第5話 再会

「えっ、ユイ・・・。ユイじゃないか!」

厨房の中に入ってきた姿を見てボクは目の前が真っ白になるほど仰天した。

一瞬、何事が起こったのかわからなかった。他人のそら似かとも思った。けれど、その目、その唇、その笑顔が何よりボクの知っているユイだった。

「キョウちゃん。」

ユイはボクの顔を見るなり、ボクの名前を叫びながら胸に飛び込んできた。

「キョウちゃんゴメンね。ゴメンね。」

「よかった無事で。大丈夫だよ。色々な人に迷惑かけたけど、ボクは全然平気だよ。ユイの笑顔が見られたから。それより、なんでそんな格好してるの?」

「それはオレが説明しよう。」

厨房の入り口には、女将さんとその客人と思われる二人連れの夫婦と見慣れた顔のヒデさんが立っていた。

ボクの隣では親方が平然としたニコニコ顔でボクらを見守っている。

「実はな、キョウスケの社会復帰計画を立てたのさ。ちょうどそのタイミングでユイちゃんがニュースを見てココに飛び込んできたもんだから、オレのプランはさらに膨れ上がったってわけさ。本当はユイちゃんの身柄はオレの知り合いの店に預けようかと思ったんだけど、女将さんがもっと上等な材料を提供してくれたんでね、今回のようなとびっきりステキなプランになったというわけさ。」

ボクはまだ訳もわからず、ただ呆然と突っ立っている。

「キョウスケはあの事件がどのように報道されたか知らないと思うけど、結構ショッキングなニュースとして報道されたんだ。そのためにみんなが心配したんだけど、どうしようかと思ってるときにユイちゃんが帰ってきてくれたのさ。それでね、ユイちゃんに確認したんだ。もう一度、キョウスケとやり直してもらえるのかって。」

するとヒデさんはポケットから見覚えのある小箱を取り出してボクに手渡した。

「まずはキョウスケ自身が確認しなきゃ。」

その小箱はユイが残していった婚約指輪が入っているケースだった。そういえばあの日、このケースを握りしめながら、あの店に乗り込んだかもしれない。それでも、あの日以降は指輪の存在すら忘れていた。

あとで聞くところによると、米倉氏はボクが手の中に大事そうに握りしめていた箱を見て、何だか訳有りだと思い、密かに預かっていたようだった。後日、後輩であるヒデさんに、その時の様子を聞かせると同時にケースを渡していたらしい。もしもヒデさんに会わなければ、ボクに直接返すつもりだったと聞いた。

ボクは久しぶりに見る指輪のケースをそっと開いた。見覚えのあるリングが中央に鎮座している。そして指輪を摘んでユイの方へと振り向いた。

「ユイちゃん。こんなボクだけど・・・・・・。」

ボクは胸が詰まって言葉が出ない。ただ涙だけが溢れてくる。

「こんなボクだけど、結婚してくれますか。」

ユイはそっとボクの手を取り、ニッコリと微笑んでいる。それでもユイの目からもキラキラと光る美しい幾筋もの涙が頬を伝わっていた。

「キョウちゃん。今までゴメンね。もしもキョウちゃんが許してくれるなら、ユイを側においてくれる?」

ボクはユイを抱きしめた。そして周囲の目を憚ることなく彼女の唇を求めた。

そこに居合わせた誰もが、ボクたちを祝福してくれた。

「さて、第一部はココまでだ。」

ヒデさんはニコニコしながら手を叩いていたが、やがてボクとユイを引き離した。

「これで婚約はめでたくも再び成立いたしました。されど、人生はそんなに甘くありません。本日よりキョウスケは修行に出ることになりました。」

「えっ?」

驚いたボクの目の前に、今の今まで紹介されていなかった老夫婦が立っている。

そしてそのまま続いて場を進行するのはヒデさんであった。

「紹介しよう。コチラのご夫婦は昨日までユイちゃんの身柄を預かってもらっていたカツ屋『織田』のご主人と女将さんです。」

「は、初めまして。あの、角田恭介です。」どもりながら自己紹介するのがやっとだ。

「織田です。やっと会えたな。どんなヤツかと思って楽しみにしてたぞ。」

何となく想像はできるが、理解が出来ない。

「親方が今日までキョウスケにフライを作らせなかった理由はこれだよ。この店を継ぐ条件として『織田』さんのフライを習得すること。この三ヶ月間、ユイちゃんはみっちりと教わってきたんだ。次はお前の番だよ。そしてその代わりにユイちゃんは、今から三ヶ月の間、ココで親方と女将さんの仕事を覚えるって寸法だ。いずれ二人して『もりや食堂』を継いでもらう、そういうストーリーなんだけどな。」

