第23話 錆びれた教会


人外率が高くなったアリッサ達の旅は続いた。途中馬車旅に飽きてしまったインドラのご機嫌を取るため、アリッサは近くに寄った村の酒場でお金を払い、厨房を借りて簡単なお菓子を少女のために作ってみた。

それが大変お気に召したらしく、かの太陽竜の機嫌は最大まで回復した。


そんなこんなでオーディアスから馬車の旅を続けること2週間。遂にアリッサ達は港町ブルースに到着した。



「おお!この潮の香り!カモメのような鳥の声!海って感じだ!」


「あー長かったぜ!姉御、ここを拠点にするのか?」


「まぁ目的の町に着いたし、しばらくはゆっくりするつもりだよ」


「童もう疲れたぁ」



ブルースに入る際インドラの存在はアリッサ達にとって問題だった。だが、門番の兵士がアリッサ達の冒険者ランクを見て驚いたおかげで彼女の存在をスルーすることができ、しめしめとインドラは密入国した。

彼女は身分を示すものがなく、かと言って本来の姿を現せば大混乱は免れず、それ故に隠れるしかなく、今こうして馬車に積んだ荷物の奥からインドラは顔をようやく出せたのだ。



「インドラ様、もう少しですよ」



隠れるのをやめるなりバニラの膝へ座るインドラは、ぐったりとしている。



「とりあえずマーカスを置いていかないとな」


「わりいな。お前が人型だったら連れていけたんだけどな」


「馬型だからなぁ……仕方ないさ。この埋め合わせは飯で勘弁してくれ」



そこらへんを歩いている冒険者を捕まえ、軽くチップを握らせてどこの宿屋が良いか聞くと彼らは気分を良くしてすぐ教えてくれた。何ならアリッサの身体を舐め回すように見て今夜どう?なんか聞かれもしたが、身長2mもあり、どんな鍛え方をすればそんな身体になるんですか?という屈強なアザムくんが睨みつけたところで彼らは散るように逃げていった。



「あ~男に誘われても寒気しかしないぜ」


「姉御は天使族みたいに両性具有だしな」


「へえ、アザムくん天使族知ってんだ?」


「おいおい、俺はドラゴン族の中でも若造だが、これでも800年は生きているんだぜ?」


「えー!アザムくんお爺ちゃんじゃん!」


「ぴちぴちだわ!!人間族の基準で語るんじゃねえ!」


「え、んじゃイレラさんは?」


「あ~族長は5000年くらいか?爺ちゃんだわな」


「おー!なんかイレラさんは貫禄あるもんな。ちなみにインドラ様は?」



手綱を握るアザムの隣で座っているアリッサは、バニラに膝枕をしてもらいながらドライフルーツを食べるインドラに尋ねる。



「さぁのう……1万を超えたところで数えるのはやめたわ。じゃが、童はインドラとしては2代目なのでな。そこのウィンドドラゴンが若造と言うように童も真竜の中では若造だ」


「ドラゴンが永劫の時を生きるってまじで時間の感覚が狂うな……」


「ああ……真竜の力の発端を掴んだ気がするぜ」


「この世界の歴史は長い。我ら古代竜が神に作られて幾星霜……時を重ね世界の在り方を見守って来た。時にはお主のような異なる世界の者が技術を持ち込み、この世の発展を手助けもした。だが、そのまた逆もあった」



ドライフルーツを食いながら突然世界の歴史書にも載っていない重要なことを語り始めたインドラに全員が注目した。



「ウィンドドラゴンの長がお主の報告をしてきた時、長老共は世界の危機と称し久方ぶりに里に真竜が集った。無論お主を消すべきと意見を申す真竜もおったが、童がまず見極めると決めたのだ」


「あー……だから夢の中で?」


「お主がどんな奴か見てみようとな。だが、蓋を開けてみればとんだドスケベ野郎であったな。デコピンで死ぬような奴が世界をどうこうするつもりはないと童は決定づけた。すぐに報告したさ。まだごちゃごちゃ言う長老共がおったが、童が一喝したら黙りおったからこの話は終わりだ」


