第39話 運命の導き
とんでもない卵を預けられた坂口唯は、モルペウスの力を借りて仙人の谷へ降り立つはずだったのだが……――――
「いやあああああああ!!!!」
意識が覚醒した唯は星になっていた。
「いっ…――――!!」
渓谷に響き渡る唯の絶叫は深い渓谷の静寂を切り裂き、眠りに入ったモンスターや動物が目を覚ますには十分なほどの騒音であった。
唯は何がどうなってこのような状況が起きているか分からないが、はっきりしていることは高度が落ちつつあるというわけで、その事実にパニックを起こす。
「し、死ぬ…!!!」
目の前に迫るのは巨大な岩肌。この速度でぶつかればどっちが壊れるかなど明確であり、唯は涙を流しながら解決策を練る。しかし、良い案が浮かぶわけもなく無慈悲にその時はやってくる。
「ワン!!」
死を待つばかりだと思ったその瞬間、腕輪が輝きだし、鎧を纏ったユウタが現れると背中の太刀を口に加えて、流星となった唯よりも先に飛び出して岩肌へ斬撃を放った。
「え……!?」
まるでアニメでも見ているかのように岩肌は、豆腐のように袈裟斬りにされ、轟音を立てながら岩が滑落していく。
そして空いたスペースのぎりぎりと唯が通っていき、空を駆けるユウタは空中で唯の首根っこを加えると自分の背に乗せる。
「わわ…!ゆ、ユウタ!」
サンタクロースのトナカイが如く空をゆっくりと駆け、ユウタは唯に気を配りながら山の陥没によってできた大きな湖へとやってきた。
虫のさざめきが穏やかに満ちる湖にへたり込むように座ってしまった唯は、自分の愛犬が先ほど見せた驚愕の出来事に戸惑っており、そんな彼女を心配してかユウタが悲しそうな声で鳴く。
「でも、ユウタはユウタなんだよね……ありがとうね、ユウタ」
ユウタを優しく撫で、そのまま湖の草原に大の字になって寝っ転がる。元の世界ではとても考えられない行動だが、唯は何も思わず頭を空っぽにして目を伏せる。
「私、とんでもない世界に来ちゃったな……」
兄は本当にこの世界にいるのだろうか。今何をしているのだろうか。兄のことが頭に思い浮かんでは消えていき、そしてこれから自分はどうすべきなのかを考えてしまい、思考の坩堝に陥っていく。
今現在自分の中にある明確な目標は『兄を見つける』ことであり、そして元の世界に帰るのが最終目標である。
だが、今兄と会うべきではないと自分の中の何かがそう訴えてくる。いずれ兄とは何かの運命の導きによって出会うだろうと確信めいた何かがある。
ミラージュJrが言った未来が見える神のせいによるものなのか分からないが、そう思うと自分の中ですとんと納得が行ったのだ。おかしい話だ。兄を探しに来たのに兄とはいずれどこかで会うであろう、と思うなど。
だが、嫌な感じはしない。これもまた思考の誘導でもされているのかもしれないが、唯は自分の考えを放棄して体を起こす。
「ぐるる……!」
「ユウタ?」
唯が体を起こしたと同時に湖の入り口を睨みながらユウタが唸った。ユウタは優しい性格をした子だ。唸ったことなどそれこそ兄から何度もちょっかいをかけられて鬱陶しく思ったときくらいである。
そんなユウタが敵意をむき出しにして唸っており、唯の落ち着いた心がまた再びざわめきだす。
「誰!!」
声が震えながらも唯は声をあげる。ユウタもまた前両足についた刀を展開させており、唯の身の危険が迫った時は真っ先に飛んでいかんとばかりに臨戦態勢をとっている。
「それはこちらのセリフ」
凛とした声が響いた。月の光の下へ出てきたのは長身で長い黒髪をポニーテールにしている女性の妖狐族と男性の青い妖狐族と女性の茶色の妖狐族だった。
「え……奏ちゃん…銀狐だよ」
「ああ……」
「初めてみました」
