孤高の魔女の逆転劇 2

 北西の街道沿い、フィーアリーゼは苦戦していた。


「ほ~ら、怖くないよ~。だから大人しくしてね。……ダメ? ダメかぁ……」

「……なぜ馬を用意すると言ったときに、馬に乗れないと言わなかった?」


 馬との交渉に破れたフィーアリーゼに、セドリックのジトッとした視線が突き刺さる。


「た、たしかにその通りですけど、数年――私の感覚ですけど、数年前には何度か乗ったことがあるので、いまも乗れると思ってたんです」

「……そうか。なら仕方がない。馬が疲れるが、このままここで時間を取られるよりマシだろう。俺の前に乗せてやる」

「うぅ……お世話になります」


 しょんぼりしつつ、フィーアリーゼはセドリックの前に乗せてもらった。体格がだいぶ違うので、フィーアリーゼはセドリックの腕の中にすっぽりと収まった。


 なんだか子供みたいで恥ずかしいと、フィーアリーゼはため息をつく。


「よし、それじゃ、出発するぞ」

「あ、その前に、馬の身体能力を少しだけ強化しますね」

「……は?」


 馬に向かって、身体能力を補う魔術を展開する。


「これで、私がいないのと同じくらいは走れると思います」

「……いやまぁ、今更なにも言うまい。それでは、今度こそ出発する!」


 セドリックの号令に、彼の手勢が一斉に「応っ!」と答えた。実のところ、いまこの場にはフィーアリーゼとセドリック以外に、十数名の馬に乗った部下がいる。

 そんな彼らを伴って、フィーアリーゼを乗せた馬は走り始めた。


 全速力でドドドと地響きを立てて――というイメージをフィーアリーゼは持っていたのだが、以外と音は大人しく、速度もそれほど速くない。


 速度はともかく、見た目は早歩きをしているような進み方だ。こんな速度で間に合うのかと、フィーアリーゼは肩越しに振り返って問い掛けた。


「こいつらは遠乗り用に育てられた馬だが、それでもずっと速く走り続けられるわけじゃない。この速度を続けられるのは四半刻くらいだ」

「へぇ……そうなんですね」


 農村で育ったフィーアリーゼだが、馬と言えば荷を運んだりするために使う。乗馬もほとんど経験がなかったように、遠乗りをしたことがないので少し驚いた。


 ちなみに、速歩で四半刻ほど進めば、相手が歩きのままなら追いつく計算だそうだ。むろん、相手がどこかで馬を調達していたらその限りではない。


 だが、アルヴィスの帰還予定から逆算すると、次の街で宿を取っているそうだ。そして、その街までは馬の速歩でおよそ二回分。

 つまり、休憩を入れても、一刻を待たずして結果は出るとのことだった。


「ところで、みんなにはなんて説明したんですか?」

「あん?」

「私のことです」


 いまやアルヴィスの配下に追われる重要参考人くらいの扱いだ。そんなフィーアリーゼが同行していることになんとも思わないはずがない。

 そうフィーアリーゼか問い掛けると、話していないという答えが返ってきた。


「……は?」

「正確には、一部の者しか知らない情報だ。フィーアリーゼ嬢も口を滑らせてくれるなよ」

「うわぁ……」


 後で絶対バレるのに、なんてことをとフィーアリーゼは目を剥いた。だが、アルヴィスを救えば問題ないというスタンスらしい。


(ギャンブルはしない、みたいなことを言ってたくせに……)


