第32話 古の魔族

「………………」






混濁する意識の中でウミネコのような鳥の鳴き声と穏やかな海のさざ波が聞こえる………身体が冷たい。






「………あ…」






どうやら自分の下半身は濡れているらしい。一定のリズムで押し寄せる波に自身の身体は濡れ、アリッサの頭はそれによって覚醒した。




南国を思わせる暖かな気候に温水とはいかないにしろ暖かい海水。手を握り締めると掴むじゃりじゃりとした砂。アリッサは口元についた砂をぺっぺと吐きながら遂に身体を起こした。






「オレは……」






空を見上げると途方もなく天高く広がる青空とそれをドーム状に包み巨大な壁と化している分厚い雲。体験したことはないが、まるで台風の目の中にいるような世界にしばし言葉を失い、そして確信に至る。






「抜けたのか………嵐の海域を……」






まだぼんやりとしている思考を振り切って視点を下に戻し、周りを見渡す。すると傷だらけで砂浜に横たわる緑のドラゴンがいた。






「……!!アザムくん!!」






考えるよりも先にアリッサは祝福の短剣を取り出してアザムの身体に突き刺した。体の傷が癒え始めるが、間髪入れずインベントリから自身が持っている中で最高位のポーションを躊躇いなく使った。






「ああ………姉御……」




「アザムくん!よかった!」




「そいつぁ俺のセリフだ………あいつに身体を乗っ取られたときはどうしたもんかと……」






サンダーバードの猛攻を受けた傷は思った以上に深く、外傷はほぼ消えたが、ずっと飛び続けた疲労は消えていない。






「君のおかげで何とか自我を取り戻せたよ」




「流石姉御だ……」






アザムはそれっきり目を閉じて眠り始めた。アリッサはアザムの隣に立ち、眠り彼の頭を優しくなでた。






「ありがとう、アザムくん」






自身が死んでもおかしくない傷を負いつつも彼は無傷でアリッサをここまで届けた。それに報いるためにもアリッサは先ほどからこちらを覗いている多数の視線に振り返る。






「なんだ、お前らは」






林の奥でこちらの様子を窺う存在にアリッサは敵意をむき出しにし、武器を構える。そして林から姿を現したのは――――






「ミノタウロスか」






筋骨隆々という言葉が当てはまる大男。頭には大きく突き出した角を2本持ち、顔は牛のような出で立ち。だが、全身が鋼のように鍛え上げられた筋肉は人間の限界を超えており、両手に持つ斧もまた自分の体躯とほぼ同じ大きさだった。






「お前、何者だ?」






野太い男の声がアリッサに投げかけられた。それと同時に林に隠れていた他のミノタウロスも姿を見せ、アリッサを警戒するように武器を構えている。






「人間だ」




「それは見ればわかる。だが、その後ろにいるのはドラゴンだろう?それと一緒にいるお前は何者だと聞いているのだ」




「彼はオレの友人だ。嵐の海域を超えるために力を貸してくれた」




「………ここには何の目的があってきた?」






ドラゴンの友人、その言葉に他のミノタウロス達が騒ぎ出し、より一層警戒を強めるのが感じ取られた。






「マキナ遺跡に用があってきた。それ以上の目的はない。もちろん君たちとの争いもこちらは望まない」




「マキナ遺跡だと?そんなあるかどうか分からないもののために嵐の海域を超えてきたのか?」




「あると確信しているのでね。オレ達の目的が分かったのなら退いてくれないか?オレの友人が寝ているんだ。君たちがいると安心して眠れない」




「その言葉が本当かどうかこちらで判断がつかない。悪いが、お前たちを拘束する」




「それは拒否する。お前たちミノタウロスのことはよく知っているからな。後ろのドラゴンなんていい素材になるだろうし」




「………この人数に勝てると思っているのか?我ら誇り高きミノタウロス族がたかが人間と死にかけのドラゴンに臆するとでも?」




「………」






アザムがアリッサを無傷で嵐の海域を突破したことで、彼女の体力は全快の状態だ。よって原始人のような武器しか持たない脳筋のミノタウロスにアリッサが後れを取るはずもなく。




アリッサは次元宝物庫を展開するとミノタウロス達に動揺が広がるのが目に見えて分かった。そして先制するため次元宝物庫を一斉に開放すると解き放たれた武器は次々とミノタウロス達に突き刺さり、絶叫を上げながらミノタウロス達は林に倒れていく。




