新月のえのぐをひとつ盗りました

これから親しくなる君へ


 レンズのむこうになにがある?

  のぞきこむのはハリネズミ

 いつか住んでたほらあなの

  なつかしい草ときみのこえ

 わすれかけてた母の愛

  心に刺さったままのとげ

 元の世界にもどっても

  やわらかな幻想は消えず

 ねんねんころりのうたを聴く



   *



 新しい言葉をさらりと使えない。馴染みのない言葉を発するのが恥ずかしいのだ。「エモい」や「ばえる」なんて、頭の中では言えても口には出せない。新しい元号「令和」でさえ、初めは言うことができなかった。そういえば、わたしには名前を言うことのできない友達がいるのだけれど、それもこれに関係しているのかもしれない。

 小学校六年生の夏に転校し、新しい学校では男女みんなが名前で呼び合っていることに驚いた。それまでいた学校は、女子同士でも苗字にさん付けして呼んでいたから。

「ハル」「ゆっちゃん」「よーこ」。わたしは恥ずかしくて、誰のことも名前で呼べず、話の中で名前を出すことすらためらった。仕方がないから「ねえねえ」と友達を呼んだり、どうしても名前を言わなければいけないときにはフルネームを口にしたりした。

 おかしなことに、関係が疎遠になればなるほど、その子たちの名前を自然に言うことができるようになった。中学にあがってクラスが別になって。部活が別になって。高校が別になって。「トモって今、どうしてるんだろうね」縁が切れるかわりに、わたしはその言葉を手に入れることができた。

 今でも名前を呼んでいない子が、一人だけいる。出会ってから、もう二十年近くも経つ子だ。もう名前を呼ぶのなんて恥ずかしくもなんともないけれど、彼女だけはこのまま「ねえねえ」と呼んでいたいな、と思う。

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