貿易都市アルヴィス 前編 4

 貿易都市アルヴィスの中央にある大きなお屋敷の一室。ゆったりとしたソファに向かい合って座る二人の男がいた。

 この屋敷の――貿易都市の領主であるアルヴィスと、訪問者のセドリックである。


「それで、セシリアはどこにいるのだ? 俺のところへ連れてくる予定だったはずだが?」


 アルヴィスがすべてを見透かすような青い瞳をセドリックに向けた。


 セシリアを誰に売るかは、セドリックが決める権利を有していた。

 だが、セドリックはアルヴィスの屋敷に出入りしているお抱え商人で、セシリア姫に関してもまずはアルヴィスのところへ連れてくるのが筋であった。


 にもかかわらず、セドリックはセシリアを連れていない。

 この部屋にいないだけではなく、屋敷に連れてきていないことは使用人を通して確認済みで、だからこそセドリックに問い掛けているのだ。


 だが、アルヴィスの鋭い眼光に晒されてもなお、セドリックは涼しい顔を貫いた。

 もちろん、眼光に気付かないほどに鈍感なわけでも、その眼光に晒されて平気なわけでもない。だが、やましいことはないと、意思の力で平静を貫いているのだ。


「アルヴィス様にご覧に入れる予定のセシリアですが……ご存じの通りここに連れてきておりません。彼女は、既に別の者に売りました」


 その瞬間、アルヴィスが殺気に似た重圧を放つ。

 だが、それでもなお、セドリックは平静を装う表情を崩さなかった。


「……俺はお前が目先の利益に走る馬鹿ではないと知っている。だから、理由を問おう。なぜ、俺に話を通さずに、亡国の姫を勝手に売り払った?」

「結論から言えば、売った相手との縁を繋ぐのに必要でした。その娘と縁を結ぶことが、アルヴィス様のためになると思ったのです」


 セドリックが断言する。

 そのまっすぐな眼差しを見たアルヴィスは、金色の髪が掛かった瞳をわずかに細める。


「俺のため、だと? セドリック、おまえ自身のため、ではなくか?」

「私のためでもあることは否定しません。ですが、今回の件が上手く運べば、アルヴィス様にはそれ以上の恩恵があると確信しております」

「ほぅ、そこまでの相手か。娘と言ったが、どのような娘だ?」

「まだ幼さが残るものの、将来が楽しみな美しい娘です。アルヴィス様も奥様を失ってからずいぶんと経ちますし、そろそろ再婚を考えても良いのでは?」

「……おい」


 アルヴィスが半眼になる。

 セドリックはすぐに、冗談ですと言って肩をすくめて見せた。


「森で迷っていた娘で、本人は田舎娘を自称していましたが……ありえません」

「それは立ち居振る舞いが、ということか?」

「全てがあり得ません。それでもあえて一つをあげるのであれば、魔術師として、です」


 立ち居振る舞いはそれなりに洗練されており、身に着ける服はこの国でも有数の商会の跡継ぎ候補であるセドリックが見たこともない生地を使っていた。

 なにより――と、セドリックは腕輪型の魔導具をセドリックに差し出した。


「これは?」

「彼女が所持していたもので、セシリアと交換で手に入れました」

「魔導具一つでセシリア姫を売り払っただと? これに、そこまでの価値があるのか?」

「それ以上の価値があると確信しております」


 セドリックは一呼吸置いて、ブラウンガルムとの戦闘中に起きた出来事を話した。

 乱戦下において、ブラウンガルム十数体を同時に光が打ち抜き、かわされた光も対象を追尾して、味方を傷付けることなくブラウンガルムだけを正確に打ち抜いた。


 ブラウンガルム十数体を同時に打ち抜いたと聞いたアルヴィスは眉を跳ね上げ、かわされた光が敵を追尾したという下りでは両目を見開いた。

 そして、追尾した光が味方を避けた下りではぽかんと口を開ける。


「それは、本気で言っているのか?」

「もちろん本気です。しかとこの目で見ましたし、鑑定もいたしました」

「……鑑定が通ったのか?」


 実のところ、アーティファクトは鑑定を弾くことが多い。そして、現代の魔導具に、鑑定を弾くような力は無い。


 ゆえに、セドリックが鑑定したときも、弾かれるのは覚悟の上だった。ただ、通常は鑑定が弾かれるだけで、物理的に弾かれるようなことはない。

 それゆえ、驚いて取り落としてしまったのだ。


「最初は予想通り……いえ、予想以上の力で弾かれました。ですが……」


 しげしげと腕輪を眺めているアルヴィスに、鑑定の水晶を差し出した。受け取ったアルヴィスはすぐにその意図を察し、すぐさま腕輪に鑑定を使用する。

 最初は予想以上の力で鑑定が弾かれると聞いても、恐れる素振りはまるでない。