「私の共犯者にされたらどうするんですか?」

「心配するな。アルヴィスの配下にも連絡するように手配してある」


 馬を手配しているあいだに色々根回しをしていたらしい。初耳なフィーアリーゼは馬に揺られながら軽く動揺した。


「どんな連絡をしたのか気になるんですけど!」

「心配するな。今回の件が無事に終われば問題ない」

「そりゃあ無事に終われば問題ないでしょう、無事なんですから。でも、無事に終わらなかったら大問題じゃないですか!」

「そりゃ、無事に終わらなかったら、当然問題だろう」

「私が言いたいのはそういう意味じゃなくっ!」


 アリアを巻き込んでしまったトラウマが甦る。フィーアリーゼの根底にあるのは、無関係の人を巻き込むかもしれないという不安。


「勘違いするな。アルヴィス様を助けるために、これが一番だと思ったからそうしただけだ」

「アルヴィス様のため、ですか?」

「そうだ。むろん、おまえの味方であることは嘘じゃないし、セシリアも助けるつもりだ。だが、俺はアルヴィス様も助けたい」


 すぐ後ろからそんな言葉が聞こえてきた。

 その声の響きが、アリアやセシリアを助けたいと言った自分の声と同質のように感じたフィーアリーゼは、どうしてそんなに入れ込んでいるんですかと肩越しに問い掛けた。


「貿易都市の名前を覚えているか?」

「たしかアルヴィス……え? よく考えたら不思議ですよね、家名なら分かりますけど」


 街の名前が変わることはそれほど珍しくない。

 たとえば、貴族があらたな地を治めるようになったときに、その地に家名と同じ名前をつけるなんて事は珍しくないが、アルヴィスは家名ではなく名前だ。

 グラストリアが王国の名前だからだろうかと、フィーアリーゼは首を傾げた。


「貿易都市アルヴィスというのは、アルヴィス様が領主を継いでからついた名前なんだ。それまでは別の名前だったんだが、貿易都市として改革したときに名前が変わったんだ」

「それまでは貿易都市じゃなかったってことですか?」

「元から下地はあったがな。だが、変化を恐れるものが多く改革は難航していた。そんな周囲に認めさせるために色々と無理もした。その片棒を担いだのが俺というわけだ」


 なんと、セドリックは貿易都市アルヴィスを改革した立役者の一人だそうだ。どうりで、王族の血を引く領主と太いパイプを持っているわけである。


「……じゃあ、セドリックさんは仲間を護りに行くような感覚なんですね」

「仲間というと恐れ多いが、似たようなものかも知れんな」


 フィーアリーゼは腑に落ちたと納得する。

 それで会話は途切れるが、二人一緒に馬に乗っていると、なにかしゃべらなければと思ってしまう。フィーアリーゼは話題を探して、そう言えばと続けた。


「ベルディア侯爵がちょっかいを掛けてくる理由ってなんなんですか?」

「派閥が違うのだ。グラストリア王国の次の王候補が何人かいるのだが、アルヴィス様が味方する派閥と、ベルディア侯爵の味方する派閥が違う。それが主な理由だ」


 アルヴィスが次期王候補ではなく、他の兄弟が王位継承を賭けて争っているらしい。そして、そんな争いから一抜けしたのがアルヴィス。


 だが、貿易都市アルヴィスを発展させたことで発言力が増し、アルヴィスの所属する派閥が優勢になりつつあるらしい。

 だから、ザームドがなにかとちょっかいをかけているそうだ。


「でも、そんな理由で暗殺なんて……」

「信じられないか?」

「いえ、気に入らないって理由だけで濡れ衣を着せられて封印されたことを思い出しました」


 フィーアリーゼは結果的には目覚めたが、死刑となんら変わりがない刑に処された。

 気にくわないという理由だけで人を一人破滅させるのが貴族なら、王位継承のために人を殺すことくらい不思議でもなんでもない。


「おまえも苦労しているようだな」

「……おまえも、ですか?」


 アルヴィスとおまえ――と、同情するような響きではなく、俺とおまえ――と、共感するような響きを感じ取ったフィーアリーゼが肩越しにセドリックを見上げる。

 彼は苦笑いを浮かべていた。


「俺は実の弟とグロリア商会の跡継ぎの座を争っていてな。今回はベルディア侯爵家に弟がついているんだ」

「……お互い、負けられないですね」

「そうだな。なんとしてもアルヴィス様達を助けて――」


 セドリックが不意に言葉を飲み込んだ。

 背後のセドリックがまっすぐに前を見つめるのを気配で感じて視線をあげると、遠くの方で戦闘が始まっているのが見て取れた。



     ◇◇◇



 とある宿場町にある宿の一室。

 アルヴィスは調査の結果が思わしくなかったことに眉をひそめていた。


 今回、アルヴィスが領地を留守にしたのはとある情報が入ったからだ。それは、元ローゼン公国の街に不穏な動きがあるというものだった。


 ローゼン公国は既に消滅し、いまはアルヴィスが支配する領土の一部となっている。そんな領地で、怪しげな連中が彷徨いているというのだ。