無論すべて魔法が込められた武器達で、魔法の心得がないミノタウロス達には自慢の筋肉がまるで役に立っていないことに驚愕する。


そう、ミノタウロス達は基本的に物理対して強力な耐性を持っている。よって魔法で倒すのが基本的な戦い方であり、それを知っているアリッサにとってミノタウロスは大した脅威ではなかった。






「馬鹿な……ただの人間ではなかったか……」






殺してはいない。後々関係が崩れることを嫌ったアリッサは肩などを射抜くだけにとどめ、ミノタウロス達は傷ついた仲間たちを抱えながら慌てて逃げていった。






「アザムくん……」






これだけ轟音を立てても起きる気配を見せないアザムに若干の不安を抱きつつもアリッサは彼が目を覚ますまで傍にいるのであった。






それからアリッサとアザムにミノタウロスがちょっかいをかけてくることはなかった。時々こちらの様子を窺っている視線を感じるが、あくまでそれだけでアリッサもそれだけなら特に荒立てることもなく、アザムの看病に専念した。






アザムの看病を続けて3日が経った。髪もぼさぼさになり、アリッサの顔色も悪くなり、疲労が限界に達しようとしたとき、巨体が動いた。






「うっ………」




「アザムくん!」




「姉御……おらぁ……どれくらい寝ていた?」




「3日だよ。随分とお眠りさんだな」




「はは、そいつは悪かったな」






目を覚ましたアザムの目に移ったのは目に真っ黒なクマを浮かべ、ぼさぼさの髪を手入れもせず座っているアリッサの姿だった。






「………あいつらはまさかミノタウロスか?」




「ああ、ここ3日間ずっとオレ達の様子を窺っているだけだよ」




「古い時代に滅びたとされていた魔族がこんなところに……」




「アザムくんとは絶望的に相性が悪いから喧嘩を売っちゃだめだよ」




「んな真似はしねえよ」



それにしても、とアザムは呑気にアリッサの姿を見ると微笑んだ。



「なんだよ?」


「いやなに、姉御もなかなかの美人さんだが、今の姉御の姿はひでえもんだなと」


「おいおい、こちとら三日三晩ほとんど寝ずに看病していたんだぞ。あいつらが何をしてくるか分からなかったからな」


「そいつは迷惑をかけた。ほんと俺はドラゴン失格だな」


「いやいや、むしろあんだけいるサンダーバードの中を死なずに突き抜けてきたんだ。弱点のはずなのによくやったよ」


「ああ、あの稲妻は効いたぜ。もう二度と嵐の海域は行きたくねえ」



と、アザムはその時のことを思い出し戦々恐々しているのだが、割と重要なアイテムが眠っている嵐の海域をいつか探索したいと思っているアリッサは今はまだ口を閉ざすのであった。






