第36話 2人の想いと久しぶりの息抜き
その後アリッサはお風呂に入り、髪を乾かすなり死んだように寝てしまった。
嵐の海域を飛び続けたことやら、アスガルドの力を無理やり解放したせいやら、その後アザムを守るため休息なしに神経をとがらせてなど様々な理由から、精神的な限界を迎えたのである。
それはアザムも同じだが、特に真竜の殺気を間近で受けた影響が大きいようで、リヴァイアサンとケツァルコアトルの戦闘の余波を何の修行も積んでいない下位のカラードラゴンが受けられるわけもなく、むしろよくぞ気絶しなかったと褒めてもいいほどなのだ。
この大陸においてドラゴン族は最強のモンスターと言っても過言ではない。アリッサがウィンドドラゴンの里を訪れ、盟友の証を結ぶまでドラゴンの存在は幻であったのだ。
アザムは決して弱くはない。それは断言しておこう。たとえオーディアスの聖剣使いだろうとアザムと戦闘になれば決死の覚悟でなければ明確な死が待っていることは間違いない。
アリッサの行く先々の相手が大陸で数少ないドラゴンですら畏怖するような相手ばかりなのだ。
そう、アザムに落ち度はない。だけど、悔しかったのだ。彼女の旅についていく。そう宣言したにも関わらず力になれない自分に。
「アザムさん……」
御飯ができたので、アザムを呼びに部屋へ行ったバニラが目撃したのは、散乱したコップの破片だった。
普段物に当たる様子など見たことがない彼の行動にバニラは、驚きと同時に悲しさを覚えた。
何があったのかはわからない。だが、寝ているアザムから流れ出るもどかしいような、自分に腹が立つ苛立ちのような感情を感じ取ったバニラは、そっと自分の胸に手を当てる。
「わかります。分かりますよ、アザムさん。私ももっとアリッサさんのお力になれたらなと何度思ったことか……」
アリッサのパーティーで唯一の人族であり、そして常識人のバニラにとって彼女の存在は規格外すぎた。
あの事件を境にバニラはもう一人の主を見出していた。今でも鮮明に思い出すことができる。燃える家の中で、自分たちメイドに対して笑顔で、そしてどこか諦めに似た感情を持ったアルベルトが『逃げなさい』と言った言葉が。
それに従い、自分たちは泣きたくなる感情を殺して屋敷から逃げた。しかし、外にはブラッディ・シャドウの手下達が待ち構えており、高位の結界を張られてしまった以上逃げることはできなかった。
バニラやジェニファや屋敷のメイド達はみな絶望した。主も守れず、大好きなお嬢様になんて顔向けすればいいのかと。
せめて1人でも多く地獄へ送ってやると決めて武器を握り、メイド達の最期の戦いが始まった。
しかし、それはあっさりと終わりを告げた。なんと連れ去られたアリッサが戻ってきたのである。
そしてあろうことか自分がアルベルトを助けると言い出す始末。バニラは止めようとした。主人の遺言のような言葉と大事なお客様を危険にさらすわけにはいくまいと。
しかし、アリッサはバニラとジェニファの制止を振り切って燃える屋敷に飛び込んでいった。
それからは報告にあったようにアリッサは左腕を無くす重傷を負うが、あのディケダインを倒し、無事アルベルトを救ったのである。
そして遅れて王都へやってきたリーシアは泣くに泣いた。それはもうみっともなくわんわん泣いた。
人目を憚らず泣くリーシアの姿など初めて見たのだ。お父さんが無事で良かったと、お父さん絶対にアリッサを助けてと。
更に教会から聖職衣を貰い受けてから一度も袖を通したことがないリーシアが、生まれて初めて服を着たのだ。そしてあろうことか儀式槍を持ち出し、アリッサが目を覚ますまで朝から晩まで教会に通いつめ、神に祈りを捧げ続けたのである。
リーシアからアリッサの身体について説明を受けた。オーディアスを守るため暗殺者として生まれたバニラが心の奥底から驚くことなど早々ないが、こればっかりは驚いた。
なにせ、身体は女性だが本当に男性器がついているのだ。リーシアは恥ずかしがることもなく、まるで介護をするかのように眠っているアリッサの身体を、温かい濡れタオルで拭きながらバニラに彼女の身体の説明をした。
その日からアリッサの介護はバニラの役目になった。外せない用事があるときは事前に説明を受けていたジェニファがアリッサの世話をすることもあったが、基本はバニラがやった。
