好きの色

 わたしはね、人の感情が見えるの。色でね。例えば、悲しみは青。喜びは黄色。そんなふうにね。小さい時から、そうだった。気づけば、人の機嫌ばかり伺うようになっていた。面白いよね、人ってさ。ころころ変わるの。わたしが望むように動いたら、喜んで。ちょっとでも気に入らなかったら、またころっと変わる。そんなところを、何度も何度も、見たんだ。


 わたしの両親はね、わたしを立派な女の子にしたかったみたいで。わたしに色んなことをさせようとした。習い事ってやつだね。で、わたしが期待はずれな行動をすると、真青になった。見てられないよね、ほんと。わたしは必死に、両親を喜ばせようとした。

 友達関係も、同じだった。わたしは色を見て、人に嫌われないように必死で振舞った。おかげで、友達はたくさんできたよ。でも、いつも寂しかった。人に囲まれていても、それはなんだか全部ニセモノみたいに思えてさ。だから、いつも、白馬の王子様に憧れた。感情なんて関係なく、わたしを愛してくれる人に。


 それも、中学に入学した頃までだった。わたしは、とっても嫌なものを見るようになった。ある日、電車に乗っていてね、痴漢の現場を見たの。おじさんが、女子高生のお尻を触ってた。女の子は何も言わずに耐えてた。すぐに逃げられたから良かったけど。その時のおじさんの色が、忘れられないの。ピンク。ほんとに、深い深いピンク。そのまんまだよねー。

 それは、まあそれだけのことなんだけどね。中学生になると、周りの男の子たちが急に変わってきて。わたしは、しょっちゅう告白されるようになった。それと、話しかけてくる子も増えた。

 みーんな、ピンクだったの。ほとんど例外なく。痴漢のおじさんと、おんなじ色。ぞっとした。まあ、年頃だから、そういうこともなんとなく解ってきてたけど、ねえ?酷いでしょう?

 それで、わたしは、みんな突っぱねた。と言っても、無理のないように、だよ?嫌われるのはやっぱり怖かったからさ。フラれた子たちは、真青になって帰って行った。でも、そんなこと気にしてる場合じゃないでしょう?どいつもこいつもって、思った。

 ん?恋の色?ちゃんとあるよ。ピンクじゃないんだー。オレンジ色なの。綺麗な、混じり気のないオレンジ色。昔、人気のない所でキスしてるカップルを見ちゃったんだけど、その人たちは、オレンジ色だった。どういう基準かは知らないけど、少なくとも、その、なんていうの?エッチなことばっかり考えてると、ピンクになるみたいだね。


 わたしの周りには、ピンクばっかりだった。女の子のなかにも、ピンクの子が居たな。それで、わたしは適度な距離を保ちながら、人と付き合うようになった。

 高校に入っても、変わらなかった。むしろ余計にそういう目で見られるようになっちゃって。ピンクばっかり。あとは、たいてい嫉妬の黒か、ちぐはぐな子ばっかり。わたしのこと大して好きでもないのに、寄ってくるの。なにか目的があるんだろうね。誰一人として、わたしに純粋な好意を向けてくれる人はいなかった。

 うん、仕方ないよね。人間って複雑だもん。純粋な気持ちなんて、そもそもあるのかしら、なんて思い始めた。で、そこで見つけた。三人。有象無象のなかに、たった三人だけ、例外が居た。

 そ。奏陽、陽向くん、洋子。この三人は、全然違ってた。陽向くんは、いつもちょっとブルー。人と話している時は、ごっちゃごちゃに混ざって、何がなんだか解らない。誰に対してもそうなの。唯一、君と話してる時は、少しマシだったみたいだけど。

 洋子は、いつも怯えていた。色にすると、んー、あれ何て言うのかなあ。緑と青の、中間?そんな感じ。ホラー映画、観に行ったでしょう?すごいよ、ほとんどみんな、その色になるの。理由は、君も聞いたよね。洋子が言ってたから。感謝してたよ?


 それで、奏陽。君は、真白だった。初めて見た。感情の無い人間なんて、見たことがなかった。君は喜怒哀楽を、表面上は使いながらも、ぜんぜん意識していなかった。なんて面白い人なんだろうって、思った。

 でも、だからこそ、わたしはどうやって話しかけたらいいか、解らなかった。機嫌のとり方が解らないんだから。下手なことして、君に嫌われるのも嫌だった。だって、こんな人、もう二度と現れないかもしれないじゃない?

