第二節 執行開始2
一夜の手によって開かれるホールからオークション会場に続く大扉。その会場から漏れる光は、ホールの照明よりも明るく眩いものであった。
会場に足を踏み入れた一夜は、その会場内にいる人間の数の多さに、多少なり驚きつつも、この場にいる全員が処理の標的かと思うと、面倒なことになる予感がし、憂鬱になり溜息をこぼす。
「はぁ、こんな数ほんとに二人だけで殺れんのかよ」
そんな事をぼやきながら、一夜はロビーのフロントで手渡されたカードキーを見る。そのカードキーは、鍵としてだけでなくその客が着くべき席の案内表のような役割も果たせる様に、一つ一つに違う番号が振られている。一夜が持つカードキーには№97と表記されており、同じく97と表記された席が、一夜に用意された席である事を示している。
確か、アリスの話じゃここに潜り込むための準備を始めたのが約一か月前。てことは、単純に最初に席を取った奴から番号が振り分けられていると仮定した場合、一か月前で97なら今からこの場に集まるのはそれ以上って事になる。それに、客一人に対し一人以上護衛がついている事も考慮すると、処理すべき人数は二百人弱。
「マジで殺れるか?これ」
一夜は、手に持ったカードキーの番号を確かめながら自分が座るべき席を探す。しばらく会場内を歩き回ると90番台の席が並べられている列を見つける。90番から慎重に番号を確認しながら目的の席を探し出した一夜は、その席の後ろに立ち周りを見渡す。一夜の席である97番席は、会場後部に位置しており、後部に行くにつれ高い位置になる為、その席よりも前部であれば、全体を見渡せる様になっている。
そして、それぞれの席は5メートル程の間隔をあけて設置されている。
「客へのある程度の配慮、か。こっちとしては色々面倒だな」
標的同士の距離が離れていれば、最初に一夜が考えた小型の爆発物を用いた範囲処理で殺れる数もわずかの物になってしまう。それでは予想よりも倍近く多い約二百人を殺りきれない可能性が出てくる。
無論、一夜もそのことを考慮していなかったわけではない。
この地下オークション会場は、外部への連絡手段の途絶と音漏れを防ぐ為の設備が約1メートルある天井の隙間に設置されている。しかしその大部分はなにも設置されていない為、相当の空間がある。一夜はその空間に侵入するクレアに、自身が支給された破砕手榴弾を流用した手製の時限爆弾を或三か所に仕掛けさせた。
「それに、このテーブルの収納」
その手に持つカードキーを、テーブルに備え付けられている半透明の所謂鍵穴にはめる。すると、鍵が外れる様な機械音がなり、テーブルの引き出しが少し突き出す。一夜がその引き出しを開けると、中にはベレッタM92が入っていた。
「この銃の意味は、セルフで身を守れって事か」
会場の出入口は、前部に二か所後部に一か所の計三か所。一夜の席から一番近い出入口は会場後部中央に設置された出入口、仕事を始めた際にこの場所から逃げ出す者は誰一人として通れないだろう。
「おやおや、こういう場所に来るのは初めてですか?」
突如隣の席に座る者から、一夜は声を掛けられる。その声に反応し、一夜が顔を向けると一人の小太りの男が座っており、更にその男の後方には黒スーツに身を包んだ二人のガタイのいい男が立っていた。
「えぇ、まぁ。ですがどうしてその事が?」
「何簡単ですよ、こういう場所に始めてくる若造は大抵一人でしてねぇ。そういう奴は多少腕に覚えのある奴か、こんな場所では襲われないと思っているバカですから」
一夜には、この短い男との会話である程度目の前にいる相手の素性が理解できた。どういった方法で利益を得ているかは不明だが、少なくともこういったオークションにはなれた口調。それだけで相当闇深い人物であることを。
