第50話 エルフと黒い影再び
パステル・オーデリックは、オーディアスへと帰還していた。そしてすぐさま父のもとへ速足で城内を歩いて目指し、少々乱暴気味に扉を叩く。
「パステルです!父上!件の冒険者についてご報告に参りました!」
『入れ』
「失礼します!」
書類作業を進めている室内には、オズマンと尊敬する兄であるリティッシュがいた。2人とも書類作業に追われており、今も忙しそうに完了した書類を次々と執事へ渡している。
「報告を聞こう」
顔を上げずに答えるオズマンにパステルは臆さず、しっかりと馬車の中で反復練習をして叩きこんだ言葉を口にする。
報告の内容としては、主にアリッサが自分達人間国よりも魔族との契約をしようとしている件と前魔王ミドラの存在である。このままでは、アリッサは魔族に取られてしまうのではないかと苦言を呈したのだ。
報告を聞いたオズマンとリティッシュは、思いのほか重大な報告に手作業が止まり、一旦書類を片付けるように命令を出す。
「それは本当なのかい?パステル」
「兄貴、本当だ。この目でしかと前魔王ミドラとジーノの存在を確認した」
「嘘ではないようですが……父上、いかがいたしましょうか」
「………リーシアとラクーシャ様の言葉が誠だったというのか…?」
「パステル、近くに竜もいるのかい?」
「え?ああ、ウィンドドラゴンのアザムっていう竜がいた。あとアリッサとか皆がインドラ様って呼ぶ変な小さい女が真竜だとか……」
「なんだと!?」
「ち、父上…?」
いつも冷静な父が珍しく驚愕の声をあげたことにパステルは怯える。
「父上、これは緊急会議を開かねばなりません。アリッサさんの件は我々が思う以上に慎重に事を進めなければならないかと」
「………そのようだな……――――リティッシュ、パステル。陛下へ報告に参るぞ」
『はっ!』
「パステル、此度の報告ご苦労だったな。少々心配していたが、良くやってくれた」
「うん、僕もパステルの成長は嬉しいよ」
「ち、父上!兄貴!あ、ありがとうございます!」
なんだかんだ厳格な父としても息子の成長ぶりに喜んでいるらしく、支度を進める父から投げかけられた言葉にパステルは歓喜に震えるのであった。
馬鹿ではあるが、真っすぐで誰よりも正義感のあるどこか憎めない自慢の次男。それがパステルという男の評価である。
パステルの帰還とアリッサの件は、無論アルベット家もまた密偵を持つ者として情報を掴んでいた。
アルバルトは、密偵から流されたその報告書を受けて目を通す目に力が入っており、気長にお茶を飲む祖父オルバルトも何やらやんごとなき事情があったと知る。
「お父様!今イェーガー家からアリッサの報告を聞き出したんだけど!!」
そんな父の書斎にノックもなしに以前サンダードラゴンとの戦いで怪我をして絶賛療養中のリーシアが入ってきた。
「リーシア……いつも扉はノックして返事があってから入りなさいと言っているじゃないか」
「今はそんなことよりアリッサよ!!あいつ魔族と手を結ぶらしいってほんと!?」
「イェーガー家の者を無理やり締め上げたんじゃないかと勘ぐってしまうが……リーシアの言う通り、その説が濃厚だね。以前の報告では、パステル様と衝突はしなかったようだが、前魔王の存在が彼女をたぶらかしたのだろうか」
「ちょっとちょっと!何とかならないの!?アリッサが魔族に行っちゃったらもう会えなくなるんじゃないの!?」
「リーシアよ、落ち着け」
アリッサのことになると周りが見えなくなる悪い癖があるリーシアを祖父のオルバルトがぴしゃりと止める。
「父さん、やはりこれは……」
「陛下の初手が全て悪かったと言わざるを得えないだろう……我ら人間よりも魔族の提案が良かった、それだけのことだ」
「えええ!?お爺ちゃんもアリッサが魔族に行っちゃうの止めないの!?」
