貿易都市アルヴィス 後編 1

「話は分かりました」


 貴族の遣いを名乗って現れた中年の男に、セシリアを売り渡せと言われたフィーアリーゼは、ひとまずそんな風に切り出した。

 セシリアが少し不安そうに胸を押さえ、遣いの男はまんざらではなさそうに鼻を鳴らす。


「ふん。物分かりだけは良いようだな。では、さっそく取り引きをしよう」

「なにか勘違いしてませんか? あなたの話は分かったと言いましたけど、セシリアを売るなんて一言も言ってませんよ?」


 きっぱりと断言する。

 その言葉に息を呑んだのはセシリアだったか、それとも遣いの男か。遣いの男は信じられないとばかりに目を見開いた。


「……貴様、侯爵家のご当主であるザームド様に逆らうつもりか?」

「あら? あなた、貴族の遣いとしか名乗ってなかったわよ? 呆れたわね。侯爵家の使用人がまさか、お遣い一つまともに出来ないなんて」


 フィーアリーゼの感覚でつい先日、侯爵の娘にハメられたばかりだ。侯爵には本当にろくな奴がいないわねとフィーアリーゼは苛立ちを募らせる。

 そうしてセシリアの様子をうかがうと、顔を青ざめさせていた。


(絶対にあなたを売ったりしないから安心してね)


 フィーアリーゼはセシリアを安心させるように微笑んで――なぜか余計に不安そうな顔をされたが、貴族の遣いへと視線を戻す。


「貴様……そこまで言うからには、覚悟は出来ているんだろうな?」

「笑わせないで。貴方みたいな横暴な権力者のやり口は分かってるわ。最初から話し合いのつもりなんてない。私が断れば、その権力でありもしない罪をでっち上げるつもりでしょ?」