「……なるほど。敵と認識してロックした対象だけを光で打ち抜くのか。その対象が最大十五というのはなんとも凄まじいが……最初は鑑定が弾かれるのではなかったのか?」

「一度目は弾かれました。ですが、彼女が触れた後、鑑定が通るようになったのです」

「なにを言っているのだ、おまえは。それではまるで、その娘がアーティファクトのデバイスを書き換えたかのように聞こえるぞ?」


 アルヴィスが茶化すように言うが、セドリックはその言葉を真剣な顔で受け止めた。その意味に気付いたアルヴィスは目を見開き、そしてありえないと首を横に振った。


「おまえは、自分がどれだけ常識外れなことを言っているか自覚があるのか?」

「もちろんあります。ですが……こちらをご覧ください」


 セドリックが取り出したのは何の変哲もない、アルヴィスの屋敷にもある魔導具だ。ただし、それらはあの夜、フィーアリーゼが改良を施した一品である。


 灯りを付ける魔導具を受け取ったアルヴィスは、ささっと魔石を使って灯りを付ける。そうして、安定した明るい光に軽く目を見張った。


「これは……最新型なのか? 俺が知っているほかの物と比べて、ずいぶんと光の強さが安定しているようだが?」

「魔石の持続時間も増えています。ですが、それは新型ではありません。先日までは」

「……なにを言っている? ……いや、まさか?」

「そのまさかです。くだんの娘が軽く触っただけで調整してしまったんです」


 軽く触っただけで調整できるような代物ではないと、アルヴィスが困惑する。


 だが、そんなアルヴィスに対して、セドリックは他の異常事態。たとえばセシリアの奴隷契約を触れただけで破壊して、別の形態の契約を結んだことなどを話した。

 常識外れな話ばかりで、アルヴィスは自分が担がれているのではないかと思ったほどだ。


 実際のところ、セドリックはそのような冗談をいう男ではないし、アルヴィスを騙そうとするような男でもない。

 だが、それでも、狂言を疑いたくなるほどに、その事実は非常識だった。


「それに、彼女はこうも言っておりました。その腕輪は他人にとってはただの魔導具だけど、私にとっては思い出の品だ、と」

「思い出の品であることになんら不思議は……いや待て。他人にとってはただの魔導具だと言ったのか? このアーティファクトを指して?」

「ええ。しかも従来の魔導具を調整したときは、粗悪品か、モグリの魔術師が作ったものだと思っていたようです」


 この国で最高の技師がデバイスを作り、最高の魔術師が魔法陣を焼き付けた一品を粗悪品呼ばわりで、その言葉を裏付けるだけの実力を見せた自称田舎娘。

 むしろ、おかしくないところを探す方が難しいレベルだった。


「その娘は何者だ? 本当に実在するのか?」

「警戒させるのは得策ではないと判断して、正体に関しては追及しませんでした。いまは宿をとって休ませています。万一に備えて監視も付けているのでご安心ください」


 監視の主な目的は、フィーアリーゼを見失わないためである。

 ただし、得体の知れない力を持つフィーアリーゼが、この貿易都市でなんらかの悪事を働く可能性も否定してはいない。

 それらの可能性を含めて、万一のための監視だった。


「ふむ。後で裏を取らせてもらうが、ひとまずはお前の言っていることがすべて真実だとしよう。それで、セシリアを売り渡したことで、その娘を取り込むことが出来たのか?」

「ひとまず半年分の住居と食事の世話をすることになっておりますし、その住居には工房が在る場所を選び、作った魔導具を売ってもらう予定です」

「……ほほう。それはそれは、ずいぶんと儲けられそうだな、おまえが」


 暗に、俺の利はどこへ行ったと問い詰める。

 そんなアルヴィスの言葉を予測していたセドリックはニヤリと笑って、彼女はお金儲けではなく、魔導具を行き渡らせ、平民の暮らしを豊かにすることが目的であると告げる。

 そして、そのためなら、惜しまぬ協力をしてくれそうであることも語った。


「……なるほど、たしかに俺にも利があるようだ。それも、想像も出来ぬほどの、な」


 平民の暮らしが豊かになれば、この貿易都市は今以上に活性化する。それは貿易都市の領主にとって願ってもない話である。

 むろん、いまの話がすべて事実だと信じたわけではない。対して、セシリアの政治手腕は既に確認が取れているものだ。

 それを手に入れられなかったのは惜しい。


「セシリアの発想力や政治手腕も期待していたのだがな」

「その能力は、彼女と共にいた方が有効だと考えます。それに、アルヴィス様が彼女と交流すれば、必然的にセシリアの知恵を借りることも出来るでしょう」

