第38話 坂口唯の転生

そんな一夜を過ごしているアリッサから場面は切り替わり、舞台は獣人国。それも特に強力な獣人が住まう、仙人の谷と呼ばれる深い山に一筋の流星が走った。



「父様…」


「うむ」



巌のような男性の向かい側に座る女性は声を上げる。肯定を示す声に女性は傍に置いたアダマンタイト製の妖刀を拾い上げ立ち上がる。

獣人国の中でも極めて強い力を持つ一族。その名も妖狐族の女性は黒い狐の尻尾を揺らして家を出て空を仰ぐ。


すらりと伸びた長身に似合う腰まで届く長いポニーテールが風を受けて舞い、飛んでくる塵を嫌って彼女は首に巻いていた黒い布を口元まで上げてマスク代わりにする。

月の光が照らす彼女の姿は、古い日本に存在していたとされる忍者そのものだった。

服の下に薄いタイツを纏い、その上から竜のブレスすら防ぐと言われる伝説の大妖怪、絡新婦の糸で編まれた黒い忍びの服を着ており、その服一つで末代まで何不自由なく暮らせるほどの価値があるとされている。


そんな彼女が流星が落ちたとされる山岳の方角を見ていると、闇夜にまぎれ、音もなく彼女の隣に現れたのは2人の妖狐だった。

2人の男女は幼い頃から共に修練を積んだ幼なじみであり、2人も里の警備隊として出てきたらしい。



「行くのか?奏」



男の妖狐にそう呼ばれた黒い妖狐の女性は静かに頷く。



「お父さんは邪気を感じないって言っていたけど、まあ一応里の警備隊としては何があったか調べてこないとね」



寡黙な黒と真面目そうな赤い狐とは打って変わって、茶色い女性の妖狐は欠伸をかみ殺しながらあっけらかんと言ってみせる。



「おい、それでもしものことがあったらどうするんだ」


「暁は真面目すぎだよ。もっとあたしみたいに気楽に行こうよ」


「気を張りすぎるのもよくないことは分かっている。だが、雛のような脱力はいかがなものかと言っているんだ」


「昔からほんと真面目だねえ…」


「逆にお前はよくそれで里の警備隊になれたな……」


「ほら、あたしってば天才だからさ」


「2人とも無駄話はそこまで。流星の墜落した場所は分かった。ついてきて」


『………』



声に抑揚はない。だが、ぴしゃりと空気が閉まるような鋭い声に2人は気持ちを入れ替え、凄まじい速度で飛ぶように里を出ていく奏を追いかけた。

















混濁する意識の中で坂口唯は女神と紫色の流麗な竜に言われたことを思い出す。



「坂口唯さん。今この世界に闇が迫っています。我々神が力を抑えておりますが、闇の力は強く、綻びが見えてしまっています」


「ああ、最近もコアトルの兄貴が闇に呑まれて暴走したそうだしな。いよいよ真竜も闇に備えなきゃならねえんだが、一切手立てが見つかってない。未来が見える神であるフォルトゥナ神が言うには異世界より来たる者が世界を救うとあるが、漠然としすぎていてわからねえんだ」


「我々は既に後手に回っていると言ってもいいでしょう。闇の存在が何なのか。我々はその正体すら掴めていないのですから」



キャラメイクをしている唯の前でなんだがやんごとなき事情を聴かされているが、この時唯はまだただのゲームだと思っていた。



「天界に闇の浸食はないみたいだが、正直僕らのお姫様であるインドラ様が闇に呑まれたらこの世界はゲームセットだ。まぁでも幸いにも現状この世界で最も闇に抵抗できる可能性を秘めた奴が傍にいるようだから安心しているが、このまま楽観視できる状況でもねえ」