「止めるも何もないだろう。アリッサ様を無理に縛り付けようと、首輪をつけようとしたのが間違いなのだ。あのお人は自由気ままにさせた方が色々な人を笑顔にする存在なのだよ」
「私も父さんの意見に賛成だ。リーシア、陛下の決定があるまでこの事は内密にな。新垣君達には悪いが、アリッサさんの件は箝口令を敷かせる」
「うぅ……アリッサ、一度オーディアスに帰ってくるのよね?」
「その予定ではある」
いつも元気な娘が今では生気がなくなったゾンビのような姿になっており、あまりの気の毒さにアルバルトは、内緒にしていたアリッサとの話を出す。
「これは内緒にしていたのだが、アリッサさんはこちらに来る際にしばらくうちに泊まっていく予定だ。その時に彼女の本心を聞けばいいんじゃないか?」
「え!?アリッサうちに泊まるの!?うん!分かった!その時に聞いてみる!」
「なんとも現金な我が娘よ……」
「ほっほっほ!やはりリーシアには笑顔が似合う。我が家の宝よのう」
嵐のような浮き沈みを繰り返し、そのまま部屋を出て行ったリーシアにアルバルトは頭を抱える。
「あれでは当分結婚は無理でしょうね」
「それもまたリーシアの道だろう」
「我儘に育ってしまったものだ………―――――それよりこれは我が家しか掴んでいない情報ですが、アリッサさんはマキナ遺跡を発見し、その管理者になったとか」
「なんと!?嵐の海域を抜けたのだな……獣人国ですら突破できなかったあの魔の海域を……そして遺跡の管理者になられるとは、なかなかの火種をお持ちのようだ」
実は、バニラを通じてアリッサは自分に密偵がついているのを知っていた。最初ボロボロの状態でバニラがアリッサの前に縛られた男が連れて来られた時は何事かと思ったが、どうやらバニラの兄らしく、イェーガー家の密偵だと名乗ったのだ。
そしてあろうことかバニラは『殺しますか?』と平然と言ったので、流石に兄妹殺しを止めたアリッサは、これから報告する際は事前にバニラを通して内容をアリッサが確認することと、何かあった時は連絡代わりに使うことを確約させた。
して、今回もまたアリッサの報告があり、彼女の想いが手紙に書かれていた。
「アリッサさんは、陛下と共に歩めない意思を持っているみたいですね。しかし、ラクーシャ様にはお世話になったので、水面下で接触を続けたいらしく、いずれラクーシャ様には是非マキナ遺跡を案内したいそうです。それと既にマキナ遺跡の探索は魔族が行っているそうで、我々人間が挟める余地はないとのことです」
「ふむ………交渉次第と言ったところか…」
「あまり彼女の機嫌を損ねないようにしたいものですが」
「既に私は隠居した身だ。政はお前に任せるぞ」
「これからのことを想うと頭が痛くなりますよ。とりあえずラクーシャ様にお話を通して……ああ、一体何人の貴族を説得せねばならないのか……」
王族内で唯一アリッサの力量を信じているのはラクーシャのみ。それも残念な話だが、ラクーシャは蝶よ花よと愛でられて育ったため、王族の中では最も発言力がない。
彼女を支持する保守派の貴族も少なく、常に外を飛び回って武勲を立てる第一王子のクリストを支持する貴族の方が圧倒的に多いのだ。こう言ってはなんだが、やはりラクーシャは政治の道具でしかないのだろう。
過去作でラクーシャが実際に結婚した相手は、今のところ物語の主人公しかいないが、彼女を狙う相手は多い。それこそ悪の幹部から敵国から同盟相手やら自国から果てには、どっかの部族だったりとそれはもう多種多様に満ち溢れている。
しかし、共通するところはすべて彼女の意思による結婚ではないということだ。笑顔の裏に隠された彼女の本当の気持ちがゲームで語られることは終ぞなかった。
政治の道具―――――一体彼女の意思はどこにあるのだろうか、それはアリッサも知らない。
