第11話 夏の出来事・・・

真夏の夜。

近くの河川敷で、毎年恒例の花火大会が開催される。その日は食堂も早終いして、こぞって花火見物に出かけるのである。

特に親方は江戸っ子だけあって花火には目がない。

昼のランチタイムが終わるとせかせかといち早く片づけを始める。片づけが終わると、納屋の奥から大きな御座を引っ張り出してきて、「場所取りにいくぞ」と言い、そそくさと出かけてしまった。

残されたボクたちの仕事はお弁当づくりである。何人分作るのだろうと思うほど、いくつもの煮物とたくさんの唐揚げを作り、大きなお弁当箱を並べて順に詰め込んでいった。やがて近所の常連さんがやってきて、お弁当箱を抱えて運んでくれる。これが毎年の行事になっていることは知っていた。ボクも客として参加したことが何度かあったからである。

もちろん酒の調達は酒屋さんに任せる。魚屋は飛び切りの鯛と鯵を刺身にして持ってきた。日も暮れる前から商店街連中の宴会が幕を開ける。

ヒデさんも誘ったのだが、この日は関西へ出張があるらしく、とても残念がっていた。

ボクはユイの隣に座り、ゆっくりと腰を下ろす。ユイは女将さんの着付けで浴衣姿になっている。女将さんの娘さんたちが着ていた浴衣らしい。紫陽花模様でとても美しい柄だ。もちろん、それを着ているユイはいつも以上に色っぽくて可愛い。あまり人前でデレデレするのはよろしくないことはわかっているのだが、浴衣姿を見せられてはたまらない。

しかもその姿を見つけた常連客連中がこぞってユイの隣に座りたがる。ボクの反対側のスペースであるが、その場所の争奪戦が始まっていた。しかしその争いを見て女将さんが黙って見ているわけもなく、むんずとユイの隣りに座ってしまった。

するとユイは安心したように女将さんに寄り添い、うっすらと目を瞑る。その途端にやわらかな風がふわっと吹いて、ユイの前髪をサラッと揺らした。

その様子を見ていたみんなが「おおっ」と声を上げたとたん、女将さんはユイを抱きしめた。

「なんて可愛い子なんだろ。男どもがわめくのも無理ないね。キョウちゃん、今夜はこの子をあたしにレンタルしないかい?給料を倍にしてやるから。」

ボクはニッコリ微笑んで、ユイの腕をボクの方に引き寄せて、体ごと取り戻した。

「もちろんダメですよ。」

本当はいつでもキスしたい。そんな雰囲気だったが、さすがにそれは憚れる。しかし今宵のユイは皆をそんな雰囲気をさせるほど色っぽかった。みんなはそんなユイの笑顔に癒されている。ユイもみんなに愛されていることは理解している。

今宵の参加者は商店街の仲間であったり、食堂のお客さんでもあったり。ユイもボクもサービスの一環として順繰りにお酌をして回る。その都度会話が生まれては、笑顔が湧き出る。みんないい気分になった花火の夜だった。

その帰り道、親方がボソッとボクにつぶやいた。

「なぁキョウちゃん。そろそろ考えてくれたか。」

突然のことだったので、何のことか解らなくて首をかしげたまま黙っていた。

「ウチの二階に引っ越してくるって話だよ。ユイちゃんの実家に挨拶に行ったら考えておいてくれって言ってただろ?」

そう言えば思い出した。ヒデさんからも提案されていた案件だった。

「その話、まだユイと詰めてないんですが、娘さんたちも了解されてるんですか?」

「ああ、もうあいつらには了解は貰ってるよ。逆に長女夫婦なんかはいつ来てくれるんだ、いつ跡を継いでくれるんだってせっつかれてるぐらいだよ。あいつらも跡は継げないけど、食堂が消えるのは淋しいって言うし。だから早く入って貰えって言われてるんだ。」