 だが、かつてアルヴィスの領地に攻め入った派閥の者達は残らず捕まって、他の者達はアルヴィスに恭順している。反乱は考えにくかった。


 そして、ザームドの配下が動いているという報告もあった。

 なんらかの関係があるとみて、アルヴィスが自ら調査に乗り出した。むろん、罠である可能性を考慮したうえで対策を講じ、シッポを捕まえるチャンスだと判断を下したのだ。


 だが、結果的にはなんの収穫もなかった。

 謀略の兆しもなければ、なにかがおこなわれた痕跡もなかった。

 そんなわけで、アルヴィスは釈然としないながらも、予定通りの期間で調査を切り上げ、自分の屋敷への帰還を決めたのだ。


 だが――


「ご報告します! 先ほど、このような文が届けられました」


 部屋を訪ねてきた部下の一人が、そんな報告をあげた。

 その文を部下に読ませたところ、『アルヴィスの屋敷を襲撃する計画あり。至急対策を取られたし』と書いてあることが分かった。

 なお、文の送り主は不明で、届けたものは金で雇われた街の者だったそうだ。


 アルヴィスは即座に考えを巡らせる。

 文には大きく分けて三通りの可能性がある。


 まず、文の内容がデタラメで、悪意ある者による陽動や攪乱の可能性。

 次に文の内容は真実で、善意による報告である可能性と、文の内容は真実だが、悪意あるものによる陽動や攪乱である可能性が考えられる。


 確率的にも、状況的にも、罠である可能性の方が高い。だが、屋敷が実際に襲撃の危機にさらされている可能性も低くはない。


「……おまえ達は、この文をどう思う?」


 アルヴィスは至急ここに連れてきた部下達を集め、文の内容について意見を求める。得られたのはこの上なく怪しいが、捨て置くことは出来ないというアルヴィスと同じ結論だった。


「まぁ……そうだな。いまから出立するぞ」

「お待ちください。アルヴィス様はこの街に残るべきです」

「いや、それこそが文を出した者の思惑通りである可能性も捨てきれぬ」


 今回連れてきた手勢は決して少なくないが、二つに分けてしまえばその限りではない。ゆえに、アルヴィスは罠を覚悟の上で、全員で貿易都市アルヴィスまで駈けることにした。


「すぐに出立の準備を!」

「はっ、直ちに!」



 宿場町を出立したアルヴィスの一行は、馬を速歩で駈けていた。どんなに急ぎたくても、宿場町から貿易都市アルヴィスまで、速歩で二回分の距離がある。


 ましてや灯りの魔導具を使っているとは言っても夜道は険しく、馬の疲労は残っている。どこかで休ませなければ、到底走りきることは不可能なのだ。


 そんなわけで、ちょうど中間地点にある小川の側で、アルヴィスの一行は一度目の速歩を終えて休憩に入る。護衛達が周囲を警戒しつつ、順を追って馬を川辺へと連れて行く。

 そのとき、アルヴィスの元に一本の矢が飛来した。


「アルヴィス様!」


 護衛の一人がとっさにアルヴィスを突き飛ばし、くぐもったうめき声を上げる。見れば彼の腕に矢のかすった跡があった。


「大丈夫かっ!」

「俺のことは気にするな! それよりもアルヴィス様をお守りしろ! 敵が一人なはずはない、すぐに敵が押し寄せてくるぞ!」


 護衛達が盾を構え、アルヴィスを中心に円陣を組む。

 二、三度矢が射かけられたが、それほど数は多くない。効果がないと諦めたのか、短剣を持った黒ずくめ達が、闇夜に紛れて突っ込んできた。


 その数、およそ2、30名。アルヴィスの連れている護衛と同程度の数が一気に押し寄せてくると、すぐにアルヴィスの護衛達と戦闘が始まった。


 技量はアルヴィス達が上だが、状況は平地で包囲されているアルヴィス達の方が不利だ。魔術師も、その力を上手く振るえないでいる。

 そこかしこで怒号が響き渡り、敵味方の区別なく、一人、また一人と倒れていく。


(一体どこの手の者だ?)


 真っ先にローゼン公国の名を思い浮かべ、次の瞬間にはありえないと否定した。大方はアルヴィスと敵対する派閥の誰かだろう。

 一番怪しいのはベルディア侯爵家だ。


 ローゼン公国に濡れ衣を着せるという筋書きまで思い浮かんだが、それが分かったところで、このままではどうしようもない。


「おまえ達、俺のことは気にしなくて良い! いくつかのグループに分かれて各個撃破していけ! 乱戦になれば個々の技量の高い方が有利になる!」

「なりませぬ! それではアルヴィス様の護りが薄くなります!」

「だがここで全滅したら同じことだ!」

「いいえ、我ら最後の一兵になろうとも、必ずアルヴィス様をお守りいたします!」


 部下達がアルヴィスの指示に従わない。

 むろん、アルヴィスを護るという意味では、部下達の言い分が正しいのだが、このままだとたとえ勝利したとしても、甚大な被害が出るだろう。


(こんなことなら、あの魔導具をなんとしてでも手に入れておくべきだった)