オーディアスでアリッサが議題に挙げられている中で、アリッサは現在彰の大剣を修理していた。
あの依頼でしばらく遊んでいられるお金を得た彰は、武器を買いなおすよりもアリッサに修理を頼んだのだ。ちなみに友達価格とは言え、神級鍛冶師に頼んだのは思いのほか値が付き、貰ったお金の大半が吹き飛んだのは言うまでもない。
「アリッサ先輩、なんか儲かる話とかないんですかね?」
「手っ取り早いのは、モンスターの素材か鉱石を売ることだな」
アリッサの作業を近くで見守る彰は懐が一気に寒くなったのを気にして、さっそく儲けに走ろうとしていた。
「素材かぁ……アリッサ先輩に言われて素材の剥ぎ取り方とか勉強しているんですけど、うまくいかないんですよね。鉱石なんてそれこそ龍脈とか分からないですし」
「オレに聞いたら意味がないだろ。そういうのは自分で身に着けて、自分で開拓していくのが冒険の楽しみってもんだよ」
ちなみに例によって現在オーディアスに来ている。彰には黙っているように言っておいたが、まぁこの男は他人の秘密を言うような奴ではないと信頼して連れてきたのだ。
「まぁ剝ぎ取りを勉強するのなら解体屋を見学するのが一番だが、あれはあの職業にとっての商売道具だ。おいそれと見せてくれるもんじゃないだろうな」
「そうですよねぇ………」
「…………もう一つ提案すると、エルフ族に習うってのもある」
「エルフ!?あの耳が長くて皆長寿で綺麗な人しかいないっていう幻の!?」
「やたら興味があるようだけど、どした?」
「え!?あ、いや!まぁ以前に剣の勇者パーティーにエルフ族が入ったっていう噂が流れまして。噂によるとすんごい美人らしいです」
なんだか下心を感じた興奮っぷりだったが、概ね間違っていないとアリッサは答える。
「でも、エルフ族は滅多に人の街に降りてこないんだけど、どうして剣のパーティーに…?」
「菅森……剣の勇者の菅森将のパーティーは、兄によると奴隷に手を出していると聞きます」
そこへ昼飯のサンドイッチを作ってきたバニラが現れ、一旦アリッサは作業を止めて彼女の話を聞く。
「ど、奴隷ってあの奴隷ですか!?」
「はい。奴隷に身を落とすのは様々な理由がありますが、エルフ族の奴隷はハッキリ言って違法な奴隷だと断言します」
「オレもバニラに同意するな。だけど、エルフ族を生け捕りにするっつのはなかなかの強者だな」
「エルフって強いんですか?」
「強いよ。この世界基準になるけど、大体CランクからBランク程度の冒険者くらいの力を持っている。熟練者のエルフと森で戦うのならAランクにも届くかも」
「エルフ族は特に弓と風系統の魔法を扱うのに優れています。例えば風魔法を操って本来なら絶対届かない場所にまで矢を届けたりと芸達者でもあります」
「それがエルフ族をAランクまで届かせる所以でもあったりする。ま、あいつら基本的にドラゴンと一緒で外界との接触を断っているから、滅多に会えないし、会ったら殺されるかもしれないから近づかないことをお勧めするんだけど……」
「奴隷になっているのが気になっているんですね?」
サンドイッチを頬張りながら思案するアリッサにバニラが答える。そう、あるイベントを起こさない限りエルフとは会えず、かつあの部族が住んでいる場所が『幻獣の森』というアスガルドを頂点にした災厄認定を受けているモンスターがうじゃうじゃ住んでいる危険な場所なのだ。間違っても異世界に来たばかりの学生達が行っていい場所ではない。
「バニラ以外に諜報活動が出来る人物が欲しいなぁ……――――バニラはオレの傍を離れてほしくないし」
「そ、それはありがとうございます……光栄です」
何気なく漏らした言葉がバニラの顔を沸騰させ、恥ずかしさのあまりバニラはそそくさと出て行ってしまった。
「アリッサ先輩って……意外と女たらし?」