「わかりました。今夜、ユイと相談しておきます。」

そうは言ったものの、ボクの意向はほぼ決まっていた。

店の片づけを終えてアパートに帰り、ベッドに入る前にボクはユイを呼んで、親方から相談されたことを話してみる。

ユイはしばらく考えたのち、ボクに問いかけた。

「キョウちゃんはどうしたいの?」

「ボクはできればお世話になった親方たちに恩返しをしたい。でもそれは親方や女将さんの面倒をみるってことだから、ユイにも負担がかかるかもしれない。だからボク一人で決めてはいけないことなんだ。」

「女将さんの娘さんたちはなんて言ってるの?」

「早く入ってもらえって言ってるらしい。」

少し黙ったままじっとボクの目を見据えていたが、意を決したように、そして言葉を選びながら話し始める。

「親方さんにも女将さんにもお世話になったキョウちゃんの気持ちは良くわかる。私もキョウちゃんとこれからの人生を共にしたい。苦しい時も楽しい時も一緒に頑張りたい。だから、キョウちゃんが決めてくれれば、ユイは同じ道を歩きます。」

そういった後にボクに抱きついた。そして耳元でそっと囁く。

「でも、相談してくれてありがとう。何でも打ち明けてね。約束よ。」

「うん、約束する。」

ボクはユイの匂いに陶酔しながら、やわらかな体を抱きしめながら、これからの色々な人生を覚悟した。ユイの滑らかな肌は今宵もボクを魅了する。



翌日ボクは昼の賄いどき、食卓についた親方と女将さんを前に神妙に姿勢を正す。

「親方、女将さん、昨日の夜、親方からユイと相談するように言われてました、この二階への引越しの件ですが・・・・・。」

女将さんは身を乗り出してボクに声をかけようとしたが、親方がそれを遮った。

「昨晩、ユイと相談しました。ご存知の通り木更津の方も宇都宮の方も一通りのカタはつきました。ボクたちは未熟ながらも所帯を持つことになります。そのためにはボクたちを応援してくれる後ろ盾が必要です。それを親方と女将さんにお願いしてはいけないでしょうか。もしお願いできるなら、ボクたちの身柄を引き取ってください。」

「それは、ウチに引っ越してくれるってことでいいのかい。」

「よろしくお願いします。」

ボクがその言葉を言い終わった瞬間、女将さんはユイを抱きしめた。

「ユイちゃんありがとう。きっとお前さんたちを大事にするよ。」

そして親方の顔を見上げて、

「あんた、よかったね。これでいいんだろ?」

「ああ、これでいいんだ。ワシもお前も安心できるってもんだ。例の話は娘たちには了解済みなんだろ?」

「ああ、もらってるよ。」

何だか不思議な話のような気がしたので、何の話をしているのか聞いてみた。

「娘さんの了解って、ボクたちが二階に引っ越してくることですか?」

すると親方はニッコリとした表情で、

「違うよ。お前たちをウチの養子にするって言う話さ。いずれ店ごと継いでもらおうと思っているからな。娘たちにも了解はもらってあるんだ。」

「親方、話が急過ぎやしませんか。それはもうちょっとボクたちを見てから判断してください。まだ一年も経ってないんですから。」

「わかった、わかった。とりあえず引越しが先だな。で、いつ来る?」

「そうですね、今のアパートのキリのいいところで、早めに越してきます。」

「できればもう来月から来て欲しいねえ。もう部屋はきれいにしてあるんだから、空いてる時間で少しずつ荷物を持っておいでよ。何なら今夜は泊まっていきな。予行演習ってのもあるだろ。」