 それでうじうじ躊躇して、一年が過ぎようとしていた。で、出会ったわけだ。君は、わたしにぶつかっても、真白だった。やっぱり駄目かなと思った。でも、これ以上は待てないし、必死で食いついてみた。

 ほら、わたしだって女の子だからさ。どっかで、王子様を待っていたのかもしれない。いっつも寂しかったんだよ?今度、クラスでわたしのこと観察してみてよ。明らかに態度おかしいから。距離が大切なの。


 君を見た時、この人しかいないと思った。あとは、君の感情を見たかった。君が初めて色を見せてくれたのは、わたしと目を合わせた時。うっすらと、でも綺麗なオレンジに染まった。すぐに戻っちゃったけどね。それ以来、君はわたしに会う度、オレンジを見せてくれるようになった。脈アリだって、一人で喜んでた。

 なによりも魅力的だったのは、君がピンクを見せないこと。いや、わたしだって年頃だし、君は男の子だし、ちょっとくらいなら良いかなって思ってたよ?皆みたいに、露骨でなければ。でも君は、いつもオレンジだった。憶えてる?わたしの腕を引っ張って、車を避けさせたこと。あの時なんてびっくりしたよ。君、オレンジどころか、真白だった。そのあと、俯いたフリして、君のこと観察してたんだ。そしたら君、怖がってたじゃん。あれは多分、急に触ったことを怒られると思ったんだよね?そうだと思った。

 君は、わたしが甘えてみたり、身体を触ってみても、オレンジになるだけだった。昨日、抱きとめてくれた時も、怖がっててさ。わたしがストーカーの話したら、真青になって。わたしがどれだけキュンキュンしたか、君には解るまい。たぶん、あれのせいで寿命縮んだ…って冗談だよー。そんなことでも、ちょっと青くなるんだ。ああもう、好きだなあ。

 それで、わたしは、ついに王子様を見つけたわけだ。わたしに、純粋な恋の気持ちを見せてくれる人を。そりゃ、もう必死だよ。この体質に頼らずに、人に好かれなきゃだからね。でも、そうやっているうちに、気づいたことがあった。

 ああ、人間って、こういうことなんだって。誰かを心の底から好きになって、手探りで近づいていく。それは、ちょっと怖かったけど、とっても幸せな時間だった。


 変わったのは、そう、君が泣いた日。あの日から、君はちゃんと感情を見せてくれるようになった。それまでも、時折うっすらと見えてはいたんだけど。ちゃんと笑って、ちゃんと悲しむようになった。たぶん、だけど、君は自分の感情にも実感がもててなかったんじゃないかな?悲しいものを背負いすぎて、擦り切れてしまったんだと思う。

 君は、わたしに綺麗なオレンジを見せてくれるようになった。上目遣いに弱いんだね。ふふ、わたしには全部解るんだから。

 何度か、君を遠くから観察してみたりした。わたしを見るまではほとんど白くて、ちょっと怖がってる時もあったね。ある程度仲良くなると、とっても怖がってた。それでも、わたしを見つけると必ず笑って、オレンジを見せてくれるの。もう、ダメだった。君のこと、好きで好きで堪らなくなった。


 告白したかったさ、そりゃあ。でも、たぶん君は、自分の恋心を理解できていないだろうし、混乱させたくなかった。そんなことで、君を濁らせたくなかった。それになにより、身体のことを考えると、とても言い出せなかった。だから、この気持ちはちゃんと持っておいて、治ってから伝えようと思った。

 それなのに、こんなことになっちゃった。わたし、もしかしたら死んじゃうかもしれない。格好良く『今を生きる』なんて言っても、欲しくなっちゃうじゃん。君と、生きていたくなったんだよ。もう、諦めていられなくなった。

 え?最初から解らなかったの?…って、君ね。わたしの孤独を想像してみてよ。飛びつかずにはいられなかったんだよ。それで、思ったよりもずっと上手くいって。強がり続けてきたけど、もう限界。初めはね、正直、勝手に恋をして、死んだら仕方ないって思ってた。自分勝手だね。ごめんなさい。

 人と関わったら、相手も他人じゃいられなくなるなんて、解ってたのに、わたしは自分勝手に動いた。それは、わたしの性根の悪さがさせたことだと思う。死んだらおしまいだから、わたしが生きている間がすべて。いつ死ぬか判らないっていう現実に向き合うには、それが必要だったの。なんていうのかな、傲慢さ?そんなものが。