「……ふむ。まあ良い。今回はおまえのその言葉に乗ってやるとしよう」


 それはつまり、セシリアを別の者に売ったことを許すという意味だ。

 売る約束はしていなかったとはいえ、納得してもらえなければ確実に不興を買っていた。そうしたら、貿易都市での立場を失っていただろう。

 その心配がなくなったと知り、セドリックは大きく息を吐いた。


「ふっ、平気そうな顔をしていたわりに、実は心配していたのか?」

「当然ではありませんか。私にとっては一世一代の大博打でしたよ」

「勝つと分かっていたくせに良く言う」

「それは否定しませんが、今回は万が一に失うモノが大きすぎましたから」


 セドリックは基本的に堅実な取り引きを望む。

 仮にハイリスクハイリターンな取り引きをするとしても、結果が失敗に終わっても取り返しがつく範囲を超えることはない。


 だが、今回は万が一の可能性とはいえ、貿易都市アルヴィスの領主から取り返しの付かない不興を買い破滅する可能性があった。

 セドリックが緊張するのは当然である。


「ところで、セドリックよ。俺は本来買うはずだったセシリア姫を買い損ねたわけだが……その代わりに、その魔導具を売ってくれるんだろうな?」

「残念ですが、これはお売りできません」

「……なぜだ?」


 当然売ってもらえるものだと思っていたアルヴィスは眉をひそめる。

 だが、セドリックはニヤリと笑った。


「実はこの魔導具は、いずれ買い戻される予定なのです」

「……買い戻す、だと? 現金……ではないな?」


 セドリックは首を縦に振って肯定し、フィーアリーゼがいずれ買い戻すのに十分な対価を用意するつもりでいるらしきことを打ち明けた。


「ですから、アルヴィス様には、その魔導具をお売りいたします」

「……ちょっと待て。それならば、いまその魔導具を買い取れば、いずれは買い戻すのに十分な対価とやらのアーティファクトが手に入るのではないか?」

「ふっ。後で売ればより高く売れるのが分かっているのに、私が先に売るとお思いですか?」


 アルヴィスは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 さきほど、セドリックが目先の利益に走る馬鹿ではないことを知っていると言ってしまった。それなのに、いま売れとは非常に言いにくい。


「……相変わらず食えん奴だ。……まあ良い。その代わり、その娘が作る魔導具はまず俺のところに売りに来い。それと、その対価とやらが手に入ったら、それも持ってこいよ?」

「お約束いたします」


 とまあそんなわけで、セドリックがセシリアを売り払った件は片がついた。


「では、私は彼女のために住居の候補を出さなくてはいけないのでこれで失礼します」

「うむ。あぁそれと、その娘に会ってみたい。その娘、名はなんと言うのだ?」

「かしこまりました。折を見てお連れします。彼女の名は――」



 セドリックが退出していった後、アルヴィスはすぐさま使用人を呼び出した。そうして、セドリックの持ち込んだ情報の裏付けをするように指示を出す。


「良いか、目的は情報の裏付けと収拾だ。その娘に悟られないようにしろ。万が一悟られるようなことがあっても、決して不興を買うようなマネだけはするな。良いな?」

「はっ、すぐに手配いたします」


 使用人が恭しく頭を下げ、すぐさまどこかへ去って行く。

 それを見送ったアルヴィスは大きなため息をついた。そして、さきほど見せられた腕輪に刻まれていた制作者の刻印を思いだし、もう一度ため息をついた。


「偶然か……はたまた必然か」


 アルヴィスは応接間を出て、コレクタールームへと足を運ぶ。

 扉を開け、魔導具の灯りを付けると、様々な芸術品がランプと似たように揺らぎのある灯りに照らし出された。歴代の当主が買い集めた芸術品である。


 アルヴィスはそんな芸術品の片隅に置かれている魔導具を手に取った。正確には魔導具として完成していないデバイスだが、さきほどの魔導具と同じ紋章が刻まれている。


 つまり、セドリックの持ち込んだ魔導具と同じ制作者と言うことだ。

 そのデバイスが発見されたのは、フィーアリーゼが現れた魔の森の近くにある、魔女の都市だと記録されている。

 そして、魔女の都市で発見されたのは、デバイスだけではない。


「もしも必然であるのなら……」


 アルヴィスは魔導具を飾ってあった隣に顔を向け、ゆっくりと見上げる。そこには巨大なクリスタル。その中には――いまも変わらず、静かに眠り続ける少女の姿があった。

 

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