 セドリックが持ち込んだ魔導具。おそらくはフィーアリーゼとアリアとの関係を繋ぐ絆。あの攻撃の魔導具さえあれば、十人やそこらは一撃で打ち抜ける。

 それだけ敵を減らすことが出来れば、戦況を一気に傾けることが出来るだろう。


 だが、無い物ねだりをしても仕方がない。

 こうして迷っているあいだにも、部下が一人、また一人と傷ついている。なんとかこの状況をひっくり返さなくてはいけない。


「南東より新手が来ます!」

「なんだとっ!? 数は、数はどうだ!」

「馬に乗った黒ずくめの集団……約十人!」

「くっ……アルヴィス様、誠に遺憾ながら、このまま護りきるのは厳しいと言わざるを得ません。我々が道を切り開きます。どうか、馬を駆ってお逃げください!」


 馬に乗って逃げるというのは正しい選択に聞こえるが、襲撃のどさくさで多くの馬が逃げてしまっている。現時点ですぐに乗れそうな馬は数頭しか残っていない。

 つまり――


「馬鹿を言うな。おまえ達を見捨てろというのか!」

「その通りです。でなければ、このままでは全滅いたします!」


 部下の声が突き刺さる。歯を食いしばるアルヴィスの横で、護衛としてアルヴィスに同行する者達が選抜されていく。


「アルヴィス様、準備は出来ました。ご決断をっ!」


 部下達が非情な決断を求めてくる。

 人としてのアルヴィスは、それが間違ったことだと全力で否定する。だが、領主としてのアルヴィスは、時として非情な決断が必要なことも理解している。

 ここでアルヴィスが死ねば、敵対派閥の思うつぼだ。


「……おまえ達の忠義に感謝する。いまから包囲を突破する! 皆の者、俺に――」


 アルヴィスが号令を掛けようとしたその瞬間――戦場に閃光が走った。

 小さな光の球が尾を引きながら、戦場を駆け抜ける。その光がすべて、アルヴィスを包囲していた敵を貫く。その数――およそ二十。


 敵の約半数が一撃で無様に地を這った。


「なんだっ、なにごとだっ!?」

「魔術ですっ、いまのは魔術の攻撃です!」

「馬鹿を言うなっ。あのような規模の魔術があってたまるか!」

「しかし実際に――っ。次、来ますっ!」

「くっ、回避しろ!」


 残った敵が一斉に回避行動を取り始める。

 だが、あらたに襲いかかってきた光は、避ける敵を追い続ける。地面にあたることも、味方にあたることもない。確実に敵を追い詰めていく。


 戦場に幻想的な光の軌跡が描かれていく。

 その光は、逃げ回る敵を一人、また一人と打ち抜いていった。そしてすべての光が消え去ったとき、敵の大半が地を這い、残った者達も傷を負っている。

 そして――


「いけ、アルヴィス様をお救いしろ!」


 馬のひずめが土を蹴り立てる音が響き、セドリック率いる騎馬隊が突っ込んできた。そのもの達は一斉に光を受けてなお立っている黒ずくめを襲い、片っ端から無力化していく。


(これは……現実か? それとも、追い詰められた俺が見ている都合のいい幻か?)


 アルヴィスが息を呑んでいるあいだに敵は殲滅される。


 そして、セドリックが駈ける馬から飛び降りた少女が歩み寄って来た。

 青みがかった長い銀髪を夜風になびかせ、魔術の光に爛々と輝く深緑の瞳を向けてくる。愛らしくも珍しい服を見に着けた彼女は、アルヴィスを見てふわりと微笑んだ。


「アルヴィス様、無事なようでなによりです」

「あ、あぁ……フィーアリーゼ、そなた、だったのか。助かった」

「いいえ、ついでだったので気にしないでください」


 フィーアリーゼはふわりと微笑んで、アルヴィスの元から離れていった。


「セドリックさん、セシリアはいましたか?」

「ああ、こっちだ。眠らされてはいるが無事なようだ!」

「ああ、良かった!」


 つぼみが花開くように微笑んだフィーアリーゼの表情が脳裏から消えてくれない。アルヴィスは、セドリックが将来が楽しみな少女だと言っていたことを思い出した。

 妻を失って久しいアルヴィスに、二度目の春が訪れる……かもしれない。

 

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