第62話「カランコロンと鈴の音」
大公の城があるシュティレンヒューゲルは本来、静かなところだ。気候の穏やかな温泉地であり、信仰の中心にもなっているドライファッハへ向かう重要な中継地であるから旅人も多い。
だが今ばかりは信仰心の篤い信者や、物見遊山の旅行者の姿は
宿泊施設を満室どころか貸し切りにしているのは、国中から集まった貴族とその配下である。
大公に招かれ、上覧試合を
そんな中、カラを連れたユージンは目を白黒させている。
「泊まれるのか? これは……」
シュティレンヒューゲルの街並みは、カラに
ユージンは圧倒されていた。
「祭りだからか?」
祭りだとしても、ユージンのいた地方では、ここまでの人手は見た事がない。
だからこそ先程の言葉が出て来てしまう。しかしユージンがシュティレンヒューゲルを訪れたのは、大公に出場する剣士として招かれての事だ。宿泊施設はインやホテルではない。
「泊まれる、泊まれるから」
カラは苦笑い。剣士の宿は大公が手配している。
「招待されて来てるのよ、私たち」
そんなカラの視線に、人混みの中から手を振る長身の少年が入った。
「こっちッスわ~」
その特徴的な声も、姿も忘れない。
「宿舎は大公殿下が用意してくれてるッスよ」
忘れられない者との再会に、ユージンは笑顔を見せる。
「ファン!」
その感激のため、人混みをかき分けるのがどかしいと感じさせられる。
「人が多いぞ。大道芸は見せてるのか?」
ファンと握手するユージンは、「丁度いいとはいえねェけど」と前置きして笑みを見せた。人集りは芸を見せるにいい環境だが、人混みとなれば話は別だ。それなりの空間がなければならないのだから。
ファンも軽く肩を竦め、周囲を示す。
「やってねェッス。あんま、足止めてくれそうな人たちじゃないッスからね」
この人混みは上覧試合に招かれた貴族の配下が殆どであり、彼らは大道芸など見る気がない。
賑わしいというよりも、騒がしいのだ、とカラも感じていた。
「勿体ないですね」
言葉を発したカラも周囲にする者たちが、店先にいつもよりも多く並べている品々に対して興味を払っていないように思えている。金ならば唸る程、持っている者たちが美食にすら興味を持っていない。ならば自分の城へ戻れば楽師、道化師を抱えている貴族がファン一座の芸に興味が湧くはずがない。
皆が興味を懐いているのは、大公が大帝位
そんな景色に、ユージンは
「高々、何人の剣士でしかないのにな」
大帝位簒奪の、どこにそこまでの興味を掻き立てられる事があるんだ、と。
格の高い
そんなユージンへと、高い声と共に横合いから広げられた掌が突きつけられた。
「10人」
面識のない相手に対し、そういう行動ができるのだから、突き出してきたのは当然、女剣士だ。
「ファンさんの……?」
カラは首を傾げて訊ねた。
ただし剣士かどうかではなく、ファンの友達かどうかを。
剣士と知りつつ話しかけた相手は掌を示した女ではなく、一歩か二歩、下がった位置にいる方の女の方へだ。
「はい。主人のパトリシア・ノーマン、私は従者、エリザベス・デファンスと申します」
女はユージンとカラへ一礼したが、パトリシアはポンとエリザベスの肩を叩いた。
「主人ではないし、従者でもないよ」
パトリシアはこう思う。
領主を討った以上、自分は騎士ではないのだから、エリザベスとの関係は主従ではなく
そして何より、関係を表すのに最もふさわしい言葉がある、とファンは二人を示す。
「パットとベス。友達ッス」
ファンはニコニコしながら、皆を紹介していく。
「こっちはカラ。友達ッス」
続いて同じように手を示すファンだが……、
「おい、俺は?」
自分が漏れたとユージンがファンの胸板に手の甲を当てた。
「微妙によく分からないユージンッス。友達だったか、観客だったか、飲んだくれだったか」
「おい!」
この会話は、誰にとっても以前通りだと感じさせられた。ファンがユージンとカラ、もしくはパトリシアとエリザベスと行動を共にしたのは極々、短期間に過ぎないが、脳天気としかいいようのないファンの性格は4人の脳裏に刻みつけられていた。
笑う。
「美人ばっかりで、とてもとても気分がいいッスね」
笑い――、
「お前、エルが一緒じゃないといいたい放題だな」
ユージンは涙がにじんだ目元を拭いながら、ファンの傍にいないエルに言及した。
「ああ、殿下が用意してくれた部屋が豪華なんスよ。台所もついてたから、折角だってんで料理習ってるッス。で、自分が迎えに行けっていわれて」
コバックがが講師役となって料理を教えていた。
「まぁ」
カラも興味があると手を打った。
「それは私も興味があります」
エリザベスも同様であるが、並んで歩く段になってパトリシアがフッと苦笑いして見せる。
「場合によったら刃を交えるかも知れない者同士が
ファンもユージンもパトリシアも、上覧試合に招かれた剣士であるのは間違いない。
「ああ、それなら多分、大丈夫ッスよ。上覧試合は勝ち抜き戦でも総当たり戦でもないッスから」
ファンはピッと両手の人差し指を立てて示した。
「一人一試合ッス」
公布されているのは一芸の者を召し抱えるため、また裏で流れている噂は大帝家との決戦に備える剣士集めなのだから、たった一人を選別するための試合であろうはずがない。試合を成立させるための最低限度の試合数が5戦だ。
「多分、やり合わない相手だけで集めてるんじゃねェッスかねェ」
ファンの予測は当たっている。
だが同じ宿舎にしている理由は別にある。
十中八九、対戦するのはファンたちとムンたち。
それを分けた理由は、ムンたちは武断主義を象徴し、ファンたちはそれを望まない存在を象徴しているからだ。
「とりあえず、ご飯食べて温泉入って寝るッスよ」
宿舎を指差すファンは笑顔。
その背を叩くユージンも笑顔を見せ、
「まーた温泉の覗ける場所、チェック済みなんだろ?」
「そーりゃそうッスわ~」
起こるのは、あの日、ユージンの村で起きたものと同じ笑い声。
「全力で背後に走らないの!」
中断させたのも、同じくカラの平手だ。
翌日は命の遣り取りとなるが、命の遣り取りなど無縁の世にし、この空気が当たり前になる事を大公もテンジュも、三世大帝も望んでいる。
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