ボクは驚くしかなかった。しかも、ユイがその店に修行に行っていたということは、ユイもそれを承諾しているということである。ボクだけが知らない筋書きだったのかと思うと少々悔しかったが、全てはヒデさんの思いやりである。ボクはみんなに感謝するしかなかった。

「他に選択権があったとしても、ボクはその道を選びます。『織田』の親方、女将さん、よろしくお願いします。」

「えらく素直な子だね。萌愛ちゃんと似たもの同士か。」

「えっ?」

懐かしい呼び名に少しハッとした。

すると『織田』の女将さんがボクに説明してくれる。

「この子はね、いずれ『もりや』に返す子だ。ウチで馴染み過ぎないように、別の名前を使ってたのさ。その方がウチもココに返すとき未練がましくなくなるからと思ってね。それでどんな名前にするかって聞いたら、彼女が萌愛って呼んでくれって言うからそう呼んでたんだ。名前の由来はまでは聞いても教えてくれなかったから、こっちも聞かずにいたけどね。何か訳ありなんだろ。でもそうしておいて良かったよ。こんないい子、シズちゃんの紹介じゃなかったら絶対に手放さないからね。」

『織田』の女将さんもすでに涙ぐんでいた。

「ウチは厳しいよ。それをこの子は文句一つ言わずに三ヶ月過ごしたんだ。おかげで今じゃウチの息子より上手くなったかもよ。」

「ウソよ。親方も女将さんもそれはよくしてくれたわ。」

「えっへん。」

照れくささを隠すように『織田』の親方は咳払いをして見せた。

「だからさ、できればウチの跡取り息子の嫁にもらいたいと思ったんだけどな。」

親方も残念そうにこぼしていた。

「そういえば仕事中に鼻の下をよく伸ばしてたっけねえ。」

女将さんが追い討ちをかける。

「ウチのバカ息子が早く嫁をもらえばオレも安心なんだけどな。」

「お前さんのヨメに欲しかったんじゃないのかい?」

「そうかもな。まあ、それぐらいいい子だったってことだよ。恭介君だったな。明日からよろしく頼むよ。」

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

そのタイミングを待ってか、ようやくヒデさんが割って入る。

「じゃあ折角だから、ユイちゃんの腕前を披露してもらおうじゃない。はい、親方とキョウスケとユイちゃん以外の審査員は、再びお席の方へお戻り下さい。」

ヒデさんは進行役よろしく元のテーブルへ戻った。

親方はボクとユイを見て咳払いをする。

「ああ、ちょっとトイレに行って来る。アジはまだ冷蔵庫に残っているから、形のいいやつを二枚選んでおきな。」

ボクたちは親方が厨房を出た途端に抱きしめあっていた。

わずかながらも二人の時間を与えてくれた親方に感謝するしかないだろう。

「会いたかった。ホントに良く戻ってきてくれたね。ありがとう。」

「ユイがいるとキョウちゃんに迷惑がかかると思ってた。出て行った方がキョウちゃんのためになると思ってた。でもニュースを見て驚いて、何が何だか訳がわからなくなって、私のせいだと思って、女将さんのところへ来たの。そしたら、色々な人が現れて、あの店の店長さんも来たわ。しかもその人、ヒデさんの先輩みたいだったし、キョウちゃんの正当防衛をちゃんと証明するからって言ってくれたし、でも最終的に全部を取りまとめたのがヒデさんだった。」

「そうだったの。まだよく理解できないけど、ところで今、ユイはどこに住んでるの?」

「『織田』さんのお店に住み込みよ。明日からキョウちゃんがその部屋に入るって聞いてたから、ちゃんと掃除しておいたわよ。」

「結局何も知らなかったのはボクだけか。でもいいや、こんな最高な結末なら。まさかユイが戻ってきてくれるなんて夢のようだよ。あと少し待っててくれるよね。絶対モノになって帰ってくるから。」

「うん。」

そしてボクたちは、誰に憚ることなく、久しぶりに熱い口づけを堪能することになるのであった。

「さあ、そろそろアジを選ばなきゃ。」

ボクが冷蔵庫の中にある仕入れボックスを引き出すと、ユイはその中を覗き込んで、

「アジはね、お腹が堅くてウロコが綺麗に並んでるのがいいんだって。」

と、早速学んできたことを披露してくれる。

「よし、じゃあコレとコレとコレかな。」

「そうね。ユイ、包丁の使い方が上手になったのよ。」

確かに、あの面倒臭がりのユイがテキパキと包丁でアジを開いていく。半年前までは考えられなかった光景だ。

そしてユイはトレイに小麦粉とパン粉と玉子を用意し、塩と胡椒を振って下味をつけたアジを順番にトレイに寝かせていく。

途中でなにやら不思議な粉を振りかけていたが、それが『織田』の秘密らしい。そして脂に火をつけて、衣をたらしながら温度を確認する。その目はもう女の子の目ではなくなっていた。

