うそつき
ほんとうの自分はどこにもいない気がする、仮面のしたも仮面。
お風呂はすきよなんて言ってみて、あるいは性の快楽に溺れてみて。
今この瞬間をわたしの触覚で生きてるのはだあれ?
なくなった手ざわりを探してぽつり呟く夜十時。
下書きあさって生きてる今日も。シャワーの水滴は鳴りやまないまま。
*
わたし演技してるな、と思うときがある。妹や弟に姉らしく話したり、自立した長女らしく両親に仕事を語ったり。その瞬間、外側のわたしは演技を真実のように感じていながら、薄い皮を一枚被った内側のわたしは「なにしてんだろ、誰これ」と若干引いている。
職場では、それとは質の違う演技をしてしまう。こっちは内側のわたしも協力した上での演技だ。頭の中をフル回転させ、角が立たず謙虚に見えて害がなさそうな人間の皮をかぶっている。けど、「七草さんって顔に出るよね」とよく言われるので、実力は下っ端の劇団員レベルなのかもしれない。それを暖かく見守ってくれる同僚たち、やさしい。
職場で演技するのはまだわかるが、家族の前でも無意識に演技してしまうのはどういう理屈なんだろう。そういえば、友達や好きな人の前でも少なからず何かを演じてしまう。嫌われたくないという意識の表れなのか。
じゃあわたしはどんなときに「ほんとうの自分」でいられるのだろう。少し考えて、答えはすぐに見つかった。教室にいるときだ。子供たちの前に立ってしまえば、くだらないギャグをしてすべるのも、恥ずかしい話を打ち明けるのもへっちゃらである。
子供たちは素直だから、こちらがまっすぐに接すれば、あらを探したり、見下したりは絶対にしない。そして純度百%の眩しい視線に、ますます皮を溶かされるわたしは、今日も教壇でパプリカを踊っている。
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