それから少し時間が経ち、バニラに作ってもらったサンドイッチを食べながら2人は今後の方針を話していた。



「んで、嵐の海域は抜けたが、これからどうすんだ?あいつらにずっと見られているのも気分がわりいぜ」


「場所を移そうと思う。一応ここはミノタウロスの里ってことでテレポート先に登録されたんだけど、流石にバニラ達をここに呼ぶ訳には行かないからね」


「そうだな。まだちっと疲れは残っているが俺はもう飛べるぜ?」


「オレもとてもじゃないけど戦える状態ではないから、戦闘は出来るだけ避けたいね」


「どこに行けばいい?」


「マキナ遺跡を目指そう。そこなら確実にランドマークされるはずだから」


「遂に伝説の遺跡のご尊顔を拝見できるってわけか。うし、行くぜ?」


「また頼むよ。道は飛びながら随時言っていく」



アザムの背に跨り、2人は空高く舞い上がる。そしてその様子をミノタウロス達はただじっと見上げていた。



「族長、如何します?」


「ふむ...島が荒れるかもしれぬな」



白髪の髭を蓄え、斧ではなく杖をつく一際大きなミノタウロスが飛んで行ったドラゴンと人間を見えなくなるまで目で追っていた。









一方その頃ブルースの教会では落ち着かずウロウロしている青髪の女性がいた。



「バニラ」


「は、はい!」


「そなたがそうしているのは何度目だ?心配しているのは分かるが、いい加減鬱陶しいぞ」


「す、すみません!」



目を向けず読書に励むインドラにバニラは深々と頭を下げる。



「そうよ。私達は待っていることしか出来ないんだから、大人しく待ちましょ」



ボンデージのような露出全開の服を身に纏うクィーンサキュバスのリリスがアリッサが残していったクッキーを手に取り口の中に放り込む。



「ああ...アリッサさんご無事で...」



そしてバニラは今日何度目かの祈りを捧げた所で、教会に若い男の声が響いた。



「失礼する!ここの管理者はおられるだろうか!」



礼拝堂の前で大声を出すなど非常識だと思うが、その男性の姿に誰もが文句を言えるわけがなかった。

そう、その男は甲冑を身にまとっていた。

それもただの甲冑ではなく、装飾が施され家紋が彫ってあるのだ。

ひと目で貴族と誰もがわかった。若い男の声にシスターの1人が早々にミゲルを呼びに行き、ミゲルは奥の部屋から出てきて貴族の男らしき者の対応に移る。



「あれはなんだ?」



明らか不機嫌になっているインドラにバニラは以前ミゲルから渡されたアリッサ宛の手紙の件を思い出していた。



「インドラ様、あれは...恐らくアリッサさんの手紙にあった件の貴族かと」


「ああ……」



それで納得がいったインドラは本を閉じてミゲルが相対している金髪の少し生意気そうな青年に目を向ける。



「で、あいつはなんだ?偉いのか?」


「以前に私が仕えていたリーシア様のお家であるアルベット家と肩を並べ、王都の誕生に深く関わった由緒正しき貴族でございます」


「相当偉いのね。そんな凄い貴族が来るなんてよっぽどアリッサのことが気になるのね?王様は」


「麗奈様に渡した短剣が露見したのかと思います」


「あやつの作った剣か。そら、恐ろしいものが出来上がったんだろうな」


「聖剣を超える武器ができたと」



思い出されるのは作った短剣を苦い顔で睨みつけるアリッサの顔。



「童を傷つける武器を作れるあやつが今更何を作ろうとも驚きはせんが……」


「インドラ様からすれば大したことないように見えるけど、あたし達魔族や人間からすれば是が非でも手元に置いておきたい人材よ。人間の王が躍起になるのも分かるわ」


「お前が最近ちょろちょろあやつの周りにいるのは魔族側の指示か?もしそうであるのならば……」



真竜の長の眼光を受け、リリスは滝のように汗を流しながらも全力で顔やら手を振って否定する。



「ち、違いますって!!ただ、なんとなく面白そうだからいるだけですよ!」


「だが、いずれあやつのことは魔王に報告せねばなるまい?お前は若くも魔族を束ねる四天王だろう」


「確かにあたしは四天王ですが………ぶっちゃけ四天王仕事が面倒で家出中というか……」


「え!?リリスさん家出しているんですか!?」


「名目上大戦時にはぐれたサキュバス族を探す旅に出ているってわけだけど、そろそろ顔を出さないと母様に怒られるかも……」


「もうどれくらい帰っていないんですか?」


「ええっと……もうかれこれ7年くらい?」


「大丈夫なんですか?」


「やばいかも……」



いつも飄々としているリリスが顔を真っ青にしている様子にバニラは苦笑いしつつ新しい紅茶をついだ。



「まぁお前があやつをどうこうしないのなら今は静観しておこう」


「何もしませんって…」


「ただ、今一度言っておくがあやつの存在はお前が思っている以上に危ういものだと思え」



今までにないインドラの真面目なトーンにリリスはもちろん立っているバニラも姿勢を正す。



「あやつの近くにいるのは童の暇つぶしでもあるが、監視のためでもある。これから先あやつの存在は爆発的に広まり、いずれは大陸で名を知らぬ者はいないほどになるだろう。それ故に色々な者があやつに詰め寄ってくる」


「確かにアリッサさんの鍛冶技術は伝説のジャンドゥールを超えていると思いますし、もしその技術が手に入れば各国の力のバランスがあっという間に崩れると予見されますね」


「やつ自身もそれを分かっているようだから、童は特に口には出さぬが、過ぎたる力はいつの世も身を亡ぼすのだ。童は時に思う」



紅茶に口をつけ、一息ついたインドラは真竜の里でアリッサの存在について交わされた激論を思い出す。



「あやつがもし悪の道に堕ちた時、世界はどうなってしまうのだろうとな」



真竜ですら畏怖するような武器も操り、自分も知らない世界を知っているアリッサに自分も含め他の真竜は恐れを抱いたのだ。たった1人の人間に。



「だから童はあやつがすることに対して極力口を挟まん。あやつがお主の店で何をしようと、爛れた生活を送ろうとも童は気にはせん。だが、その力を利用とする者が現れた時は童が真竜の長として裁きを与えねばなるまい」