「いや~知らないところでまたオレ死にそうになってたんすね」


「神にでも殺されそうになったのか?」


「そうですね。なんかオレの力次第では世界征服も簡単だとか」


「まぁお主ならば容易であろうな。力をつければの話ではあるが」


「それで相当揉めたそうです。結果としてはオレ担当の神が何とか説得してくれたみたいですけど」


「その神の名は?」


「エウロっていう奴ですね」


「ああ……水の神エウロか。リヴァイアサンが信仰している神だな」


「え!?まじで!?あ!!やっぱりあの時いたメイドさんリヴァイアサンだったの!?」


「なんだ、会っていたのか。面白くも何ともない奴であろう?くっそ真面目な奴で仕事は出来るのだが、面白みに欠けていてなぁ」



エウロ以外の人物があの空間にいた時、脇に控えていた女性がまさか真竜リヴァイアサンだとは思いも寄らなかった。



「そもそも神様っていたんですね……」



ただ1人常識人であるバニラのみ会話の内容についていけなかった。







「いらっしゃいませ!」



マーカスを外にとめてアリッサ達が宿の扉を叩いたのは『宿屋リュクミッサ』という宿屋だった。ブルースは町が大きく、それこそオーディアスと引けを取らないほどが故に宿屋は多い。ここへ来る途中も色々な宿屋があったが、せっかくチップをあげたのでとりあえず来てみたのだ。


出迎えたのは猫耳が可愛らしい猫族の女の子だった。



「部屋は空いてますか?」


「はい!空いてますよ!4名様でよろしいですか?」


「それと馬車があるんで、馬用の宿も欲しいです。ありますか?」


「もちろんございますよ!」


「んじゃとりあえず2泊で」


「はーい!我が宿のご利用ありがとうございます!食事はいかがしますか?」


「外で食ってきます。代金はいくらです?」


「お一人様銀貨3枚ですので、馬宿一つ8銀貨も合わせて20銀貨で、2日滞在とのことで40銀貨ですね」


「マーカスの小屋代たっか!流石港町って感じだ」



金持ってて良かったと心からそう思いつつ金を払い、部屋鍵を受け取る。



「外で出る際は鍵を受付へお預けください。持ち出しは厳禁ですし、お客様同士のトラブルも当宿は関与しません。もちろん持ち物も自己管理してください」



と、可愛い猫族店員さんの忠告を受けてアザムだけマーカスを馬小屋に連れて行くため外に出て、3人は番号の書かれた大部屋へ入る。



「ふいー!ベッドだ!」


「ふかふかですね。なかなかの品質です」


「良いベッドだ。ここは童のベッドでよいか?」



野宿も少なくはなく、久しぶりに良いベッドで横になると笑顔になる。



「店員も客層も悪くないみたいだ」


「普通の宿にしては高い方ですしね。Cランク以上の冒険者が背伸びしてようやくといったところでしょうか」


「オレの稼ぎでいつまでもダラダラしているわけにもいかないな。せっかく冒険者カードがあるんだし、冒険者の真似事でもしてみるか?」


「その前にアリッサ様の左腕をどうにかしませんと」


「だなぁ……インドラ様が近くにいると自然と落ち着くんだけど、インドラ様なにかしました?」


「なにもせん。ただ童の神聖な力で封じ込められているだけであろう」



ベッドで両足をばたばたさせるインドラはぶっきらぼうに答える。



「ありがたやありがたや……」


「もっと童を崇めても良いのだぞ?強いて言うならばお主が作る不思議な菓子を所望する」


「そうですね。ここは交易が最大規模で行われる場所ですし、オーディアスでは作れなかったお菓子も作れるかもしれませんね」


「おお!まだ新たな菓子を食べれるのか!?」


「期待して待っていてください」



少しの間談笑しているとマーカスを置いてきたアザムが入って来たところで、インドラに説明するついでに今回の目的を確認する。



「この町に来たのはオレの左腕を解決するためだ。まあ治すのは無理だと思うから、せめて封じ込めるアイテムが欲しい」


「確かそいつがこの町の教会にあるんだな?」


「そうそう、聖骸布っていうアイテム。一見するとただの赤い布なんだけど、とてつもない神聖なエネルギーが込められているレジェンダリーアイテムで、インドラ様の槍を作るときに使う素材でもあるんだ」