「あんたはまぁ、前者か。ですが、私もそれなりに戦える自信はありますが、こういう血なまぐさい事はその道の人間に任せる方が確実ですよ。どうです?うちの護衛を一人レンタルしてみては、このオークションの間だけ、百でお貸ししましょう」
「いいえ結構です。オークション資金を減らしたくありませんし、それにもうすぐ始まるみたいですから」
にやりと笑いながら言う一夜の言葉を聞いた男は、自身の右腕に巻いている腕時計に視線を向ける。その男の目に映った文字盤と針が差す時間は、19時55分。オークションの開催は20時ちょうどなのでまだ多少時間が余っている。しかし一夜は『もう始まる』と言っている。確かに5分程度であればもうすぐだと感じる者も多い、だが今回の場合は違う。
男が一夜の顔に再度視線を向けるのと同時に、会場内に爆発音が響く。
「な、一体何が!?」
男と護衛達が困惑した一瞬の隙を突いた一夜は、二人の護衛の首を懐から抜いたスイッチブレードで斬り飛ばす。その衝撃的な瞬間を目の当たりにした男は、先程まで多少なりに見下していた若造に殺されるかもしれないという恐怖に駆られる。だが、恐怖に支配された時点でもう手遅れ、返しに振り抜かれた刃が男の胸骨もろとも心臓と肺を切り裂く。
「すまんな、俺は購入者でもなければ出品者でもない。狩猟者なんだよ」
一夜がその三人を殺したことにより、周囲にいる者達は全員一夜に警戒を向ける。ある者は護衛対象の前で壁になる様に立ち、ある者は拳銃の銃口を一夜に向ける。しかし平然とした表情で一夜は自身を取り囲む者達を観察する。
そして、ある程度周りにいる人数と武装、その者達の強さを推し量った一夜は小声でつぶやく
「約二十人、一人頭三秒ってところか。それにどうせ出入口は瓦礫で塞がってる」
そう、先程の爆発は無論一夜とクレアの仕業である。一夜特性の破砕手榴弾を利用した時限爆弾を仕掛けていたのは、天井裏に空いた空間、その丁度出入口の真上に設置していた。そして爆発するタイミングはオークション開始の五分前。
それは、何の前触れもなく起こった。いいや正確には一夜だけは分かっていた、しかしそれ以外の人間には理解できなかった。それを目の当たりにした者達は、皆そろってこう思っただろう『なぜその距離を』と。そう思ってしまっても仕方ない、一夜の周りを囲んでいた者達と一夜本人の距離はおおよそ五メートル、だが一夜はその距離をほぼ一瞬で詰め入り、周りにいる者一人の腹をスイッチブレードで突き刺し、抉る。
一夜は、相手の腹に刺したブレードを右手で引き抜くと同時に、左手で懐のホルスターからコルト・ガバメントを抜き、向かい側にいる三人の眉間を撃ち抜く。その間わずか6秒程の出来事。
「まずは四人」
そんな一夜に後方から、一人の男がナイフで襲い掛かる。それと同時に、一夜に銃口を向けていた一人が、引き金を引く。甲高い銃声が鳴り響き、マズルフラッシュと共に銃口から放たれた銃弾は、一夜の額目掛けて飛翔する。
本来、銃撃は人間にとって回避不能の攻撃。それが不意なものであれば絶対不可避となる。しかし一夜は体を九十度回転させ、後ろに飛び回避する。一夜が躱した銃弾は、一夜の眼前を通り過ぎ、後ろからナイフを構え、襲い掛かって来ていた男の額を撃ち抜く。
「これで五人目」
「な!?クソッ!!」
男の引き金に掛けた指に再度力が籠められる。それを横目で確認した一夜は、左手に握っているガバメントの銃口をその男に向ける。男が引き金を引くのと同時に一夜も引き金を引く。
双方の銃から銃声が響き、銃弾が発射される。二発の銃弾は、それぞれが狙いを定めた物に向かって飛翔する。銃弾を撃ち放った双方が立つ中央付近で火花が散り、金属音が発せられる。
それを周りの人間が認識したのと同時に、一夜と男。銃を撃った者の左側に立っていた二人の胸と首をそれぞれの弾丸が撃ち抜く。
「残りは14人か」