「おい、サンドイッチやらんぞ」
「まぁまぁそう言わずに」
2人は残したサンドイッチを取り合うように食うのであった。
その後、鋼鉄製の武器の修理をあっさりと終えたアリッサは、リーシアに見つかる前にさっさと2人を連れてブルースの町へ戻った。
そこで彰と別れる前に一つお願いをされる。
「アリッサ先輩、今度彩海達がお話したいそうなので、お暇な時に教会へお邪魔してもいいでしょうか」
「ああ、別にいつでも構わないよ。ただ、またオレ達しばらくここを留守にするから、出来れば早めだとありがたいけど」
「ありがとうございます。では、明日でもいいですか?」
「いいよ~」
と、軽い口約束をして彰と別れた。
「バジェスト王との対談次第ではここも離れないといけなくなるのでしょうか」
「犯罪者扱いはないだろうけど、最悪魔族領かマキナ遺跡籠りになるのかなぁ……」
「私はどこまでもお供しますよ」
「ああ、信頼してる」
2人はそのまま夕食の買い出しをするためブルースの市場に足を運ぶ。オーディアスほどではないにしろ、四六時中活気があるこの市場には人間やら魔族やら獣人やら亜人やら色々な種族が商いをしている。
オーディアスは人類最大の交易と国力を持っているが、このブルースの町は、大陸内でも数少ない他種族が戦争に発展せず個人的な交易を行っている場所なのだ。
故に色々な物が揃えば、色々な人がいる。それこそここで名を上げようと息巻く冒険者や商人もいれば、悪人もいるというわけで、ブルースの町は治安はかな~り良くない方である。
そこでアリッサは常に目を発動させている。正直あまりの人の多さと読み取る情報量に眩暈がするが、何が潜んでいるのか分からない世界なのだ。用心することに越したことはない。
「どうですか?」
「いつも通りかな。良くも悪くもって感じ」
いつも通りそこそこの悪人と善人が入り混じる市場を見てアリッサは目を閉じる。
「ん?」
閉じる瞬間、気になる人物が横切った。
「気になる人物がいましたか?」
「ああ、オレの見間違いじゃなければ」
「先行します」
アリッサが見つめる路地裏を捉えたバニラの目つきが変わり、人の合間を縫ってアリッサと共に路地裏に入る。
「あいつだ」
「あの歩き方と立ち振る舞い……私と同じアサシンだと思います。ですが、一般人になり切れていないのを見るにまだ未熟ですね」
「正解だ。あいつはブラッディ・シャドウの構成員だ。それにしてもバニラはよく見破ったな」
「だ、伊達に貴族護衛の訓練を受けていませんので。それにあの者の仕草は余りにも未熟です」
そう、アリッサが見つけたのは1人の踊り子だった。見る者がみればただ今から酒場に出勤するのであろうと思うが、真眼を持つアリッサには彼女がただものではないと見破ったのだ。
「踊り子ならあいつはメリシュのとこだろうな。話しかけるか」
「危険では?」
「丁度メリシュにも話があるんだ。いざとなったら頼んだぞ」
「はい、お任せください」
スカートに隠されたナイフに手を伸ばすバニラを従えて、アリッサは裏口から酒場に出勤しようとしている踊り子へ話しかけた。
「ちょっといいか」
「え?どうかしましたか?」
一瞬アリッサに話かけられて目が泳いだのをバニラは見逃さなかった。未熟、心の中で同じアサシンとして未熟な目の前の女へ言葉を吐き捨てる。
「メリシュに会いたいんだけど、伝言を頼めるか?」
「………へ?メリシュ?誰のことでしょうか」
「あ~……君がブラッディ・シャドウなことくらい知ってるから別にいいよ。用事があるから、今度オーディアスに行ったときに会えないかってお願いできる?」
へらへらと語るアリッサに踊り子は、一瞬暗器に手が伸びるがその前にバニラが彼女の喉元へ毒が塗られたナイフを突きつける。
「遅い。その伸ばした手を引っ込めていただけますか?」