嫌とは思わなかった。彼女の普段の姿も知っているし、何よりアリッサは自分が救うことを諦めた主人を救ったのだ。片腕を無くすという代償を背負って。
ならば、少しでも恩を返すつもりでバニラは彼女の世話をした。
その後、リーシアに呼び出され、自分の護衛をやめてアリッサの身の世話をしてほしいと言われた時は喜んで一つ返事で受けた。
こうしてアリッサのパーティーのメンバーになったわけだが、正直自分の力のなさにバニラは自信を無くしていた。
デュアルホーンアぺスのマーカスはともかく、アザムは幻の存在と言われていたドラゴンであり、強さなど言うまでもない。ドラゴン1体いれば国が滅ぶと言われ、前人未踏の嵐の海域を突破したことから、その強さは噂などではないと証明しているようなものである。
インドラなどそれこそ話にならないレベルである。遠くから見ても近くで見てもその黄金の美しさは他の追随を許さず、教会の子供達の何人かはインドラの姿を見てほの字になっている子は多い。
無論それだけではなく、彼女は強い。それこそ全大陸の種族が手を取り合って彼女に挑んでも一瞬で灰燼と化すことは言うまでもない。
多くのドラゴンを束ね、その頂点に立つ彼女こそが真竜インドラ。またの名を太陽竜インドラなのだ。
自分の強さを比較する相手がおかしいことなど重々承知している。だが、この先自分は果たしてアリッサの旅についていけるのだろうかと常々悩んでいる。
今はこうしてアリッサとインドラの世話をすることで悩みから解放されているが、いざ戦闘になった場合どうなるか。自分はいずれアリッサの足手まといになってしまい、彼女の負担になってしまわないだろうかと思い悩む。
だから、アザムのちょっとした変化に彼女は気付けた。同じ悩みを持つ者として。
その日の真夜中。アリッサは目を覚ました。
「ぐ……ぐぐ……」
節々が痛むと同時に凄まじい筋肉痛に襲われ、寝るに寝れなかったのだ。アザムによるとアスガルドの力を使って肉体反動が出ているのでは?ということだったが、全く身に覚えがないのでこれからは気を付けようと思う。
痛む身体を引きずり、夜風に当たるため外に出ると優しい風と穏やかな波の音が聞こえ、この丘に建つ教会から見渡すブルースの町にしばし言葉を失う。
「いてえ……」
そう言えばと、あの例の娼館とは別の娼館のお嬢さんに貰ったチケットを取り出す。
「マッサージ屋を始めたんだっけ」
姉妹店が出来たのでよろしく、なんて言葉と共に渡された記憶がある。
「行ってみるか」
今の時間帯でやっているかどうか分からないが、ここ数日お預けだったことから高鳴る鼓動は抑えを知らず、痛む身体など忘れてアリッサは町へ歩き出した。
町は深夜だというのに相も変わらず活気に包まれており、酒で出来上がっている者や二件目へ肩を組みながら道を行く者達でいっぱいだった。
中には女性冒険者の姿もちらほらあるが、その全員が屈強な男を連れたりとパーティーで固めた者ばかりで、間違っても女性1人で歩いている姿はない。
つまり、何を意味するかというとアリッサは今ものすごい数の酔っ払いに絡まれていた。
「なぁ姉ちゃん、こんな夜中に1人で歩くなんて危ないからよ。俺たちと一緒に飲もうぜ」
「いんや、この姉ちゃんはオレたちと一緒に休むんだよ。金がないならオレ達があげるからあっちの宿に行こうぜ」
など、下心しかない男どもに嫌気が差していた。最初は穏便に済ませていたアリッサも段々と近づいてボディタッチをしてくる男たちをぶっ飛ばそうと思ったところで、突然割り込んできた男に手を引かれた。
「あー!いたいた!全く探しましたよ!アリッサさん!どこ行ってたんですか!!」
「あ、お前は…」
弓の勇者パーティーにいる紅一点ならぬ黒一点の樋口彰だった。突然割り込んできた樋口に男たちは食って掛かるような勢いで睨めつけるが、樋口は怯む様子もなくまるで蛇のようにすいすいっと男たちからアリッサを救い出し、颯爽と手を引きながらその場を後にした。
そして酔っ払いに絡まれるのを避け、路地裏に逃げ込んだ2人は少し周りを確認すると話を切り出した。
「久しぶりですね、アリッサ先輩」
「彰も久しぶりだな」
「余計なお世話でしたかね?」