「…それで、とうとう、我慢の限界が来てしまったのです。わたしの告白は、君を混乱させるだろうし、なにより最悪の結果に終わった場合、君をたくさん傷つけることになる。だから、これはわたしのワガママ。聞いてくれてありがとう」

 凛香は終始、柔らかい口調で話した。そこには、人間らしい不完全さがあった。割り切ろうと思っても割り切れない。人間は複雑だ。

 凛香も、必死で生きようとしたのだろう。僕が彼女によって生かされたように、凛香もまた、僕の感情に希望を見たのだろう。凛香の孤独を想像すると、胸を締められる感覚があった。

 話は解った。ただ。

 ただ、最悪の事態なんてことは、考えたくない。

 僕は凛香の目を見て、丁寧に話す。手をぎゅっと握った。

「凛香。約束して。僕はこれから、恋を理解できるように頑張る。だから、凛香も、死ぬなんて言わないで。勝手に死んだら、絶対許さないから。僕に恋をさせておいて、勝手にいなくなるなんて、ほんとに、いくら凛香でも、怒るよ?」

 凛香の目に涙が浮かぶ。それは一筋の流れとなって、頬を滑り落ちた。たぶん、今の僕は青くみえるのだろう。

 凛香は小さく、でもたしかに頷いた。

「ねえ、もう一つ、お願いしていいかな?」

「なに?」

「ぎゅ、ってしていい?」

 僕は座ったままで身を乗り出し、凛香に抱きついた。彼女の髪が顔にかかって擽ったい。豊かな胸が当たって、柔らかな温もりを感じた。甘い匂いがして、胸が苦しい。彼女に属する全てを、可能な限り感じていたい。

「判るかな、わたし、すっごくドキドキしてる」

「ああ、僕もだよ」

「んー、幸せだなあ」

 凛香は少し震えた声で呟いた。その振動すら愛しい。

「凛香、僕はね、たしかに恋が解らない。でも、君が大好きだ。これだけは言える。何が間違っていても、これだけは、絶対に真実だ。だから…」

 僕は一度、強くぎゅっと抱きしめてから、凛香を解放した。彼女は頬を赤らめて、僕を見つめている。もう涙は止まっていた。

「だから絶対に、元気になってね。信じてるから」

 凛香はこくんと、大きく頷いた。


「ねえ、ところでさ、その傷は…」

 凛香が遠慮がちに僕の頬に触れる。僕はちょっと気まずくなって、目を逸らす。

「なんでもないよ。ちょっと、昔の因縁で、喧嘩しただけ」

「嘘が下手だなあ、もう。色が見えなくても判るよ?」

 僕はくしゃりと髪を掴んだ。たしかに、ここで隠すことも、不誠実と言えるかもしれない。

「…白状するよ。昨日、クラスの柏木に呼び出されて、殴られた。あいつは、僕をいじめてたグループのリーダーだった。凛香のことを好きにできなくて、腹が立ったみたいだ」

 凛香は黙って、僕の頬を優しく撫でた。

「ごめんね、わたしのせいで、こんな」

「いや、いいんだ。というか、凛香のせいじゃないし」

「でも、わたしがいなければ…」

 僕は彼女の唇に人差し指を押し当てた。想像以上に柔らかくて、なんだか焦ってしまった。

「いいんだ。僕は、その、男とか女とか、まだよく解らないけど、君が好きだから。なんだっていいんだ。君が幸せになるのなら、僕は殴られたって構わない。君が幸せなら、僕も幸せなんだ」

 これが、僕の本心だった。ようやく、僕の中に形成された好意は、ごくシンプルなものだ。凛香が好きだ。どう好きなのか、なんて知らない。とにかく好きだ。大事なんだ。だから、僕は彼女のためなら、なんだって。

 凛香は優しく笑む。

「ねえ、わたしが死んじゃったら、ほんとに怒ってくれる?」

「怒るよ。相手が君でも、それは許さない」

「わたしが泣いても?」

「…怒る、って言いたいけど、想像してみたら無理かもしれない」

「…そんなこと言って、わたしが早死にしたらどうするの?」

「それは困る」

 凛香と笑い合いながら、心の底から幸せだと思った。それは新鮮な感覚だった。

「ああ、死にたくないなあ」

 彼女がぽつりと呟いた。

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