貿易都市アルヴィス 前編 6

「あ、あの、グロリア商会の大切なお客様って、あなたのことなんですか?」


 元から大きな緑の瞳をまん丸にして、ルミエラが問い掛けてくる。

 それに対してフィーアリーゼは、大切な方というのが自分かどうかは分からないけど、グロリア商会の紹介状があるのは事実だと答えた。


「ふわぁ……本当にそうなんですね。あ、すみません。紹介状を持った方がいらしたら、ギルドマスターを呼ぶようにといわれているので、すぐに呼んできますね!」


 ルミエラがパタパタと尻尾を振りながら走り去っていった。それを見送ったフィーアリーゼは背後のセシリアを仰ぎ見る。


「ねぇセシリア、あなたもイヌミミ族を差別してたりするの?」

「いいえ、ローゼン公国にそういう風潮はありませんから。この国――というか、アルヴィスの街は魔物の被害が大きかった時期があって、獣人は嫌われているんです」

「……ええっと、獣人と魔物が同一視されてるってこと?」


 フィーアリーゼは全然違うと思ったのだが、セシリアは肯定する。どうやら、人間よりも獣っぽいところが、人間と魔獣のハーフみたいに思われているらしい。

 なお、まったくもって事実無根で、フィーアリーゼはちょっと呆れてしまった。


 それはともかく、待つこと数分。

 ギルドマスターらしき男がやって来たのだが、その隣にいるのはルミエラではなく、さっきのひじょおおおおおおおおに失礼な受付の男だった。

 なんとなく事情を察して、フィーアリーゼは思いっきり半眼になる。


「……一応聞くけど、ルミエラちゃんはどこかしら?」

「彼女は見習いでして、グロリア商会に任された大切なお客様を任せられるような者ではございません。ですので、この男にお任せください。我が商業ギルドでも優秀な男ですので」


