第98話「それでも曇って泣いてたら」
――涙色のビーナスは消えたんスね。
アブノーマル化された
それが消えた事は不安というよりも不満になるが、新たなスキルが
――傷跡のウェヌス。
そのスキルは、二人が入れるだけの外部から隔絶した空間を発生させる。
「なるほど」
防御に使うものではないという直感がファンに生まれたが、生まれる瞬間が隙となる。当然、グリューは隙を突く。
「火の子よ踊れ、風の子よ舞え! 呼べ、光の神楽!」
ファンが一足飛びに飛びかかれない間合いは保っているのだから、ここで魔法を発振すれば必中だと思っていた。
「シャインアロー!」
しかし襲い来る光線を精剣の刀身越しに見ていたファンは、不意に刀身を中心に空気が振動するのを見た。
「
グリューの目が見開かれるが、ヴァラー・オブ・ドラゴンのような電磁波振動剣ではない。ヴァラー・オブ・ドラゴンはスキルによって刀身を電磁波振動剣にするが、ファンの
――刃が届くならば必ず斬る。
ファンの中にエルの声が響いた。この点も特筆すべき特徴だ。通常の精剣と違い、鞘となっている女の意識が保たれ、剣士の傍に寄り添っている。
故に発動はファンの任意ではなく、エルの意識が振動剣に変えているのだ。
讃洲旺院非時陰歌は、いうならば精神感応式振動剣。
その振動剣が切り裂くのは空――光線を伝達させるものを断つのだから、シャインアローは拡散させられる。
「!?」
規模こそ単体であるが、火力では自身が持つ最大の魔法が掻き消された――防がれたのではなく無効化された――のだから、その衝撃はグリューから時間を奪った。
「刃が届かぬならば、いずれ斬る!」
シャインアローを消滅させたファンは、一気に間合いを詰めた。
とはいえ、遺跡から一度、転落しているファンであるから、グリューとの距離は離れすぎていた。
「まだまだ!」
もう一度、魔法を放つ隙があるとジリオンを構えるグリュー。
――単発のシャインアローだからよ!
広範囲に効果を及ぼすライトニングならば、面で押さえ込む事ができると切り返そうとするグリューであったが、一手違いでファンのスキルが発動する。
「傷跡のウェヌス」
絶対的な防御となる結界を創り上げるスキルであったが、ファンが使用したのは防御のためではない。
それはファンとグリューの双方を包み込み、
「な……!?」
何が起きたのか分からないグリューが周囲に視線を巡らせた。
「不干渉領域。入れるのは二人だけ」
ファンは構えを取らず、グリューの意識が自分へ向くのを待った。場合によっては致命的な隙になっていたかも知れないが、ファンとエルの意識は待つ事を選んだ。
「出られるのは一人だけだ」
つまり、この空間は防御のための空間ではなく、1対1という状況を創り上げるための空間。
「はんッ」
グリューは嘲笑を浮かべた。
――死にスキルでしょう!
その通りだ。1対1の空間を作り出すといっても、相手の精剣からスキルを奪うような効果はない。ならばファンは独力で、しかも広いとはいい難い空間で戦わなければならない。
「土の子、空より風の子を呼び、輝け!」
この狭い空間の中では回避のしようがない、とグリューには必勝の笑みがあった。
しかし……、
「ライトニング!」
構えたジリオンから、魔法は発動しなかった。
「え……?」
「精霊も、ここには来られない」
ジリオンは精霊の力を集束させて魔法を発動させるのだから、精霊が排除された空間では不発になるのみ。
「ジリオンじゃ
グリューの歯軋りに滲む口惜しさへ、ファンは強く鼻を鳴らした。
「それが本心だな」
スキルが不発だったからといって、ファンならば自分の精剣が役に立たないなどとはいわない。口惜しいとしても、それはスキルに対するものではなく、拙い自分の技量に対して。
――自分たちが奪われたものを、他の人からも奪いたいってだけじゃないか!
フォールはUレアを宿せた事がアイデンティティであり、グリューは格が高く、強力なスキルがある事にしかジリオンの価値を見出していない。
「お前等は、少しでも自分が有利な点がなければ立ち向かわない。そして、自分が有利である事を隠すため、いくらでも言い訳をする。敵地だ、闇夜だ、手負いだ、と」
普段ならば、ここまでいう気はない。相手の口上を待たないのだから、自分とて前口上を口にしないのがファンだ。
だがグリューに対しては、何が何でも叩き潰したい欲求が生まれている。
「けど本当に向かっていけるのは、敵が精剣を持っていないか、それとも俺のようにノーマルしか持っていない時くらいだろう。しかも自分が数を頼みにする事を恥とも卑怯とも思わない」
ムゥチのいった通り、グリューとフォールは親兄弟を戦火で失ったのだろう。村を
今、ネーを
「有利なら戦うが、不利ならどうする? 今の、まさしくそれじゃねェか」
ジリオンじゃ役に立たないという言葉は、それだ。
有利になるまで戦わず、また自分が有利になるまで待つ事を恥と思わず、また頑なに認めない。
敵に地の利がある敵地だ、敵が得意とする闇夜だ、自分は怪我を負っているし、そう簡単に治らない――グリューが用意するであろう言い訳を今、ファンは全て取っ払った。
互いに己と精剣のみで、他者が絶対に介入ができない1対1の空間。
そしてファンは、相手が戦闘態勢を取るのを待っている。
「さぁ――」
ファンは呼びかけると同時に、精剣を構えた。
「入れるのは二人だが、出られるのは一人。斬れば出られる」
「ッ!」
ファンの煽りに、グリューも精剣を構える。
刹那、ファンは大きく踏み込み、刃を振るった。
頭上から振り下ろす真一文字の一撃に、グリューはジリオンを横にして受けようとしたのだが、ゴッと空を揺らせた振動剣が、その精剣と共にグリューを両断したのだった。
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