第9話 新たな挑戦を迎える朝
翌日、米倉氏がフロアマネージャーと名乗る足立という男と共にやってきた。当日の献立の相談だった。ウチでできるもの、そして運搬が可能なもの、取り分けが容易なもの、決して料亭では出ないもの。などが選択の条件だった。
献立のプランについて親方はボクに一任してくれた。
「キョウちゃんとユイちゃんが受けた仕事だ。二人で考えて決めればいい。ワシはお前たちに協力するだけだよ。ワシも今から楽しみだな。」
ボクが提示した献立は、肉豆腐、茄子煮浸し、ジャコと糸蒟蒻の炒め物、イワシの生姜煮、煮玉子と竹輪の天ぷら、それにトンカツとチキンカツだった。
「天ぷらまではわかるが、トンカツやチキンカツなんて向こうでも食うんじゃないの?」
足立氏の素直な疑問だったが、似たようなものはあるかもしれないが、実はこれが和食として認識されていることをどこかで見た気がしたので、それを説明すると、
「まあ、アメリカ人だから、肉もあった方がいいよな。」
と納得してくれた。もちろん、この二つを持ち出したのは、圭ちゃんを引き込もうというボクの作戦でもあったのだが。
米倉氏は先日の焼きサバが旨かったから、それも欲しいと言ったが、サバは骨があるので、箸が必要だし、焼き魚は料亭で良い物を食べているだろうと言うと、足立氏もボクの意見に賛同した。
それぞれどんな料理かを一つずつ説明し、ボリューム感などを相談した結果、ボクが提案した献立は全て採用されることとなり、これらを二日間ほどかけて十人分を作ることになった。その事を早速圭ちゃんに連絡する。
「再来週の木曜日、ちょっとイベントメニューを受けることになった。ついてはトンカツとチキンカツを圭ちゃんにお願いしたい。十人前ずつ、いけるでしょ。」
ボクは電話口で米倉さんの話を大まかに説明して、その一部を圭ちゃんに受けてもらいたい旨を依頼した。
「おいおい、そんな面白そうな話、どっから湧いて来るんだ。一介の食堂にしては話が大きくない?」
「そうだね。ボクの先輩のおかげだよ。恩に着なくちゃ。だから立派なトンカツを出したいんだよ、協力してよ。」
「よし、わかった。ウチにとっても、いやオレにとってもチャンスのような気がする。親父を説得してみるよ。」
と言って電話を切った圭ちゃんだったが、すぐにまたかかってきて、親父さんからは説得どころか「何で二つ返事じゃないんだ」と叱られたらしい。
結局は十人前のトンカツとチキンカツをそろえて、当日の夜九時に食堂まで持ってくるという手はずになった。
ウチも他の料理を揃えなければならない。親方も女将さんも含めて四人で大忙し。イベントのことを知ってる常連客は背後で応援してくれる。
茄子の出汁加減、イワシの火加減。合間の時間にジャコと糸蒟蒻を大きめのフライパンで炒める。煮玉子は前日にタレに付けておいたものを、竹輪には事前に少し味をつけておいたものを、それぞれ天ぷらにしていく。一度にこんなにたくさんの料理を作るのは初めてのことだ。少々焦りながらも時間ギリギリの十分前、五品、十人前の料理が完成した。同時にタイミングよく、圭ちゃんが大きな箱を抱えて入ってくる。
「キョウちゃん、そっちはどうだい。こっちは万全だぜ。」
「ああ、こっちも今できたとこだよ。」
すでにクラブの“若いもん”は店で待機している。
こっちは大なべが三つと大きなトレーが二つ。圭ちゃんのところは大トレーが三つである。持って行った後の盛り付けについては足立氏にお任せとしてある。店には専門の調理スタッフがいるらしいので、彼らにお任せすることになるのだ。
「もちろん例のタルタルも用意してるんだよね。」
ボクは一応確認してみたたが、
「それを忘れちゃチキンカツの意味ないじゃない。オレとキョウちゃんの友情の証しだぜ。忘れるわけないだろ。」
「よし、それじゃ運んでもらおう。」