一夜が10人を片付けた頃。クレアは自身が管轄とするオークション関係者の処理を終わらせ、オークション会場の舞台の脇から一夜の仕事を眺めていた。
「流石、OOシリーズに所属しているだけある。でも」
目を鋭くし一夜の動きを見定める舞台裏のクレア、そんなクレアの背後から近づいてくる者が一人、居た。
その者は、ゆっくりと音を立てずに近づいていく。その距離を5メートルから3メートル、1メートルと縮めていくがクレアは全く気が付かない。
瞬間、クレアは背筋が凍り付く様な寒気に襲われる。敵意と言うよりも殺気に近いその気配にクレアは自身の死を錯覚する。そんな恐怖にさらされたクレアは前方に飛びのきつつ、180度回転し、その殺気を放った者の存在を確認する。
「仕事の調子はどう?クレア」
クレアの瞳に映った者は、白い長髪に白い肌と茶色の瞳を持つ、自身よりも1~2歳程年上に見える少女、アリスだった。
「し、司令。どうしてここに、もしかして私達が失敗した時の保険ですか?」
「う~ん、別に私は貴方達の保険じゃないわよ。と言うか、私は一夜に回す仕事には保険役を用意してないのよ」
本来、一夜とクレアが受けた今回のような仕事は失敗や標的に逃げられた時の為に、保険役を用意するものなのだが、アリスはなぜか一夜の仕事にだけは保険役を付けない、その理由は。
「それよりもクレア、貴方の目から見た一夜はどうかしら?」
「確かに才能はあると思います。ですが、戦闘訓練を受けていないからか甘い部分はいくつかあります。例えば囲まれた時の最初の一撃、あれだけの速度を持っているにも関わらず、一人しか攻撃しなかった、横に薙ぎ払えば五人の首は飛ばせたのに」
「それは単純な事よ、貴方に実力を見せるように私が言ったから。ただ殺すだけなら、もう終わってる」
自分に才能を見せる為と聞いて、クレアは疑問に思った。今、目の前で次々と標的の命を刈り取っている死神は、その十分の一程しか標的が居ない自分よりも早く標的の処理を終わらせる事が出来る。そんな事信じられる訳も無い。だがクレアがそんな思考をしている間にも一夜は一人また一人と息の根を止めて行く。
処理した人数が二十人後半に差し掛かろうとした時、一夜は違和感を覚え始めていた。
「さっきからどれだけ殺っても人数が変わっている気がしない」
一夜がそう感じても仕方がない、殺した傍から別の人間が取り囲う壁に加わる。そのような事が繰り返されていれば、約二百人もいる会場内、数が減っていないと感じても何ら不思議はない。
「面倒だな。どうせあいつの方は終わってるだろうし、もういいか」
一夜がそう呟くと、その一夜の周りを囲んでいた約二十人の者達、その者達全ての首が宙を舞う。それは、護衛達と一夜との圧倒的な実力の差を示していた。しかし護衛達も金で雇われている身、どんなことがあっても引く事はない。しかし
「ち、畜生。俺はこんなところで死にたくないんだ」
護衛対象となる者達は別だ、金を払って他者の命を買う。そのような事をしている者達は基本的に自分本位な思考をしており、自分だけは助かりたいと思う。その為この場からも簡単に逃げ出す。
一夜は、自身が立つ段よりも上段の端に転がっているナイフの柄を蹴り上げる。男が逃げようと向かう先は舞台袖。一夜が蹴り上げたナイフは回転しながら元の場所付近目掛けて落下する。それを一夜は体を後部に捻りながら跳躍し、そのままナイフの柄の底を再度蹴り、標的の男めがけて飛ばす、回転はそのままに落下する方向が変わったナイフは、逃走を図った男の首に突き刺さる。その男はクレアとアリスが話をしている舞台裏から見える位置で倒れ込む。その後一夜はフラッシュキックで着地する。
「逃がす訳ないだろ。それと、そろそろ鬱陶しい」
