貿易都市アルヴィス 前編 5
貿易都市アルヴィスにある宿の一室。
横で眠るセシリアが「うぅん……」と可愛らしい声を上げて目を開いた。そうして、自分を見つめているフィーアリーゼを見てパチクリとまばたく。
「あれ……あなたは? フィーアリーゼ、様? え、どうして、フィーアリーゼ様がわたくしのベッドに潜り込んでいるんですか?」
「よく見なさい。あなたが私のベッドに潜り込んだのよ」
「え? あれ? も、申し訳ありませ――あいたっ!」
がばっと飛び起きて、ずささと後ずさろうとして、そのままベッドから転げ落ちた。そのちょっとどじっ娘が入った行動に、フィーアリーゼは忍び笑いを漏らす。
「いたた……。か、重ね重ね、申し訳ありません」
「……別に、広いベッドだから構わないわ。ただし、その大きい胸に私を抱き寄せるのだけはやめなさい。じゃないと、次は――もぐわよ」
持てる者への嫉妬と、夢見が悪かった苛立ちを少し滲ませる。奴隷の立場であるセシリアは真っ青になって頭を下げ始めた。
「申し訳ありません、本当に申し訳ありませんでした。次からはこのようなことはないようにいたしますので、どうかお許しください」
「そこまで謝る必要はないわ。次から気を付けてくれればそれで良いから」
「……はい、分かりました」
最初に好き勝手されるのは困ると強気に出たのが失敗だった。しばらくは仲良くなるのが難しそうだと、フィーアリーゼは少しだけため息をつく。
その後、フィーアリーゼとセシリアは食堂で朝食を食べた。
セシリアは一目で奴隷と分かるような服を身に付けていたが、特に咎められるようなことはない。セドリックが言い含めているのか、それとも清潔なら奴隷でも問題がないのか。
おそらくは両方でしょうとは、セシリアの見解だ。
食事を終わらせたあと、一息付いて部屋に戻ると、まるでタイミングを計っていたかのようにセドリックが訪ねてきた。
「今日は約束通り、工房付きの家を探す手配をしてある。商業ギルドに話を通してあるので、これを持って訪ねるといい」
紹介状らしき書状を渡される。
それを受け取りつつ、なにか他に言うことはなかったかと思いを巡らせた。そうしてクルリと振り返ってセシリアを見たフィーアリーゼはポンと手を叩く。
「セドリックさん。少しお金を融通して頂けませんか? 私と彼女の服を買いたいんです。その分、住居と食事を保証して頂く期間を短くして頂いて構いませんから」
「そういうことならすぐに用意させよう。それと、期間の件は据え置きで問題ない」
セドリックがパチリと背後に付き従っていた部下に指示を出す。そうして受け取った小さな革袋をフィーアリーゼに差し出した。
フィーアリーゼはそこまで甘えるわけにはと抵抗するが、結局セドリックに押し切られて、お金の入った革袋を受け取ることになった。
「ありがとうございます」
フィーアリーゼはお礼を言いながら中に数種類の硬貨が入っているのを確認するが、この時代の硬貨を見るのは初めてだ。
服を買うのに問題のない金額だろうと当たりを付けて財布を内ポケットにしまった。
「では、俺は仕事があるからこれで失礼するが、商業ギルドや店の場所は分かるか?」
「食堂でウェイトレスのお姉さんに少し話を聞いたから大丈夫です」
「そうか。では、また後で会おう」
セドリックが部下を引き連れて、颯爽と立ち去っていく。それを見送った後、フィーアリーゼはセシリアを連れて街へと繰り出した。
だが、街をてくてく歩いていると、道行く人がジロジロと視線を向けてくる。
前方から来る者はもちろん、追い抜いていく者達も高確率で振り返る。なんだか見世物にでもなった気分でフィーアリーゼは落ち着かない。
「……どうしてこんなに見られてるのかしら?」
「それは、フィーアリーゼ様の身なりが珍しいのと、フィーアリーゼ様のように年若い少女が、私のような奴隷を連れているのが珍しいからだと思います」
見たこともない、いかにも高そうな服を着た少女が、明らかに奴隷と分かる服装の娘を連れている。フィーアリーゼに自覚はないが、二人の姿は思いっきり目立っていた。
「うぅん、やっぱり服を先に買った方が良さそうね」
「そういえば、いかほど頂いたのですか?」
「えっと……これだけよ」