ミラージュJrのお姫様だからきれいな人なんだろうな~とか考えながら話半分で聞いている唯。



「おい、ちゃんと聞いているのか?」


『は、はい!?』


「お前にも関係ある話なんだからな?お前、まだ現状を理解していないようだな」


「坂口唯さん、いいですか?この世界はあなた達が言うゲームの世界とは違うのですよ?」



言われた瞬間頭に浮かんだのは『何を言っているんだこのキャラ達は?』という言葉だった。



「この世界は生きている。お前の兄の坂口龍之介も後でそれを知ってネウロ様にキレてたが、死んだら終わりだからな?」



『坂口龍之介……?兄さん?なんで知っているの?』


「当り前だろ。坂口龍之介もこの世界に来たんだから」



頭が真っ白になった。無き身体が震えるのを感じた。



『じゃ、じゃああなた達は本当に生きて…?』


「生きてる。だから、正直お前には同情するぜ。こんな世界の危機なんぞにこっちに来て大層な役割を押し付けられるんだからよ」


「ちょ、ちょっとミラージュ…!」


「事実じゃねえか。言葉を濁すなんざ何の慰めにもならねえしよ、こういうのはズバッと言ってやるのがいいんだよ」


「で、ですが、もう少し話の順序というものが…」


「んなまどろっこしいことしてられっかよ。いいか、坂口唯」



ミラージュJrと呼ばれる少年がアメジストのような瞳をこちらに向けてくる。



「今お前が置かれた現状を分かりやすく端的に言ってやる。お前はこの騒動が終わるまで元の世界に帰れない。お前が取るべき行動は2つに1つだ。それはこの世界を救うか、それとも誰かが解決するまで隠れているか、だ」


「私たちは強制はしません。あなたはただ巻き込まれてしまっただけなのですから」


『………兄さんは、戦っているの?』


「坂口龍之介さんは…---」


「戦っているぜ。僕の知っている情報だとこの世界に召喚された勇者のパーティーメンバーとして旅に出たっけな」


「ミラージュ……」


『そう……兄さんは戦っているんだ……』



ミラージュJrの中らずと雖も遠からずの嘘にモルペウスは悲痛そうに目を伏せた。それも知らずに唯は決心すると同時にアバターが完成する。

銀糸のような美しく輝く長い銀髪とぴょこっと生えた可愛らしい狐の耳。そう、彼女は獣人を選択したのだ。



「私、戦うわ」


「なかなか良い目をするじゃねえか。ところでお前、何か武芸を齧ったりしていたか?」



首を左右に振るとミラージュJrがモルペウスに目配せをする。



「坂口唯さん、少しこちらに来てください」


「は、はい」



出来上がったアバターの姿で歩き、モルペウスの前へ来ると彼女はおもむろに右手を差し出してきた。



「手を。あなたの想いに触れさせてください」


「え?わかりました…」



よくわからず、とりあえず差し出された手を握ると世界がはじけ飛んだ。



「え!?な、なに!?」


「僕のご主人は形作る者。お前が歩んできたこれまでの道を見ているだけだ」


「人生ってこと?」


「そういうこと。まぁたかが数十年の人生だ。そこまで時間はかからねえだろうさ」


「君、少し棘がある言い方をするよね」


「うるせえやい」



それから待つこと数分。モルペウスから手を放し、少し離れると彼女の手のひらに闇が集まり始める。だが、それは完全な闇ではなく、星々が散りばめられた美しい夜空であり、その光景に唯は声を失う。