 ギルドマスターの紹介を受け、フィーアリーゼはこれ見よがしにため息をついて見せた。ちなみに、ついさっき、どこかの誰かにされたマネっこである。


「……あなた、なにか言うことはないかしら?」

「――っ。ど、どうかこのわたくしにお任せください。お客様の要望に必ずお応えします」


 男は一瞬たじろいだものの、すぐに営業スマイルで売り込みをかけてきた。そんな男の態度に、フィーアリーゼは冷めた視線を向けて毒を吐く。


「要望に応えてくれるなら、いますぐ私の前から消えて」


 ピシリと硬直する男から視線を外し、同じく硬直しているギルドマスターへと視線を戻す。


 受付の男がさきほどの態度を謝罪するか、すごすごと引き下がるのなら穏便に、ルミエラを呼んでもらって済ますつもりだった。

 だが、厚顔無恥にも売り込みをかけてくるのなら容赦するつもりはない。


「ギルドマスターさん。貴方は知らないのかもしれませんが、私は先ほどその男に、物凄く失礼な対応をされたので顔も見たくありません」

「なんですとっ!? ――おい、おまえ! それは本当なのか!?」


 顔色を変えたギルドマスターが、受付の男へと詰め寄る。

 男は額からだらだらと汗を流しながら視線を彷徨わせた。


「ち、違うんです。こんなこむす……少女がグロリア商会の紹介状を持ってるなんて知らなかったんです!」

「つまり本当なんだな!?」

「そ、それは……はい」

「くっ! もう良い、貴様は引っ込んでいろ!」

「も、申し訳ありませんでした!」


 物凄い勢いでペコペコと頭を下げると、受付の男は逃げ去っていった。それを見届けることなく、ギルドマスターがフィーアリーゼに対して深々と頭を下げた。


「うちの受付が大変失礼をいたしました。あの男には必ず相応の罰を与えて指導しておきますので、どうかご容赦ください」

「それは、グロリア商会の紹介状を持つ私に失礼なマネをしたから?」

「いいえ、誰であろうと関係ありません。客に対して失礼なマネをしたからです」

「……そっか。なら、さっきの件は飲み込んでおくよ」


 ひとまず、ギルドマスターは知らなかっただけ。管理責任はあるが、あの受付の男と同じタイプではないと判断して溜飲を下げることにした。


「それでは、あらためて別の担当を呼んできます」

「なら、さっきの子、ルミエラちゃんにしてくれるかな?」

「……よろしいのですか?」


 ギルドマスターが探るような視線を向けてくる。


「彼女がイヌミミ族であることを言ってるのなら、私は気にしないわ。それに彼女は、私がただの一般人だと思ってても、一生懸命頑張ってくれるって言ってくれたから」

「……そうですか。彼女は逆境にもめげずに真面目に働いてくれているので、評価してくださって喜ばしい限りです。すぐに呼んできますので、少しだけお待ちください」


 ギルドマスターは足早にルミエラを呼びに行った。



「わふぅ~。私をご指名くださってありがとうございます! これから私が物件を案内させていただくので、よろしくお願いします!」


 ギルドマスターに呼ばれて戻ってきたルミエラは、モフモフのミミをピコピコ、モフモフのシッポをパタパタさせていて可愛らしい。

 フィーアリーゼはその姿に癒やされながら、「こちらこそよろしくね」と微笑んだ。


「では、実際に見て回る前に候補をあげたいと思いますので、こちらをご覧ください」


 ルミエラが物件の間取りや注釈が書かれた羊皮紙を並べていく。


「で、でっかいね……」


 真っ先に思ったフィーアリーゼの感想がそれだった。

 セシリアと二人ですむことになる予定だが、どれもこれも工房を除いても部屋がいくつもある。五、六人は余裕で暮らせるだろう広さがあった。


「最高の住居を選んで欲しいとのことでしたが、大きすぎますか?」

「そうだね。私とセシリアの二人で暮らす予定だから、あんまり大きいと掃除が大変だしね」

「なるほど。では、この辺りでしょうか?」


 今度は工房を除いて三部屋くらいの物件が並べられていく。その中にいくつか良さげな物件があったので、フィーアリーゼはそれらの場所を聞いた。


「地図で言うと、ここと、ここと……ここですね」


 ルミエラが指差したのは、どれも街の中心からそう離れていない場所ばかりだった。


「ん~っと、ごめん。街の隅っことかでも良いから、出来れば隣は空き地とかが良いかな」

「空き地のある場所ですか? 少し待ってくださいね」


 その要望は想定外だったのか、ルミエラが該当する物件を探しに席を外す。


「ねぇフィーアリーゼ様、どうして空き地のある場所が良いのですか?」