小さな革袋の中身がセシリアに見えるようにする。
中を覗き込んだセシリアは真っ黒な瞳を丸くした。
「まあ……金貨が数枚入っていますわね。これだけあれば、それなりの品質で、十分な数の服を揃えられると思いますわ」
なお、元お姫様の思う、それなりの服である。フィーアリーゼはそのズレに気付いていないが、それなりの金額があることは間違いない。
「やっぱり、半年分の家代と食事代から引いてもらった方が良かったんじゃないかしら」
「セドリックさんと取り引きを続けるつもりなら、フィーアリーゼが気にする必要はないと思いますわよ?」
「……どういうこと?」
「セドリックさんはおそらく、半年分の報酬から引かなかったんじゃなくて、引きたくなかったんだと思います」
セシリアいわく、セドリックはフィーアリーゼを金の卵を産むガチョウだと思っているらしい。だからこそ、フィーアリーゼがよその街へ行かないように、住居を用意したとのこと。
「……それ、セドリックさんは私を取り込もうとしてるってことよね?」
「そうとも言えますが、あの方が強引な手段を執るとは思えません。おそらくは、フィーアリーゼ様の利を提示して、自らの意思で留まってくれるように立ち回ると思われます」
セシリアはそんな風に評価した後、自分の評価が正しいとは限らないし、第三者が介入してくる可能性もあるから、鵜呑みにはしないで欲しいと付け加えた。
(セシリアの意見が正しければ、セドリックさんは私の過ごしやすい環境を作ってくれるってことよね? じゃあ、不都合が出るまでは気にしなくて良い、かしら?)
過ごしにくい環境だと感じれば、すっぱりと手を切れば良い。けど、いまのところは問題なく過ごせているので、友好な関係を結んでおこう。
そんな結論に至ったフィーアリーゼは、ひとまず近くの服を扱う店に足を運んだ。
「いらっしゃいませ。本日は………………どのようなご用件でしょう?」
平民が買うにはちょっぴり高級な洋服を扱うお店。
店番らしき少女がフィーアリーゼを見て、その着ている服を見て、更に後ろにいるセシリアを見て、首を捻って見せた。
ちなみに、店番の少女の内心としては、フィーアリーゼを見て上客っぽいと思ったものの、着ている服があまりに高価そうだったのでそんな服は扱ってないと困惑。
そうか、連れてきた女性に買い与えるのかと背後に目を向ければ、セシリアの着ている服が奴隷服だったので、今度は逆の意味で困惑した――といったところである。
「私と彼女に、それぞれ二、三着ずつ見繕ってくれますか?」
「か、かしこまりました。ご要望の方向性などはありますか?」
首を傾げると、いま来ている服と同じ方向性なのかと言った趣旨の質問がなされた。
セシリアが小声で、フィーアリーゼが着ているような高価な服や、自分が着ているような奴隷服は扱っていないと言いたいのでは? と耳打ちをしてくれる。
「方向性としては、私と彼女が並んでも違和感がないようにして欲しいわ。それに、街を歩いていても出来るだけ目立たないようにしてくれると嬉しいわね」
「か、かしこまりました」
二人の容姿で目立たないようになんて出来るわけないじゃない――なんて言えるはずもなく、店番の少女は頑張って二人の服をコーディネートすることにした。
そうして、二人の好みを聞きながら、いくつかの組み合わせを作っていく。
「……こういった感じでいかがでしょう?」
「うん、いいね。凄く良いよ」
穏やかな気候にあわせた華やかなブラウスとスカートのセットを手に取って、フィーアリーゼが満足気に微笑んだ。
学校の制服を身に着けているのでお嬢様だと思われているフィーアリーゼだが、彼女はもともと農村の出身なので、むしろこういう服に憧れていた。
「それじゃ、これとこれと……それぞれ三着ずつ頂くね」
「かしこまりました。六着ですと――」
店番の少女に提示された代金を、フィーアリーゼは財布から支払った。
「それから、この服に着替えて帰るから、更衣室を借りるわね。セシリアも、三着のうち、どれか一着を選びなさい」
フィーアリーゼはお気に入りの一着を選び、ささっと着替えて外に出る。そうして、制服を他の二着と纏めて詰めるように店番の少女にお願いした。
そうして、セシリアが出てくるのを待つが、彼女はなかなか出てこない。