店が用意してくれた“若いもん”は二名。汁物もあるので、やや重い鍋もあるが、こぼさないように運んでもらう。
皆一仕事終えたことに満足し、大きなため息をついていた。
ボクは圭ちゃんの協力に感謝し、労をねぎらった。
「圭ちゃんありがとう。助かったよ。請求書はあとでちゃんと回してね。」
「いいけど、キョウちゃんとこはいくらもらえるの?それ以上のもんは請求できないじゃない。」
それを聞いてボクも初めて気が付いた。
「そういえば、そんな金額決めてなかったよ。まあ、十人前だから一人三千円としても三万円より少ないことはないんじゃない。ウチは材料費が安いから二万円渡してもウチの損はないよ。」
「なあに。ウチも面白い企画に参加させてもらったんだ、多少の赤字は覚悟の上さ。」
そんな話をしていたボクたちだったが、後日驚愕させられることになろうとは思いもしなかった。
とりあえずはビールの栓を抜いて皆で乾杯だ。
「親方も女将さんもユイちゃんもお疲れ様。」
圭ちゃんは皆の労をねぎらってくれる。
「あんたもね。ウチのバカ息子が無理な注文して悪かったね。」
「楽しかったですよ。キョウちゃんと一緒に仕事ができて。」
「ありがとう。」
ボクたちの新たな一歩目は無事に踏切台を超えたのである。
翌日、米倉氏と足立氏が開店時間早々に、そろって店にやってきた。
「こんにちは。」
店に入ってきた彼らの姿を最初に見つけたのは女将さんだった。
「いらっしゃいませ。どうぞこちらのお席へどうぞ。すぐに呼んできますから。」
そう言って奥のテーブルへ案内した。
ボクは女将さんに呼ばれてテーブルに着席する。どんな評判だったか、かなり気にしていたこともあり、特別に緊張した面持ちで二人の表情を見比べていた。
するとにこやかな表情で米倉氏がボクに話し始めた。
「恭介君、お疲れさんだったね。評判は上々だったよ。しかもキミの狙い通りだったようだ。全ての料理に絶賛だったよ。今まで行った料亭では絶対に見たことがないものばかりだったと言われて、オレの株も大いに上がったってわけさ。一番人気は竹輪の天ぷらと茄子の煮浸しがいい勝負だったかな。オレとしてはちょっと意外だったけど。トンカツもチキンカツも大いに喜ばれたよ。肉があったのはやっぱりよかったな。それにオレも味見したけど、あのタルタルは面白いな。今度その店にチキンカツ食いに行くよ。いやあ、いい刺激だったよ。」
「ホッとしました。実はドキドキしてたんです。昨日の夜もあまり寝られませんでした。」
すると足立氏もウキウキした顔で話が弾む。
「いやあ、気持ちよかったよ。なんだか奴らの鼻を明かしたみたいでね。キミたちのおかげだよ。彼女たち、また来ると思うよ。またぞろ別の友だちを連れてね。自慢たらたらで連れてくるんじゃないかな。」
すると米倉氏は上着の懐から封筒を取り出してボクの目の前に出した。
「これはキミたちの取り分だ。友達の分も含めてだけどね。」
ボクは思いのほか分厚く見える封筒に恐る恐る手を伸ばし、中を確認して驚愕した。
封筒の中には一万円札が五十枚入っていた。
「こ、これは何かの間違いでしょ。ボクたちをからかってますか?」
「いや、これはキミたちの正当な取り分だよ。ウチはホストクラブだぜ。セレブ達からこれ以上の報酬をもらっているさ。少なくて申し訳ないとさえ思ってるぐらいだよ。」
「しかし、ウチはただの食堂です。必要以上の料金はいただけません。もし請求書を書かせていただくなら、ちょっと儲けを多めに入れさせてもらっても、せいぜい五万円ぐらいです。それ以上はいただけません。」
すると米倉氏はニコッと笑みを浮かべた表情で、身を乗り出してボクに提案する。
「それなら、こういうことでどうだろう。料理は五万円だった。これは注文した料理の代金として納めてもらう。残りの額はキミのプランナーとしての企画立案料だ。もちろん、お友達への外注費も含んでしまっているけどね。それなら理由は立つだろ?」