「くッ……!メリシュ様になんの用だ!」
「いや、だから、ちょっと話があるんだよ」
なんだか話が通じない気配を醸し始めたところで、屋根から4人の女性が飛び降りてくる。
「ノーマ、あなたじゃ話にならないから下がりなさい」
「レイラ様!?し、しかし!」
「このお方は私たちのお客様です。以前、メリシュ様がこちらへコンタクトをとってきた場合丁重に扱うように言われたのを忘れたのですか?」
「ま、まさかこの方が!?」
「そういうこと。だから、あなたは下がりなさい」
「し、失礼しました!!」
リーダーと思わしき背が小さい黒づくめの女性は、ノーマと呼ばれた踊り子をさげるとこちらへ一歩出てフードを取る。
「エルフだと!?」
フードを取った彼女はエルフだった。美しいハチミツのような金髪をポニーテールにまとめ、エルフ特有の長い耳とエメラルドの瞳。まごうことなきエルフだった。
「初めまして、アリッサ様とバニラ様。私はこのブルースの町を任された『レイラ・ミーネ・サングリン』と申します。長いのでレイラとお呼びください」
「こちらの素性は知っているようだな」
「もちろんでございます。私、これでもメリシュ様の友でもあり、幹部でもありますので」
真眼で除くと彼女のステータスはハチャメチャだった。どうやら認識阻害を持っているらしく、ステータスを覗かれたのも知っているようだが、それをおくびにも出さず笑顔を浮かべている。
「後ろの者達もエルフです」
「マジか。色々知っているつもりだったが、まさかメリシュの構成員の中にエルフがいるとは知らんかった」
「ふふ、流石のアリッサ様も驚かれましたかね?でも、ご安心ください。エルフは私を含めて4名しかいませんので」
「何が安心なのか分からないが、貴方になら話が通じそうだ」
「では、立ち話もなんなのでこちらへ。我々の隠れ家へ案内します」
アリッサはバニラを見て頷くと、2人は風の魔法で隠蔽された路地裏の壁を通り抜ける。
「今のはエルフ族に伝わる魔法か?」
「ええ、一種の幻術みたいなものです。たとえ見破られて入って来ても辿り着けないようになっています」
「なるほど、『惑いの森』か」
「おや、ご存じでしたか。アリッサ様は、やはりメリシュ様の言う通り博識でございますね」
「エルフ族が滅多に会えない理由は、その魔法があるからな。幻獣の森もそうやって守っているんだっけ」
「………あの森もそうですね」
後ろからじゃ分からないが、一瞬レイラの空気が変わったような気がした。バニラは明確な殺意を感じ取っており、獲物に手が伸びかけるが、左右に控えるエルフの暗殺者がそれを抑える。
「すまない、どうやら君らにとってあの森は禁句だったか。謝罪する」
「いえ!お気になさらないでください。この際だからぶっちゃけますが、私はあの森に住む連中が嫌いなんです」
「それはどうして?」
「古臭い慣習ばかり残っているからですかね。外に目を向けず、種の存続ばかり気にするあの連中が大嫌いなんです」
「………なるほど、ハイ・エルフの言いなりなんだな……」
「はい……来る日も来る日もハイ・エルフにこびへつらうあいつらが……!いえ、少しらしくなかったですね。つまり、私はあの森をそういう理由で捨てたんです」
気持ちが高ぶりかけたレイラは、頭を振ると息を吐いて自信を落ち着かせる。
「すみません、ハイ・エルフというのは伝説のお話だったような気がするんですが……」
「いえ、実在しますよ?数こそ少ないものの、その力はドラゴンすら圧倒する力を持っています」
と、そこでおずおずと手を挙げたバニラの質問にレイラは笑顔で答えた。しっかし、その能面なようなのっぺりと張り付く笑顔はどうにかならないものか。
「事実だな。基本的にオレら人間も魔族も獣人も全て格下だと思っている連中だから、出来ればお近づきにはなりたくない存在ではある」