「いんや、助かったよ。なんかお前かっこよかったぞ」
「え?まじっすか?ははは、それは照れますね」
「男に磨きがかかった感じがするな。どうだ?その後女の子達とは」
「特に進展はないですよ。ただ、あのお店に行くようになってからは女の子に耐性ができたような気がします」
あの店、リリスの店である。アリッサは神眼を発動し、彼のステータスに異常がないか調べるが、特に洗脳やレベルダウンなど異常は見受けられないようで、あの店とは清い関係を築けているようである。
「裸を見慣れたってこと?」
「そこまでじゃないですが、着替えが起こりそうだったら声を上げずにさっと退室したり、紳士的な行動を心掛けるようになりました」
「へえ、すげえじゃん。普通の男子高校生なら覗くけどな。オレ、遠目でしか見たことないけど彰のパーティーの子は結構レベルたけえじゃん?なんもないわけ?」
「面と向かって言わないのですが、可愛いのはわかります。でも、なんかそういう関係になったら今の雰囲気が壊れてしまいそうで、嫌なんです」
「わからんでもないよ。そういう空気は大事にしたいもんな」
「そういって貰えると嬉しいです。でも、今俺はお熱の子がいまして」
「彰、お前まさか……」
「ええそうです!僕あの店のナナリーちゃんに恋をしてしまったんです!」
あれ、おかしいなとアリッサは再び彰のステータスを覗き見するが、特に異常な状態はない。と、するに本当に彼はサキュバスに惚れてしまったようで。
「彰って知っているか?あの店の正体」
「え?ああ、知っていますよ。皆サキュバスなんですよね?あのそういう筋の本でしか見ないような」
「ああ、まじもんのサキュバスだ。男の精を糧に生きるこの世界の魔族だよ。大戦時に多くの数を減らしたが、ドラゴンも恐れるこわ~い魔族なんだよ」
「もちろんわかっていますが、それでも……それでも!!」
血涙しそうなくらい力強く迫ってくる彰に若干引き気味のアリッサは、優しく彼を押し戻し、なるほどなと腕を組む。
「オレが言うまでもないけど、それパーティー内の女の子にばれたらどうすんだ?」
「…………」
「多分連れていけないぞ?」
「僕の旅はここで終わりのようですね…」
「おいおい!諦めるなよ!!」
新垣達を捨てたアリッサが言えた義理ではないが、一時の感情に流されそうになっている彰の肩を揺さぶる。
「まぁサキュバスが可愛いのは認めるよ。リリスも顔だけはちょー良いからな」
「あ、それ僕知ってますよ。先輩、あのリリス様と仲がいいんですよね?ナナリーちゃんが言ってましたよ」
「なんて?」
「なんでも、あのリリス様に春が来たって」
「いや~勘弁してくれ……」
「ええ!?あんな美少女に好かれるなんて前世でどんな徳を積んだらそうなるんですか!?」
「ナナリーのことが好きなんじゃねえの…」
「それはもちろんですよ!でも、可愛いものは可愛いじゃないですか!」
「お前、ほんと成長したな……」
最初会ったときオドオドしていた彼はどこに行ったのだろうか。すっかりプレイボーイと化してしまった彰にアリッサは面食らう。
「まぁ僕のことはとりあえず置いておいて。ところでアリッサ先輩は何をしていたんです?」
「いや、実はいつも世話になっているお嬢さんにこんなもんを貰ってな」
そこで話題を変えてきた彰に乗っかったアリッサはインベントリから例のマッサージチケットを見せる。
「マッサージ?ですか?」
「ああそうだ。彰の世界でもなかったか?メンズエステなるもの」
「あ~……僕、あっちの世界だとあんまそういうのは……」
「そういや一皮むけたのはここ最近の話か。なら、知らないのも無理はない」
「なんかクラスの陽キャ達がAVの話で盛り上がっている時にちらっとそんな単語が出てきたような気もしましたが」
「まぁ大体そんな感じの店だよ。いつも行っているお店とはまた違うから、良ければ一緒に行かないか?もちろんオレの奢りだ」
「まじっすか!!行きましょういきましょう!!」
「お前ほんと成長したよな……」
これは愛しのナナリー嬢への浮気にならないのか、と喉元まで出かかった言葉をアリッサは優しく飲み込むのであった。
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