やや背筋に寒気を感じながらユイの調理する姿を見ていたが、最終的には非常な関心を覚えるほかなかった。

キャベツとポテトサラダを皿に盛りつけ、揚げたてのアジフライを飾り付ける。ユイの箸を持つ手が震えている。何度も練習したであろう作業だが、今日が最終試験となっているのか。緊張した雰囲気がユイの表情から笑顔をかき消していた。

「できた。」

ふうっと息を吹き出して肩の力が抜けていく。

いつから見ていたのか、親方が出来上がった皿をさらっていく。盆の上に乗った二枚のアジフライ。ボクたちは固唾を飲んでその行き先を凝視していた。

『織田』の親方夫婦は、ユイの仕上げたアジフライをそれぞれ一口ずつ摘んで食べた。

開口一番『織田』の親方が叫ぶ。

「うん。オレの言うとおりにできている。合格だ。」

すると『織田』の女将さんが呆れ口調で言い放つ。

「お前さんはいつも甘いねえ。だけど合格だよ。たった三ヶ月でよくここまで出来たと思うよ。後はシズちゃんに任せたからね。」

その声が聞こえた瞬間、ユイはボクの腕の中にいた。


そして間髪入れずにヒデさんが厨房へ入って来る。

「さあ、キョウスケ復帰物語第一章はここまでだ。ここから先は第二章に入るぞ。キョウスケ、今すぐ自分の部屋に行って必要な荷物をまとめろ。今夜から『織田』に世話になるんだ。」

「えっ?ホントに今日からなんですか?」

「そんなナマっちょろいこと言ってるんじゃねえよ。善は急げだ、一日も早くこの業を覚えるために、早速今日から店に入るんだ。」

「でも、ユイは今夜どこで寝るんですか?まだ荷物とか置いてあるはずですけど。」

「皆まで言わせるな。今夜だけはと、特別にお許しはもらったから。今日の夜はユイちゃんの引越しを手伝うのがお前さんの『織田』での初仕事だよ。」

ボクたちは何度この人に驚かされるのだろう。

「でも、明日以降のユイの寝床はどこなんですか?」

「それは、お前の部屋が空くんだから、そこに決まってるじゃないか。」

「えええ?ボクは何も掃除してないですよ。」

「だから、荷物をまとめるのと掃除をするのも二人でするっていうことさ。ちゃんと睦言もそこで済ませてから『織田』に行くんだぞ。」

さすがはイケてる人の配慮は違うなと関心させられる。この人の頭の中の構造はどうなっているのだろうと思う。

「さて、オレもアジフライ定食もらおうかな。いいですよね、二人の女将さん。」

『織田』の女将も『もりや』の女将もヒデさんの類まれなる采配にすでにシャッポを脱いでいた。

「ついでだからみんなで昼ごはんにしよう。ヒデさんのアジフライはユイちゃんに任せて、後の分はキョウちゃんが適当に四人前を作ってもっておいで。」

「はい。何を作ればいいですか。」

「そうだね。お前さんの得意なヤツを作って持っておいで。キョウちゃんの腕の見せどころだよ。」

女将さんもようやく緊張がほぐれたのか、それにボクの腕前がどの程度か見せたかったのかもしれない。一種類ではなく、何種類かを作ってよこすように注文した。

その注文に応えるよう、肉じゃがにカレーうどんにニラレバ炒め、そして先日ヒデさんに認められた目玉タコ丼を用意した。

この三カ月の間、親方に教えてもらった味。それと新しいボクの料理。感謝の気持ちを込めて鍋を振る。

改めて目を見張る『織田』の親方夫婦。まとめて四品持ってきた手際に、まずはお褒めの言葉をいただく。

「なかなかだね。」

なるべくまとめて出せるように、調理の順番に気を付けるよう親方からは厳しく注意をされてきた。まだまだ完璧にとはいかないが、それぞれの調理時間が把握できるようにはなっている。さすがに大衆食堂だけあって、グルメ的に五月蝿い客は来ないが、家族連れがあるため、料理を提供する順番には気を配ることが大切であることを学んだ。

