はみ出し
第8話「大きくなったら何になる?」
その夜、ビゼン家は
子爵の弟嫁が産気づいたからだ。
予定日はまだ先だったのだが、こういう事は夜半過ぎにでも突然、
とは言え子爵の細君の事であれば大騒ぎになるが、子爵の弟では話が違う。男爵以上の階位にある者を貴族といい、貴族は世襲であるが長子相続だ。次男以下は平民として扱われる。
「長丁場になりそうよ」
子爵邸を行き来するメイドの数も多いとはいえない。子爵の弟も騎士に叙任されていても、騎士は一代限り。部屋住みには違いない。
それでも子爵の血族が増える事は良い事だ。世襲なのだから、何があっても家を存続させられる事が第一である。
そして他家は兎も角、ビゼン家は不思議と跡目争いが起こらない。皆、
そんなメイドの中にエルの母親がおり、まだ3歳だったエルも、その夜は深夜であっても起きていた。眠い目を
「……」
廊下を行き来する母と数人の同僚を見ていたエルは、ふいに顔を上げた。
明かり取りのためもあり、大きな窓が填められている廊下は見上げれば夜空が見える。
「あ!」
空を見たエルは、思わず声をあげた。
「どうしたの?」
丁度、他のメイドと交代しようとしていた母親が足を止めると、エルは空を指差し、
「空へ舞い上がっていく星があるの!」
白い尾を引いて飛ぶ星――彗星だ。
エルは綺麗だと指差したが、母親はギョッとした顔をさせられてしまう。
武を持って権力を掌握した大帝家は、彗星を軍旗に見立てる。
それが神軍の軍旗であるか、魔軍の軍旗であるかは、その時、何が起きたかで分けられるのだが、軍旗が棚引く夜に生まれる子供といわれ、メイドが
「ああ、どうしましょう……」
神軍の軍旗だろうと、魔軍の軍旗だろうと、戦乱を意味する星の縁起は悪いに決まっている。
しかし幼いエルが戦く理由ではない。
「あんなに綺麗なのに?」
きょとんとした顔をしているエルに、母親は膝を着いて両肩を掴んだ。
「ああいう星は、50年も100年も星の中に隠れていて、時々、ああいう姿を見せるものなの。いい事があるか、悪い事があるかは分からないわ。でも、軍旗を持っている星は、いい事も悪い事も、戦争に繋がってしまうの」
迷信の類いであるが、皆、それを迷信だと断じられる程の知識や経験はない。これはメイドに限った事でなく、今の世ならば皆、そうだ。
しかしエルは――後にファンと共に旅芸人になるという変わった少女は、この時、ムクムクとある言葉が脳裏に浮かんできた。
「ねえ! 先頭で旗を持ってるのは騎士様でしょう!」
窓を開けると、大きな声で呼びかけたのだ。
「勇敢な騎士様、一つ、私のお願いを聞いて!」
「エル!」
何時だと思っているんだ、と母親が目を白黒させて娘を黙らせようとするのだが、3歳のエルは母親の慌て振りなど見ていない。
大声で続ける内容は……、
「今度、生まれる子は、男の子にして下さい!」
それはキツく
「きっときっと、立派な騎士になります! 私も頑張ってお仕えします!」
エルの声に対し、彗星が煌めいたように見えたのは偶然だ。
しかし煌めきと同時に、赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのは……皆、偶然にはしたくない事だっただろう。
***
目が覚めた時、エルは3歳ではなかったし、自分が転た寝してしまっていたのは子爵邸ではなく、揺れる幌馬車だった。
――懐かしい夢……。
身体を起こし、ふぅと深呼吸するエル。
顔を上げれば、御者の位置に手綱を握るファンの姿がある。
――きっときっと、立派な騎士になります!
エルが彗星に願った男は今、旅芸人となって諸国を放浪している。
それでも「俺が振るう剣はエルに宿った非時だけだ」というファンは、稀少な存在である。
大抵の剣士はコモンやアンコモンの精剣など、レアが手に入れば強化の材料にしてしまう。
複数の精剣を一つにする力も、それぞれの遺跡にはあるのだから。レアの精剣とて、その上のHレア、Sレアならば材料にされる。剣士にとって精剣とは、そんなものだ。
格の高い精剣を奪い合いになる。
――争奪戦に参加する気はない。
エルは非時を宿した日、ファンが告げた言葉を忘れない。
――もう戦乱は終わっただろ。もう精剣を奪い合う時代じゃない。
こんな言葉をファン以外が口にしていたら、エルも自分に宿った非時がノーマルに過ぎないからだと思った事だろう、
――これから必要なのは、どう平和に過ごすかだろ。
赤ん坊の頃から知っているファンの言葉である。
エルには嘘か真か、すぐに判別が付く。
ファンは細い目を更に細めながら、今も来ている衣装を羽織り、先の尖った鍔広帽子を被った。
――
突拍子もない事をいい出しても、やはりエルには判別が付く。
――赤茶けた土地を街や畑に、煤けた顔を笑顔に!
ファンの口癖になっている言葉を初めて聞いたのは、エルだった。
――戦乱なんて、終わってる。終わってる事を知らない人たちがいて、そういう人達の煤けた顔を笑顔にしないと、この焼かれて赤茶けた土は街にも畑にもならない。
その手段を、帽子の鍔をピンッと跳ね上げながら、ファンはいった。
――自分、旅芸人になるッス!
この人を食ったような口調も、ここから始まった。
それを見てエルは思ったものだ。
――バカだと思った。
暗い顔をして戦時中と同じく、求めれば何でも差し出してしまう人を笑わせていけばいいなど、実に非効率的で、現実味のない手段だろう。
だが「戦乱は終わっている事を知らせに行く旅芸人」という道を思いついたファンは、この時代に持つべき矜恃を持っている姿なのだと、エルは今も思い続けている。
「ファン」
エルが呼びかける。本来の関係は、主家の子弟とメイドであるからファンの方が格上であるが、ファンはエルを姉のように慕っている。ならばエルも、そう振る舞う事が忠義であり、いや忠義以前にエルの性に合っている。
――本当に欲しかったのは、弟……。
フッと笑いながら、
「そろそろ、お昼?」
「あァ……そんな時間?」
太陽を見上げながら、ファンは目を瞬かせた。
あの夜、現れた彗星が、果たして神軍と魔軍のどちらの軍旗を持っていたのかは分からないが、エルの「夢」は恐らく叶えてくれた。
夢――。
何故、エルが急に、そんな事を思ったのかは、次に行き着く村で起こる事件を予知していたからかも知れない。
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