「なに?あの槍にそんな布が?何か童に関係するのか?」


「オレもよく分からないんですが、インドラ様に心当たりがないなら先代のインドラ様かもしれませんね。で、その聖骸布をなんとか譲って貰うわけなんだが、これが厄介だな」


「インドラ様に関係するアイテムならば相当厳重に保管されていそうですね。それこそ教会の中心地であるマリベルク宮殿に保管されていてもおかしくない遺物です」


「あ~今言ったように聖骸布は本当にただ見ただけだとぼろ布なんだ。オレとかバジェスト王のように高ランクの鑑定眼を持たないとただの布にしか見えない」


「な、なるほど……分からない人にとってはただのぼろ布ですか……捨てられちゃったりしませんかね?」


「エウロからもたらされた情報だから嘘はないと思うけど、もし捨てられてたら怖いね」


「まぁとりあえず行ってみようぜ。丘の教会なんだろ?来る途中見えた場所でいいんだな?」


「多分そこだね。んじゃ行こうか」



4人は宿から出ると、海を目指すため大通りに出て緩やかな坂道になっている道を下っていく。

インドラの姿は目立ちに目だった。フリルがついた白いワンピース姿に裸足だが、彼女の黄金の髪は光を受けてキラキラと輝き、男性はもちろんのこと女性はうっとりと少女の姿を眺め、母親と手を繋いでいる小さな女の子ですら『綺麗…』と声を漏らすほどであった。


アリッサとバニラもインドラに隠れてしまっているが、世間から見たら相当な美少女であり、そんな女性?3人に下品な眼を向ける者も当然存在したが、それを守るようにアザムの巨体があるので彼らは羨望の眼差しをしてから諦めのため息を吐いた。




港は海の男たちやそこで商いをする者達で活気に溢れていたが、アリッサ達はどんどん港から離れて行くと人通りも少なくなり、この町の裏の顔を覗かせる。



「この町の闇ですね」



アリッサが目を向けた先の路地裏では力尽きるように座り込む人や獣人や亜人がおり、小さなうめき声を上げたり、意味もなくゾンビのように性行為に走る者もいる。



「薬か?」


「ええ、違法な薬が出回っています。取り締まるにもオーディアスからここは遠いですし、ここを管理しているビュルアーツ侯爵がブラッディ・シャドウと密接な関係にあると噂されています」