「新しい魔法陣の試験とかで失敗したら、周囲ごと吹き飛ぶかもしれないでしょ?」

「――ふぁっ!?」


 ぎょっとセシリアが目を剥いた。それからしばらく考えるような素振りで視線を彷徨わせ、意を決したように視線を戻した。


「……フィーアリーゼ様。出来れば私、どこか別の場所から通いにしてくださいませんか?」

「ダメよ。というか、万が一の話だから、そんな事態にはならないし。そもそも、そんな危険な実験をするつもりはないから大丈夫よ。……しばらくは」

「いま、しばらくって言いましたよね?」


 フィーアリーゼは明後日の方を向いた。

 パメラの描いていた不完全な魔法陣。あれが礎の間にある魔法陣である可能性に思い至ってから、研究したくて仕方がないフィーアリーゼであった。


 もっとも、おそらく300年前の大事故の原因はあの魔法陣なので、軽く試してみるというわけにはいかないのだが、安全策をとれたらやってみたいと思っている。

 フィーアリーゼはわりと実験大好きっ子であった。



 その後、ルミエラの持ってきた物件の中から、いくつか適当な場所を選び、実際にそれらの物件に足を運んだ。

 そうして二つ目の物件、街の片隅にある静かな場所にやって来た。


「へぇ……なかなか良さげな建物だね」


 切り出した石を積み上げた家ながらも、どこか暖かみのある内装となっている。

 部屋は寝室が三部屋で、リビングと湯浴みをするスペースがあり、更には地下に付与魔術をおこなうための工房が設置されている。

 なにより、工房にそれなりのデバイスを作る設備が整っているのが最高だった。


「セシリアはこの家をどう思う?」

「特に問題はないと思いますわ。フィーアリーゼ様さえ問題なければ、ここでよろしいのではありませんか?」


 セシリアも特に不満はなさそうだ。もっとも、彼女は元お姫様なので、実家のお城と比べれば相当に住みにくい物件なはずなので、その辺りは立場的に我慢しているのだろう。


「じゃあ、ルミエラちゃん、この物件でお願い」

「かしこまりました。私は契約を進めておきますので、フィーアリーゼ様はこのまま、この家をお使いください」

「……え、良いの?」


 契約とかがあるのではと思ったフィーアリーゼだが、その辺りはすべてセドリックと交わすから問題ないという答えが返ってきた。

 どうやら、フィーアリーゼに極力負担を掛けないように気を使われているらしい。


「それじゃ……ありがとね。またなにかあったらよろしくね」

「はい。こちらこそです。なにかあったら、ぜひ私を呼んでください」


 とまぁ、そんなわけでルミエラが帰って行く。

 こうして、フィーアリーゼ達の住居はあっさりと決まった。


 ただし、家の中はかなり埃っぽくて薄汚れている。それに木製の家具なんかは残っているが、ベッドなんかは布団が撤去されている。

 その辺りをなんとかしなければ、この家で暮らすのは厳しいだろう。


 ついでに言えば、工房も設置されている灯りの魔導具の魔石なんかが劣化してひび割れている。デバイスを製作するのにも、少し手を入れる必要がありそうだった。


「フィーアリーゼ様、掃除用具が残っているようなのでさっそく掃除させていただきますね」

「あぁ、ちょっと待って。その前に、小物を一度家の外へ運び出して」


 セシリアに指示を出し、フィーアリーゼは一緒になって小物を運び出していく。それから二人で何度も往復して、ようやくすべてを運び終えた。


「フィーアリーゼ様、これからどうするんですか?」

「こうするんだよ」


 フィーアリーゼは一度目をつぶり、脳裏に複雑な魔法陣を思い浮かべた。それから右手を建物に突き出して、魔力を込めて魔法陣を描き出す。


「フィーアリーゼ様、一体なにを……」


 セシリアは途中で言葉を飲み込んだ。

 答えを聞くまでもなく、目の前の光景がすべてを物語っている。家の敷地より少し大きな魔法陣の円柱状に水がせり上がり、家をまるごと洗い始めたのだ。


 身体を洗うのとはまるで規模が違う。

 セシリアが見たことも聞いたこともない規模の魔術が展開されている。それも数秒ではなく、建物の隅々まで汚れを落とすためにずっと持続させている。


「これほどの魔術を使えるのですか……」


 どれくらいその光景に見とれていただろう。我に返ったセシリアが、魔女の生き残りの凄さを実感してぽつりと呟く。

 だが、視線を戻したセシリアは再び息を呑んだ。


「フィーアリーゼ様、お顔の色が良くありません」

「あはは……ちょっと、キツい、かも」


 複雑な水流を操るために緻密に組み上げ、家をまるごと洗うために巨大化させた魔法陣は、フィーアリーゼの魔力を湯水のごとくに消費している。