着地と同時に、床を強く蹴り一直線に舞台まで駆け抜ける。立ったそれだけの事の様にアリスともう一人を除いた者達には見えていた。しかしそれを理解するのはそう遅い事では無かった。そう、自分自身の死を自覚するのは。
本来人間には不可能とも思える事の数々、なぜ一夜には可能なのか、その事を問うた者が、問える者がこの場に居た。
「お前、何者だ。さっきからポンポン魚の頭捌くみたいに人の頭斬りやがって」
そう、たった一人だけ唯一一夜の斬撃を防いだ人物。顔に幾つもの古傷を持つその男の眼光は、ただのボディーガードでは無い事を物語っていた。いかにも死線を潜り抜けた事のある、所謂実戦経験がある、そんな眼つきをしていた。
「別に、名乗るほどの者じゃないさ」
「あぁ~いや、名前を聞いたんじゃないんだ。その黒髪に赤い眼お前が『赤眼の死神』なんだろ?だからそう言う事じゃなくてだな。どうやって一瞬で百人近くの首を刎ねたのかと聞いてるんだ」
一夜も男の目を見て理解した。今目の前にいる者が、ただ者ではない事を
「答える義務はないだろ」
「そりゃそうだ、それじゃぁ」
男は言葉の途中に大太刀を抜き、縦に振りかぶり一夜に斬りかかる。それを一夜はスイッチブレードで受け止める。しかし一夜はその男が振るった刀の重みに片手では耐えられず、左手で握っているガバメントの銃底で峰を抑える。
「相当重いな、正直ちょっと驚いた」
「へぇ~、俺の一斬を避けるんじゃなくて受け止めるとは、俺も正直ちょっと驚いた」
一夜が弾き上げ、男は後ろに飛びのく。互いに使う得物の間合いは同等、今現在の戦闘スタイルの間合いもほぼ同じ、つまり間合いでの有利不利は殆ど無い。
しかしそうなれば力と技術比べになる。だが男は、速度ではなく技術を使った一夜の早業擬きの一撃を防いでいる。見切っているかどうかはともかく、技術面も互角となり単純な力比べになった場合、力強い一撃を放った相手に対し、技術で戦う一夜は少し分が悪い。その事はアリスも解っていた、でもそれと同時にそのハンデを補って余りある才能が有ることも。
「司令、彼少し不利じゃないですか?」
「どうしてそう思うの?」
「彼のスタイルはスピード特化。瞬時に間合いに入り、一撃で決めるタイプみたいですけど、あの相手にはその速度を見斬るだけの実力がある。それに明らかなパワー負け、これじゃ勝てる訳」
「半分正解半分不正解。パワー負けしてるのは正解、でも一夜はスピード特化じゃない。どちらかと言えば技巧派。とは言ってもその技も防がれたんじゃ意味はないけどね」
アリスによる一夜の解説を聞いたクレアの中に、二つの疑問が生じていた。技術メインならば、この場で三度にわたり見せた高速移動は何なのか、さらに一夜は指導を受けた期間は長くとも一か月弱、そのような短期間でどれ程の技術を蓄えたのか。
「それじゃぁどっちにしても勝てないじゃ」
「そうこのまま戦っても一夜が勝てる可能性は薄い。けど、一夜には秘策がある」
男は大太刀を横に振るう、その横薙ぎの斬撃を一夜は上体を逸らし回避、その後バク転をし、男に向き直る。この時点ですでに一夜も相手との力量差は理解していた。自分の技術が通用しない相手、そんな相手は存在しない等と思う程一夜は思いあがってはいない。現にアリスやオリヴィアには通用しないのだから。
だからこそ、そう言う相手には一夜の二の矢が突き刺さる。
「いい反応速度だな、俺と斬り合って十秒以上持つ奴はそう多くない」
「確かにそうかもな。あの重い一撃をかなりの速度で数撃たれたんじゃそこまで持つ奴はいないだろうな」
「だがお前はそんな俺の攻撃を上手く捌いてるじゃないか、こんな面白い戦いはいつぶりだろうか」
この一言で、一夜は相手が多少の戦闘狂である事を理解した。戦闘狂が苦手な一夜としては、こういった相手はアリスやオリヴィアに任せることが多く、自身は極力直接戦闘はしないようにしている。
「あんたみたいな相手はやりにくいったらありゃしない」