忍びを思わせる格好の3人を警戒している唯を置いて、3人はなにやら小声で話をしている。
「もう一度訪ねる。お前は何者?」
「わ、私の名は坂口唯」
「少なくとも我が里の妖狐族ではないです」
奏と呼ばれた黒い妖狐の問いに答えると、すかさず眼鏡をかけた青い妖狐が補足説明をする。
「銀狐とお見受けする。貴方のご家族も同じか?その脇に控えた犬霊も高位の霊体と思える」
「だね、犬霊が刀を振るってあの岩肌をスパって切っちゃうんだもん。驚いちゃった」
生真面目な2人とは打って変わって茶髪の妖狐は、こちらに敵意を向けず、むしろ親し気な様子で話しかけてきた。
「え、えっと……銀狐は私だけだと思います。両親は……いません」
「……ぶしつけな質問だった、謝罪をする。だが、私たちは突然現れた貴方を調べなければならない。良ければ里までご同行願えないだろうか」
「お願い!手荒な真似は絶対させないから!それに見たところ無一文っぽいし、お世話してあげるからうちに来て!」
「銀狐は貴重な存在だ。我らが一の里の者が強硬な手段に出ないと約束をしよう」
3人は警戒した態度を緩め、両手をさげてこちらに敵意がないことを示す。唯がユウタを見ると、既に彼は刀を収めており、どうやらあの3人は信用していいらしい。
「ユウタ大丈夫なの…?」
「ワン」
最後にひと鳴きすると霊体となって消えていき、ユウタが腕輪の中に帰るのを感じる。
「わかりました。里に案内してください」
「こちらの意を汲み取ってくれて感謝する。それと紹介をしよう。私が一の里の警備隊長を任されている奏だ」
「あたしは同じ一の里の警備隊所属、雛ね」
「僕も一の里の警備隊所属、蒼井だ」
近づいて分かったが、奏は同姓でも息を呑むほどの美人だった。長身ですらりと伸びた手足。こちらを見る切れ長の繭と鋭さを感じる瞳。マスクをしていて口元は分からないが、思わず目を逸らしてしまうほどオーラを感じる女性だった。
対して雛はどこかギャルっぽさを感じる子で、何故この2人と組んでいるか分からないほど対照的な子だった。少しボブよりの髪型にくりっとした瞳。とても可愛がられて育てられたのだろうと感じた。
そしてこの中で唯一の男性である蒼井は、よく進学校で見るようながり勉のイメージを覚えた。青髪というのは目をとても引くが、眼鏡ごしでもわかるこちらを射抜くような眼光がより存在感を引き立てているように思えた。
「綺麗な腕輪だね。それにさっきのワンちゃんが?」
「はい、モルペウスさんに貰ったんです」
「モルペウス神だと!?」
突然大声を出した蒼井に唯はびっくりした。先頭を歩いている奏も目を見開いて驚いており、雛も口に手を当てていた。
「形作りし神……」
「て、ってってことは!?こ、この腕輪ってレジェンドアイテム!?」
「レジェンドアイテムどころではない。神そのものが作ったのだ。ゴッズアイテムと言ってもいいだろう」
「唯さん、その腕輪についてあまり口外しない方がいい。恐らく貴方以外に使えないようになっているとは思いますが、モルペウス神の名はあまりにも影響力が強すぎる」
「モルペウス神を崇めている信者なんかに知られたら腕を斬り落としてでも奪い取ってきそうだよね」
「え……」
「今は正体が分かったためその腕輪が放つ神々しさを感じることが出来るが、元よりその腕輪には隠蔽効果があるらしい。雛も最初はただ綺麗な腕輪に見えただけだったんだろう?」
「うん、すっごく綺麗な装飾がされているな~って。でも、今改めて見ると引き込まれそうなくらい美しい夜空が広がっているんだね」
「というようにこの秘密は我々だけのものしよう。奏も雛もそれでいいな?」
「も、もちろんだよ…」
「それで構わない」
唯は自分の腕輪を改めて見つめて、額に嫌な汗がじっとりと浮かぶ。