「薬を売って得た資金がブラッディ・シャドウの活動費になったり、ビュルアーツ家の懐に流れ込んでいるのか」


「ですから、報復を恐れて誰も手出しが出来ない状況なんですよね」


「ふぅん……」



アザムは路地裏の惨状をインドラに見せないように大きな手で視界を奪っており、アリッサはそんなインドラが暴れないようにパウンドケーキをあげる。



「貧困の差が激しいのか?」



歩き出したアリッサに続くようにバニラ達も歩く。



「激しいですね」


「大通りのような立派な石造りの家もあれば、潮風で痛んじまった木造もあるんだな……」



家々を見ながら貧しい暮らしを強いられている人々の姿を見て苦い表情を作る。



「治安も悪そうだな」


「警備隊も巡回しているのでしょうが、この周辺は彼らの腐敗も進んでいるかもしれません」



路地裏越しに見える奥の通路を笑いながら通っていく巡回兵士達は片手に酒瓶を持っており、昼間から飲んでいるらしい。



「オーディアスからは何も?」


「手出しが難しいのです。ここはありとあらゆる種族がいますから」


「でかい町ならそりゃ闇もでかいよなぁ」



結局自分たちでは何もできないので、アリッサ達は見て見ぬふりをして丘の教会へと急いだ。






途中こちらを値踏みするような視線が何度もあったが、誰も襲ってくる気配はなく、アリッサ達は貧困区域を過ぎてブルースを一望できる丘の教会へやってきた。


錆びれた教会だった。だが、その錆びれた雰囲気を打ち壊すが如く小さな子供たちが元気に走り回っており、どうやらここは迷い子を預かる孤児院でもあるらしい。



「ごめんくださ~いっとな」



代表してアリッサが錆びれて耳に響く鉄の門を押しながら敷地内に入ると、騒いでいた子供たちの動きが止まり、一斉に見て来る。



「オレ達冒険者でここのシスターさんに用事があるんだけど、いるかな?」



子供たちに聞こえるようにはっきりと大きな声で呼びかけると、彼らは互いに目配せし、木の棒を持っていた男の子は教会の中へ走っていった。


子供たちの視線を受けながら少し待っていると、ここの院長らしきお婆さんが修道服姿で現れた。



「ようこそ丘の教会へ。わたくし、ここの院長を務めさせていただいておりますシスターのミゲルと申します。本日はどのような御用でこちらへ?」


「冒険者のアリッサと申します。実はこちらへ寄付金をと」


「まぁまぁ!それはありがとうございます!!」



ここへ来る途中ただ聖骸布を尋ねても煙に巻かれそうだと思ったため、寄付金を渡しながら要件を言う作戦で行こうと決まったのである。



「とりあえず5万ゴールドです」


「そ、そんなにですか!?本当にありがとうございます。こちらの教会もひもじいものでして、本当に助かります」


「それでなんですが、実はお伺いしたいことがございまして」


「ここでは何ですから、どうぞ中へお入りください」



うし、と心の中でガッツポーズをしつつ4人は教会の中へ入った。中は石造りでしっかりしているものの所々苔や汚れが目立っており、せっかくのステンドグラスも汚れてしまっていた。


4人は院長の後に続いて教会内の中央交差部で右に曲がり、袖廊の先にある扉を抜けてたくさんの子供たちがシスター達と共に食事をする大きなテーブルがある部屋へやってくる。



「こちらにおかけください」


「はい、失礼します」


「お茶も出せずにすみません」


「いえいえ、お構いなく」



4人が座るとまず院長のミゲルは頭を下げ、再度寄付金への礼をアリッサ達に述べた。



「それで聞きたいこととは?」


「聖骸布、という言葉に聞き覚えはありますか?」


「聖骸布……ですか」



ミゲルの表情が曇り、そしてアリッサを怪しむような目つきへ変わる。



「こちらの事情を説明しなくてはいけないようですね」



アリッサは今まで包帯でぐるぐる巻きにして隠していた左腕をほどき、テーブルの上に乗せた。遠くから院長を心配して見守っている数人のシスター達から短い悲鳴が聞こえた。



「オレは先日暗殺集団ブラッディ・シャドウの幹部ディケダインという男と戦いました。死闘の末辛くも勝利することが出来たのですが、その際ディケダインは呪われた小手を身に着けており、その呪いがオレに取り付いてしまったのです」


「この左腕は呪われていると?」


「アスガルドというモンスターは知っていますか?」


「ええ、災厄を引き起こす伝説のモンスターと1体であると」


「その通りです。ディケダインはアスガルドの素材が使われていた小手を装備していました。ですが、その作者が魔に魅入られたため、呪われた防具になってしまい、アスガルドは今も残留思念となってオレの中で生きているんです」


「触ってみても?」


「ええ、大丈夫です」



ミゲルの手はしわがれた手だった。毎日冷たい井戸水を使って子どもたちの服を洗ったり、食器を洗っているのだろう。そんな苦労が見える手だった。



「こんなにも美しい毛をしているというのに呪われているのですか……獣人の方々とは違うモンスターの意思を感じますね」


「多分この腕は一生付き合っていくしかないものだと思っています。ですが、このまま放置していると全てを破壊したくなるというか、どうしようもない破壊衝動に陥ってしまうのです。幸いここに来るまでこのインドラという少女が近くにいてくれたおかげで事なきを得ていますが、いつまた衝動が起きるか怖くてオレは眠れないんです。すみません、紹介が遅れましたね。オレの隣に座るのが――――」



そこでアリッサは隣に座るバニラ、インドラ、アザムの順番でメンバーを紹介した。院長の目はつまらなそうにしているインドラで止まり、茫然としたかのように目を白黒させると老婆の目から涙が零れた。



「み、ミゲルさん!?いかがしましたか!?」



突然の涙にアリッサは立ち上がり、バニラはそれよりも早く向かい側の席へ移動してミゲルの目にハンカチを当てていた。

他のシスター達も何事かと怖がっていたアリッサを無視して院長へ駆け寄る。



「大丈夫です、私は大丈夫ですよ。バニラさんもありがとうございます」


「いえ…」



ミゲルが落ち着くのを待っている間、アリッサは無言でインドラを見ると少女は口を尖らせながらゆっくりと『知らん』と言わんばかりに首を左右に振る。



「すみません、少し昔のことを思い出しまして」


「昔のこと?よろしければ聞かせて貰えませんか」


「はい、是非聞いてください」



それからミゲルはゆっくりと語った。今から50年前、ミゲルが当時15歳の時まだ見習いシスターだった彼女はこの教会に配属されてやってきた。


その頃はまだ教会には毎日礼拝客でいっぱいで生活にもゆとりがあり、孤児もまだ4人しかいなかった。忙しい毎日だったが、やりがいもあり、何より子供が好きで苦ではなかったのだ。