「流石アリッサ様、よくハイ・エルフをご存じで。まぁ簡単に言うと、あいつらはどうしようもないクソ野郎です。今はそういう連中だと認識していただければ」
軽くエルフについて思い出しつつ会話をしていると、忍者のようなボディースーツを着込んだ者達が守る家についた。
「アリッサ様とバニラ様です。丁重にね?」
『はっ!』
ヤクザのようなお出迎えに若干気後れしつつ、2人はレイラの後に続いてマンションのような家に入った。
「おかけください」
そしてそのまま応接間に通され、ティーセットを持った護衛のエルフが3人に紅茶を配る。
「…これは獣人国の貴族御用達の……」
「ええ、私、お茶だけは妥協できなくて部下には悪いのですが、いつも頑張って仕入れて貰っているんです」
バニラの感想に気をよくしたレイラがハキハキと答える。
「さて、ご用件というのは?」
「オレは今情報を欲しているんだ」
「情報、ですか?」
一旦お茶で落ち着いたところで、アリッサはレイラに促されて話を切り出した。
「オレはこの世界の人間じゃない。転生者だ」
「存じております。貴方の事は一通り調べましたので」
「だから、オレはこの世界の文字が読めない。これはいずれ解決する予定だが………とにかくバニラはオレの護衛で傍を離れられないし、かと言ってオレも色々と多忙で調べものが全然捗らないんだ」
「ふむ、要するに貴方の手足となる存在が欲しいと」
「簡潔に言うとそうだな。何か人材に心当たりはないか?」
思案する顔でレイラは数秒口を閉ざす。
「その前に一つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「なんだ?」
「アリッサ様は、私たちの組織が何を行っているか、それはご存じですよね」
「知っている」
「そこで顔に出さずとも怒りを胸に抱いている貴方も」
レイラの鋭い視線がバニラに突き刺さり、アルバルト暗殺のことを言い当てられた彼女は、初めて怒りの顔を見せる。
「もちろんです」
「それを承知で私達に接触してきた、それに間違いはありませんか?」
「ああ、間違いはない。お前らの行いを許すもくそもないが、アルバルトさんの件は過ぎた話だとオレは流した。だから、一旦白紙の関係に戻ったと思ってオレはお前らを利用する。改めて釘をさすけど、オレの知り合いに再び手をかけるのであれば容赦はしない。その時はオレの剣と竜を敵に回すと思った方がいい」
「……冗談ではないようですね……本当に怖いお方です。さて、場の空気を変えるために一つここでブラッディ・シャドウの近況をお知らせしましょう」
じっと真正面から睨むアリッサの視線を受けて表情一つ変えないレイラは、ふっと表情を緩ませるとさほど美味しくない焼き菓子を手に取って口に運ぶ。
「あの一件以来ディケダインは死に、我々ブラッディ・シャドウは最高幹部の一人を失いました。それに伴いアリッサ様への復讐を企てる幹部が3人。そして我々メリシュとレクスが貴方を生かすべきだと異を唱えましたが、多数決というのはほんとくだらないものです」
「え!?お、オレ命狙わてんの!?」
「そうですよ。ただ、ここは我々メリシュ組の拠点なので好き勝手させていませんが」
「お、オレどこかに亡命した方がいいのか…?」
「無駄ですよ。我々の構成員は至る所にいますから」
これから暗殺者に怯える生活が待っているかと思うと精神が参ってしまいそうになるが、そこでレイラがある提案をする。
「アリッサ様、貴方は先日マキナ遺跡を攻略しましたよね」
「情報が早いな。オレ誰かに喋ったっけ」
「我々の影はどこにでも入り込みますからね」
「恐ろしい組織だ……で、そのマキナ遺跡がどうした?マキナ技術に関しては悪いがやれない。あれはお前らが使うには過ぎたる代物だ」
