第18話 別れ道
アリッサは取り壊しが進んでいるリーシア家の脇を進み、家から少し離れた位置にある鍛冶台がある小屋へやってきた。
メリシュが根を回したのか知らないが、ここだけ焼けることなく破壊された後もなく綺麗なまま残っており、色々な気持ちを抱いたままアリッサは小屋の扉に手をかけて開ける。
「………」
「アリッサ様」
「うわああ!?」
「す、すみません!!バニラです!」
「ば、バニラかよ!!音もなく忍び寄るなよ!!」
背後から声をかけてきたのは研究所に足を運んだ時点で消えていたバニラだった。バニラの突然の登場でアリッサは踏み出した一歩がするんと滑り、そのまま前のめりでこける。
「だ、大丈夫ですか!?お怪我はありませんか!?」
水色の腰まで流れる長い三つ編みを揺らしながら慌てて駆け寄るバニラになんともない、と言って立ち上がる。
「それで?どうしたの?」
誇り一つない清掃された小屋を見渡しながらバニラに尋ねる。
「ご迷惑かもしれませんが、この度正式に私はリーシア様よりアリッサ様への護衛をさせていただくことになりました」
「え?つまりリーシアの護衛から外れたってこと?」
「はい。リーシア様はジェニファが引き続き護衛をすることになっています」
「それ、オレが寝ている間に決まったの?」
一通り小屋を見渡したアリッサは適当な椅子を引っ張り出して座る。
「すみません、この度の判断は旦那様と奥様とリーシア様によるものでして」
「なるほど……でも、バニラってアルベット家の諜報員じゃなかったっけ?」
「それにつきましては兄が引き受けることになりました」
「え?バニラって兄ちゃんいたんだ」
何だか話が長くなりそうな気がしたので、アリッサはバニラに腰掛けるよう言い、茶を出そうとしたところでバニラが茶を出すことになる。
「はい。7つほど離れておりますが、とても優秀で尊敬する兄です」
「へえ、兄ちゃんってバニラの家の次期当主?」
「そうなりますね。私は末っ子なので…」
「バニラの家って兄弟何人いるんだ…?」
「8人です。兄が3人いて4人の姉がいます」
「多いな……いや?この貴族社会だと普通なのか?」
「普通ですね。リーシア様が極端に少ないのです。私の家の場合、正妻の他に愛人が3人いますから」
「………一夫多妻って存在したのか……」
夢のハーレムを実現している家がまさかあることに思わずアリッサの喉が鳴る。
「私の家は幸いにも奥様同士が子供の頃からの付き合いでしたので、それほど争いは起きなかったのですが、他の家は裏では酷いものですよ」
「ああ、それが普通だよな……だよな……一夫多妻なんて夢なんだ……」
「アリッサ様は興味があるのですか?」
「え!?なにが!?」
我ながら酷く上ずった声が出たと思う。そして何とか誤魔化すためにアリッサは努めて冷静な声で話す。
「そっか、そういやオレの身体の秘密を知っているんだっけ?」
「すみません、アリッサ様の了承を得るべきだと思ったのですが……」
「いやいいよ、いつまでもリーシアに甘えるわけにも行かないしね。それでその秘密を知るバニラがオレの護衛を任されたってことか」
「はい。アリッサ様は無類の強さをお持ちのことは承知しております、ですが相手は搦手を使ってきます」
「ああ………実際見事に薬を盛られたからな……」
「まさかあのメリスが今まで誰も尻尾を掴むことが出来なかったメリシュ・ランティーノだとは……」
メリシュは初めから自分を騙すつもりで近づいた。彼女の任務はアルバルトを外に誘い出し、暗殺することだったが、途中で彼女はアリッサに標的を変えた。
初めての経験だった。あそこまで人というのは悪意を殺して騙すことが出来るんだなって。
アリッサの握られた拳に力がこもり、左手で持っていたカップが握力で砕け散る。
「アリッサ様!?」
「大丈夫、ごめん、カップ割っちゃった」
「いえ、それは構いませんが……」