 その消費量は、ただ敵を打ち抜くような攻撃系魔術の比ではない。

 フィーアリーゼの顔は、目に見えて青ざめていた。


「キツいかもじゃありません。いますぐ術を解除してください!」

「大丈夫。もう、終わるから……」


 フィーアリーゼの言葉通り、建物を包んでいた水が魔法陣へ飲み込まれていく。それを見届けたフィーアリーゼは、ぺたんと地面に座り込んだ。


「フィーアリーゼ様!」


 駆け寄ってきたセシリアが身体を支えてくれる。その助けを借りながら、フィーアリーゼは周囲の魔力素子(マナ)を魔力に変換して体内を満たしていく。


「……ありがとう、もう大丈夫よ」

「本当ですか?」

「もちろん、本当よ。さあ、小物を家に運び込んじゃうわよ」

「なにを言っているんですか、フィーアリーゼ様は部屋で休んでいてください! 小物を片付けるのはわたくしがいたしますから!」


 とまぁそんな説得を受け、フィーアリーゼはリビングの椅子にちょこんと座って、セシリアがパタパタと走り回っているのを眺める。


「ねぇ、セシリアは元お姫様なんだよね? 雑用させられて嫌じゃないの?」

「もちろん、以前はこんな日が来るとは予想もしていませんでした。でも、幽閉されて、奴隷として売られることが決まって、もっと酷い仕打ちを受けるのだと思ってました。だからわたくし、いまの待遇に不満なんてありませんわ」

「だったらいいんだけど……」


 学年主席の魔術師だったとはいえ、フィーアリーゼは平民でしかない。元とはいえ、お姫様にだけ働かせている現状は罪悪感が凄かった。


 キョロキョロと周囲を見回したフィーアリーゼは、そうだと立ち上がった。


「私、地下の工房を見てくるわね」

「かなり魔力を消費したのですから、もう少し休まれた方が良いのではありませんか?」

「大気中から魔力素子(マナ)を取り込んで、魔力を回復させたから大丈夫よ」

「……は?」


 自分だけ休んでいる方が精神衛生上よくないと工房へ向かう。

 ちなみに地下へと続く階段は真っ暗だが、壁に備え付けられている魔導具の魔石は交換しなければ使えそうにない。なので、魔術を行使して光源を作り出す。


(デバイスを作るための設備も、少し修理しないと使えないのよね)


 現在のフィーアリーゼはセシリアからある程度の常識を仕入れているので、魔導具のデバイスは自分で作った方がマシなレベルであることを知っている。


 平民向けに安価で量産する物は、大量生産する方法を考える必要があるが、自分が快適に暮らすための魔導具のデバイスは自分で作る予定だった。


 もっとも、デバイスを製作するのに必要な素材はもちろん、工房を修理するための素材ですら、いまのフィーアリーゼには手に入れられない。

 必然的にセドリックに頼ることになるのだが、さすがにあれも欲しいこれも欲しいとねだってばかりいる訳にはいかない。


 ここらでなにか、対価を支払っておく必要があるだろう。そんな風に考えを巡らせていると、工房の扉がノックされた。


「フィーアリーゼ様、お客様がお見えです」

「……お客様?」


 セドリックであれば、セシリアは名前を教えるはずだ。だから別の誰かということになるのだが、心当たりがないとフィーアリーゼは首を傾げる。


「それが、とある貴族の使いだとしか名乗ってくださらなくて」

「……ん、分かった。リビングへ上がってもらって。私もすぐ行くから」


 パパッと身だしなみを整えて、フィーアリーゼは階段を上がってリビングへと向かう。

 部屋に入ると、壁際に控えるセシリアと、木の椅子に座ることなく、立ったまま不快そうな表情を浮かべる中年の男がいた。


「お待たせいたしました。えっと……よろしければおかけください」

「結構だ。そのようなみすぼらしい椅子に座るつもりはない。それよりも、貴様がフィーアリーゼとかいう小娘だな?」

「そう、ですけど……」


 またなんか面倒なのが来たなと、フィーアリーゼは眉をひそめた。

 普通の村娘なら、貴族と聞いた時点でひれ伏すのが当たり前だが、魔術学校で貴族に慣れているフィーアリーゼにその感覚は薄い。というか、敵愾心の方が先に立つ。

 そして――


「では単刀直入に言おう。セシリア姫は我が主が買う予定だったのだ。それを横からかすめ取ったおまえは許しがたい。だが、我が主は寛大だ。おまえが支払ったのと同じ価格で買い取ると仰せだ。いますぐに、売り渡すがよかろう」


 パメラを彷彿とさせる横暴っぷりに、フィーアリーゼはこめかみを押さえた。

 

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