女将さんはとても嬉しそうにはしゃいでいた。ボクもそんなに喜んでもらえるなら、一日も早く一緒に住んであげられたらいいなと思った。

その晩、ボクたちは一旦部屋に戻り、着替えを持って食堂の二階へ泊まることとなった。

二階の部屋は三部屋あり、それを全て使っても良いということである。今日はプレ宿泊ということで、女将さんがすでに布団を用意してくれていた。

「よく来てくれたね。お風呂も沸いてるから二人で入っといで。大丈夫だよ、覗いたりしないから。」

ボクたちはちょっとドキッとしたけれど、「これからは二人で風呂に入る回数を減らさなきゃいけないね」と申し合わせた。

食堂の二階で寝る最初の夜、ボクたちは静かに抱き合った。

一階の親方夫婦の部屋は店の右奥にあり、二階の手前側にある寝室に当たる部屋の真下ではない。そのあたりは配慮してくれている。

しかし、下の方から耳を澄ませている気配はしていた。ボクたちはやや恥ずかしい思いでもあったが、いい意味でご期待に沿えるよう、静かに抱き合うことになるのである。

まだ蒸し暑い晩夏の夜。エアコンがなければ都会の夜は眠れない。寒がりのユイと暑がりのボクは、互いの体温を交換しながら眠りにつくことになったのである。

月は今宵もユイの吐息を見守りながら、静かに街並みを見下ろしていた。



ボクたちの引越しは暑い最中に全てを終了させた。

元々荷物が少ないボクたちの部屋である。冷蔵庫以外は全て自分たちで運べたので、遅ればせながら到着したヒデさんは、親方特製の引越し蕎麦を堪能するためだけに来たようなものだった。

秋祭りの回覧板が回ってくるころには、ボクたちはすっかり食堂の住人となっており、朝ごはんも夜の風呂も洗濯も掃除も、生活の全てが親方夫婦と家族同然の暮らしぶりとなっていた。

さすがに夜の抱擁は大っぴらにやり辛くなっていたが、親方たちもかなりの気を使ってくれている。親と同居するってこういうことなのかと思い始めている。

住民票も食堂の住所に移したので、配達物は全て食堂に届くようになっていた。

そんなある日、ユイの実家から手紙が届いた。ボクとユイとへ連名あての封書であった。

ボクはその手紙をユイに渡した。ユイは封を開けて手紙を読んでいる。

「お義母さん、なんだって?」

「あのね。キョウちゃんの実家に挨拶に行きたいって。」

その一言でボクは青ざめた。親父がまだボクたちの結婚を、というかボク自身の存在を許してないからである。

「ある程度の事情はお母さんには話したわ。キョウちゃんのお父さんがまだキョウちゃんのことを許してないことも。それでも行きたいっていうからには、きっと何か考えがあるのかもよ。」

「どうしよう。お袋に相談してみるよ。」

なんだか嫌な予感がする。それでもユイのお父さんは懐の広い人だ。会社の役員まで務めている立派な人だ。その人が親父と会ってくれるなら、何か変わるかもしれない。そんな淡い期待を抱きながらお袋に電話をしてみた。

「元気か。ユイのご両親がウチの親父とお袋に挨拶に行きたいと言ってるらしいんだが、どうしたもんだろうな。」

「まだお前のことについては、ほとぼりが醒めてないようだからね。それと、収める矛先が見つかってないからかも知れないし。」

「タケル兄さんはなんて言ってるの?」

「タケルはもう許してやれよって言ってくれてるんだけどねえ。」

タケルとはボクの兄で親父の後継者である。小さなころから頼りがいのある兄だった。先日の宇都宮帰省時にも兄とは面会できなかったが、何度か電話では報告していた。その都度親父の様子などを聞いていたが、いつも芳しくない返事ばかりだった。