「オレは悲しかったよ……あんなに笑って仕事も出来て料理も上手で気が利いて、ほんと欠点なんてないような子が裏では人を簡単に騙し、殺し、財産を奪っていく犯罪集団の幹部だったなんてさ」
アリッサがこの小屋に逃げるように来たのは何も鍛冶をするだけが理由じゃない。
「バニラ、オレさ、疲れたんだよね」
ぽつりと言葉を漏らすように小さく呟いた。それをバニラは一字一句聴き漏らさないように耳を傾けた。
「オレは皆が思っているような人間じゃないんだ。確かに変なスキルを渡されてオレつえええ!みたいなことになっているけど、オレは元の世界じゃ村人のような力も全然ない働くことだけが生きがいの一般市民なんだよ」
俯き、顔を覆うように右手を当てるとその指の隙間から涙の雫が溢れ出す。
「何もかも怖かった。でも、怖いなんて言えないんだ。あいつらはオレに期待している。リーシアもオレに期待している。なら、意地でも張って応えなきゃいけないんだ。でも、オレはいつまで意地を張ればいいんだ?なぁ……一体オレの人生はどこで狂っちまったんだよ……」
バニラの瞳にはその椅子に座る人間が女性ではなく酷くやつれた男性に見えた。黒いスーツを纏い、一人泣く姿があまりにも可哀想で、とても情けないなんて思えなかった。
坂口龍之介は両親の葬式ですら泣くことはなかった。だが、この時彼は理解してしまったのだ。自分は一体なんのために生きているのか。元の世界にいた頃は自分が稼いだ金が妹の大学費用になって妹のためになっていると理解していたから働けた。
でも、この世界に来て坂口龍之介は依存先を失った。今まで自分がしっかりしなければ両親に顔向けできないと半ば自己暗示のように催眠のように信じて突き進んできたからだ。
ある意味彼は解放されたのだろう。だが、その催眠からの解放は彼にあまりにも残酷な形でなされてしまったのだ。
誰も彼に『もう自分のために生きていいんだ』なんて声をかける者はいなかった。もしも彼にパートナーのような存在がいたのであれば話は変わったかもしれない。
でも、それはなかった。だから、この話はここでお終いなのだ。
「……バニラ、オレが住む国じゃ信じられないようだけど正当防衛が認められない限り人を殺しちゃいけないんだ。それにたとえ正当防衛で人を殺したとしてもそいつは社会的に死ぬ。働き先も見つからないだろうし、表では誰も話をしていなくても裏ではあいつは人殺しだと指を刺される。だから、オレの国じゃ人殺しは最も罪深い行為なんだ……」
「………」
「嘘だと思うだろ?でもそういう国なんだ……オレが小さい頃でもずっとそう教えられてきたし、オレが生まれるずっと前からそれが当たり前のものとして続いて来た道徳なんだ」
涙は止まったが、声の震えは止まらない。
「この世界じゃ人を殺すっていうのは交渉の一つだと考えられている。バニラだって人を殺したことはあるんだろ?」
「アルベット家の影ですから、私の家は…」
「ああ、別にそれを非難しているわけじゃないよ。ただこれはオレやあの学生達が抱える異世界との溝なんだよ。この世界はどうしようもなく命が軽い。でも、オレ達が住んでいた国は人の命が最も重い。価値観ってのはそう簡単に変えられないもんなんだよ……」
バニラは立ち上がり、優しくアリッサの頭を抱きしめた。なんとなくそうしなければ彼の心が壊れてしまうのではないかと思ったからだ。
「ば、バニラ…?」
「アリッサ様はお一人で考えすぎです。そんなに考えてしまっては頭がパンクしてしまいますよ?」
「い、いやでも、オレは新垣達の防具を作らないと」
「いいえ、少し休みましょう。貴方はもっと自由に生きていいんです。疲れたら休む、当たり前のことじゃないですか。アリッサ様は働き過ぎたんです。だから、休みましょう」
バニラの言葉が優しく頭の中に響く。
「少し……寝る……」
「はい、おやすみなさい。アリッサ様」