「そこまで図々しくはありません。ただ、我々メリシュ組とレクス組をあの雲の大地の探索に関わらせていただけないでしょうか」
「雲の大地……ああ、あそこか。一つ言っておくが、あそこは幻獣の森と同等のやばいモンスターがいる大地だぞ?この前ちらっと出会ったが、先住民のミノタウロス族がいた。オレはあいつらと揉め事を起こしたくはない」
「ミノタウロス族……ですか……既に過去の大戦で滅びたと思った古の魔族が……」
「あとこれはお前らエルフ族だから言うが、あそこにはダークエルフもいる」
ダークエルフ、その単語にレイラも背後に控えていたエルフたちも皆一堂に驚愕の声をあげた。
「それは本当ですか!?」
そのエルフは闇に堕ちたエルフと言われ、ハイ・エルフの名の下ミノタウロス族同様に滅ぼされたとされている種族である。
闇属性と風属性の魔法に長けており、エルフ族は弓が得意だが、ダークエルフ族は剣や槍と言った近接を好んで使っている武闘派でも知られる。
「あそこの島にエルフ族との確執が残っている伝承があれば無用な争いに発展する可能性が目に見えているが……それでもか?」
「それでも我々は行かねばなりません」
そこで応接間に入ってきた人物を見てアリッサはぎょっとする。
「め、メリシュ!?な、なんでここに!?」
「メリシュ様、終わるまで待っている約束では?」
メリシュの登場にレイラは呆れ顔であり、彼女の背後に控えるいつもの2人組であるテレベとアクルは、必死にレイラへ頭をさげていた。
「まぁいいです。アリッサ様、最初からメリシュ様と引き合わせるためにここへ連れてきたわけです―――――メリシュ様?」
「…………」
「…………」
部屋に入るなり早々メリシュは、バニラの顔を見て固まっていた。バニラもまた目を見開いており、なにやら状況が読めないレイラは少し戸惑う。
「貴方、どこかで会ったことがあったかしら」
「な、ないと思うのですが、私の勘違いでなければ貴方の顔はどこか母と……」
そこでアリッサは、以前メリシュを真眼で見た時にバニラと同じ母を持っていることを思い出し、心の中で納得する。
「アリッサ様、この子は?」
「バニラ・イェーガー。もうイェーガー家の名前は捨てたけどな。イェーガーの名前でわかるんじゃないのか?」
「イェーガー家の事情は粗方知っていましたが……ああ……なるほど、では、この子は私の妹ですか」
「え!?アリッサさん!?どういうことですか!?」
一足先に納得したメリシュは、すぐ冷静になると驚いてアリッサに詰め寄る彼女を無視してソファーへ腰かける。
「バニラ、メリシュの母親は君と一緒なんだ」
「ええええええ!?」
「まさかこんな形で妹と再会するとは思ってもいませんでしたが、話を進めても?」
「わ、分かりました……少し黙って頭の中を整理しておきます……」
と、混乱しているバニラを一旦頭の隅に置き、メリシュはレイラとバトンタッチして現在の状況を語る。
「どうやら私がアリッサ様にディケダインの襲撃を漏らしたのがバレまして、現在雲隠れ中なんです」
「あ~……レクスは?大切な弟だろ?」
「お、弟!?わ、私の弟もいるんですか!?」
「ば、バニラ?弟と言っても血は繋がっていないよ」
「はい、繋がりはありませんが、苦楽を共にした大切な子なのです。レクスも今ブルースに部下を連れて滞在していますよ」
「そっか。それで?ずっと隠れているつもりなのか?」
「逃げれませんからね。そこで一度戦えない子や家庭を持ってしまった部下を匿っていただけないものかと思っているんです」
「あの大陸にか?何もないぞ?」
「この日のために我々は財を集めたと言っても過言ではありません。既に食料や生活道具は一通りそろっております」
「本気、なんだな。あの何もない大陸で一から始める覚悟があるというわけか」