「へぇ、俺みたいなタイプは苦手か?まぁ安心しな、どっちにしてもお前は俺に勝てないからよ」
「うるせぇんだよ、お前。そろそろ静かにしろ」
『うるさい』この言葉が一夜の口から出たのは、何も御託を並べるなと言う意味ではなく、ただ単純に“うるさかった”のだ。しかし、相手の男は大声で喋っていた訳では無い。なら一夜にとって何がうるさかったのか、それについて、今は一夜にしか分からない。
「そもそもお前の目的は何なんだよ」
「俺の目的は、このオークションに関わった俺達以外の人間全員だ」
それを聞いた相手の男は、一夜との戦闘中自身が背後に庇っていた金持ちで小太りの男に視線を向け、口を開く。
「てことは、こいつも殺しの対象って事か?」
「おい、何無駄口叩いてんだ。さっさとそこの男を殺せ」
小太りの男は一夜を指さし、一夜と対立し自身の事を護衛している男に一夜を殺す様に命令を下す。しかし男は、虚空を見つめる様な目で小太りの男を見つめ続けるだけで、その命令には従わなかった。そして何を思ったのか、男は自身が右手で握っていた刀で、小太りの男の首を斬り飛ばした。
一夜の目の前で起きた不可解な現象。男の護衛対象である小太りの男を殺しただけでなく、その男の右腕が先程までとは異なり多少巨大化している事。
「な!?お前、何で自分の護衛対象の男を」
「あぁ、お前がこの男を殺すって言っただろ?だからさ・・・この男は人身売買、特に買う事にご執心でな、唯一俺の理解者だった恋人を辱めて、そのまま殺したんだ。その復讐の為にこいつに近づいたんだが、なかなか殺す機会が無かったんだが、あんたのおかげでいい機会になったよ。ありがとな」
標的からの感謝の言葉。一夜の場合は仕事の終わりにアリスから感謝の言葉をかけられる事はあれど、標的からかけられることは無かった。そもそも殺される者が、自分を殺す相手に感謝する事はほぼなく、殺す相手を恨む事はあっても、感謝する者がいないのは自明の理である。
「・・・・・それで、あんたは長年待ちに待った復讐を果たせた訳だが、この後どうするんだ?このまま俺に素直に殺されるのか?」
「そうだな、それもいいかもしれないな。だが!!俺はあいつの分まで生きてくれと、あいつの両親から頼まれているんだ!そう簡単に死んでやる訳にはいかないな!!」
男は一夜の方に向き直り、その巨大化した右手に持った刀を上に振り上げ、さっきまでとは比べ物にならない速度で振り下ろす。
大切な者を失う気持ち、それ自体は一夜も二度に渡り経験している。一度目は両親を不慮の事故で亡くし、二度目は両親を亡くした後、祖父母を除けば唯一の家族となった妹をも亡くしている。それも、妹の場合は何者かによって殺されている事まで分かっている。その為に亡くした者は違えど、今現在まみえている相手の、その。男の気持ちが、一夜には少なからず理解できる。
男が振り下ろした刀を、一夜は紙一重で回避する。床に直撃した刀は突き刺さるよりも先に、その床周辺に小規模なクレーターを造りだす。その圧倒的な破壊力を目の当たりにした一夜は、これ以上相手の攻撃をまともに受けてはならない事、そして相手が特異な“体質”を有している事を理解した。
「やるな、俺の本気の攻撃を躱した奴は今まで誰一人としていなかったんだがな」
「俺もお前と同類なんだよ。お前が身体能力向上の体質なのに対して、俺は聴覚強化。お前の筋肉や軟骨から出る微細な音から次の動きを予見してるんだよ。とは言ってもそれらの音は心音よりも小さい。そんな音を聞き分けるんだ、お前の心音も丸聞こえ、だからうるさいって言ったんだよ」
一夜の口から放たれた“体質”と言う言葉、昨今様々な体質の人間が存在するが、基本的にそんな中でも一際“特異”と呼べるものの大半は生まれ持った物。男の場合は『身体能力の極限強化』意図的にアドレナリンを過剰分泌し、自身の筋力を著しく向上させる物。しかし欠点も存在し、長続きしない上に使用時間が長いと脳へダメージがある。
