貿易都市アルヴィス 前編 2
グラストリア王国の辺境にある貿易都市アルヴィス。
中央と隣国の取り引きの橋渡しを担う貿易都市は、上下水道が設置されており、街の近くに流れる川の水質を汚染するほどに発展しているらしい。
人口数十万を誇り、巨大な街をぐるりと城壁が取り囲んでいる――なんてことはなく、思ったよりもこぢんまりとした街だった。
一応、周囲を取り囲む壁は存在している。
高さが3メートルくらいの石の壁で、魔物が入り込むのは難しいだろう。人もそう簡単には入れそうにないが、梯子的な物を使えば潜入は出来そうだ。
もちろん、商隊にはそんなマネは出来ないしする必要もない。フィーアリーゼを乗せた商隊は、大きな門の前で正式なチェックを受けて入場の許しを得た。
馬車が街に入るには通行料がいるようだが、貿易都市アルヴィスを拠点にしているセドリックの商隊は免除されているらしい。
もっとも、年間の税を納めているそうなので、それほど得というわけでもないのだろう。あえて言うのなら、他よりも荷物の確認作業が早く済んだくらいだろうか。
ちなみに、フィーアリーゼは同乗者と言うことで特に質疑応答をされることもなく街への立ち入りが許された。
個々が持つ魔力の波形を登録して、犯罪者を弾く、なんてシステムもない。フィーアリーゼの通っていた学校とは比べものにならないほどにチェックが甘い。
だが、セドリック達から聞いた、栄えた貿易都市という言葉が嘘とも思えない。つまりは、現代においてはこれが普通――もしくは厳重なチェックなのだろう。
そんなフィーアリーゼの予想は、街に入ると現実のものとなる。
馬車が通る中央通りは石畳が敷き詰められているが、少し道をそれると砂利道や普通の踏み固められた土の道が見える。
そして左右に立ち並ぶのは、カットされた石を積んだ建物。建築技術に問題はなさそうだが、魔術的な補助は一切見られない。
つまりは、見た目通りの石の家というわけだ。
建物自体を巨大な魔導具として、礎の間にある魔法陣から魔力の供給を受けて、空調の管理を始めとした様々な魔術を動かしていた学校とは比べものにならないほどに劣っている。
もっとも、魔術学校の設備は当時でも抜きん出ていたが……これが貿易都市だと言われると、フィーアリーゼは魔術の衰退を感じずにはいられなかった。
ただ、人口はそれなりに多そうだ。
数十万人と言うことはなさそうだが、十万人近くは住んでいるかもしれない。
「フィーアリーゼ様、なにか珍しい物でもありましたか?」
「……えっと。ねぇ、セシリア。あなたから見て、この街はどんな風に見える?」
「石を綺麗にカットして積み上げる技術や、上下水を整備する力。どれもローゼン公国には真似できない物ですわね」
「……なるほど」
つまりは、これが現代の最先端。封印されて300年ほど未来に来たのだが、過去に遡ったと考えた方がしっくりくるのが現実だった。
ちなみに、自称田舎娘がこの街を見て驚き一つ見せないことに、セドリックやセシリアは苦笑いを浮かべているのだが、本人は気付かない。
今日はもう遅いので、セドリックが取ってくれた宿で休むことになった。
そんなこんなでやって来た宿のカウンター。
奥から姿を現したおじさんが、セドリックを見て揉み手を始めた。
「これはこれはいらっしゃいませ、セドリック様。本日はどなたかお泊まりですか?」
「ああ。この娘達に二部屋用意してやってくれ」
「――あ、二人部屋を一つでお願いします」
フィーアリーゼがお願いする。セドリックは少し驚いた顔をしたが、そう言うことらしいと宿の店主に部屋を用意させてくれた。
その後、また明日迎えに来ると言って立ち去るセドリックを送り出し、フィーアリーゼはセシリアを連れて二人部屋へと移動。
部屋へ入るなり、「あ~疲れた~」と椅子に座り込んで大きく伸びをした。
「セシリアも、向かいの席に座って休むと良いよ」
「……よろしいんですか?」
「もちろん。それに同じ部屋で肩肘張るのは大変でしょ」
「えっと……それじゃ、お言葉に甘えて」
セシリアが向かいの席に座ると、ん~と大きく伸びをした。シンプルな奴隷服の布を、フィーアリーゼにはない豊かな膨らみがぐぐっと押し上げる。