「もちろんです。そこで我々からの見返りとして、私メリシュ・ランティーノがアリッサ様の手足となりましょう」
そこでメリシュをはじめとする全員がアリッサへ膝をつけ、忠誠を露わにした。
「これが私の答えです。私はアリッサ様と意見を交えたあの日以降ずっと悩み続けました。しかし、今目の前で貴方と相対し、貴方に仕えると言葉を発したとき、心と頭の中のもやもやが綺麗さっぱり晴れたのです」
「ブラッディ・シャドウを裏切るってことか?」
「既にディケダインを売ったことで裏切り扱いされているので、別に痛くもかゆくもないですよ。それにこれは我々の総意です。皆、覚悟してここにいます」
「オレに拒否権はないって感じがするんだけど……」
「ふふ、断りますか?」
かつてのメリスのように微笑むメリシュから視線を逸らし、しばし悩んでから再び彼女へ向き直る。
「分かった。一応面倒は見るけど、オレは組織運営とか全然分からないから、今と変わらず命令はお前が出せよ」
「はい、分かっております。レイラ、このことを皆に」
「了解しました」
「あの大陸に関する取り決めは、今度リリスとミドラ様を交えて話をしよう。一応マキナ遺跡を開放したのはオレらと魔族ってことになっているからな」
「分かりました。それで、手始めに何か命令なさいますか?」
相変わらず露出度の高い踊り子衣装のメリシュにアリッサは一つの命令を出した。
「他の勇者パーティーの現状とこの世界の歴史について洗いなおしたい。オレが知っている知識と相違点があるかもしれない」
「ではそのように。そう言えばレイラが剣の勇者パーティーにはエルフがいると言っていましたが……」
「ああ、あの奴隷ですか。世間知らずの馬鹿な女がギャンブルにはまって奴隷落ちしただけの話です。あれは奴隷王案件なので、手出し無用だったのでは?」
「奴隷王………あの腐敗した豚国か……」
「通称奉仕国家スレイティーズ。ふむ、珍しいエルフを手元に置かずによく勇者パーティーに譲ったと思いましたが、個人的にその経緯が気になりますね。セットで調べて貰えますか?」
「その情報ならすぐ上がってくると思いますよ」
そこで話がひと段落したので、また詳しい話は後日することになった。まさかただ踊り子に話しかけて伝言を頼むだけのつもりが、こんなことになるとは思いも寄らなかった。
結果としてブラッディ・シャドウ随一の情報網と暗殺者の両名を潰せたのは大きく、情報網を潰したことで今後アリッサが狙われる確率は低くなるとみていいだろう。
それと帰り際にメリシュが、毎日数名の護衛をつけてくれると言ってくれた。影から見守るようで、バニラも精神を相当尖らせなければ発見できないほどの力量を持っているらしい。
「ねえ、バニラ」
「なんでしょうか」
「今度、ゆっくりできたらお母さんことについて聞かせてね」
「え―――――はい、もちろんです。今後ともよろしくお願いいたします。我々でアリッサ様を守りましょう」
「もちろんよ。旦那様のことはごめんね」
「謝って許されるようなものではありませんが、そのことはもう水に流します。アリッサさんも忘れると言いましたから」
「流石私の妹。よくできた暗殺者ね」
「出会って間もないのによく姉を名乗れますね…」
「だって本当のことだし」
「ふぅ……リーシア様の家で何故貴方を見抜けなかったのか……」
「私の変装は大陸随一よ」
「……今度ご教授ください」
「いいわよ。それじゃこれからよろしくね?」
2人は最後に笑顔で握手をして別れた。てっきり波乱の予感がしたが、そんなことにはならず、良好な関係を築けた2人にアリッサは安堵した。
アリッサの問題は山積みである。
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