それに対して一夜の『超聴覚』は自身の聴覚が常時常人離れした状態となってしまう物で、程度にもよるが一夜の場合は、最大3キロ先の人間の心音まで聞き分ける程。
「成程。だから俺の本気の攻撃を躱せたのか」
そんな男の言葉を最後に、血と無数の屍が転がる会場が静まり返る。ほんの数秒、そんな僅かな静寂の後、またも男が口を開き、声を発する。
「ならこれは、嘸かし効くだろ!!」
そう言うと男は、左手に握った“それ”を床に叩きつけた。床に叩きつけられた衝撃で、勢いよくバウンドした“それ”は、一夜の視線程まで飛び上がると炸裂する。そして周囲に爆発音と閃光を放つ。
眩い光は、それを見た者の目をくらませ、高音の爆発音は聞いた者に一時的な難聴や耳鳴りを発生させる。常人よりも吐出した聴覚を持つ一夜にとっては、閃光はともかく爆発音は致命的、それだけで戦闘不能に陥る事もあり得る程の物だった。
目を閉じ、右腕で目を守るように覆っていた相手でさえ、閃光の影響は完全には防ぎきれず、数秒は目の前が光の世界だったが。保護の影響か一夜よりも視界の回復が数瞬早く、目の前には未だに光の世界にいるであろう一夜が棒立ち状態であった。
男も、その数瞬の隙を見逃す様な相手ではなく。一夜の右わき腹から左上に切り上げる様な斬撃を放つ。
視覚も聴覚も当てにならない状態で、相手の攻撃を回避する手段は皆無、男もこの瞬間だけは自身の勝ちを確信していた。だが
「な、なんで」
そんな驚きに満ちた言葉を放ったのは、何も出来ないまま斬られた一夜・・・ではなく、何もできないであろう筈の一夜に斬撃をブレードで受け止められた男の方であった。
「成程、お前の身体強化は脳に何らかの刺激が加わったら解除されるらしいな」
「だからって、今の俺の攻撃を受けられる理屈にはならない!!なぜ閃光手榴弾をまともに受けたはずだろ!?なのになんで」
閃光手榴弾と呼ばれているM84スタングレネードは、170~180㏈に及ぶ爆発音と周囲15mで100万カンデラ以上の閃光が亜音速で包み込む。通常の視力と聴力を持つ人であっても、一時的に視界不良と難聴が発生する代物。その為通常よりも鋭敏な聴力を有する一夜の場合、本来はなんの保護もなくまともに受けてしまえば、数分間聴覚は機能しない筈なので。
「確かに、閃光手榴弾なんかまともに受けたら動けなくなるだろうな。だがそれは、俺の聴力が調整不可能の場合は、だがな」
「調整、だと?」
「あぁ、とは言っても一般人並みでまでしか落とせないわけじゃない。ほぼ無音、つまりは何も聞こえないレベルまで落とせる」
『聴力の調整』聞いただけでは想像は難しいだろう、しかし一夜の様な才能が無くとも聴力の調整は一応可能。FPSゲームをやった事のある者なら経験があると思うが、端的に言えば微細な音も聞き漏らさない様に集中した状態の事だ。だがそれは、過敏に反応させようと集中した場合、つまりは聴力の感度をあげる調整であって聴力の感度を下げる為の調整ではない。
そもそも、人は聞こえやすくするよりも聞こえにくくする方が得意なのだ、手や道具等を使うことを考慮すれば、だが。
「自分の聴力に関しては自由自在か、それどういう才能だよ」
男の問いに対して、一夜は目を瞑り下を向きながら口を開き言葉を紡ぐ。
「俺にはそれしか取り柄が無いんでな。まぁでも、そのおかげでお前を殺せる」
俯き目を閉じたままそう言ったかと思えば、今度は男に向き直り目を見開きその狂気じみた笑顔で続ける。
「さぁ、執行開始だ!!」
その眼の色はいつもの淀んだ赤色とは違い、鮮やかな赤い色をしていた。
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