「セシリアって、私より年上なんだね」
「え? フィーアリーゼ様は何歳なんですか?」
「私は十七歳だよ」
「では、わたくしが年下ですわ。十六歳ですから」
ピシリとひび割れるような音が鳴った。なお、フィーアリーゼのプライドかなにか、そんな感じのモノがひび割れたようだ。
(さ、300年後の女の子は、発育が良いんだね)
自分の発育が良くない事実を認めようとはしないフィーアリーゼであった。
もっとも、フィーアリーゼは決して発育不良ではない。
ただ単純に、セシリアやアリアなど、周囲に発育の良い女の子が多くて――フィーアリーゼの発育が平均よりちょっぴり悪いだけである。
「まあ歳のことは良いよ。忘れよう。それより、この宿ってお風呂はあるのかな?」
「お風呂ですか? さすがにないと思います。桶に入ったお湯なら、銅貨何枚かで用意してもらえると思いますけど」
「……そういえば、無一文だったよ」
食事は宿代とセットだったが、それ以外のことを考えていなかったとため息をつく。そんなフィーアリーゼに対して、セシリアは文字通りの無一文だったことに目を丸くした。
「それは……困りましたわね。宿屋の店主に事情を話して、明日、セドリック様に立て替えてもらうように交渉してみますか?」
「ん~それでも良いけど、濡れタオルで拭くくらいなら、魔術を使った方が綺麗になるかな」
フィーアリーゼは呟いて、ブラウスのボタンを外し始めた。そんな突然の行動に、セシリアが目を丸くする。
「……あの、フィーアリーゼ様? 着替えもないのに、なにをなさっているのですか?」
「浄化の魔術は、服を着てると色々と大変なの。というか、同性でも恥ずかしいから、あまりマジマジと見ないでね」
フィーアリーゼは意味不明な答えを返しながらブラウスを脱ぐと、続けてプリーツのスカートをストンと落とした。
最後に肌着を脱いで生まれたままの姿になると、自分の足下に魔法陣を展開する。淡い光を帯びた魔法陣が、下からフィーアリーゼを照らし上げる。
そして次の瞬間、足下から水が湧き上がった。
「えっ、フィーアリーゼ様!? 下の階が水浸しになりますよ!?」
「外にあふれたりしないから大丈夫よ」
フィーアリーゼの言葉通り、魔法陣の円から上に見えない円柱の壁があるかのように水がたまっていく。そうしてわずか数秒で、フィーアリーゼの首から下が水に包まれた。
更には、その水がフィーアリーゼを中心に渦巻くように流れ始める。
「な、なんですか、それは」
「座標を指定して水を召喚して、更に水流を生みだして身体の汚れを落としてるのよ。ちょっと顔や頭も洗っちゃうわね」
「洗っちゃうわねって、なにを――」
セシリアが言い終えるより早く、フィーアリーゼはしゃがんでチャポンと水の中へと潜った。水流によって、フィーアリーゼの全身が洗い流されていく。
「――ぷはぁ。これでひとまず大丈夫、かな」
何度か潜っては顔を出す行為を繰り返し、フィーアリーゼは魔術を解除した。そのままだと水がぶち撒かれてしまうので、水を送り返すことも忘れない。
ちなみに、研究室に籠もりがちだったフィーアリーゼのオリジナル魔術で、もし当時の先生達が見れば、その複雑な魔法陣を見て技術の無駄遣いと呆れただろう。
……いや、三度の飯より研究が大好きな先生方は教えて欲しいと懇願したかもしれないが。
取り敢えず、身体を洗い終えたフィアリーゼは別の魔術で身体に付着した水分を飛ばす。さらには身に着けていた衣類を同じ要領で洗って、ささっと乾かした。
そうして、綺麗になった肌着と服を身に着ける。
「さぁ、セシリアにもやってあげるからその服を脱ぎなさい」
「……えっと、恐れ多いというか恐ろしいというか、大丈夫なんですか?」
「そのために、私が先にやって見せたんじゃない。どうしても嫌だって言うなら、外の井戸水で身体を洗ってこさせるわよ?」
「……では、お願いします」
野外での水浴びよりは、こっちの方が良いと判断したのだろう。セシリアは大人しく奴隷服のヒモをほどいてストンと落とす。
その下は素っ裸だった。
「わぁ……セシリア、そういう趣味なの?」
