドアが開いて、げっそりとした顔の女性が入ってきた。
「み、皆、先生を忘れないで……」
そちら側に座っていた哲司と幸之助は、ぎょっとして跳び上がりかけた。
そこに立っていたのは、目の下に隈を作り、髪はぼさぼさで、だらん、と上半身を前のめりにしたゾンビを連想させる人物。顧問の大石綾子先生だった。
「ど、どしたんすか、先生?」
第一発見者である俺が声をかけると、先生は語りだした。
「昨日合コンがあったんだけど、誰も釣れなくて……」
ぐったりと生気のない声で語る先生。その目は完全に死んでいる。
まあ、顧問が女性の先生だと知れば、女子生徒の入部もハードルは低くなるだろう。が、こんな醜態を晒してしまっては逆効果だ。
よくよく鼻を利かせてみると、未だに酒臭いような気さえする。
「先生、しばらく禁酒で」
「うむ」
「左様でござる」
「ぼ、僕もそれがいいと思います……」
すると、先生はぐいっと上半身を持ち上げた。標準の女性陣よりはやや、いや、結構大きいのであろう胸が軽く揺れる。俺はすぐに目を逸らした。教育上よくないんじゃないのか、こういうの。
そんなことにはお構いなしに、先生は『皆の人でなし! 悪党! 馬鹿馬鹿馬鹿!』と叫んで、その胸を揺らしながら走り去っていった。
「では、本題に戻ろう」
と、幸之助が言ったところで、場が収まるはずもなく、俺たちは格ゲーをやり、昼食をファーストフード店で済ませることを考えながら、ふらふらと街の散策に出た。
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