「……セシリア、まだかしら?」
「申し訳ありません、少しだけお待ちください」
「いいけど……なにかあったの?」
「あるというか、なにもないというか……」
「……良く分からないけど、問題がないなら良いわ。待ってるから着替えなさい」
別に急かすほどのことじゃないとまちぼうける。すると、服をたたんでいた店番の少女が、チラチラとこちらを見ていることに気がついた。
「……どうかしたかしら?」
「す、すみません!」
「いや、どうかしたのかって聞いたんだけど」
「いえ、その……で、出来れば、この服の生地を、少しだけ見せて頂けますか?」
「あぁ……それ? 別に良いけど」
フィーアリーゼはチェック柄を気に入っているのだが、この街ではそういった柄の生地を一枚も見かけていないので、服飾店の者なら気になるのだろうと許可を出す。
その時点ではそれ以上の意図はなかったのだが、布を食い入るように見つめ、織り方について呟く少女の姿に興味を抱く。
「……もしかして、その生地を再現しようとしてる?」
「え? あ、その……初めて見る生地だったので。すみません」
「怒ってないわよ。再現できるかどうか知りたいだけ」
「可能か不可能かで言えば、たぶん可能だと思います」
「え、本当に?」
制服の生地は300年前の最先端だったのだが、現代には出回っていないことをセシリアを通じて確認している。
大陸から魔力素子(マナ)が喪失して魔導具が動かなくなったため、生地を織る魔導具が使い物にならなくなったのが原因だろうと、フィーアリーゼは当たりをつけていた。
その生地を作れるかもしれないと聞いて、フィーアリーゼは身を乗り出した。
いますぐ、そのチェック柄の生地を使って、いま着ているのと同じようなデザインの服を作って欲しいと頼み込みそうな勢いだ。
「え、ええ。ただ、同じ織り方を研究するのには時間が掛かりますし、なにより人の手で織るのはかなり大変だと思います」
「なるほど……実現するにはコスト的な問題があるのね」
納得はするが諦めはしない。
織り方さえ理解できれば、魔導具の織機を作ることは可能だ。
「あなたとこの店の名前は?」
「え? えっと……スズネ服飾店で、私の名前もスズネです」
「あれ? お店と自分の名前が同じってことは、あなたのお店なの?」
「いえ、両親のお店なんです」
「へぇ……そうなんだ」
店主の娘なら、交渉する相手としても都合がいい。
セドリックがチェック柄の生地に興味を示していたので、機会があれば教えてあげようと頭の片隅にメモをする。
そうしてしばらく待っていると、ようやく着替えたセシリアが姿を現した。
「お、お待たせしました」
淡い色の薄手のブラウスに、膝丈のプリーツスカート。そのうえから長めのカーデガンを羽織ったセシリアが、ピンクゴールドの髪を揺らしながらモジモジとしている。
「……なにをそんなに恥ずかしがっているの?」
「なにをって、それは……なんでもないです」
良く分からないが、デザインが気に入らないわけではないらしい。それが分かったフィーアリーゼは、まぁ良いかと話題を切り上げる。
それから奴隷服は処分してもらって、残りの服を纏めてもらった。
「それじゃ、また来るわね」
「はい、またのお越しをお待ちしております」
チェック柄の生地の確認が出来てご機嫌のスズネに見送られ、フィーアリーゼ達は大通りを歩き始めた。
ちなみに、ご令嬢っぽい少女と、品のある奴隷少女という組み合わせが解消されたことによって、奇妙な組み合わせを見る視線は明らかに減った。
だが、代わりに美人姉妹的な意味での視線はむしろ増えている。自覚のないフィーアリーゼは、なんでまだ見られているんだろうと首を傾げた。
そんなこんなで、フィーアリーゼ達は目的の商業ギルドへとやって来た。二階建ての大きな石造りの建物で、魔導具の灯りなどが取り入れられている。
フィーアリーゼは案内に従って、不動産関係の受付がいるところへとやって来た。そうして番号が書かれた木札を取って、その番号が呼ばれるのを待つ。
「お待たせしました。今日はどのようなご用件…………はぁ」
受付の男が、フィーアリーゼ達を上から下まで眺めた後、これ見よがしにため息をついた。