「違いますっ! この服しか与えられていなかったんです」
「あら、そうなんだ。私は奴隷として扱いたいわけじゃないし、後で肌着と普通の服を用意してもらえるように頼んでみるね」
「助かりますけど、それならフィーアリーゼ様もお願いした方が良いですよ。その服、物凄く目立っていますから」
「……あぁ、やっぱりそうなんだ」
フィーアリーゼはなんとなくそんな気はしていたと溜息を一つ。セドリックに用意してもらいたいリストに自分の服を追加する。
「まあ、それも明日会ってからだね。取り敢えず、セシリアの身体を洗うから動かないでね」
言うが早いか、セシリアの足下に魔法陣を展開。同じようにセシリアの身体を洗い上げる。
「――冷たっ。っていうか、思ったより、水の流れが凄いですね。その割に、流される感覚がないというか、なんか、凄く不思議な感じです」
「水流による回転を相殺するように流しているからね」
大雑把に言うと、右回転の部分と左回転の水流が身体に絡みついている。その結果、身体がクルクル回ることはない。
「それにしても、こうして他人が洗われてるのを見るとシュールだね」
「きっと、さっきわたくしが見てたのと同じ光景ですよ」
「……違うと思う」
セシリアの身体を洗うのは、自身のときよりも魔力消費量がわずかに多い。おそらくはメリハリのある身体が原因だろうと、フィーアリーゼはため息をついた。
それから、セシリアが潜って頭や顔を洗い始める傍ら、マルチタスクで別の魔法陣を展開して、奴隷服を洗い上げた。
「……ありがとうございました。驚くほどさっぱりいたしますわね」
「汚れが綺麗に落ちるように研究したからね」
研究室に籠もりがちな女の子にとっては切実だったのだ。
「研究、ですか……つまりは、フィーアリーゼ様のオリジナル、ということですか?」
「そうだよ。いまでも私しか使えないかは分からないけど、開発したのは私」
「あなたは、一体、何者なんですか?」
「セシリア、いまから教えることは他言無用よ。これは、厳命だからね」
奴隷契約の魔法陣によって意思を縛られたセシリアがビクンと身を震わせた。わずかに目を見開いたセシリアだが、すぐにその瞳に理解が浮かべる。
「かしこまりました。決して他言はいたしません。それに、正体に繋がるような発言にも気を使うようにいたしますわ」
「理解が早くて助かるわ」
奴隷契約の命令に、言葉の裏を読むという機能は備わっていない。正体に繋がる発言に気を付けるのはあくまで、セシリアが自分の意思で告げた言葉だ。
その言葉に対しても遵守するように命令するのが確実だが、あまりがんじがらめにしては彼女の言動が不自然で怪しくなる。
ゆえに、気を付ける程度の言動は、彼女の自由意思に任すのが良いだろうと判断した。
「私の素性は……そうね。貴方達風に言うと、魔女の生き残り、かしらね」
「魔女の生き残り……それはつまり、300年前の……? ですが、フィーアリーゼ様は、どう見ても三百歳を超えているようには見えませんが」
「年齢は十七歳よ。訳あって、貴方達と出会う前日まで封印されていたの」
三百歳を超えているのも、300年封印されていたというのも、同じくらい信じがたい事実なのだろう。セシリアは理解できないというように困惑顔になった。
「無理に信じる必要はないわ。ただ、田舎から来たというのは嘘なの。私は300年前の人間だから、現代の事情に凄く疎いのよ」
「あぁいえ、たしかに信じがたい話ですけど、納得のいく部分もあります。そもそも、田舎から来たという点に関してはまったく信じていませんでしたから」
「――えっ!?」
世間知らずな田舎娘を見事に演じきっていた――と信じて疑わなかったフィーアリーゼは、物凄く驚いた。
なお、セシリアは、そんな風に驚くフィーアリーゼにこそ驚いたのだが。
「無理があると、自覚なさっていなかったのですか?」
「そ、そんなに不自然だった?」
「それはもう。口調からして田舎出身とは思えませんし」
「えぇ? 農村出身なのは本当なんだけどなぁ……」
「そんなこと言われても、誰も信じませんよ?」
本当に農村出身なフィーアリーゼはなんともいえない顔をする。