意識が沈んでいく。この沈み方は知っている。またあいつと顔を合わせるのか、でも、いいか。
「やあ」
少年エウロはいつもと変わらず目を開けたアリッサへ挨拶をした。今回は部下のリヴァリスはいないようだ。
「お疲れのようだね」
「まぁね」
慣れたように椅子に腰かけ、自分の分の紅茶をカップに注ぐ。
「なんかオレに用でもあった?」
「それはこっちのセリフさ。君がボクを呼んだんだ」
「え?」
「初めてだね。今まではボクが君を呼んでいたけど、今回は間違いなく君がボクを呼んだ」
エウロは気分を害した様子もなく、むしろ面白そうにアリッサが口を開くのを待っている。
「なぁエウロ。お前は前にオレは巻き込まれただけって言ったよな?」
「そうだね。こちらの手違いで君を巻き込んでしまった」
「そしてオレは学生達のような勇者でもなく勇者になりそこなったただの一般人なんだよな?」
「うん、君は間違いなくただの一般人だ。ただ強力な力を持ってしまっただけのね」
少年はうんうんと頷きながら事実をすり合わせて行く。
「お前たちはオレに何も求めていないんだよな?」
「そうだとも。ボクは君に何も求めていない。そしてボクは君に好きにしたらいい、とも言った」
「そうだったな……お前はオレに何も求めていなくて……そして好きにしたらいいって……」
すとん、と何かが坂口龍之介の中で落ちてカチッと噛み合った。
「アリッサ君、いいや坂口龍之介君」
顔を上げたアリッサの視線の先にいたエウロは優しく笑っていた。どこか悪戯っぽい笑みでいてそして全てを優しく包み込むような優しい笑顔だった。
「君が歩いてきた今までの人生は酷く苦しいものだった。君は周りの期待に応えようと必死に足掻いて藻掻いて苦しんで、それでも君は飛び続けた。だから、少しここで羽休めをしようじゃないか。今の君ならなんだってできる」
ねえ、とエウロは呼びかける。
「君が子供の頃お父さんと海釣りに行っていたよね」
「あぁ」
「あれ、君結構好きじゃなかった?」
「好き……だったのかな……もう昔のことで思い出せないや」
「なら、もう一度やってみようよ。今の君の鍛冶スキルなら作り出せる。自分で竿を作って、ジグも作って、そして出かけようよ。今からでも遅くないはずさ、君が失った休暇を今から取り戻すんだ」
「でも、そんなことしたらリーシアや新垣達は……」
「君は新垣君達の旅とはお別れになる」
「っ!」
「嘘じゃない。ボクの瞳は未来を見通す。んと、分かりやすく言えば君は今選択肢に立っているわけだ。ああ、エロゲじゃないからセーブなんて出来ないよ」
「言われなくても分かっているよ。今オレがどんな選択肢にいるかなんてさ」
そこでエウロは表情を崩し、いつもの掴みどころのない飄々とした少年の笑みを見せる。
「今答えを急がせるのも悪いと思うから、少し別の世界の君の話をしようか」
「は?別のオレ?」
「そう、こことは違う平行世界の君の話だ」
こういうのは普通御法度なんだけどねえ……と愚痴を漏らしながらテーブルを叩くとテーブルは波を打ち、やがて映像を映し出す。
「これは君がリーシアと出会わなかった世界線の話だ」
「………なにしてんのこれ……」
「野球しているね」
「自由過ぎるだろ……」
知らない国で獣人や亜人や人間が入り混じり、巨大なスタジアムでアリッサはバットを握っていた。
「いやいや!流石に話が飛躍しすぎじゃない!?ここまでに何があったよ!?」
「ちなみにリーシア・アルベットは新垣君達と旅を続けている」
「え?」
「以前彼女は君に出会わなかったらこの村から出なかった、と言っていたね?」
「あ、ああ……」
「それは嘘だ。彼女はどの運命を辿っても剣か弓か槍か盾の勇者パーティーとなって旅をする運命にある。だから、君が関わらなくとも彼女はどの道世界を救うための冒険に出るんだよ」