「物を作るにかけてご主人の右に出る者はいねえんだ」


「綺麗……」



そして出来上がったのは黒く星々が煌く一つの腕輪。



「できました。坂口唯さんを助けたいと思う者がこの腕輪に宿っています」


「どういうことですか?」


「つけてみてください。そうすれば分かります」



モルペウスから恐る恐る腕輪を受け取り、おもむろに右手へ通すと優しい風が吹き、どこか懐かしい鳴き声が聞こえてくる。



「え…?」


「ワン!ワン!!」



そこにはかつて幼い頃坂口家で飼っていた柴犬のユウタ。その彼が千切れんばかりに尻尾を振って座っていた。



「ユウタ!!」


「ワン!!」


「貴方が心配だったみたいですね。天に昇らずにずっと貴方の傍に守護霊としていたようです」



涙を流しながらユウタを抱きしめると傍に歩み寄ったモルペウスが微笑み、苦しそうにするユウタの頭を撫でる。



「さて、その姿ではこの世界の闇と戦うことはできないでしょう。そこでもう一つだけ私の力を分け与えます」



いつまでもユウタを抱きしめている唯をミラージュが無理やり引き離すと、モルペウスがユウタの前でしゃがんで頭を優しく撫でた。

そして再び夜空がモルペウスから溢れ、ユウタを包み込む。彼の姿が見えなくなったことで唯は不安感を覚えるが、ぐっと我慢して成り行きを静かに見守る。


ユウタを包み込んでいた夜空が消え去ると、そこには若干大型犬サイズになったユウタが鎮座していた。

しかし、彼の姿の変化はそれだけではなく、彼の頭には三日月の兜。体には艶やかに光る漆黒の侍鎧に浮かぶは満月。侍の鎧を身に纏ったユウタの背中には巨大な太刀と前足には仕込み刀が収納されており、それぞれの刀にはモルペウスの力が宿っていることを示す彼女の姿が彫られていた。



「ワン!」


「これでまぁ少しはましになっただろ。闇と戦うには心許ないが、今後の成長次第ってところか」


「ユウタかっこいいよ!!」



自分と戦う覚悟を持った愛犬をもう一度抱きしめてよしよしと何度も頭を撫でる。



「坂口唯さん」



頃合いを見て話をかけてきたモルペウスに唯とユウタは身体を彼女に向ける。



「貴方をこの世界の戦いに巻き込んでしまい、神々を代表して謝罪をします」



シャランと煌びやかな装飾品が揺れ、彼女は唯とユウタへゆっくりと頭をさげる。突然のことに唯は戸惑い、慌てて彼女に頭を上げるよう言う。



「ミラージュはああ言いましたが、我々神は貴方に戦いを強制はしません。何度も言いますが、貴方はただ巻き込まれてしまっただけなのですから……」


「ま、僕的に見てもお前は戦闘向きじゃねえ。自分に降りかかる火の粉を払う程度の力はせめて身に着けておけよな」


「と、言われてもこれまで戦いとは無縁の世界に生きていた貴方には酷な話でしょう。なので、最後にもう一つだけ私の力で貴方の力になってくれる仲間の下へ転送してあげます」


「未来が見える神の神託が今届いた。お前が飛ぶ先は獣人国の秘境『仙人の谷』だ」



ミラージュJrの肩に停まっているフクロウから便箋を受け取り、無造作に破って中身を確認している彼は淡々と告げる。



「えっと……秘境って山…とか?」


「ああ、山奥もいいとこだぜ。強くなるにはうってつけなんじゃねえの?」


「そこには獣人の中でも特に強力な妖狐族が住む里でもあります。今の唯さんの姿ならきっと受け入れて貰えるはずです」



そう、今の唯は妖狐族である。それも珍しい銀狐であり、ここ数百年仙人の谷では銀髪の妖狐族は生まれておらず、その珍しさと生まれ持った力から金と並んで最も九尾になる素質を持った妖狐族と言われているのだ。



「ま、あまり天狗にならない程度に頑張れよ」



そしてミラージュJrは虚空を切るように手刀を繰り出し、空間を裂くと中から衝撃からそれを守るように厳重に封をされているポッドを取り出す。そのポッドに入っているものは……――――



「卵?」


「こいつは遥か昔、こことは違う次元で生まれたある竜の卵だ」



それは竜の卵だった。唯がよく見る鶏の卵とは打って変わって大きさは70cmほどあり、外見は卵の底から鱗のような何かがてっぺんまで逆立つように殻を形成している。色は深く限りなく黒に近い紫色をしており、一般人の唯ですらこの卵は良くない何かが眠っているのではと思うほど怪しい気配に満ちている。



「先代の姫と親父から僕に託されていたんだが、こいつは生まれるのを拒否してやがってな。今の今までうんともすんとも言わなかったんだ」



だが、とミラージュJrは続ける。



「お前がこの世界に来た時この卵は初めて鳴動した。まるでお前が来るのを待っていたかのようにな」



手渡された唯があまりの重さに落とす―――ということはなく、まるで卵自身が意思を持っているかのように浮いており、唯は重さを感じることなく受け取った。



「時期にそいつは生まれる。うまく育ててやれ。この世界ではやんちゃしすぎて我らが先代の姫様に討伐されたが、お前なら大丈夫だろ」


「ミラージュのお姫様に討伐されたって……この卵はなんなの…?」



そしてミラージュJrはなんのこともないようにあっけらかんと言った。



「ん?そいつはバハムートの卵だよ」





















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