「でも・・・。」
ボクが返事に困っていると、後ろで聞いていた女将さんがボクの肩を叩く。
「米倉さん良いこと言うじゃない。企画立案料だってさ。献立はキョウちゃんが立てたんだろ。じゃあその分はキョウちゃんの仕事だよ。食堂の取り分じゃない。『織田』を巻き込んだのもキョウちゃんの企画だ。それが上手くいったんだから、ありがたく受け取っておきな。それが仕事って言うもんだよ。米倉さん、ありがとうございます。あたしからもお礼を言います。」
「女将さん、正当な仕事をしてもらって正当な報酬を受けてもらうだけです。礼には及びません。そのかわり、またお願いしますよ。」
すると、その会話を確認して、足立氏は上着の懐からもう一つの封筒を出した。封筒の中には二枚の領収書が入っており、受取人が『もりや食堂』のものとボクの名前が記載されたものだった。足立氏は食堂あての領収書に五万円と記入し、ボクあての領収書に四十五万円と記入してボクに押印を求めた。
「キミならきっとそう言うと思っていたさ。オレの準備も間違ってなかったな。」
ボクは親方と女将さんがにこやかにうなずいている顔を確認して領収書にハンコを押した。封筒を受け取る手が震えた。この震えは一生忘れないだろうと思った。
すると親方がボクにいう。
「キョウちゃんあての金はウチのレジに入れてくれるなよ。ウチは五万円もらえれば大儲けだ。あとはキョウちゃんとユイちゃんの取り分だよ。なぁシズ、それでいいんだろ。」
「ああ、もちろんだよ。この話を決めたのはあたしじゃなく、ユイちゃんだからね。」
米倉氏はその様子を見てニヤニヤ笑いながらボクに言い含めた。
「良い彼女だな。大事にしろよ。結婚するんだろ。オレにも連絡くれよな。」
そう言い残して二人は颯爽と帰っていった。
二人が帰って間もなくユイがボクのところへ駆け寄ってきた。
「どうだったの?ちゃんとお金貰えたの?喜んでもらえた?」
やっぱり心配してくれていたようだ。
ボクたちは米倉氏がヒデさんの先輩であることに緊張を覚えていた。この仕事に失敗することはヒデさんの顔に泥を塗ることにもなりかねない。そうなると恩を仇で返すことにもなる。臆することはないかもしれないが、ヒデさんに迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
それが結果的に良い評価を得られたことで、喜びよりもホッとしたことが第一だった。
ボクはユイの手を取り米倉氏と足立氏から聞かされたままの評価について伝えた。
「米倉さんがね。とっても良かったって。そしてこの仕事を決めたのはユイだから、彼女を大事にしなさいって言ってたよ。お金は思った以上に置いていってくれた。圭ちゃんにもいい報告ができるよ。」
「うふふ。良かったわね。」
口数は少ないが、とびっきりの笑顔でボクを称えてくれる。
女将さんはユイの後ろから抱きしめるように腕を回して、
「キョウちゃんはすっごい評価してもらったんだ。これで結婚の資金ができたっていうぐらいにね。」
「ええっ?いったいいくらもらったの?」
「いや、これは全額食堂の売り上げだよ。半分は圭ちゃんに渡して、残りは食堂の売り上げに入れるよ。ボクたちはいつも通り親方から給料をもらうだけさ。」
すると親方が女将さんと顔を合わせてボクとユイに言い聞かせる。
「そう言う訳にはいかねえんだよ。領収書にはお前の名前しか書いていない。あの金をウチのレジに入れるわけにはいかねえ。それにウチに入れてもらう分だって過分の額だ。礼を言うよ。残りの報酬は間違いなくキョウちゃんの取り分だ。二人が結婚するための資金になるなら尚更だ。ワシもシズもそうしてほしいと思う。早くお前たちの結婚式での晴れ姿を見せてくれ。」
「キョウちゃん。親方も女将さんもそう言ってくれてるんだから、ちゃんと圭ちゃんにお礼して、残りは貯金しておきましょ。」