言葉が出なかった。いや、彼女は悪くない。だって彼女は他の世界の自分の存在なんて認識できないし、そんな運命を辿るとも知らないのだから。
彼女は悪くない、でも、でも何だか裏切られた気持ちになった。
「………んじゃオレがいくら物語に介入しても世界は何も変わらないってことなのか…?」
「………」
「エウロ!」
「こりゃ後で上からお叱りを受けそうだね」
立ち上がったアリッサを見てやれやれ、とエウロは頭を掻く。
「変わる。君の行動次第で運命はいくらでも変わる。それだけ君は運命を変える強い力があるんだ」
「それを知っていてオレに好きに生きろと?」
「ああ、この世界の君もまた新たな人生を歩み始めた君なんだ」
アリッサは力が抜けたようにすとんと椅子に座る。
「バニラ君も言っただろう?もう少し自由に生きていいと。そして疲れたら休んで、また起きたら自分の好きなことをしてさ。良いことを言うじゃないか」
「お前オレがみっともなく泣いているの見てたのかよ……」
「みっともないなんて思わないよ。君は頑張って来たのだから、それを評価する者が必要なんだ。だからボクは君を好ましいと思う。その人に向ける不器用な優しさをどうか自分にも向けてくれ」
「お前さ、人をからかったと思ったらそういう照れること突然言ったりするのやめろよ」
「ふふ、顔が赤いぞ?坂口少年」
「やめてくれって!もう少年って歳じゃないだろ!」
「いいや、ボクからすれば少年さ」
「くそ、もういいよ。分かった、なんかお前と話していたら疲れたし色々吹っ切れたわ」
カップに残った紅茶を飲み干すとアリッサは立ち上がった。
「行くのかい?」
「ああ、世話になった」
「では、最後に少しだけいいかな?」
「ん?」
「悔いがないように生きなよ。君が自分で言ったようにこの世界は命が軽い。昨日まで隣にいた子が突然いなくなるなんて日常茶飯事だ。だからね、君がやりたいことをしなさい。そして少し余裕が出来たら周りを気遣ってあげて」
「………オレは人を殺してしまった。どうしてもこれだけは頭の中から離れないんだ」
「分かっているとも。今はそんな自分を許すことが無理でもいつかそんな自分を許せる時が来るさ」
「それは未来で見たのか?」
「いいや、これは願望だ。これでもボクは君を応援しているんだよ?誰よりもね」
「厄介なファンだなぁ」
「ふふ、頑張ってね。坂口君。君の選択に未来がありますように」
「あんま人のプライベート覗くなよ!!」
「出来るだけ善処するよー!それとバニラ君とは仲良くするんだよー!!」
「は!?どういう意味だよそれ?!」
「じゃあね~!!」
視界が泡で塗りつぶされ、意識が覚醒していく。
「っ!」
目を開けると辺りは真っ暗だった。どうやらあの後そのまま鍛冶小屋の休憩室で寝てしまったらしい。
「エウロ……どういうことだよ……」
最後の言葉がやけに鮮明に思い出し、顔が熱くなる。そして隣に誰かが寝ていることをに気付く。
「え?」
バニラだった。鋼の胸当てやタイツなど忍者っぽい姿ではなく薄いシャツ一枚と下着姿という艶姿。
「………」
思考が追い付かないが、どうやらバニラは一緒に寝ていてくれたらしい。エウロが仲良くしろとは、そういうことなのか。いや、最後のあいつは笑っていた。つまり仲良くとはとどのつまり……
「ふむ……」
とりあえずその豊満な胸を触ってみた。軟らかい。そして自分の胸を触る。こっちは若干筋肉質。
「全然違うんだな」
何を冷静に揉んでいるのか。そろそろやめないとまじで彼女が起きてしまう、起きたらどんな言い訳をすればいいのか分からないがとにかく揉むのをやめられない。
「………」
「あ、あの……アリッサ様何を…!」
鼻息を荒々しくしながら胸を揉んでいたらバニラが羞恥に顔を赤く染めながら弱々しい抗議の声を出した。
「………バニラ、おはよう」
「お、おはようございます。で、でももう夜です」
「そっか、こんばんはか」