しかし、ここを治める貴族が突然変わり、信仰が薄い貴族は教会への寄付金を下げ、シスターの数も少ないこの教会は徐々に貧しくなっていった。

それは教会のみならず港から少し離れた住宅街はいつしか貧困層へと変わり、違法な薬の蔓延、治安の悪化、それに伴う生活水準の低下による子供を育てられない母親が毎日教会の門の前に子供を捨てて行った。


何度も辞めたいと思ったという。この生活が少しでも良くなるよう皆が寝静まった頃一人礼拝堂で何時間も祈りをささげた。

そんな生活を続けて身も心も疲れてしまって自殺も考えた時、一人の女性が教会を訪れた。


その時は子供たちも昼寝をしており、他のシスター達も子供たちを寝かしつけるために傍についていてミゲル一人で子供たちが遊んだ道具の後片付けをしていたのだ。


その女性は疲れ果てたミゲルにとって女神に見えたらしい。黄金の長い髪を腰まで伸ばし、すらりと伸びた手足は白く、カサカサの手をしている自分とは違って余りの恥ずかしさに手を後ろに隠してしまうほどだった。


きらきらと輝く黄金の髪から覗く瞳は青と赤の左右が違うオッドアイであり、とてもこの世の人間とは思わない美貌に自分は幻覚を見ている気分になったそうだ。



「そなた、ここは教会か?」


「……は、はい」



純白のワンピースが風に揺れ、髪が舞う姿に目を奪われていると女性が口を開き、そこで意識を現実世界に引き戻された。



「なんとも寂しい教会だ……神は何もしなかったのだな……」



裸足のまま気ままに敷地内を歩く女性はブルースを一望できる丘に立ち、しばらく景色を眺めていた。



「あの、こちらへはどのような御用で?」



遠慮がちに尋ねるミゲルにその女性は初めから気付いていなかったかのように無視をしていた。



「………」


「ここは何を信仰している教会だ?」



正体が全く掴めない女性に牧師を呼んでくるか悩んでいると振り返ることなく、また質問が飛んできた。



「ここは水の神ガブリエル様を信仰している教会です」


「ガブリエルか……最高神は仕事をせぬな……」



もうすぐ陽も落ちようかという時間で、夕日に輝く女性の姿が幻想的に見えた。



「我が名はインドラ。今日からこの教会は我のために祈りを捧げよ。そなたの祈りは我に届いた。我はそなた達が祈りを続ける限り加護を与え、永遠に愛そう」



そして今までミゲルのことを認識していなかったその女性は手を差し伸ばしながら、名を語った。

その微笑みはどこまでも美しく、幻想的で、その時ミゲルは悟ったのだ。神はここにあったと。



「はい…!!インドラ様…!!」


「涙を流すな。その涙は次に会うその時まで取っておくのだ」



インドラは太陽に手をかざす。すると落ち往く太陽から光が集まり、夕日のように赤い布を作り上げて優しくミゲルの涙をふいた。



「またいつか会おう」



こうしてインドラと名乗った女性は教会を去っていった。それからミゲルはどんなに辛い現実も明るく受け止め、毎日欠かさずガブリエルではなくインドラへ祈りを捧げた。









「――――ということがあったのです」


「インドラ様?」


「それは童の母上だな」



腕を組みながらも真面目に話を聞いていたインドラは、寂しげな表情を見せながら答えた。それにミゲルはまた涙をこぼし、後ろにいるシスター達もおいおいと涙を流している。



「そなた、ミゲルと言ったか」


「は、はい」


「童と母上は神ではない。それは知っておったか?」


「もちろんです。あの後すぐ私はありとあらゆる書物を漁り、その昔世界を創ったと言われる真竜が存在したと発見しました。そしてその真竜をまとめる長の名がインドラと」


「そなたは母上がモンスターであると知った上で信仰を捧げたのだな?」


「もちろんです。あの時私にとっての神がインドラ様でした。ああ、本当にあの時のインドラ様とそっくりです」



ミゲルに合わせるように背後のシスター達も同時にインドラへ祈りを捧げる。



「母上も焼きが回ったものだ」