「それに、魔導具に触れただけで解析して改良するなんて、王都の魔術師にだって無理です」
「そ、そこまで……? セドリックさんの持っていた魔導具って、モグリの魔術師が魔法陣を焼き付けた粗悪品だと思ってたんだけど……違うの?」
「違います」
セドリックはこの国有数のグロリア商会の関係者。
というか、跡継ぎ候補らしい。
そんなセドリックが粗悪品なんかを使うはずがない。この国で最高レベルの魔導具を使っているはずだと指摘され、フィーアリーゼはあんぐりと口を開けた。
「そ、それを粗悪品扱いした私、もしかして思いっきり不可解に見えたんじゃない?」
「それは大丈夫だと思います」
「え、ホント?」
「ええ。それ以前に、どう見ても普通じゃなかったですから」
「ふえっ!?」
一瞬安心させてから落とす。
セシリアのフェイントに、フィーアリーゼはショックを隠しきれない。
「まず、魔導具はそこそこ裕福な者じゃないと手に入れられません。ましてや、フィーアリーゼ様のお持ちだった魔導具はアーティファクトでしょう?」
「えぇ? 当時の試作品なのはたしかだけど、そんな大げさなモノじゃないよ?」
フィーアリーゼは否定してみるが、セシリアは自分と交換出来る魔導具が、普通の魔導具のはずはないと言ってのけた。
ましてや、セドリックはそこに半年分の食事と住居を上乗せしている。よほど珍しいアーティファクトでなければそこまでの値段は付かないだろうとのことだ。
「えっと……そこまでって言うけど、セシリアはどれくらいの値段だったの?」
「平民なら、一家が一生遊んで暮らせるでしょうね」
「ええええええっ!?」
驚いたフィーアリーゼはそれまでの言動を思い出して冷や汗をかく。
一生遊んで暮らせるお金より、思い出を優先したり、ちょっとした同情や思いつきで、それを翻してセシリアの購入に使ったり。
どう見ても、素朴な田舎娘の行動ではなかったようだ。
「そもそも、着ている服からして普通じゃないですよ。少なくとも、ローゼン公国では見たことがありません。セドリック様も同じようにおっしゃると思います」
つまりは、セドリックと出会った瞬間から、ただ者ではないと思われていたということ。その事実に気付いたフィーアリーゼはしょんぼりへにょんと項垂れた。
「じゃあ、セドリックさんには、私の素性がバレてるかな?」
「それは……どうでしょう? ただ者ではないと思われているのは確実ですが、さすがに魔女の生き残りだとは思わないのでは?」
「うぅん、そっかぁ……」
可能性としては五分五分。
だが、セドリックはフィーアリーゼを取り込もうとしている節がある。
魔女の生き残りである事実に気付いているかどうかはともかく、むやみにフィーアリーゼの特異性を漏らしたりはしないだろう。
なにより、アリアの意志を継ぐのに大きな商会の後ろ盾は有効だ。取り込まれすぎないように上手く立ち回れば、目的に大きく前進できるだろう。
(ひとまずは様子見、かな)
フィーアリーゼはそんな結論にいたり、気を取り直して300年前のことを聞く。どうやら、フィーアリーゼが予想していたとおりの出来事が起こったらしい。
セシリアは300年前の真相を知らないそうだが、事故自体はセシリアを含めて、知らない者がいないほど有名な話だそうだ。
ともあれ、フィーアリーゼの魔術知識は現代でも有効――どころか、唯一無二レベルの知識へと昇華されているらしい。
これからどうするべきかと、フィーアリーゼは思いを巡らせた。
まずは、フィーアリーゼの知る常識と、現代の常識をすりあわせる必要があるだろう。それから、アリアが望んだ世界を現実の元にするために努力する。
なので、フィーアリーゼはさっそく、セシリアからこの時代の様々なモノの相場を尋ねて、自分の感覚との擦り合わせをおこなった。
これで周囲とズレた行動をする心配がなくなると、フィーアリーゼは一安心だ。
なお、教師役のセシリアが元お姫様で、そもそもの金銭感覚が庶民とズレていることにフィーアリーゼが気付くのは、もう少しだけ先の話である。
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