 無論、貴族がそんな人間ばかりではない。むしろ、そういった貴族はごく一部だ。フィーアリーゼはパメラの件で貴族不信になっているといっても過言ではない。

 だが、横暴な貴族のやり口としては間違っていないのもまた事実である。


 今回、フィーアリーゼが丁寧にセシリアを売るつもりがないことを説いたとしても、相手の対応が変わることはなかっただろう。

 ……火に油を注いだことは間違いなさそうだが。


「黙って聞いていれば、好き放題に言いおって!」


 顔を真っ赤に染めた遣いの男がいきなり殴りかかってくる。

 セシリアがとっさにフィーアリーゼを庇おうと飛び出してくる――が、フィーアリーゼは変わらずたたずんだまま。

 そして――遣いの男が振るった拳は、フィーアリーゼ達の目前で弾かれた。


「ぐっ。いまのは……なんだっ」


 遣いの男が拳を押さえて座り込み、痛みに耐えかねてうめき声を上げる。だが、フィーアリーゼは答えず、静かにその姿を見下ろした。

 感情を映していない深緑の瞳に見つめられ、遣いの男は言い知れぬ恐怖を覚えた。


「……こ、このことは、ザームド様に報告させていただくからなっ」

「あら、私に確認をとるなんて驚きね。どうせ最初から、あることないこと報告するつもりだったんでしょう? 好きにすれば良いじゃない」

「くっ。覚えていろ!」


 捨て台詞を吐いて、結局一度も名乗らなかった遣いの男は家から飛び出していく。

 サーチの魔術を使って、彼が間違いなく家から離れるのを確認したフィーアリーゼは、ようやく息を吐いた。

 そんなフィーアリーゼに、セシリアが不安そうに口を開く。


「フィーアリーゼ様、あんな態度を取って、大丈夫なんですか?」

「まったくもって大丈夫じゃないわね」

「えぇ!? だったら、どうするつもりなんですか?」

「どう? うぅん、面倒ごとになりそうだし、この街を出ようかなって思ってるわ」

「え、家まで手に入れたのに、街を出ていくのですか?」

「だって、その方が楽でしょ?」


 譲れない理由があれば、貴族相手でも戦うつもりはあるが、街を離れた方が面倒が少なくて済むのだから、いちいち相手をする必要なんてない。

 さっさと別の街へ移動すれば良い。というのがフィーアリーゼの素直な感想だった。


「ですが、セドリックさんとの取り引きはどうなさるつもりなんですか?」

「セシリアや家の代金は魔導具の対価だから問題ないよ。今後の取引については別に契約したわけじゃないし……今朝もらった生活費くらいかな」


 その程度であれば、半年分の住居や食事の権利を放棄すれば問題ないと笑う。それを聞いたセシリアは、なんとも言えない表情を浮かべた。


「フィーアリーゼ様は、なんと言うか……身軽ですわね」

「セシリアは元お姫様だからそう思うんじゃないかしら? 平民なんて、別の街へ行けばいくらでも別人として暮らせるもの」


 なお、普通の平民が別の街へ引っ越しなんてしたら職探しが大変なことになる。そうそう引っ越しなんて出来ないのだが……この辺りはフィーアリーゼ故の感覚だろう。


「せっかく家を丸洗いしたのに残念だけど引っ越しかな。大丈夫。平民の暮らしを豊かにするのは、別の街でも出来るから」

「……まあ、わたくしはフィーアリーゼ様の奴隷ですから。どこへでもお供いたしますわ」


 そんなこんなで、フィーアリーゼはささっと手荷物を纏める。

 手荷物と言っても服を買った残りの資金と着替えくらいしかないのだが、それらを纏めていると、再び扉がノックされた。

 フィーアリーゼはとっさに周囲の様子をサーチした。


「さっきの男が戻ってきたんでしょうか?」

「一人だから違うと思う。でも、万が一があるから、セシリアは下がってて」


 フィーアリーゼは防御用の魔術を待機させ、扉越しに誰かと問い掛けた。


「俺だ、セドリックだ。開けてくれるか?」

「あぁ、セドリックさんでしたか。いらっしゃい」

「ああ。邪魔させてもらう。……なんだ、まだ荷物を広げていないのか?」


 服を詰めた鞄を見て、セドリックが何気ない口調で言い放つ。


「実は、この街を出ていこうかと思って荷物を纏めてました」

「………………は?」

「今夜中に街を発つつもりです。今朝もらったお金を返せないので、半年分の家や食費の権利を即座に放棄することで帳消しにしてもらえますか?」


 理解できないとばかりに惚けていたセドリックの瞳に理解が浮かび、次になぜそんなことになったとばかりに驚きが浮かんだ。


「待て待て待て、一体どういうことだ!?」

「実はさっき貴族の遣いが押しかけてきて、セシリアを買うのは自分の主のはずだったので、いますぐこちらに売れと迫ってきたんです」


 セドリックが息を呑んで硬直する。

 そんなセドリックに対して、断ったら相手がぶち切れたので、相手がなにかしてくる前に、この街を出ていこうと考えていると続けた。


 ちなみに、セシリアが「相手がぶち切れたのはフィーアリーゼ様が容赦なく言い返したせいだと思います」とか呟いているが二人は気付かない。


「待て、少しだけ待ってくれ。その貴族の遣いは本当にそんなことを言ってきたのか?」

「ええ、言いましたよ」

「では、その貴族の名はなんと言っていた?」

「えっと……たしか、ザームド。侯爵家の当主、ザームドと言ってました」

「……なるほど、そう言うことか」


 セドリックが深いため息をついた。


「私からもセドリックさんに聞きたいことがあるんですが?」