「は、はい。こんばんは」
両者の間に微妙な空気が流れるが、アリッサは意を決して告げた。
「なぁバニラ」
「は、はい!」
起き上がってベッドに正座をするバニラだが、姿勢を正したことでより胸が強調されたことに気付いていない。
「オレは好き勝手生きることにした。だから、バニラ。君とはここでお別れだ」
「え…?」
「防具を仕上げたらオレはオーディアスを出て行く。もちろんリーシアも新垣達を置いてな」
「あ、アリッサ様……」
「アザムくんはどうするんだろうな。新垣達のことを可愛がっていたそうだし、もしかしたらマーカスとの2人旅になるかもな。ああ、金のことなら心配いらないよってバニラ…?」
1人で思考に耽っていたら目の前でバニラが泣いていた。
「え、え?な、なんで泣いているの!?」
「だ、だってアリッサ様が私をいらないって!!」
「いらないも何も君はリーシアの家の者でしょ!?オレといる方がまずいじゃん!!」
「私はリーシア様にアリッサ様を任されましたぁ!だから、いらないって言われたらもう腹を斬るしか!!」
「待て待て!!今の時代切腹するなんて時代遅れ―――って違う違う!!おい!その短刀置けって!!!
「やだああああ!私は死ぬんだあああああ!いらない子なんだあああああ!」
「お、お前そんな性格だったのかよおおおおおお!!!」
それから暴走して自殺しようとするバニラをなだめるためアリッサは2時間もの時間を要した。
「はぁ……」
「申し訳ないです……」
「バニラ、本当にオレについてくるのか?」
「お供させてください」
「分かったよ。だからもう死ぬとかやめろよ?」
「はい、申し訳ございません…」
竈の火を眺めながら目覚めの紅茶を飲む。エウロのところで紅茶を飲んだが、どうやらあれはあくまで夢の中らしく全然腹も満たされないし、むしろ飲んだ気分になっているのがむかつくので飲み直しているのだ。
「後悔はしないか?この先もしかしたらリーシアに会えないかもしれない」
「後悔はしません。私はアリッサ様の影として生きます」
「オレ、金持ちだから娼館に行くぞ」
「しょ、娼館でございますか……」
「ああ、めっちゃ行く。何なら夜帰ってこないまである」
「さ、寂しいですけど仕方ないですね。お帰りをお待ちしております」
「え、なにこの罪悪感……」
目元に涙を浮かべながら無理に笑うバニラに胸が痛むアリッサ。
「んじゃバニラを性のはけ口する」
「わ、私ですか!いいですとも、どんとこいです」
「え……」
「な、なんで引くんですか!?」
「バニラって経験あるの?」
「………私の家はアルベット家の汚い仕事を請け負って生き永らえて来た家ですからね。当然女として生まれたからには仕込まれますよ。ああ!もちろん出産経験はありませんよ!」
少し表情に影を落としたバニラに地雷を踏みぬいたことを自覚してアリッサも気落ちする。
「色仕掛け……って奴ですかね。幸いなのかわかりませんが、オルバルト様の時代から色仕掛けを用いた諜報活動はなくなりましたが、いつか必要になると思って私の家で生まれた美男女はそういう技を身に付けさせられるんですよ」
「バニラは可愛いからな。そりゃ当然か」
「ありがとうございます。ですから、アリッサ様も必要ならいつでも仰ってください。いつ如何なる時でも下のお世話をします」
「………バニラ、妊娠したらどうすんの」
「薬がございます」
そう言ってシルバーのケースから取り出したのは小粒程度の丸薬だった。アリッサは真眼を使い、道具の正体を見破る。
「おい、それ副作用があるじゃねえか。それに身体にも良くない。お前そのうち子供が産めなくなるぞ」
「構いません。私が子供を産む必要はありませんから。それにもう兄夫婦が次期当主を設けています」
「そういうことじゃないって……バニラの幸せはどうなるんだよ?子供欲しいとか思わないの?」