言われてみればこの腕輪は本物の神様が創ったものなのだ。死者の声を聴き、その魂を世界に繋ぎ止めて行使する力を持つ腕輪。今の唯にこの腕輪の価値を完全に理解はしていないが、本職のネクロマンサーからすれば喉から手が出るほど求める代物なのである。
本職のネクロマンサーは自分の力を超えた存在を行使することは出来ない。出来たとしても何らかの代償を支払ったり、不完全な召喚だったりとその存在が生来から持つ力を扱うことは無いのだ。
しかし、唯が持つこの腕輪は違う。ネクロマンサーながらも魂とのパイプを完全につなぎ、代償なしに死者の力をフルで行使できるのだ。まぁその条件として信頼関係を築くことが前提にあるのだが、それをぬきにしても凄まじい力を秘めているのは過言ではないだろう。
雛が言った通りその筋に精通する者やモルペウス神を崇める者などに見つかれば、腕を斬り落としてでも奪い取る強硬手段に出る者が現れるほどの代物。雛にそう言われて唯は身震いするが、モルペウスがそれを把握していないはずもなく、隠蔽効果以外にも恐ろしい仕掛けが腕輪にあることをまだ彼女は知らない。
唯は3人の後をついて歩くこと1時間。途中唯の世界なら大問題のニュースになりそうな大きな動物――――いや、モンスターと遭遇したが、どれも目の前の3人とユウタがあっさりと片付けてしまい、唯はただ見ているだけだった。
「それにしても強いね~。ユウタっていうんだっけ?」
今も大きな熊ブラッディーベアの亜種『ベア・レクイエム』を倒したユウタが雛に撫でられ、気持ちよさそうに尻尾を振って目を細めている。
「うん、昔私の家で飼っていた柴犬」
「へえ~初めて見る犬種だね。もふもふで可愛い」
「霊体に触れるのか……流石モルペウス神が作りしアイテムだ」
クールな奏さえも魅了するユウタのもふもふっぷりに反して唯一の男性である蒼井は冷静だった。
「それも通常の霊体とは違って我らと同等か、もしくは里長と肩を並べるほどの力を持っている。こうして触れてわかるが、ここまで実態と区別がつかない霊体などまこと神の御業と言わざる負えない」
「ユウタってそんなに強いんだ」
「うん、すっごく強いよ。弱い獣人なら君の覇気だけで意識を刈り取れちゃうくらいにね」
「唯さんは良い犬霊をお持ちになった。それに彼自身、あなたを守りたい気持ちでいっぱいのようです」
「そっか、奏ちゃん動物会話スキル持っているもんね」
「オーディアスの姫君とは少々違うものだがな………ん?兄を知らないか?唯さん、誰かを探しているのですか?」
しばらくユウタを撫でていた奏だったが、動物会話スキルのことを知ったユウタがじっと彼女のことを見つめたかと思うと、奏もまた目が青く光りだすと彼の想いを聴くため意識を傾ける。
そして感じ取った意思を、想いを唯に尋ねる。
「え?あ、えっと、私とユウタは兄を探しているんです。坂口龍之介と言うのですが……」
「唯殿、それは貴方と同じく銀狐なのか?」
「あ、それは分からないです……」
「分からない?銀狐は家族全員ではないということなのか?」
「なんて言えばいいんだろう……」
一瞬自分の生い立ちを話そうと思い、踏みとどまるがモルペウスのことを黙っていてくれると言ってくれた3人を信じて唯は、自身が転生者であることとモルペウス神に言われた会話の内容を思い出しながら話した。
『…………』
「世界の闇……転生者……」
「まるでおとぎ話みたいだね~」
「邪神とな……ふむ、モルペウス神の事もある故噓ではないだろうが……」
3人の反応はまちまちだった。ただ、3人とも唯の言葉を信じてくれたようで、各々考える素振りを見せる。
「あ、そう言えば人族のオーディアスで勇者召喚したとかって言われてなかった?」