ユイはそう言ってボクの手を握った。
「うん、わかった。親方も女将さんも、ありがとう。」
その日の昼過ぎ。『織田』に電話を入れると、圭ちゃんは電話に出るなり興奮した様子で質問攻めでボクに問いかける。
「キョウちゃん、例のヤツどうだった?喜んでもらえたか?いくらもらえた?朝からずっと気になって仕事にならないんだ。」
「過分の報酬をもらったよ。今から圭ちゃんの取り分を渡しに行くから待っててくれないか。一時間後には行けると思う。」
「いや、ユイちゃんにも会いたいし、オレがそっちへ行くよ。」
結局圭ちゃんがこっちへ来るようになったのだが、来るなり興奮冷めやらぬ様子だ。
「ユイちゃん、とりあえずお茶をちょーだい。で、聞かせてよ、どうだったか。」
「とりあえず、チキンカツは好評だったよ。米倉さん、今度『織田』にも行くって言ってたよ。」
「そうか、それは楽しみだな。でもそれよりいくらもらえた。」
ボクは用意した封筒を出した。
「基本、折半でいいだろ?」
圭ちゃんは手に取った封筒の中を見て驚愕する。
「おい、オレは全部くれなんて言った覚えはないぜ。たかだかカツ二十枚じゃない、せいぜい多く見積もっても三万円で大儲けってとこだよ。この半分もいらないよ。請求しにくいっていうなら、ちゃんと請求書出そうか。」
「違うんだ。全部で五十万円ももらったんだ。そのうち、親方が食堂には五万円でいい。あとはお前たちで分けろって言うから、仕事を決めたユイに五万円だけもらって、後をボクと圭ちゃんで折半しようって言う事さ。」
それを聞いた圭ちゃんは封筒の中から五万円だけ抜くと、残りを封筒にしまってボクの前に差し出した。
「そういう事なら、ウチも折半で五万円もらう。これでウチは大儲けだ。あとは間違いなく献立を考えたキョウちゃんの取り分だよ。ウチのことを考えてくれただけで、オレは満足だ。しかもユイちゃんの取り分が五万円って少な過ぎないか。キョウちゃんがウチの取り分だと思ってる分は、ユイちゃんの取り分だよ。」
そう言って懐から領収書を取り出し、五万円と記入してボクに渡した。すでにハンコは押してあった。
「圭ちゃんの協力があったからできたんだ。もし次があったら、その時は打ち合わせの時から呼ぶね、いいだろ。」
「ああ、いい経験になったよ。親父もお袋も喜んでたぜキョウちゃんと一緒に仕事ができたこと。こんど、ユイちゃんを連れて遊びに来てよね。」
そろそろ夕方の賄いの時間だ。ユイがボクと圭ちゃんが座っていたテーブルに料理を持ってきてくれた。
「女将さんがね、三人で食べなさいって。」
親方と女将さんが用意してくれたのは、昨日の残りの肉豆腐と茄子の煮浸しとイワシの生姜煮だった。
「これ、昨日の残りじゃない。」
ボクが怪訝な顔をしていると、ユイがにっこりと微笑んだ。
すると圭ちゃんは、それが昨日の残りだと聞いて大いに喜んだ。
「なんだって、そういえば昨日はキョウちゃんたちが作った料理、全然チェックしてなかったんだな。帰ってからお袋に散々叱られたんだっけ。忘れてたよ。これ、女将さんの差し金だな。」
「うふふ。昨日食べて帰らなかったから、きっと女将さんに叱られてるだろうって。」
なるほど。そういうことだったのかと思った。
圭ちゃんは一つ一つの味を確認しながら、満足げに食べた。
「みそ汁は私が作ったのよ。」
ユイが自慢げに話すと、圭ちゃんはおどけたように、
「そうだと思った。これが一番おいしいもの。」
だってさ。調子のいいのは変わらないってことかな。
このことをきっかけにボクたちは月に一度はお互いの店に通うことになるのだった。
そろそろ梅雨も終わりかな。今のボクたちには晴れ渡る青い空が待ち遠しい。
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