そして『織田』の親方がボクの新メニューを指さして、これはなんだと問いかける。

「これはボクが親方にチャンスをもらって作ってみた新メニューです。」

「ふうん。」

まるで珍しいものを見るかのようだが、それでも恐る恐るでも箸をつけてくれる。

「わりと若者向けだな。でも子供にも喜ばれそうだな。」

「ハンバーグのおじやみたいね。」

一応は認めてくれたようだ。

ユイが仕上げたアジフライ定食が仕上がると、ヒデさんの前に提供される。

「なんかユイちゃんが作ってくれたご飯を食べるって、なんだかうれしいな。キョウスケ妬くなよ。」

「妬きますよ。ボクにも食べさせてください。」

思い起こせば、ユイが作ってくれたものを食べるのはどれぐらいぶりだろう。胸に込み上げる想いと懐かしさと本当に美味しいと思うアジフライの味とが混在して、今更ながらボクの目から涙があふれてきた。

「コレ本当に旨いよ。なぜだか、何の感情だかわからないけど涙が出てくる。」

するとヒデさんは箸をおいてボクに語り始めた。

「キョウスケが取った行動は多くの人に影響を与えた。そして多くの人がお前を助けてくれた。偶然にもユイちゃんが戻ってきてくれたけど、だからと言ってお前たちがかけた心配や迷惑が白紙になるわけじゃない。誠意をもってそれらの恩に報いるためには、お前とユイちゃんが誰よりも幸せになって、今よりも深い絆で結ばれなければならない。それなのに再会できてすぐに引き離すようなことは酷なのかもしれないが、これもみんな二人のためだと思って頑張ってほしい。」

「ありがとうございます。」

ボクはヒデさんの優しさに感謝するしかなかった。ユイもいつの間にか、そっとボクの隣で座っている。そしてボクに笑顔を向けてたった一言。

「待っててくれるよね。」

不思議な感覚だった。今から修行に行くのはボクなのに、待ってるのはボクなのか。

「それはボクのセリフじゃないの?ボクが帰ってくるまで待っててね。」

「ううん、違うの。待ってるのはキョウちゃんなのよ。だから頑張ってね。」

これにはヒデさんも親方たちも驚いたようで、誰もユイの言葉の意味が理解できなかったようだ。

「わかった。待ってる。ユイも待っててね。」

「うん。私はいつでも待ってるわ。」

都合七人での昼食はボクとユイの再会の記念となり、そして再び旅立ちのセレモニーとしてボクの記憶の中に刻まれることとなった。

『織田』の親方夫婦は、ボクとユイに夕方には来るようにと言い残して『もりや食堂』を後にして帰って行った。

そしてボクとユイは久しぶりに手をつないでボクのアパートへと向かっていた。この感覚もなかなかの久しぶりだ。

あまりの久しぶりなシチュエーションに、何を話していいのかわからない。

「なんだか久しぶりだね、こうして歩くの。」

「そうね。」

今に始まったことではないが、ユイの口数も少ない。

つないでいる手はやわらかくて温かい。ボクの手のひらは徐々に汗ばんでくる。

「うふふ。ユイも思い出したわ、キョウちゃんの手のひらが犬の鼻と同じだったってことを。他にもだんだん思い出させてね。」

「そうだね。ボクはユイのことは何一つ忘れてないよ。あのころの思い出の記憶はボクの心の中にずっと残っている。あのとき二人で買ったマグカップはもうないけど。また買いに行こうね。また二人で・・・。」

「うん。」


やはり覚えている。あの時の感覚とあの時のユイの匂い。あの時と同じだった。

何分唇を重ねていただろう。ずっとユイのぬくもりを感じていたかったのだが、ボクはやらなければならないことも思い出した。

部屋の中は今朝早くに起きた時のままだった。ベッドの布団はめくれたままだったし、着ていた服も脱ぎっぱなしだった。ボクは急いでそれらを片付ける。そして暖房のスイッチを入れて部屋を暖め始めた。

すると急にユイがある場所の前で立ち止まり、言葉無く、その一点を見つめていた。

「この窓だったわね。キョウちゃんのお気に入りのユイのスペースは。」

「そうだね。でも冬の間は寒いから、なかなか窓が開くことはないけどね。」

そういうとユイはおもむろにその窓を開いて、桟の上に腰かけた。

「こう?」

そういってボクに笑みを投げかける。

ボクは無意識の内に、引き出しの奥にしまっていたカメラを取り出していた。そして夢中でシャッターを切り始める。

「もうコンクールには出さないよ。でも記念の一枚になりそうだよ。」

ユイは立ち上がり、窓を閉めてボクのそばに来てくれる。

ボクはユイの腰に手を回し、ユイはボクの首に腕を回す。再び熱い吐息を感じる距離だけに思わずユイの唇を求めてしまう。

そして彼女の祠の中に鎮座する女神様に丁寧な挨拶をした後、彼女のやわらかな体をきつく抱きしめていた。

ボクはゆっくりとユイの匂いを探し始めた。首筋、胸元、腕、そして手のひらへ。指先の少し荒れた皮膚を見た時に、ボクは彼女が三カ月の間、『織田』でみっちりと仕事をしてきた証しを見た。