「私の家は安易に子供を作れないんですよ。格式の高いアルベット家の闇を知る一族として配偶者は徹底的に調べられます。そして絶対に一族の秘密を口外しない者だけが子を成すことが出来るのです」
「面倒くさ……なあバニラ、もう家を抜けたら?」
「え!?」
飲み干したカップをテーブルに置いてふんぞり返るアリッサにバニラは驚く。
「オレみたいにさ、下の名前のないバニラとして生きていこうぜ」
「えと、それって……ぷ、プロポーズですか!?」
「いや、そういうわけじゃないけど、なんかバニラとヤるときに今の事情とか思い出すと萎えそうだから面倒だなぁって」
「ほ、本当に私を性のはけ口にするつもりなんですか!?」
「はは、冗談だよ。ただバニラの家が想像以上に面倒なことは確かだな」
「貴族ってそういうものなんですよ」
「貴族ねえ……バニラさ、家の名前は捨てられないの?」
「む、無理ですよ。私はあの家に生まれてしまった以上、イエーガーの名前は捨てられないのです」
「狩人……お似合いの家名だ。分かった。オレが何とかしてみるわ」
「え!?ど、どうするんですか!?」
「リーシアの父ちゃん。アルバルトさんに頼んでみる」
「だ、旦那様に!?そ、そんな恐れ多いことを!!」
さっきから驚いてばかりのバニラの頭を優しく撫でる。
「オレはアルバルトさんの命の恩人だぞ?それにまだ報酬を貰っていない」
立ち上がったアリッサは欠伸を盛大にする。
「どこへ?」
「ん?しょんべん」
「えッ!?ああ……本当に自由になっている……」
アリッサの中身が男であることを知るバニラは赤面しつつも彼?彼女に感謝をしていた。まだ自分は女の子として生きていけるのかもしれないと。
その後ションベンから戻って来たアリッサは半ば強引にバニラを抱き枕のようにして再び夢の世界へと旅立った。対するバニラは暗殺者としていつ如何なる時でも休息を取れるよう訓練を施されたのに一睡もできなかった。
時間が経ち、時刻は昼を回ろうとしたところアリッサはバニラを連れてアルバルトの部屋を訪れていた。
「失礼します」
『入りたまえ』
「アリッサ君か、それとバニラか」
メイドではないため姿を認識しているアルバルトは2人に座るよう促す。
「どのような要件かね?」
「アルバルトさん、オレは報酬を貰おうと思います」
「ああ、君は私の恩人だ。何でも言ってくれ」
「では、遠慮なく。バニラをイエーガー家から追放してください」
カップに手を出したアルバルトの手が止まる。
「どういうことかね。君は彼女が何者であるかを知っている上で言っているんだね?」
「もちろんです。アルバルトさん、オレはもう自由に生きることを決めました。で、その際バニラを連れて行くんですけど、彼女の家名があまりにも邪魔になるんです」
「いまいちよく分からないが………バニラ、それは君も了承しているのかい?」
「は、はい……旦那様。私はアリッサ様の旅へ着いて行くため家を捨てます」
「そう簡単に捨てられるほど君のお父様も物分かりがいいわけではない。アリッサ君、君はバニラのことは好きなのかね?」
「いえ、好意はありますが、それは仲間としての好意です。ただこの先何があるか分からないので、子供を自由に産むことが出来ない彼女が邪魔になるのです」
「あ、アリッサ様!こ、言葉をもう少しオブラートにー!ほ、ほら!旦那様の手が震えていますって!!」
「オレは子供が大好きです。最近王都で流行りだしているキックベースボールと似たようなスポーツが元居た世界では子供たちもやっていまして、その活動を支援していました。だから、オレは自由に子供も作ることが出来ないバニラの家が糞だと思っていますので、こうしてアルバルトさんにお願いしに来たのです」
「責任はとると言うのかね?」
「オレは子供が大好きですから。それにこんな美少女がオレの子供を産んでくれるのなら大歓迎です」
