第99話「見れども飽きぬ 神柄か」
日が昇るのを待ち、ファンはキン・トゥと共にビゼン子爵家の城を訪れた。無論、里帰りではない。
「刀身を切断したので、精剣を宿していた女も死にましたが……」
頭を深々と下げたまま、ファンはグリューとフォールの一部始終を報告する。
報告を聞く子爵は難しい顔をし、落ち着かないのか
「その剣士は、ルベンスホルンといったのだな?」
思案するのは、フミの一件があった後、程なくして届いたファンからの手紙である。
とはいえ他国の事情であり、子爵の独断で代官を派遣するような事はできない。特にルベンスホルンはフリーデンスリートベルクの一地方。フリーデンスリートベルクは始世大帝の第十子が治める公爵領でもある。
子爵の父親であるローゼンブルク公爵家を通じ、大帝家にも話を持っていくという、非常に大きな事件になっており、未だ代官は未派遣だった。
「精剣を宿す目的で
それだけを理由にルベンスホルンの領主が後ろにいると判断するのは、ファンたち
故にビゼン子爵として出せる言葉は、今の段階ではひとつ。
「……難しいな」
フリーデンスリートベルク、ローゼンブルク、リーベスヴィッセンは三巨頭と呼ばれる存在であるが、ローゼンブルクの格は一枚、落ちる。ここでビゼン家がフリーデンスリートベルクに影響力を持とうとする事自体、身の程知らずといわれかねない。
「もう一度、大帝家へもローゼンベルクへも掛け合おう。マエン
今、ファンへ向けられる言葉はそれだけだ、と子爵はキン・トゥとファンへ退出を促した。閣僚を呼び、協議する必要がある。
「ははッ」
一礼して立ち上がるファンであったが、背を向けて退出しようとすると、
「いや、少し待て」
子爵が慌てて呼び止めた。
「待て、ファン」
それは子爵としてではなく、伯父としての呼びかけ。
「よく戻ってきた」
両親にも会っていけと告げられると、ファンはくるりと振り向き、ただ頭を下げた。
子爵も伯父の顔になり、そこからは出す言葉全てファンの伯父としての言葉となる。
「キン・トゥも、よく鍛えてくれた」
「勿体ないお言葉でございます」
キン・トゥも相好を崩してしまう程に。
***
しかし城を出てファンが向かう先は両親の元ではなく、キン・トゥの草庵だった。
「帰らなくていいのか?」
キン・トゥが横目で見遣ると、ファンは「いやぁ」と頭を掻きながら、
「敷居が高いんスよ」
それは騎士になる事を望まれる長男だから、という理由ではない。
「まだまだ芸人で身を立てられてないッスから」
思い出すのは、旅芸人になるといい出した、馬鹿息子といっていいファンに対し、両親が贈った言葉だ。
――男子、ひとたび志を立てれば、死すとも帰らん。
それは祖父である公爵がビゼン家に残した言葉だともいわれている。
「ふふふ。らしいわい」
キン・トゥはファンの両親を思い浮かべながら笑った。とはいえ、ファンは母方の血が濃いといわれており、母親はファンに対し、随分と厳しくしつけていた事をキン・トゥも憶えていた。
――それでも息子の顔は見たいと思うが、思ってもいわぬ
ならば会わずにいるが吉かも知れない、とキン・トゥは草庵の戸を開ける。何より今は、する事が多い。手が増えるのは大歓迎だ。
そんな「する事」の最右翼が、今、同乗に敷かれた布団に横たわり、顔だけを向けてくれムゥチである。
「すみやせんね」
致命傷こそ受けていないが、強かに頭部を踏みつけられ、腹に剣を突き立てられたのでは、動くに動けなくされていた。
「今度は大人しくしてくれてたッスか?」
道場に入りながら、ファンはエルとネーに顔を向ける。
「ずっと寝てました」
答えたのはエルではなくネーだった。
ムゥチの願いであった「自分のために必死になってくれる人のために、自分も必死になる事」は、少しだけではあるが、ネーに良い変化を与えてくれたらしい。
故に、この場にある顔は、どれも明るい。キン・トゥなど、特に。
「身体を治す事じゃ」
キン・トゥも明るく笑いながら、ムゥチとネーに視線を往復させていた。
結局、ネーが精剣を宿したのかどうかは訊ねられなかった。宿したとしても、宿していないにしても、ネーの生き方に関わる問題だからだ。
知らないままでいる方が、ムゥチと共にいやすくなる――それは間違いない。
「身体を治して、ワシを手伝え」
ムゥチの
「腕のいい鍛冶屋じゃろ? 包丁、斧、ガンジキ……必要とされるものは、いくらでもあるわい」
剣や槍を作るよりも、生活に関わる道具を作る方が向いているというキン・トゥの見立ては間違いない。
「へへェ……それは、いいでやすなぁ」
ムゥチは鼻を啜った。
「包丁……斧……あと何っスか?」
だがそこにファンが口を挟む。
「ガンジキじゃ。知らんか? 裏にある、落ち葉を集めたり、畑の
「熊手じゃないんスか?」
目をパチパチと瞬かせるファンは、知っていて訊いている。
「地方地方で呼び名が違うんです」
だからエルがいつものようにいい、パンッとファンの頭を叩いた。
ただし――、
「ブッ」
ファンがカエルの潰れたような声を上げてしまうのは、いつもよりも遙かに強い。
「エル、ちょっと今は、痛いッス」
頭を撫でながら顔を上げたファンに、エルはにっこり笑いながら首を傾げ、
「何だか、精剣が変わってから、変なんですよね……」
ファンの頭を叩いた手をひらひらさせているエルは、一回、叩いただけでは収まらないとでもいいたげだった。
「ファンを引っぱたくと、気分が良くって」
「どういう事ッスか?」
ファンが
「アブノーマル化の影響でやしょう。一時的な事でやすよ」
そう告げたムゥチの枕元から、ザキが薬箱を持ってくる。
「はい、ファン。お薬いっぱいあるよ」
「薬?」
ファンが首を傾げると、
「お父様とお母様からです」
ファンが城へいっている内に、ファンの両親が来ていたのだ。
「あぁ、あぁ、助かるッスね」
しかし頷くファンの頭に、エルが手を掛けた。
「まだ挨拶にも帰っていないといわれましたが……?」
エルのファンの頭をポンポン叩く理由は、アブノーマル化の影響ばかりではないらしい。
ただし笑いが広がるのだから、これは正解だが。
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