「き、肝に銘じておきます……!」


「ところで先代の魔王は何をしている?」


「先代様ですか?えと、確か息子様……現魔王様に座を譲って以来ご隠居されたとか……」


「奴は良い魔王だった。好戦的な魔族からすれば弱腰と言われていただろうが、歴代最強と名高いのは奴だったな」


「ええ、それはもちろんです。四天王だったうちの母様も誇りに思っていました」


「魔族が最も栄えた世代と言われていますよね。あの世代でオーパーツの導入や獣人国から仕入れた機械などで魔族側の生活水準が一気に伸びたと」


「さらにその前までは蛮族のような暮らしをしていたからな。人間、獣人、魔族と3族の中で技術発展が最も魔族が遅れているとな」


「まぁひどかったそうですね。飢えが苦しければ奪えって、そういう暮らしだったみたいですし」



そんな時代に生まれなくて良かったと心から安堵するリリス。



「お話中のところすみません」



と、そこへ貴族と話をしていたミゲルが頭を下げつつ部屋へ入ってきた。



「どうかなさいましたか?」


「それがですね、貴族のパステル様がアリッサ様を出せとの一点張りでして」


「パステル様ですか……」


「知っていましたか」


「ええ……リーシア様につきまとっているオーデリック家の次男です。ミゲルさん、私がお話します」


「ありがとうございます。私ではどうも……」



オズマンはなぜ一番話にならない次男をここに寄越したのか、疑問で頭がいっぱいのバニラは入り口にいるミゲルと目が合うと貴族式の一礼をする。



「なんだ、バニラじゃないか。まさかリーシアもいるのか?」



リーシアがいると思ったパステルの声が若干上ずるが、バニラがいないことを告げると露骨に肩を落とした。



「リーシア様はいません。現在私は家の名を捨てた身なので」


「イェーガー家を?なぜだ?」


「アリッサさんといるため、とだけお答えさせてください。それよりパステル様は何か御用があったのでは?」


「そうだ!大罪人であるアリッサを出せ!奴は陛下のもとへ連れて行かねばならぬのだ!」


「その封筒にはラクーシャ様の押印があるのでは?」



そう、こうなることを見越してラクーシャは事前にミゲルへ手紙を渡していたのだが。



「ああ、読んだとも。だが、ラクーシャ様より王命が優先されるのだ。バニラはわかるな?」


「………もちろんです。ですが、ここにアリッサさんはいません」


「先ほどのシスターもそう言っていたが、どこに行ったのだ?昔馴染みからお前のことは疑わないが、納得できる答えをくれなければ俺は帰れん」



そう、昔からリーシアと一緒に育ってきたバニラにとってパステルもまた馴染みがある友達だ。今は既に平民の身であるが、バニラのイェーガー家もまたれっきとした貴族なのだ。



「アリッサさんは嵐の海域に挑まれました。ウィンドドラゴンのアザムさんとともに」


「嵐の海域だと!?馬鹿を言うな!そんなでたらめ誰が信じるのだ!」


「でも、実際そうなんですからそれしか言えないんですよ」


「馬鹿な……本当なのか?」



昔から声だけはでかいパステルに若干嫌気が差してきたバニラが口をとがらせながら言うと、言葉を失いながらパステルは聞き返してくる。



「私たちもアリッサさんの無事を祈っているんです」


「………」


「パステル様は町の外に兵を連れてきているんですか?」


「そんな大人数ではない。少数精鋭だ。今も教会の外で待機してもらっている」


「そうですか。アリッサさんが戻ってきたら一度そちらに連絡しますので、泊っている宿を教えて貰ってもいいですか?」


「いや、しかしお前を信頼しているとは言え、このまま帰るわけにはいかん」


「ではどうするんですか?教会の中を探して貰ってもいいですが、本当にいないんですよ?もしそれでいなかったら陛下を支える3大貴族としてその振る舞いはいかがなものかと」



いつぞやリーシアにぶつけた言葉をまさかここで言われるとは思ってはいなかったらしく、パステルは言葉がしどろもどろになるが、力を振り絞ってバニラに向き直ると。



「わかった!では、奴が帰ってくるまで俺もここに泊まろう!」


「ええ!?」


















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