アリッサの淀みのない綺麗で真っすぐな瞳を見てアルバルトは深いため息を吐いた。
「一つ聞かせてくれ。リーシアじゃ……私の娘ではダメだったのか…?」
「………リーシアはオレには眩しすぎるんです……」
「………分かった……この件は私からイエーガー家に通しておこう。バニラ、アリッサ君を頼んだぞ」
「はい……旦那様……」
アリッサはバニラを連れてアルバルトの部屋を退出した。そしてアルバルトはもう一度深いため息吐く。
「リーシア……」
「………お父さん………」
リーシアはたまたま部屋にいた。それは昨晩なんとなくアリッサの様子がおかしいことから、しばらく休暇を出してみては?と相談に来ていたのである。
「私、振られちゃった…」
「来なさい」
ぽろぽろと涙を流すリーシアはおぼつかない足取りで父の元まで辿り着くとわんわんと泣いた。いつも嫌いだなんだのと口喧嘩ばかりだが、この時だけは2人で泣いた。
「どうしてリーシア様を振ったのですか」
「……リーシアはな、オレに依存していた」
「依存?ですか?」
鍛冶小屋に戻るなり、感を取り戻すためひたすら鉄を打つアリッサにバニラは問いかける。
「何をするにしてもオレに尋ねて来るんだ。バニラ、オレはこの世界を知っていると言ったよな」
「はい、この世界はゲームの世界でそれをアリッサ様は何度もプレイしていると。その特典でマスターコレクターというクラスになったのですよね?」
「そうだね。んで、オレは大体どこで何が起きるか全て知っている。そのおかげでリーシアのお父さんを助けることも出来たわけだけど……」
そこでアリッサは言葉を一度途切れさせ、もう一度鉄に火を通す。
「ああ、オレもリーシアに依存していたのか」
「え?」
「リーシアの家は全作品を通して2作品しか登場していない。それもほとんど隠しキャラ扱いで、終盤に少し、ストーリー終了後のサイドストーリーにしか登場しない。だけど、決まってリーシア以外の家族はみんな死んでいる」
「オルバルト様もアルバルト様もですか!?」
「それだけじゃない。バングくんもクーナちゃんもクレミア夫人も死んでいる。その当時オレはなんでこんな酷いストーリーにしやがった!って憤りを覚えたんだ。そう感じたのはオレだけじゃなくて、他のプレイヤーも皆リーシアが何をしたんだ!って怒りをあらわにした」
「そうですよ!リーシア様が何をしたんですか!」
「だからさ、オレはその運命に抗いたかっただけかもしれない。バニラ、本当はアルバルトさんとクレミア夫人はブラッディ・シャドウに殺される運命だったんだ」
「………」
「でも、リーシアの悲しい顔なんて見たくないだろ?まだあいつ20歳になったばかりなんだぞ?オレは22の時に両親を失っているから分かるんだ。ぽっかりと心に穴が空くんだ。今まで当たり前のようにいた存在が突然いくなるんだよ」
背後から見ていたバニラは金床に涙が落ち、一瞬で蒸発する。
「オレには妹がいる。そいつはいつも口癖のようにお父さんとお母さんが年を取ったら私が介護する!ってさ。で、あいつ実際に介護の道に進むって頑張っていたんだよ。あいつはオレより優秀だったから、オレも応援しなくちゃなって就活も頑張って親が出せない分をオレが出してやろうって!国家試験だから金もかかるだろうってさ!でもさ!ある日なんの前触れもなく両親が死んじまったんだよ!!オレはずっと覚えている。葬式の日あの時の妹の顔をオレは生涯忘れない!」
ガツン!!と力のある限りアリッサはハンマーを金床に叩きつけた。
「だから、リーシアの姿が妹と被って見えてしまったんだ。オレはこの先リーシアと共に歩んだら間違いなく後悔する。だから俺は逃げたんだ……」
アリッサはその後無心になってハンマーを振り続けた。
装備は全て完成した。
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