あまりの感じ悪さにフィーアリーゼは眉をひそめるが、受付の男は溜息交じりに「ここは不動産を扱うところで、おまえらみたいな小娘が来るところじゃない」と言い放った。
「分かったら邪魔だからどけ。次の番号は――」
「ちょ、ちょっと待ってください。私達は家を探しに来たんです!」
このままだと本当に追い払われると、フィーアリーゼは少し声を張り上げる。それが周囲に聞こえて注目を浴びたからだろう。
受付の男はため息をつき、少し待ってなと奥へと引っ込んだ。そしてほどなく、大人しそうな少女を連れて戻ってきた。
「ルミエラ、こいつらは家を探しているらしい。おまえが面倒を見てやれ」
「え、あの? 私ですか?」
「今日は上客が来る予定だ。その方が俺のところに来る確率を増やすためには、こいつらみたいなのを相手にしてる時間はねぇんだよ。ほら、邪魔だからどこかへ連れて行け」
むちゃくちゃぞんざいな対応でフィーアリーゼ達を追い出すと、次の客の対応を始めた。ちなみに、次の客は景気の良さそうな商人風の男で、受付の男は物凄くゴマをすっている。
(ここまで露骨だといっそ清々しいわね)
完全にあきれ果てて視線を外し、代わりに対応してくれるという少女へと視線を向ける。自分と同い年くらいだろうか? 栗色の髪には、ふわふわのイヌミミが付いていた。
「……イヌミミ族?」
「ごめんなさい。イヌミミ族になんて応対されたくないですよね……」
イヌミミがしょんぼりへにょんと元気をなくした。
「別にそんなことはないわよ?」
「……本当ですか?」
「ええ、もちろん本当よ。それより、ここだと邪魔になるから移動しましょう。どこか話し合える場所はあるかしら?」
「えっと……それじゃ、こっちです」
イヌミミ少女に案内されて、待合室の隅っこにあるテーブル席を陣取った。そうして向かい合って座り、あらためてイヌミミ少女へと視線を向ける。
栗色の髪に、緑の瞳を持つ女の子。
フィーアリーゼより、少し年下だろうか? 一般的にこういった場所で働くのは十四歳を超えてからなので、おそらくはそれ以上の年齢だろう。
「それじゃ、あの……私はルミエラっていいます。私がお話を伺うことになったんですけど、その……本当にイヌミミ族の私で構わないんですか?」
「さっきも言ってたけど、どうしてそんなことを聞くのかしら」
「お客様、もしかして遠くから来た方ですか?」
フィーアリーゼが頷くと、アルヴィスの街では昔から獣人が迫害されているらしい。
最近は少しマシになって、こうしてギルドで獣人が雇われたりもするようになったが、迫害の風潮は根強く残っているらしい。
「そんなわけで、私も普段は雑用とかさせられてて、獣人のお客さんが来たときだけ、受付の仕事をさせてもらってるんです」
「ふぅん? それは分かったけど、なんで私の扱いもぞんざいだったのかな?」
フィーアリーゼが疑問を口にすると、ルミエラが申し訳なさそうな顔をした。
「なにか理由があるの?」
「実は……その、今日はグロリア商会からとても大事な方が来るようで、みんなそのお客さんを担当しようとピリピリしてるんです。受付は月ごとの成績でボーナスが出るから……」
「なるほど。だから、私なんて相手にしてられないってことね」
「……ごめんなさい」
「あら、あなたが謝ることじゃないでしょ? それとも、あなたも私の相手は嫌かしら」
「そ、そんなことありません。私は精一杯対応させてもらいます!」
「そっか。なら問題はないわね」
フィーアリーゼはルミエラに対して笑顔を浮かべて、それからグロリア商会ってどこかで聞いたことのある名前よねと、セシリアに向かって囁いた。
それに対して、セシリアがため息をつく。
「……フィーアリーゼ様、グロリア商会というのは、セドリックさんの商会ですよ」
「あ、あぁ! そうだ、紹介状!」
フィーアリーゼが忘れていた紹介状を、買った服と一緒にしまっていた制服のポケットから取り出してルミエラへ手渡す。
「あ、紹介状をお持ちなんですね。紹介主は……え、グロリア商会? え? ええ?」
ぽかんと呆気にとられるルミエラに、フィーアリーゼはにこりと微笑んだ。
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