「どうせインドラ様のように家出していたのでは?」


「そうかもしれんな。だが、悪い気はせん」



自分の母を信仰する者は里にもいたが、それとはまた違う信仰を感じてインドラは何もない虚空に右手を伸ばす。



「母上が残した聖骸布と交換だ」



右手から青い炎が巻き上がる。だが、それは一瞬の出来事で炎が消えた右手には20cmほどの赤い水晶玉があった。



「こ、これは…!」


「竜玉だ。童は母上から太陽竜インドラの名を引き継いだ。これからは母上と童に祈りを捧げるがよい」



ミゲルは恭しくインドラから竜玉を受ける取る。竜玉の中では激しい炎が巻き起こり、持っているだけで手が火傷してしまいそうだが――――



「温かい……なんて優しい温かさなのでしょう……」


「竜玉は真竜が信頼の証として渡す秘術だぜ……族長が炎のランタンを姉御にあげたようなもんだ……」


「なるほどね……」



事の成り行きをじっと見ていたアザムがそっとアリッサへ耳打ちをしてきた。



「少々お待ちください。聖骸布を持ってきて参ります」




ミゲルは深く頭を下げてから部屋から退出すると、残されたシスター達はまだ泣いていた。



「インドラ様って本当に神様に最も近い竜なんですね」


「お主が神の使いのように童も神に作られた存在だからな。崇められて当然だ」


「でも、他の真竜達は信仰対象になっていませんよね」


「本来真竜は世界を見守る者で、その強さ故に世界への影響力が強すぎるため手出しはせぬのだ。だからこうして暇潰しに里を抜け出して外を歩く童と母上が異常なだけよ」


「まぁそうですよね」



そして戻って来たミゲルの手には丁寧に折り畳まれているもののボロボロの赤い布があった。



「………母上の力を感じる」



インドラは聖骸布に手を置いてそっと力を込める。するとどこからともなく光が集まり始め、赤い布は眩い光に包まれる。



「聖骸布が直っていきます…!」



バニラがそう呟くとボロボロだった聖骸布はみるみる修復されていき、光が収まるとそこには傷一つもない綺麗な聖骸布がミゲルの手にあった。



「インドラ様、お受け取りください」


「童は必要としておらぬ。そこのアリッサにやれ」


「では、アリッサ様。お受け取りください」


「ありがとうございます」



聖骸布をミゲルから受け取ると、聖骸布はまるで意思を持つかのようにするするとアリッサの左腕に巻き付く。



「うお!?」


「ほう?」



肩まで覆った聖骸布は更なる変化をアリッサの手にもたらす。今まで鋭い爪と毛深い毛で覆われていた左手が赤い炎に包まれ、毛を燃やし、爪を溶かしていく。



「アリッサ様!?大丈夫ですか!?」


「あ、熱くないけど!なんかこええ!」



毛が燃えた先にはアリッサ本来の肌があり、溶けた爪は人間のサイズの爪に収まる。



「も、元に戻った!?まじで!?」


「おおお!!姉御!!良かったな!!!」


「良かったです!!これでコップを壊したり扉のドアノブを壊さなくて済みますね!!」


「聖骸布を身に着けている間は元に戻るらしいな。良かったではないか」


「インドラ様とその母上にまじで感謝だわ!!インドラ様!スイーツめっちゃ作るから楽しみにしていてな!!」


「ふふ、楽しみにしているぞ」



久しぶりに自分の本来の左手を見て大はしゃぎをするアリッサにインドラは微笑む。そしてインドラはその対価をアリッサへ告げる。



「お主、この教会をどうにか出来ぬか?」


「ん?ああ、そうだな。インドラ様とミゲルさんには世話になったし、オレも子供たちをどうにかしたいと思っていたところだ」


「掃除ならお任せください!」


「力仕事ならやるぜ!!」


「ミゲルさん、お礼ってわけじゃないけど良かったらオレ達に教会を任せてくれないですか?」



その言葉にミゲルは今日何度目かの涙を流しながら『ありがとうございます』と頭を下げた。

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