「あったな。16歳程度の若者が30人近く召喚されたと。恐らく聖王国の聖女からの神託で召喚したのだろうが」
「うちの姫様、勇者召喚なんぞ不当な武力拡大だって怒ってなかった?」
「怒っていた。まぁその後我らの聖女様も神託を受け、その召喚は神によるものだったと口添えをして怒りを収めて貰ったそうだが」
「んじゃ唯ちゃんもその形式で行くと勇者なんだ?」
「え!?わ、私が!?」
「扱い上そうなるな。銀狐である点とモルペウス神と真竜ミラージュJrの手によってお力を与えられ、転生した以上勇者と言っても間違いではない」
「そ、そんな……私が勇者だなんて……」
「雛、そう唯さんにプレッシャーを与えるものではない」
そんなつもりで言ったんじゃないも~ん!と抗議の声を上げる雛を無視して奏は前進する足を止め、俯く唯に歩み寄る。
「唯さん、貴方の生い立ちを聴きました。とても想像ができないのですが、争いとは無縁の世界で生きてきたそうで、勇者と言われても重荷になるだけでしょう。ですから今はそれを忘れて、まずは少しずつこの世界のことを知っていきましょう。貴方からすると酷い世界だと思いますが、貴方の兄上を探すためにも強くならねばなりません」
「我々3人が唯殿をサポートしよう。奏、哲丸殿に口添えを頼む」
「無論。唯さん、きっと私たちは出会うべくして出会ったのでしょう。運命神フォルトゥナよ、この導きに感謝を」
「ああ、その通りだ。フォルトゥナ神、導きに感謝を」
「うん、そう考えるとすとんって自分の中で腑に落ちたよ。フォルトゥナ様、導きに感謝をします」
3人は口元のマスクを下にずらし、素顔を見せると唯に頭をさげた。
「ま、深く考えないであたしらは唯ちゃんの友達ってこと」
「ええ、その認識で。今は里に着き、休みを取るべきでしょう」
「ああ、この谷は素人が下るには少し辛いからな」
「はい、これからよろしくお願いします」
唯は3人に深く頭をさげた。不安だらけの世界に来てしまったが、この3人とならやっていけそうだと。
ついぞ顔を見ることはなかったが、唯はその運命神フォルトゥナという神様に心の中で感謝の意を示した。
運命神フォルトゥナ。未来を見通す力を持ち、神々の中でも強力な力を持つ一柱である。いつもおどおどしているモルペウスとは仲が良く、その仲から先代ミラージュは2人の神の力によって生み出され、今もその加護はJrにも続いており、ミラージュJrは2人の神の使徒として仕えている。
長い銀髪を持ち、修道女の服を身に纏い両目は後ろで結んだ黒い布で覆われて見えず、彼女の周りにはいつも青と赤の水晶玉が浮いているそうだ。
ミラージュJr談。神々の集合にもあまりに顔を出さず、いつも自室に引きこもって未来を見ているか、モルペウスとお茶をしているかの2択らしい。
して、今回の唯の転生に深く心を痛めており、親友のモルペウスが力を貸すことから微力ながらも自身に出来る権限の最大の力を唯に貸し与えた。
その名も『運命と可能性の枝』これは唯の内に眠るパッシブ効果であり、アリッサの真眼であろうとも看破できない特殊な能力となっている。
効果としては『常に最善の手を選び続ける』というもの。とても曖昧で不鮮明な効果だが、その力は1人の人間につけるにはあまりにも強大で、唯の性格次第ではなんにでも悪用出来るほど危険なものとなっている。
しかし、一つだけ特大にして最大のデメリットがある。それは『このパッシブ効果を自覚したとき、このパッシブ効果は消える』。
いずれ坂口唯はこの効果に気づく時が来るが、今はこの世界で確かなコミュニティを築けたことに唯は安堵するのであった。
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