「分かっている。セシリアのことが、どこから漏れたのかと言うことだろう?」

「……ええ、その通りです」


 フィーアリーゼは、ローゼン公国の姫を買っただなんて誰にも言っていない。そもそも、言う相手もいない。にもかかわらず、さきほどの男はその事実を知っていた。

 考えられるのは、セドリックだが……それが意図的なのかどうかが分からない。それを判断するために、フィーアリーゼは深緑の瞳を細めた。


「ローゼン公国の姫を俺が奴隷としてこの街に運び入れたことは、少し耳ざとい者であれば知っていた。宿や商会ギルドの件から調べ上げた可能性は高いと思う」

「じゃあ、セドリックさんは関係ないと?」

「いや、そうとも言い切れない。今回の商隊は規模が大きかっただけに、どこかから漏れた可能性は否定できないからな。どのみち、徹底的に調べるつもりだ」

「……そう、ですか」


 嘘は吐いていない。少なくとも、本人にも心当たりがないのは事実だとフィーアリーゼは直感的に思った。だから、セドリックとは今後も協力できる可能性を探す。


「ひとまず、私は面倒ごとに関わりたくないので街を出る予定です。――ですが、もしセドリックさんが望むのであれば、よその街で取引をしても良いと思っています」


 それがフィーアリーゼの折衷案だった。

 もしセドリックが無関係なら、取引をするのはお互いのためになる。もし無関係じゃなかったとしても、今後ちゃんとした取引が出来るのなら問題がない。


 そして、街を移っても同じことが起きるのなら、あらためて手を切っても遅くはない。故郷を失って、残っているのは過去の約束とセシリアだけ。

 そんなフィーアリーゼだからこその提案だ。


「それはぜひともお願いしたい。だが……その前に聞いて欲しい。俺には、その貴族の問題を解決する策があるのだが、聞く気はないか?」

「……解決する策、ですか?」

「実は、俺はこの街の領主と交流がある」


 策とやらを察したフィーアリーゼは半眼になった。


「私、その領主と同じ貴族に絡まれているんですけど」

「いや、アルヴィス様は横暴貴族とは違うし、ザームド侯爵と渡り合うだけの地位と権力がある。事情を話せば力になってくれるはずだ」

「うぅん……」


 下級貴族とはいえ、アリアのような人間だっているのだから、フィーアリーゼだって貴族が全員横暴だとは思っていない。

 だが、彼女の感覚では、先日から立て続けに横暴貴族に酷い目に遭わされている。


 本当に助けてくれるのかもしれないが、そうじゃない可能性だってある。確実でないのなら、逃げた方が確実だし楽だと、フィーアリーゼの気持ちは傾いていた。


「聞いてくれ、フィーアリーゼ嬢。なにを考えているのかはおおよその予想は付いているつもりだ。だが、アルヴィス様はこの街の領主だ。その領主を味方に付けるのは、民の暮らしを豊かにする近道だと思わないか?」

「……それは、まぁ」


 フィーアリーゼ一人より、商会を味方に付けていた方が良いに決まっている。そして更に貿易都市の領主が味方になるのなら、これほど心強いことはないだろう。

 本当に信頼できるのなら、だが。


「会ったことのないアルヴィス様を信じられないというのなら、俺を信じてくれないか?」

「セドリックさんを、ですか?」

「ああ。俺はどんなことがあってもおまえの味方をする。もしアルヴィス様がおまえに敵対するのなら――そんなことはありえないが、そのときは俺がおまえを護る」


 赤みを帯びた瞳が、フィーアリーゼをジッと見つめる。その真剣な様子を見て、隣で話を聞いていたセシリアが口の前で両手を合わせて「まぁ……」と呟いた。


「アルヴィス様……でしたか? どうして、その方と会わせたがるんですか?」

「俺は自分の進退をおまえに賭けているんだ。そして、その話にアルヴィス様も乗ってくださった。俺とお前とアルヴィス様の三人で、歴史に名を残すようなことを為したいんだ」

「なんだか、大げさな気がしますけど……」


 それが民の暮らしを豊かにすることに繋がるのはフィーアリーゼにも分かる。疑い出せば切りはないが、その可能性に賭けてみるだけの価値はあると判断した。


 それに、300年前と違って、いまは魔術の技術でフィーアリーゼに敵う者はいない。いざという時には、セシリアを連れて逃げるくらいのことは出来るだろう。


「分かりました。そのアルヴィス様と会って見ます」

「……感謝する」


 一度フィーアリーゼの顔をまっすぐに見た後、セドリックは深々と頭を下げた。その姿から彼がどれだけ本気なのかを感じ取ったフィーアリーゼは、さっそく話を進める。


「会うのは構いませんけど、さすがにいまからは難しいですよね?」

「そうだな。早くても明日にはなるだろう」

「ですよね。でも、さすがにそれまでここにいたら、厄介事が舞い込むと思うんですよね」


 フィーアリーゼにとって、秘密裏に来る襲撃者を撃退するのは難しくない。だが、物量作戦で来られたらその限りではない。

 実力を持って撃退するのは、最後の手段にしたいと考えていた。


「そうだな。商会の隠れ家を一つ提供するから、今夜はそこに泊まるといい。すぐにでも案内できるが、なにか持っていく物はあるか?」

「手荷物はちょうど纏めてたので問題ないです」

「分かった。ならばさっそく出発しよう」


 こうして、フィーアリーゼ達は手荷物だけを持って、手に入れたばかりの家を後にした。

 

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