「ボクは、ボク自身のこと許して欲しいなんて思ってないんだ。ただ、彼女と結婚することは認めて欲しい。それだけなんだけどな。」

「どうだろう、ウチの方からユイちゃんのご両親の家に行くように仕向けてみようか。」

「どういうこと?」

「ウチの馬鹿息子が迷惑をかけたって謝りに行くのさ。それなら腰を上げさせる理由も立つし、ご両親にも会える。申し訳ないと思ってるのは本当のことだからね。」

「任せてみるけど、ダメだったら連絡ちょうだい。また他の手も考えてみるから。」

ボクは一旦お袋に委ねてみることとした。

そのことについては翌日電話があった。

「父さんね、謝りに行くって。そういう責任感だけは人一倍だからね。いつが良いか日取りを決めておくれ。タケルがクルマで連れて行ってくれるらしいから。」

「わかった。ありがとう。また電話するよ。」

ボクはこの話をユイに相談してみた。

「謝りに行く?どうして?謝らなきゃいけないのは私なのに。」

「いいんだ。親父も揚げた拳の収め先を探しているだけだから、ウチのほうから謝りに行くっていう方が面目が保てるみたいなんだって。」

「ふうん。よくわかんないけど、その面談に私たちは行かなくてもいいの?」

「今のところは行かない方が良いみたい。ウチの兄さんが一緒に行ってくれるみたいだから、アニキに任せておいたら大丈夫だよ。」

「キョウちゃんって、周りに良い人が一杯いるのね。」

「その中の一番良い人がユイだよ。もうどこへも行かないでね。」

「うん。」

ユイがお義母さんと電話で話をしたところ、早速来週の土曜日に訪問が実現することになったようだ。

果たしてその結果、ボクたちのことについてどうなったか。

タケル兄さんとユイのお母さんがみんなを上手く執り成してくれたようで、ようやく親父の矛先も納まったようだと、後日タケル兄さんから電話をもらった。

その吉報を『もりや食堂』で受け取ったとき、親方も女将さんも随分喜んでくれて、その話をヒデさんに報告していた。

その報告を受けてすぐさますっ飛んできたヒデさんが、店に入ってくるなり、ユイに花束を渡した。

「ユイちゃん、おめでとう。」

ユイは不思議な表情をしてヒデさんの顔を見つめた。

「どうしたの?」

「だって、これで最後の不安材料がなくなったわけでしょ。これもみんなユイちゃんの努力の賜物だもの。だからおめでとう。あとは二人の式を挙げるだけだよ。その前祝いってとこかな。」

「うふふ。何だかわからないけど、ありがとう。」

ユイはもらった花束をいくつかに分けて花瓶に挿した。するとどうだろう、店の中が一気に明るくなったように華やいだ。

「キョウスケ、式の日取りはオレが決めてやる。今年の十二月のクリスマスでどうだ。」

「そんな稼ぎ時に店は休めないですよ。これでもクリスマスキャンペーンをやろうと思ってるんですから。」

「ははははは、それはやればいい。式は昼間に済ませて、披露宴を夕方からこの店でやるのさ。営業中に披露宴って面白くないか。店も繁盛するし、一挙両得じゃないか。」

すると女将さんが膝を乗り出して追い討ちをかけた。

「それは良いねえ。さすがヒデさんだねえ。折角店があるんだから、ここでやればまさに二人を披露する宴になるよ。でも式場は予約できるのかい?」

「できるんだな、それが。その代わりと言っちゃなんだが、ウチの会社の企画に乗ってもらわないといけないけどね。」

「ええ?何かするんですか?」

「ああ、神社業界と飲食業界との共同企画で、結婚式と出張パーティができますよっていうプランなんだ。クリスマスだと神社はヒマでしょ。だからウチの企画にも乗ってくれたんだ。その宣伝用ビデオを撮影したいのさ。」

「ということは、そのパーティ会場がココってことですか?」

「そうだよ。だから、ウチが指定するスタッフと食材を使ってもらわないといけないが、それ以外はこっちでマネージメントできるよ。もちろん、式の費用もタダだし、食材もウチの会社が提供する。必要なのはキミたちの衣装代と新婚旅行の費用だけだよ。」

親方はヒデさんの説明の内容に反応する。

「スタッフがいるっていうことは、ワシもなんもせんでいいんかい。」

「そうですよ親方。店のオーナーとしてふんぞり返ってくれればいいんです。普段どおりの食堂の料理は必要ですけどね。」

「そいつは楽で良いな。ヒデさんに任せるよ。今までお前さんに任せたことで、上手くいかなかったことがないからな。ははは。」

ボクはユイの方を振り返り、彼女の反応を様子見た。

ユイはニッコリと微笑んだまま、ボクの隣に来てスッと腕を組む。

「ユイはキョウちゃんが良ければそれでいい。」

そう言ってボクの顔を見上げた。

とうとうボクたちの結婚式は十二月の二十五日と決まってしまった。



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