「おかえり。」

ボクはそっと囁き、ユイを抱き上げる。

ユイは無言のまま笑顔で応える。少し荒れたままのベッドにユイを投げ出し、覆いかぶさるようにしてユイの逃げ場を塞いだ。

そっと目を瞑りボクの動向を待つユイ。ボクは一枚ずつ彼女の衣服を剥いでいく。同時にボクも彼女の体温を素肌で感じる姿になっていく。すでに暖房は部屋の中に行き届いていたが、まだ布団のシーツは冷たいままだった。でもボクたちの燃えるような肌の熱が次第に氷を炎に変えていく。

ふくよかなユイの体はあの時のままだった。手のひらに余るユイの丘陵は再びボクの手のひらの中でやわらかな曲線を描きながら踊り始める。その頂点にも口づけをすると、ユイは見覚えのある反応を示してくれた。

やがてユイのやわらかな指はボクの憤りを探りあて、やさしく振動を与えてくれる。ボクはユイの秘境を訪れるために、最後の一枚をはぎ取った。しっとりと湿り気を帯びた渓谷地帯はボクの先遣隊の侵入を快く受け入れ、熱く湧いた泉へと案内してくれた。

ユイの肌から放たれる怪しげな芳香は、ボクに全てを思い出させてくれていた。

「おかえり。本当にありがとう。ボクのところへ帰ってきてくれて。」

それでもユイは無言のままニッコリと笑みを返し、ボクの体を引き寄せた。

ボクは鼓動が止まらない分身をゆっくりと熱い泉へと進ませていた。ユイは目を瞑ったまま、その瞬間をボクに委ねた。

「あっ。」

思わず声を漏らすユイだったが、ボクはかまわず動き始める。そのリズムに合わせるかのように愛おしい歌声を披露してくれる。ユイも少しずつボクを思い出すかのように、ときおりボクの目を見つめながらぬくもりを感じ取ってくれていた。

ユイにしか放てない香しい匂いと、ねっとりと吸い付くような乙女の肌が、どんどんボクを桃源郷の彼方へ導いてくれる。

ボクは久しぶりの感覚を思い出すように、ユイの匂いとぬくもりを激しくむさぼっていた。ときおり、むせび泣くような「ゴメンネ」という声と共にボクにすがりつく腕。ユイの輝くような瞳を見つめながら「ありがとう」と答えて狂おしく抱きしめる。このときだけは時間の経過を忘れるようだった。ボクたちはゆっくりと、互いの感覚と息遣いとぬくもりで過去の記憶を取り戻していくのだった。

そして訪れるショートストーリーの出口。その瞬間にたどり着きそうになったころ、ボクは洞窟の奥から銃口を引き抜いて歓喜の至りを解き放とうとした。するとユイはそっとボクの銃口を祠の中に収めて、憤りを全て引き取ってくれていた。

「まだ中でイクのはダメよ。その代りこれで我慢してね。」

我慢どころか、そんな心遣いをしてくれるユイがただ愛おしかった。

脱力感をお互いで感じながら、ぬくもりの余韻を感じていたとき、ボクはユイの耳元でこれからのことについて宣言する。

「次にボクが戻ってきたとき、ちゃんとユイのご両親に挨拶に行くから。」

「うん。」

可愛い笑顔は以前のユイのものとなんら変わることはなかった。その瞬間、ボクたちは完全に過去を取り戻したと実感した。


二人だけにしかわからない挨拶とその余韻を十分に感じ取った後、ボクは出かける準備とユイを迎え入れる準備を始める。この部屋にユイを残してボクは出かけることになるのである。冷蔵庫の中、引き出しの中、部屋の合鍵を確認し、ヘソクリの在処も教えておいた。何かあったらこの金を使うようにと。

「大丈夫よ。ユイもちゃんと今までの貯金はちゃんとあるから。それにユイの居所は寝起き以外はほとんど食堂だから。」

「そうだね。」

そしてボクは着替えを箱詰めして『織田』の住所に送る。当面の着替えはバッグに詰めて、出かける準備は完了である。ボクたちはもう一度『もりや食堂』に顔を出し、「行ってきます」と女将さんに挨拶をして『織田』へと向かう。



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